秋口はばたばたと本が出ます。 やはり「読書の秋」だから?
先日斉木さんは「コントの秋だから」と言って「そんなの誰からも聞いたことないぞ」と
周囲に責められまくってましたが、まぁ「○○の秋」って言いやすいかも。
というわけであたしもため込んでいる本をちょっとばかりスピードアップする次第。

おバカ枠採用・雪丸の仕事のできなさっぷりは相変わらずですが、地方局ならではの
悲哀が一層色濃くなってきた4巻。 この先、テレビ局という存在の矛盾やら功罪まで
話を進めてくれるのかしら、とちょっと期待しちゃう感じなんですけど。
しかし、「働くとは、こういうことだ」を体現する山根くんの存在が素晴らしい。
バタバタした笑いだけを期待するといまひとつかと思いますが、これはれっきとした
お仕事マンガなのです!

これは舞台『国民の映画』を見たあと、図書館で借りました(というかなかなか進まず、
何ヶ月も借りまくり・・・借りっぱじゃないよ、きちんと延長・更新手続きを続けておりました)。
強い野心を抱く女性がつかんだチャンスが時の権力者のもので、彼の庇護のもと
金を湯水のように使って時間も十分すぎるほどかけて大作芸術映画をつくる。 しかし
のちに権力者の罪が暴かれたとき、彼女はそんなことはまったく知らなかったと、
自分はただ映画をつくっていただけだと抗弁する。
“映画とプロパガンダ”を語るときに必ず題材になる『民族の祭典』と『オリンピア』。
その監督であるレニ・リーフェンシュタールはちょっと美しかったばっかりに、才能が
あったばっかりに、それを凌駕する野心をもっていたために(そして自分に過ちがあった
などと認めたくないために)、一度は栄華を得るがその後凋落。 十分な時間と十分な
資金と、自分の手足がわりに動く十分なスタッフがいなければいいものを撮れる人では
ないとわかってくる。 いや、あの栄光のときが奇跡の僥倖だったのかも。
あたしには他人の自由と引き換えにしても構わないほどの野心はないから、彼女の
気持ちはわからないけど(まぁ、わかりたくないけど)。
好むと好まざるとにかかわらず、ナチスに人生を狂わされた人は数えきれないくらい
いる。 結果はどうであれ、彼女もその一人だったということ。

何度読んだことがある本でも、不意に、読みたくなることがある。
これはストーリー云々ではなく文体があたしを呼んでいる、ということなのであろう。
森雅裕はそんな文体の持ち主の一人である。 今はどうしているのだろう、書き続けて
くれればいいが。
シューマンの死後、ブラームスとワーグナーの諍い(?)にロスチャイルド家が絡む
音楽陰謀サスペンス。 その当時はブラームスの一人称にして『モーツァルトは子守歌を
歌わない』のベートーヴェン先生のようにしてほしかったなぁと思ったのだけれど、今
読み返せば・・・頑固で偏屈のくせに他人を気遣い礼儀を重んじるあまり誤解を招く
ブラームスは当時の出版界における作者の立場そのものだったのでは・・・と思い至る。
大喧嘩して森氏を出版界から干す、と公言した編集者の方はもう亡くなったのだから、
もういいんじゃないですか、講談社さん。 新潮社から『マンハッタン英雄未満』の版権を
買い取って、ベートーヴェンさんシリーズ番外編として刊行してはいかがですか。
出版不況です、お客にまで火の粉がかかり続けるようなことをしてたら、ただでさえ
低い信頼度がさらに下がります。 御一考ください。