2011年09月12日

10年後、半年後



 11、という日は度重なる重圧を耐える数字のイメージがついてしまった。





 『砂の器』後編。 テーマを和賀英良(佐々木蔵之介)と吉村刑事(玉木宏)との対決と



いうか、「どうにもならない巨大なものに理不尽に家族を奪われた者同士の共感と哀惜」



(吉村刑事は東京大空襲で、和賀は世間の人の悪意と偏見により奪われた)を主軸に



描きたかったということだったのでしょうかね。



 テレ朝ドラマの橋爪功の使いまくりぶりもすごいが、それに応えて短い出番でも強烈な



印象を残すのもまたすごい。 しかし、ある意味この二人の父親の存在故に感動的に



まとまってしまったけれど、自殺や自然死として処理された女性たちのことにはあまり



触れてくれないのね・・・。 原作にない女性キャラクターをつくったのなら、この部分に



もっと光を当てるべきでは。



 それにしても、昭和の時代。 日本人は今よりもっと罪悪感というものに対して真摯に



向き合っていたのかしら、という印象。 明後日の飛行機に乗る、というタイムリミットが



あるならばそれを目指して黙秘もできたはずなのに、喋っちゃう。



 いや、これが普通なのか・・・罪悪感どころか自分がしでかしたことの意味もわからない



犯罪者が現代では増えすぎてしまったんでしょうか。 そしてそのことに、同じ社会に



住む者として慣れてしまっている、ということなんでしょうね。





 チェルノブイリの事故が起こったとき、ソ連の人たちは一体どうしているのだろう、と



子供心に思ったものだった。 しかしいま日本は同じ立場になってみて、直接立ち退き



などを強いられる地域に住んでいない限りは普通の生活を送っている、送れている。



 ツインタワー崩壊後もNYはその活動を止めることはなかった。



 被害者・加害者・救援者以外は傍観者になるしかないのだろうか。



 否応なく考えさせられる、10年後と半年後の今日。


posted by かしこん at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする