2011年09月05日

光のほうへ/SUBMARINO



 トマス・ヴィンターベア新作、終映ぎりぎりにやっと見に行った。



 アルコール依存症の母親と同居する兄弟はなんとか自分たちでやっていこうと



するのだが、そこを襲う悲劇。 兄弟それぞれに心の傷を負ってしまい、仲の



よかった二人はいつの間にか離れてしまう。



   いま、渇望の底から手をのばし、かすかな愛にふれる。



 そして場面は20年後ぐらい?、兄のニック(ヤコブ・セーダーグレン)の孤独な



日常からスタート。 特に説明もなく、淡々とニックの日常(しかも華やかさも救いも



ない)を積み重ねているだけなのについついじっと見入ってしまう。 説明不足とも



感じないし、よく考えたら重たい話なのだがそれを「つらい」と感じすぎない。 ここは



見る側の個人差があると思いますが(多分、重苦しさがつらいと感じる人もいるでしょう)、



あたしは結構大丈夫。 このへんが、監督との相性なのかなぁ、と思う。



 そんなつもりはなかったのに、結果的に自分のせいで新たな悲劇が起こったと感じた



ニックは少年のときの心の傷に逆戻り。



 暗転し、スクリーンにはニックの弟(ペーター・プラウボー)が映り込む。 そして時間は



兄パートのはじめに戻る。 二人に起こる出来事を同時並行に描かずに、兄パートと



弟パートにわけたことで謎解き要素が生まれました。 そして弟の息子マーティンの



存在に、観客は光を見るわけですが。



   やり方は間違っているが、それでも息子を愛する父。



 弟(最後まで名前がわからない)の人生は「親としてそれはどうよ!」なのだが、



彼自身親に大事に育ててもらってないのだからわからないんだろうし、それでも



彼なりにマーティンを大事に思っているんだろうけど、根本的なところが間違って



いる。 弟には大変怒りを持ってしまいましたが、本当にどうしようもなかったら



あきらめて見捨てるだけ。 ダメなこの兄弟二人に、あたしは「一歩踏み出せば



普通になれるのに」という歯がゆさを覚え、「まともになってほしい」と感情移入して



しまっていたようです。 こういう、ダメな人に対する突き放した視線と冷静な愛情が



ヴィンターベア作品のストーリー上の救いのなさを映画そのものが助けているのかも。



 福祉国家として日本が目標にしているらしい国のひとつ、デンマーク。 しかし



その国にもこのような悲惨な現実はあり、社会システムだけではすべての人は救え



ないのは明白(だからといってその努力をしないというのも論外ですが)。 勿論、



国によって事情は違うのだから容易く他国を模倣すればいいという考えはやめた方が



いい、はずである。



   兄弟の何度目かの再会で、事態は動き出す。



 それでも、弟は自分が母親にはしてもらえなかったことをきちんと息子にする。



どこにいようと、消えないつながりの存在を息子に伝える。 ちょっとここであたしは



うるっとしてしまいました。



 原題『SUBMARINO』はもともと「潜水夫」の意味だけど、転じて「水に顔を無理矢理



押しこまれる」という風にも使われるらしい・・・それが、虐待されている子供の気持ちな



わけで・・・つらい。 それを『光のほうへ』というありきたりだが希望を信じたいと思わせる



言葉にしたのが映画の本質を損なっていなくて、いい邦題です。


posted by かしこん at 02:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする