2011年07月31日

未解決事件 グリコ・森永事件

 この事件って、1984年でしたか・・・。
 というかNHKで第一部を金曜日にやっていたことに気づかなかったので、その日、家に帰ってきてから新聞見て驚愕(「もうとっくに終わってるじゃないか!」)。
 で、土曜日放送の第二部・三部は録画したわけです。 上川隆也だし!(そこにつられましたが、結果的にあたしの好きな役者さんがぞろぞろ出てくれてうれしくて。 上川隆也がバッチリと関西弁なのにはつい笑ってしまったが)
 グリコ・森永事件。
 事件のことは覚えてるんですが、いかんせん北東北に暮らす子供であったあたしにはそこまでリアリティのある事件に感じられなかったというか・・・事件が主に西日本で起こっていたから、近所のお店に毒入りのお菓子が並ぶかも!的危機感は薄かったように記憶している(「もしあったらどうする〜!?」みたいな会話を友だちとした程度だと思う)。 実際に地元のお店からグリコ製品が撤去されたかどうか覚えてない。 報道されたことも断片的にしか記憶になくて、そんな流れだったのか・・・と驚いたり(結構丹念に振り返ってくれるので、第一部を見ていないハンデも特にストレスにならなかったのでよかった)。
 事件を報道する新聞記者・捜査する警察官側の視点でドラマは進行しています。

  未解決事件・グリコ森永.jpg 原稿は万年筆で手書き、みんな煙草をガンガン吸う、と時代を感じる描写多数。

 でも当時、そこまで精巧に描かれた似顔絵“キツネ目の男”やテレビでガンガン流されたテープに吹き込まれた女性・子供の声など、「これ、自分の声だっていくら子供でもわかるんじゃないの?」とあたしは子供ながらに思ったものである。 それが言えないということは自分がやったことの意味がわかってるからなのか、やれと言ったのが自分の親とか親しい人だからなのか、とか(ミステリ読みは子供であっても勝手に推理する、という大変典型的な見本であります)。
 で、今は関西に住んでいるあたし。 出てくる地名や場所にいちいち反応できるわけで、当時の関西の狂乱ぶり(?)を想像してしまった。 すごい騒ぎだったろうなぁ(しかし日本はそれほど広い国ではないのに、いつの時代も騒ぎは局地的なのだな・・・あまり関係のない地域では所詮は他人事になってしまう、それが“日常生活”というものなのか)。
 時効が成立したとはいえ、最新技術を使えば新たな手掛かりが見つかるだろうというのは誰でも予想ができること(2000年2月が時効だったそうだが、時効直前でもそれなりのことはやろうと思えばできたのでは・・・でもその壁は人員不足と予算の不足のせいなのだが)。
 NHKは時効の撤廃を受けて『未解決事件』という新たな番組フォーマットをつくり、過去の未解決事件の経過と顛末をドラマとドキュメンタリーで検証していこうとしていくようだ。 それを解決の道標にするために。 その心意気は買うが・・・今回は二部と三部を見ただけだが、まだツッコミは足りないように感じた。
 日本音響研究所に行ったらもっと拾えるデータはあるはずなのだが・・・意図的に放送しなかったのかな? 素人のあたしですらも気になるところがいくつかあった。
 それにしても骨のあるところを見せる滋賀県警に対して、兵庫県警は・・・兵庫県警のダメっぷりが(あくまで印象ですが)垣間見れましたよ。
 新聞記者・捜査官、事件にかかわった人々が今も事件のことをひきずっていて、「あのときこうすれば・・・ああすれば・・・」と悩み続けているというのがとても切ない(気持ちはとてもよくわかるだけに!)。 そして犯人がどう感じてるのかをみなさん知りたがっている。 それが残された唯一の解答だとでもいうように。
 未解決とは、それだけ当事者に深い後悔の傷を残すのだ、この事件は殺人事件ではないが(間接的にひとりが命を落としたが)、未解決の殺人事件となったらどれだけの深い傷と絶望が散らばるのだろうか・・・わかってはいることなのだが、あらためて考えたら胸が苦しくなった。
 まぁ最近いろいろと評判の悪いNHKですが、しっかりした骨太の番組をつくって受信料払ってるだけの甲斐のある放送局になっていただきたいのですね。

posted by かしこん at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ・テレビドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小川の辺 (おがわのほとり)

 実は予習のために『山桜』を観たのですが・・・途中の自然風景描写がうまくつながらないとか、結局自分が断ったからこんなことになってるのに純愛に転嫁するのかとか、結末も見る側に丸投げなのもなんだかな、と納得できない部分も多々ありましたが、テレビ時代劇が撃沈してる昨今、映画(しかも東映)を応援したい気持ちはあり・・・不安はありましたが見に行ってしまいました。
 冒頭から台詞の多いヒガシにびっくり(『山桜』ではほとんど喋らなかったので)。
 しかし、程よい冷房・足元のブランケット、そして緊迫感のないゆったりした画面、と揃われ、「これはやばい!」と焦る。 これは、気持ちよく寝てしまいそうである・・・実際、結構寝てしまったかも。
 これもまた問題の多すぎる海坂藩の出来事である。

  小川の辺1.jpg えー、ヒガシの顔写真がありません。

 朔之助(東山紀之)はある日、藩から上意討ちの命を受けるが、その相手は脱藩した佐久間森衛(片岡愛之助)で、朔之助の友人でもあり妹・田鶴の夫でもある人物だった。 できる限り断りたい朔之助だったが、これまで森衛を追っていた人物は病を得て戻ってきてしまい、また森衛に勝てるだけの腕を持った男は朔之助しかおらん、という藩命であった。 武士である以上、もう断ることはできない。
 朔之助は森衛を追う道中に若党の新蔵(勝地涼)を同行させることにする。
 新蔵は位は低いが朔之助兄妹とも兄弟同然に育った関係だった。 二人とも知っていた、田鶴もまた剣の使い手でかつ素直に言うことを聞かない性格であるということを。
 田鶴さん、ワイルドすぎです(ほんとに武家の娘か?と目を見開く)。

  小川の辺2.jpg 田鶴(菊地凛子)のかたくなな表情もまた。
 まぁ、東北の小藩ですから、武家といってもピンからキリまであることは承知の上ですが・・・それにしてもワイルドすぎで、うとうとしていたあたしがびっくりして目を覚ましてしまったぐらいで。
 なんとなく子供の頃から見てたテレビ時代劇の影響で、“時代劇は痛快物”というイメージが残っているのですが(『長七郎江戸日記』大好きでした)、藤沢周平原作の映画とか、去年の『桜田門外ノ変』みたいな史実的時代劇を見ると「結局、封建社会だったんだな」ということを思い知らされる。
 エコ的には江戸時代の生活が見直されてますが、それはあくまで庶民レベルの話。
 武士であれば、意に沿わぬことも命令されればやらなくてはならない、イヤだからと辞めることはできない(その場合は死ななければならない)、場合によっては命をかけることも前提(江戸庶民としても乱暴狼藉の武士の逆鱗に触れれば“斬捨て御免”にあう可能性はある)。
 朔之助の言う「武士とは、難しいものだ」が、テーマでしょうか?
 途中からあたしは森衛さんがひたすらかわいそうになってしまい、「愛之助さん、哀れ・・・」とずっと思っていた(それは最後まで変わらなかった)。

  小川の辺5.jpg だって、藩を思っての行動だったのだもの。
 原作は短編の中でもさらに短いものだそうで、それから一本の映画にしようと思ったらかなりの新機軸なりアイディアなりを盛り込まないと持たないと思うんだけど(事実、あたしは何度も睡魔に襲われました)、それを一切感じなかったのよね。 自然・風景描写を入れることで時間をつないでるような感じ。 そこに美しさがありまた意味がある、というのならばいいのですが、あまり深い意味は感じられなかった・・・。
 ヒガシは時代劇の所作に不自然なところはまったくなく、勝地涼くんもがんばっていたし、愛之助さんは勿論である。 最初のほうしか出てこないけど、朔之助の妻を演じた尾野真千子さんもいかにも武士の妻・武家の嫁という感じで好印象(だからこそ田鶴さんのワイルドさが異様に感じてしまうのでしょう)。

  小川の辺6.jpg 見送る側のこの家族の雰囲気はよかった。
 ラストはもう・・・「それでいいのか!」って感じで。 朔之助にとって森衛は親友ではなかったのか? ならば何故妹を嫁がせたのだ〜!、というそもそも論の無限ループに陥ってしまった・・・それもまた、封建社会のなせる技、なのでしょうか。
 なんか朔之助さんはさばさばした感じになってたけど、あたしは全然割り切れない気持ちでエンドロールを見終わりましたよ。
 あぁ、原作、読んでみるか・・・という気持ちになってきてしまった。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 05:01| Comment(6) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする