2011年07月29日

あぜ道のダンディ

 『川の底からこんにちは』の(しかも満島ひかりと結婚した)石井裕也監督の新作。
 どうしようかと悩んだけれど、光石研&田口トモロヲという主演コンビのなんともいえない哀愁の立ち姿に負けました。

  あぜ道のダンディ1.jpg だってこんなだもの。

 運送業界で働く宮田淳一(光石研)はだいぶ前に妻を胃がんで失い、男手ひとつで息子と娘を育ててきた。 息子・俊也(森岡龍)は浪人生で、娘・桃子(吉永淳)は高校三年生とダブルで大学受験生であるが、宮田は二人がどこの大学に行きたいのか聞かされていないということを合格発表後に気づく。
 それどころか日頃の会話がかみ合わない。
 職場では後輩(なんと藤原竜也だ!)に「宮田さん、愛想ないっすね」と言われたりして胃が痛い。 これって、妻が亡くなったときと同じ症状では・・・と思いつめた宮田は、昔からの友人・真田(田口トモロヲ)に「オレにもしものことがあったら子供たちを頼む」と言う。 父親の介護を終え、遺産が入った真田は経済的余裕があることもあるが長年の友情故に「いいよ」とあっさり引き受ける。 だって、それが男の友情だから。
 だから病院の検査にも付き合っちゃうのだ。 どんなことにも付き合っちゃうのだ。
 このおじさん二人の醸し出す哀愁というか、不器用さ全開のどうしようもなさはなんともいえずキュートである(というか、“キュート”と描けたことでこの映画は成功であろう)。

  あぜ道のダンディ3.jpg こんなシーン、多いです。
 笑いながらもピンポイントにツボを突くセリフの応酬も楽しい。
 「お前も大変だなぁ」
 「おい、こんな時代におじさんやってんだぞ。 後にも下がれねえ、前にも進めねえ50歳だ。 大変なんて言うんじゃねぇよ! 大変に決まってんだろ!」
 ・・・そうか、50歳は前にも後ろにも動けないのか。 そりゃ大変だ。
 その割に見栄を張る、強がる、弱みは見せない。 だってそれが『男』だから。
 二人が飲みに行くのはいつも同じ居酒屋、しかもいつも同じ席。 ただそれだけでなんともいえない味が出てしまう二人はすごい。 常連ぶる風情も出さず、毎日の生活の中の延長としての定位置にすぎない自然さ、とでも言いましょうか。

  あぜ道のダンディ2.jpg ビールは当然中瓶である。
 「オレには地位も金もねえから、せめてダンディでいたいんだよ」
 ダンディってなんだ、と野暮なことは言ってはいかん。 本人が目指すところの『ダンディ』にちょっとでも近づければそれでいい。 それは倫理観であり内的規範であり、理想像でもある。 そう考えれば、誰しも心の中に『ダンディ』を持っているということになりはしないか。
 介護を全うした自分へのご褒美、と真田が買った帽子、やたらこだわりを連発するのでボルサリーノかしらんと思ったけど、そういうわけでもないらしい。 “帽子をかぶる”ということが真田にとってのダンディだということなのだろう(「なんだよその帽子!」とか言いながら、いつしか宮田は「ちょっと貸してくれよ」と言ったりして、真田もあっさりその帽子を貸すのだった)。

  あぜ道のダンディ4.jpg 出発の日。
 息子も娘も父親を煙たがってるわけではないのだ。 独自路線をいきすぎる父親に戸惑っている&シャイなお年頃、というだけのこと。 「金は沢山あるから心配するな」とすぐわかるホラを吹く父親に「うん」と頷きながらバイトしてお金をためていたり、進学先の東京行きを考え「家賃、安いところにしろよ」と妹に言う兄・・・いいやつじゃん!
 特別な事件が起こるわけではない。 時間は流れ、子供たちは家を出ようとし、父親はいつものようにあぜ道を自転車で通勤する。 そこには当たり前の“地方の生活”が。
 『川の底からこんにちは』のときには露骨にあった“監督のシュミ”感が薄らいでいたのもよかった要因かと(それでも、このギャグいるかなぁ、と思う部分はあったが・・・そこは個人差だろうから)。 それが“メジャー路線に乗る”ということかもしれません。
 自分のフェチ的部分を抑えつつも個性は出す!、というところが。
 でもやっぱり岩松了は登場するんだ!、とか、あたし的にツボだったところもいくつか。

  あぜ道のダンディ6.jpg やる気が微妙なお医者さんでした。
 若干「ちょっと紋切型かな?」と思えた部分もあったけど、石井裕也監督はまだ28歳だそうなので・・・まぁ、だからこそ中年の悲哀があまりリアルになりすぎずによかったのかもしれない。
 今後も要チェックの監督、ということになりそうです。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 05:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする