2011年07月17日

悪の教典/貴志祐介



 えーっと、これはずっと前(去年!)に図書館に予約を入れていて、忘れた頃に



連絡がきました。 当然次の予約もつまっているので、上・下巻を期限の二週間で



読み切れるか心配・・・だったのですが、PCトラブル解決のための待ち時間で



上巻を読み終わり、下巻に入ってしまったのです。



 結果的に、二日で読み終わってしまいました。



 でも、出版されてから時間がたっているし、すごい評判になったし、新聞の下の



広告欄で断片コピーいろいろ見ていたので自分なりに話を予測してしまっていた



ようで、「あれ・・・なんか思ってたのと話が違うかな」という印象に。



 サイコパスの描き方としては(学術的に?)正しい感じがしますが・・・肝心の



ストーリーが「あえてラノベを書いてみました」みたいな。 貴志祐介がこんな軽い



ものを書くとは・・・意外。



  



 サイコパス・蓮実教諭に全精力をつぎ込んでしまったのでしょうか? 書きわけも



されない高校生たちがあまりに不憫(一部、ストーリーのカギを担う生徒たちだけ



それなりに書き込まれるけど、それ以外は誰でも同じ、的な)。



 もっと高校生たちが反撃する部分があると思ってたんだけどな〜。



 しかし一気読みしてしまったとはいえ、高校生たちの個性があまり見えない(感情



移入しきれない)とはいえ、ひとクラス皆殺しの展開は・・・読んでて疲れるというか、



ちょっと精神的に来るものがある(ちょっと寝込んだ)。 だからこそあえて軽いタッチで



物語は進んできたんだろうけどさ。



 終章に、ほんとは作者が書きたかったことが詰まってる感じがしたけど、短いから



そこだけでは消化不良感も。 でも現行の死刑制度というものに一石投じるための



内容だったのかな(しかもそれは「死刑廃止論」の方向ではない)。



 それにしても・・・学校を出てからだいぶたちますが、思い返すにつれ「学校って



恐ろしい場所だったな」と考えてしまう。 よく生きて出てこれたものだ、と思う反面、



確実に精神的に何らかの傷を負わされたことは明白で。 これは学校という存在の



問題なのか、集団生活によって浮かび上がる日本人(しかも未熟な子供)の欠点



なのか、学校生活になじめない弱い人間を救済する手段がないからなのか(というか



むしろ「そのくらいでへこたれてどうする」的な根性論が今も教育界にはびこっているし)。



 いくら大人がいようとも、親がモンスター化しようとも、子供は自分で子供の世界を



サバイブするしかないのだ。 サイコパス教師なんて、「見た目は大人・中身は子供」で



子供にとって最悪の敵ではないか。



 教員採用試験ではそのあたりのことも審査すべきだという提言?



 しかし淫行などでつかまる教員の数を考えれば、高度な心理テストの導入は必須化



されるべきだよな・・・(でも高度な知能を持つサイコパスは「答えるべき回答」を知って



いるので、解読側にはそのへんの裏を読む力も必要になってくるわけで、そういう力の



ある人は日本にどれくらいいるんだろう)。



 『悪の教典』、物語としては本を閉じてしまえばあとには残りませんが、「学校とは・



教員とは」とかを考えちゃうと深みにはまります。


posted by かしこん at 19:05| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

テンペスト/THE TEMPEST



 だいぶシェイクスピアがわかってきました、いろいろ遅すぎるあたしです。



 (しかし今『テンペスト』と話すと仲間由紀恵のほうになるよね・・・それはそれで



楽しみですが)



 とりあえずこれは、ポスターのヘレン・ミレンの凛々しさに「見ねば!」と思い、



書かれていることをよく読んだら監督はジュリー・テイモアで、あの血みどろ



復讐劇『タイタス・アンドロニカス』をメタ・フィクション込みの皮肉全開のコメディ



『タイタス』として映画にした人物じゃないか! ということでさらに期待しちゃうじゃ



ないですか。



   私に抱かれて、世界よ眠れ。



 結果、見事な舞台劇でした。 多分、風の妖精であるエアリアルを縦横無尽かつ



自由気ままに動かしたかったがために映画にしたんじゃないか・・・そんな気さえ



するほどに。



 その昔、実弟の陰謀によりミラノ大公の座を追われたプロスペラ(ヘレン・ミレン)は



娘ミランダ(フェリシティ・ジョーンズ)とともにどうにか孤島に流れ着き、長年の魔術への



研究の成果と途中で出会った妖精エアリエル(ベン・ウィンショー)の力を借りて復讐の



機会を狙っていた。 そこへナポリ王アロンゾー(デヴィッド・ストラザーン)、実弟で



今はミラノ大公のアントーニオ(クリス・クーパー)らを乗せた船が近くを通りかかる



ことを知ったプロスペラは、魔法の力で嵐を起こし、船を転覆させ乗員をこの島に



流れ着かせる。



 それからプロスペラの復讐が始まる・・・という筋書きだった。



 原作ではプロスペラは“プロスペロー”という男性だそうですが、なるほど、序盤の



娘の利用の仕方は男親っぽい思考。 でもこの映画自体、ヘレン・ミレンありきの



企画だったんだろうな、と感じられること多々。 他も豪華キャストですしね。



 岩の精霊?キャリバン(ジャイモン・フンスー)を見たときは「えっ、『イン・アメリカ』の



人だよね・・・なんかずいぶん身体がごっつくなっちゃってるけど、どうしたの?」と困惑



(立ち姿きれいな印象だったので)。 でもこの物語の中ではぴったりの役でした。



 しばらく見ないうちにすごくうまくなってる・・・ということを知るのもまた、なんとなく



うれしい。



   シェイクスピア劇に欠かせない道化の存在、

     片方がアルフレッド・モリーナだと気づかなかったあたし・・・役で変わりすぎです。



 「舞台とどこが違うんだよ!」とお怒りの方もいるようですが、全員が生の舞台を



見られるわけじゃないので、映画として残すならそれはそれでありかと(だったら映画に



しかできない表現をしろ、という気持ちもわかるので、『タイタス』並みの大胆な仕掛けを



期待したんだけど・・・意外に正統派でした)。



   ジッパー多用の衣装もまた、舞台であることを

      捨てていないというか全面的に主張しているというか。



 しかし、プロスペラが女性であるが故に、最後の決断により現代的な意味合いが



加わったことは確実で。 やはり結局、ヘレン・ミレンのための映画だったのかな、と。



勿論、それはそれで説得力があり、彼女以外の誰にやらせたらいいのか思いつかない



のではあるけれど。 それにしてもベン・ウィンショーは人間じゃない役のほうが似合う



のであろうか・・・彼の俳優人生が、微妙に心配ではあります(でも、歌うまかったな〜)。



 シェイクスピア独特の長い台詞がなんだか面白くなってきてしまった・・・慣れって



すごいです、はい。


posted by かしこん at 05:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする