2011年07月31日

未解決事件 グリコ・森永事件

 この事件って、1984年でしたか・・・。
 というかNHKで第一部を金曜日にやっていたことに気づかなかったので、その日、家に帰ってきてから新聞見て驚愕(「もうとっくに終わってるじゃないか!」)。
 で、土曜日放送の第二部・三部は録画したわけです。 上川隆也だし!(そこにつられましたが、結果的にあたしの好きな役者さんがぞろぞろ出てくれてうれしくて。 上川隆也がバッチリと関西弁なのにはつい笑ってしまったが)
 グリコ・森永事件。
 事件のことは覚えてるんですが、いかんせん北東北に暮らす子供であったあたしにはそこまでリアリティのある事件に感じられなかったというか・・・事件が主に西日本で起こっていたから、近所のお店に毒入りのお菓子が並ぶかも!的危機感は薄かったように記憶している(「もしあったらどうする〜!?」みたいな会話を友だちとした程度だと思う)。 実際に地元のお店からグリコ製品が撤去されたかどうか覚えてない。 報道されたことも断片的にしか記憶になくて、そんな流れだったのか・・・と驚いたり(結構丹念に振り返ってくれるので、第一部を見ていないハンデも特にストレスにならなかったのでよかった)。
 事件を報道する新聞記者・捜査する警察官側の視点でドラマは進行しています。

  未解決事件・グリコ森永.jpg 原稿は万年筆で手書き、みんな煙草をガンガン吸う、と時代を感じる描写多数。

 でも当時、そこまで精巧に描かれた似顔絵“キツネ目の男”やテレビでガンガン流されたテープに吹き込まれた女性・子供の声など、「これ、自分の声だっていくら子供でもわかるんじゃないの?」とあたしは子供ながらに思ったものである。 それが言えないということは自分がやったことの意味がわかってるからなのか、やれと言ったのが自分の親とか親しい人だからなのか、とか(ミステリ読みは子供であっても勝手に推理する、という大変典型的な見本であります)。
 で、今は関西に住んでいるあたし。 出てくる地名や場所にいちいち反応できるわけで、当時の関西の狂乱ぶり(?)を想像してしまった。 すごい騒ぎだったろうなぁ(しかし日本はそれほど広い国ではないのに、いつの時代も騒ぎは局地的なのだな・・・あまり関係のない地域では所詮は他人事になってしまう、それが“日常生活”というものなのか)。
 時効が成立したとはいえ、最新技術を使えば新たな手掛かりが見つかるだろうというのは誰でも予想ができること(2000年2月が時効だったそうだが、時効直前でもそれなりのことはやろうと思えばできたのでは・・・でもその壁は人員不足と予算の不足のせいなのだが)。
 NHKは時効の撤廃を受けて『未解決事件』という新たな番組フォーマットをつくり、過去の未解決事件の経過と顛末をドラマとドキュメンタリーで検証していこうとしていくようだ。 それを解決の道標にするために。 その心意気は買うが・・・今回は二部と三部を見ただけだが、まだツッコミは足りないように感じた。
 日本音響研究所に行ったらもっと拾えるデータはあるはずなのだが・・・意図的に放送しなかったのかな? 素人のあたしですらも気になるところがいくつかあった。
 それにしても骨のあるところを見せる滋賀県警に対して、兵庫県警は・・・兵庫県警のダメっぷりが(あくまで印象ですが)垣間見れましたよ。
 新聞記者・捜査官、事件にかかわった人々が今も事件のことをひきずっていて、「あのときこうすれば・・・ああすれば・・・」と悩み続けているというのがとても切ない(気持ちはとてもよくわかるだけに!)。 そして犯人がどう感じてるのかをみなさん知りたがっている。 それが残された唯一の解答だとでもいうように。
 未解決とは、それだけ当事者に深い後悔の傷を残すのだ、この事件は殺人事件ではないが(間接的にひとりが命を落としたが)、未解決の殺人事件となったらどれだけの深い傷と絶望が散らばるのだろうか・・・わかってはいることなのだが、あらためて考えたら胸が苦しくなった。
 まぁ最近いろいろと評判の悪いNHKですが、しっかりした骨太の番組をつくって受信料払ってるだけの甲斐のある放送局になっていただきたいのですね。

posted by かしこん at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ・テレビドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

小川の辺 (おがわのほとり)

 実は予習のために『山桜』を観たのですが・・・途中の自然風景描写がうまくつながらないとか、結局自分が断ったからこんなことになってるのに純愛に転嫁するのかとか、結末も見る側に丸投げなのもなんだかな、と納得できない部分も多々ありましたが、テレビ時代劇が撃沈してる昨今、映画(しかも東映)を応援したい気持ちはあり・・・不安はありましたが見に行ってしまいました。
 冒頭から台詞の多いヒガシにびっくり(『山桜』ではほとんど喋らなかったので)。
 しかし、程よい冷房・足元のブランケット、そして緊迫感のないゆったりした画面、と揃われ、「これはやばい!」と焦る。 これは、気持ちよく寝てしまいそうである・・・実際、結構寝てしまったかも。
 これもまた問題の多すぎる海坂藩の出来事である。

  小川の辺1.jpg えー、ヒガシの顔写真がありません。

 朔之助(東山紀之)はある日、藩から上意討ちの命を受けるが、その相手は脱藩した佐久間森衛(片岡愛之助)で、朔之助の友人でもあり妹・田鶴の夫でもある人物だった。 できる限り断りたい朔之助だったが、これまで森衛を追っていた人物は病を得て戻ってきてしまい、また森衛に勝てるだけの腕を持った男は朔之助しかおらん、という藩命であった。 武士である以上、もう断ることはできない。
 朔之助は森衛を追う道中に若党の新蔵(勝地涼)を同行させることにする。
 新蔵は位は低いが朔之助兄妹とも兄弟同然に育った関係だった。 二人とも知っていた、田鶴もまた剣の使い手でかつ素直に言うことを聞かない性格であるということを。
 田鶴さん、ワイルドすぎです(ほんとに武家の娘か?と目を見開く)。

  小川の辺2.jpg 田鶴(菊地凛子)のかたくなな表情もまた。
 まぁ、東北の小藩ですから、武家といってもピンからキリまであることは承知の上ですが・・・それにしてもワイルドすぎで、うとうとしていたあたしがびっくりして目を覚ましてしまったぐらいで。
 なんとなく子供の頃から見てたテレビ時代劇の影響で、“時代劇は痛快物”というイメージが残っているのですが(『長七郎江戸日記』大好きでした)、藤沢周平原作の映画とか、去年の『桜田門外ノ変』みたいな史実的時代劇を見ると「結局、封建社会だったんだな」ということを思い知らされる。
 エコ的には江戸時代の生活が見直されてますが、それはあくまで庶民レベルの話。
 武士であれば、意に沿わぬことも命令されればやらなくてはならない、イヤだからと辞めることはできない(その場合は死ななければならない)、場合によっては命をかけることも前提(江戸庶民としても乱暴狼藉の武士の逆鱗に触れれば“斬捨て御免”にあう可能性はある)。
 朔之助の言う「武士とは、難しいものだ」が、テーマでしょうか?
 途中からあたしは森衛さんがひたすらかわいそうになってしまい、「愛之助さん、哀れ・・・」とずっと思っていた(それは最後まで変わらなかった)。

  小川の辺5.jpg だって、藩を思っての行動だったのだもの。
 原作は短編の中でもさらに短いものだそうで、それから一本の映画にしようと思ったらかなりの新機軸なりアイディアなりを盛り込まないと持たないと思うんだけど(事実、あたしは何度も睡魔に襲われました)、それを一切感じなかったのよね。 自然・風景描写を入れることで時間をつないでるような感じ。 そこに美しさがありまた意味がある、というのならばいいのですが、あまり深い意味は感じられなかった・・・。
 ヒガシは時代劇の所作に不自然なところはまったくなく、勝地涼くんもがんばっていたし、愛之助さんは勿論である。 最初のほうしか出てこないけど、朔之助の妻を演じた尾野真千子さんもいかにも武士の妻・武家の嫁という感じで好印象(だからこそ田鶴さんのワイルドさが異様に感じてしまうのでしょう)。

  小川の辺6.jpg 見送る側のこの家族の雰囲気はよかった。
 ラストはもう・・・「それでいいのか!」って感じで。 朔之助にとって森衛は親友ではなかったのか? ならば何故妹を嫁がせたのだ〜!、というそもそも論の無限ループに陥ってしまった・・・それもまた、封建社会のなせる技、なのでしょうか。
 なんか朔之助さんはさばさばした感じになってたけど、あたしは全然割り切れない気持ちでエンドロールを見終わりましたよ。
 あぁ、原作、読んでみるか・・・という気持ちになってきてしまった。

ラベル:映画館 日本映画
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2011年07月30日

アイ・アム・ナンバー4/I AM NUMBER FOUR

 冒頭から、「え、どこの国? どこの時代? もしかして地球じゃない?!」描写が出てきて、速攻ネタバレかよ・・・とへこむ。 そうですか、宇宙人ですか。
 そしたらもう次のカットでは、生き残った彼らが地球に逃げてきてひっそり(?)暮らしていたりする。 で、また別の宇宙人が彼らを絶滅させようと魔手を伸ばしているよ、とわかり。
 地球に逃れてきた9人のうち、bS(アレックス・ペティファー)は「次に殺されるのは自分」とわかっているくせに同年代の若者たちと派手に海で遊んだり、見つかりそうだから逃げようと守護者のヘンリー(ティモシー・オリファント)に言われても「高校に通いたい(普通の生活がしたい)」と駄々をこねる空気の読めない若者である。
 困ったもんだ(というか地球人じゃないのに“普通の生活”って・・・なに?)、と思えばbSくんは『アレックス・ライダー』のあの細面の美少年だった人らしい・・・あー、ごっつく育っちゃって(残念)。

  アイアムナンバー4−2.jpg そんなんで普通の生活を望むのは無理。
 かくして彼はジョン・スミスという名で新たな土地で高校生活を送るのだった。
 守護者のヘンリー役の人は『クレイジーズ』に出てた人だなぁ。
 ヒロインたるサラはどっかで見たことあるな・・・とずっと考えていたら、『glee』のチアリーダー・フィンだよ! そのせいであろうか、高校生活はまるで『glee』そのものなんですけど(さすがに歌いませんけどね、誰も)。
 敵である別の宇宙人の存在もなかなか謎である。 襲った惑星の知的生命体は全滅させないと気がすまないらしく、地球に逃げてきた9人の抹殺に全精力を傾けている(おまけにbSは普通に地球人の風貌だが、彼らはヒト型ではあるが明らかに怪物的要素を残して描かれていて不公平感あり)。 もし、9人を殺し終わったら地球上から生命を排除するつもりかしら?、のわりにはまったく秘密主義でもなく、目的のためには手段を選ばない感じで地球人も何人か犠牲になっております。
 そのわりには、「次、襲われるのは地球なのかな」と観客にまったく考えさせずハラハラさせない展開は、お見事としか言いようがない。
 「これ、話、終わるのかな(きれいにまとまるのかな)?」と心配になってきた頃、痕跡を探して追ってきたbUと合流!
 って、え?、シリーズものだったのかい!!
 とりあえず“宇宙人対宇宙人の、お互いの力試し的小競り合い”が終わりました、なところで終わった・・・(そしてbSは恋人と新たに協力してくれる地球人を仲間として手に入れて、生き残りのナンバーを探す旅に出るわけで)。
 次はあるのか、どうなんだ!
 シリーズ化を想定していたはずの『アレックス・ライダー』も一本で終わっちゃったし、これもその運命だろうか・・・。

ラベル:映画館 外国映画
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2011年07月29日

あぜ道のダンディ

 『川の底からこんにちは』の(しかも満島ひかりと結婚した)石井裕也監督の新作。
 どうしようかと悩んだけれど、光石研&田口トモロヲという主演コンビのなんともいえない哀愁の立ち姿に負けました。

  あぜ道のダンディ1.jpg だってこんなだもの。

 運送業界で働く宮田淳一(光石研)はだいぶ前に妻を胃がんで失い、男手ひとつで息子と娘を育ててきた。 息子・俊也(森岡龍)は浪人生で、娘・桃子(吉永淳)は高校三年生とダブルで大学受験生であるが、宮田は二人がどこの大学に行きたいのか聞かされていないということを合格発表後に気づく。
 それどころか日頃の会話がかみ合わない。
 職場では後輩(なんと藤原竜也だ!)に「宮田さん、愛想ないっすね」と言われたりして胃が痛い。 これって、妻が亡くなったときと同じ症状では・・・と思いつめた宮田は、昔からの友人・真田(田口トモロヲ)に「オレにもしものことがあったら子供たちを頼む」と言う。 父親の介護を終え、遺産が入った真田は経済的余裕があることもあるが長年の友情故に「いいよ」とあっさり引き受ける。 だって、それが男の友情だから。
 だから病院の検査にも付き合っちゃうのだ。 どんなことにも付き合っちゃうのだ。
 このおじさん二人の醸し出す哀愁というか、不器用さ全開のどうしようもなさはなんともいえずキュートである(というか、“キュート”と描けたことでこの映画は成功であろう)。

  あぜ道のダンディ3.jpg こんなシーン、多いです。
 笑いながらもピンポイントにツボを突くセリフの応酬も楽しい。
 「お前も大変だなぁ」
 「おい、こんな時代におじさんやってんだぞ。 後にも下がれねえ、前にも進めねえ50歳だ。 大変なんて言うんじゃねぇよ! 大変に決まってんだろ!」
 ・・・そうか、50歳は前にも後ろにも動けないのか。 そりゃ大変だ。
 その割に見栄を張る、強がる、弱みは見せない。 だってそれが『男』だから。
 二人が飲みに行くのはいつも同じ居酒屋、しかもいつも同じ席。 ただそれだけでなんともいえない味が出てしまう二人はすごい。 常連ぶる風情も出さず、毎日の生活の中の延長としての定位置にすぎない自然さ、とでも言いましょうか。

  あぜ道のダンディ2.jpg ビールは当然中瓶である。
 「オレには地位も金もねえから、せめてダンディでいたいんだよ」
 ダンディってなんだ、と野暮なことは言ってはいかん。 本人が目指すところの『ダンディ』にちょっとでも近づければそれでいい。 それは倫理観であり内的規範であり、理想像でもある。 そう考えれば、誰しも心の中に『ダンディ』を持っているということになりはしないか。
 介護を全うした自分へのご褒美、と真田が買った帽子、やたらこだわりを連発するのでボルサリーノかしらんと思ったけど、そういうわけでもないらしい。 “帽子をかぶる”ということが真田にとってのダンディだということなのだろう(「なんだよその帽子!」とか言いながら、いつしか宮田は「ちょっと貸してくれよ」と言ったりして、真田もあっさりその帽子を貸すのだった)。

  あぜ道のダンディ4.jpg 出発の日。
 息子も娘も父親を煙たがってるわけではないのだ。 独自路線をいきすぎる父親に戸惑っている&シャイなお年頃、というだけのこと。 「金は沢山あるから心配するな」とすぐわかるホラを吹く父親に「うん」と頷きながらバイトしてお金をためていたり、進学先の東京行きを考え「家賃、安いところにしろよ」と妹に言う兄・・・いいやつじゃん!
 特別な事件が起こるわけではない。 時間は流れ、子供たちは家を出ようとし、父親はいつものようにあぜ道を自転車で通勤する。 そこには当たり前の“地方の生活”が。
 『川の底からこんにちは』のときには露骨にあった“監督のシュミ”感が薄らいでいたのもよかった要因かと(それでも、このギャグいるかなぁ、と思う部分はあったが・・・そこは個人差だろうから)。 それが“メジャー路線に乗る”ということかもしれません。
 自分のフェチ的部分を抑えつつも個性は出す!、というところが。
 でもやっぱり岩松了は登場するんだ!、とか、あたし的にツボだったところもいくつか。

  あぜ道のダンディ6.jpg やる気が微妙なお医者さんでした。
 若干「ちょっと紋切型かな?」と思えた部分もあったけど、石井裕也監督はまだ28歳だそうなので・・・まぁ、だからこそ中年の悲哀があまりリアルになりすぎずによかったのかもしれない。
 今後も要チェックの監督、ということになりそうです。

ラベル:映画館 日本映画
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2011年07月28日

積読本減らしキャンペーン続行中・・・F

『空白の五マイル チベット、世界最大のツアンポー峡谷に挑む』/角幡唯介
 古代文明や遺跡は好きだけど、『秘境』にはほとんど興味がわかないあたし。
 だって、地球上には人間が入ってはいけない場所というものがあると思っているからだ!(エボラやマールブルグウィルスなども、もともと人がいない奥地に生息していたのだし) それに、アフリカの大地溝帯や酸性雨のせいで生物が存在できなくなったドイツの湖の光景を見る限り、“生命がいないが故の美しさ”というものが確実にあると感じるからです。
 だからツアンポー峡谷などという存在はまったく知りませんでした。 そして地図に載っていない、誰も確認していない“未開の地”を自分の目で見たい、踏破したいという人の気持ちもさっぱりわかりません(あぁ、これがあたしが研究者に向かないいちばんの理由か・・・今頃わかったよ)。 けれど、「自分がやるんだ!」と固く心に誓った人がいたんですね。 しかも日本人で、比較的近い年代の方で。

  空白の五マイル.jpg なんか驚きです。
 絶対あたしには理解できないが、そういう人がやはりいるのだ、とはっきりわかるくだりがあった。

 「その死のリスクを覚悟してわざわざ危険な行為をしている冒険者は命がすり切れそうなその瞬間の中にこそ生きることの象徴的な意味があることを嗅ぎ取っている」

 ・・・そこまでしないと“生きてる実感”、湧かないものなの?
 もしくはそこまでしてまで“生きてる実感”って掴まないといけないもの?
 あたしは別に生きてる実感とかなくても、日々を送っていられますけど。
 まぁ、こういう人間同士の間には深くて長い川が流れていそうなのでそのあたりのことはコメント避けますが、筆者のしたことは世界冒険史(というものがあるのなら)に載ってもおかしくない偉業らしい。
 しかし残念ながら文章にはそれほど読み手にビジュアル面を刺激する要素が少なく、現地の写真も申し訳程度にしかついていない。 これ一冊で『世界最後の秘境』を想像するのは無理がある(もしくはあたしの想像力が足りないのだろうか)。
 そして、チベットに対する漢族のなんとも言えない蹂躙ぶりが深く考えのないまま書かれているようで(そんなことはないのだろうが)余計にあたしの胸を刺すのであった。 なんか、修行僧さんたち以外の普通のチベット文化を保った村ってもうないんじゃないか・・・いろいろと、せつなくなる。
 冒険に身を置きたい人は、帰ってきてからどうするのだろう。 また、次の冒険を考えるのだろうか。 あるとき不意に、「もうやるべきことはやった」と気づいて憑き物が落ちたようにやめるのだろうか。
 ダニに刺されて全身の皮膚がぼこぼこになり平らな部分がなくなった、という経験を一度目でしながらも二度目に行く気になるとは・・・あたしには理解不能である。 でも、理解できないからといって排除するのはおかしい。 それはそれ、これはこれ。
 理解できないことを説明してもらうのもまた面白さだったり。
 そこから人類はまた新たな一歩を踏み出すのかもしれないのだしね。


『暗い鏡の中に』/ヘレン・マクロイ
 なんとこの作品、原著は1950年発行です。 60年前・・・これを「古い」と思うか「たいして昔ではない」ととらえるか・・・微妙なところですが、読んでいる分には古さはまったく感じませんでした。
 ブレアトン女子学院に勤め始めて5週間にしかならない美術教師フォスティーナ・クレイルは突然校長から解雇を言い渡される。 しかし納得のいく説明をもらえないフォスティーナは、唯一といっていい信頼できる同僚のドイツ語教師ギゼラに相談。
 義憤に駆られたギゼラは恋人で精神科医のウィリングに相談するが、調査の過程で悲劇的な出来事が起こって・・・という話。

  暗い鏡の中に.jpg 創元推理文庫の装丁はずるいよなぁ。
 『幽霊の2/3』で夫婦だった二人がここではまだ清く正しき恋人同士、というところがなんだか微笑ましくて(日本の名探偵の方々は恋愛もままならない人が多いですが、ウィリング博士は普通人なんですよね)。
 まずは前半、何がフォスティーナを脅かしているのかについて描かれるのだけれど、これがまたはっきり説明されないところが“時代感”であり“奥ゆかしさ”でもあり、女性特有の陰湿なところかもしれないと思ったり(しかし、大っぴらに会話することを禁止されていたというか、そのようなことははしたないと育てられた女子たちが影でこそこそ動くしかないのは当然といえば当然なわけで)。 そしてフォスティーナの性格も自己主張のはっきりしないタイプなので混乱に輪がかかる。
 なんとなく・・・サラ・ウォーターズの『半身』をちょこっと連想。
 どこと言われても困りますが・・・ドッペルゲンガーと霊媒、そしてやはり“時代感”ですかねぇ(同じ時代ではないのですが、「現在よりは明らかに昔の価値観が横行している」という点において)。
 これ、推理小説としての解決は無理なんじゃない?、と思えるほどのリアルな超常現象連発描写には「これは幻想小説なのかな?」という疑いが浮かぶほど。
 だが、きちんと解決はつく!
 しかし、やはり疑問は残る・・・「科学ですべては説明できない」という不安が。
 たとえ信じていなくても、人間はやはり“未知なるもの”には怖いのだ。
 それを300ページにも満たない作品で鮮やかに描き出すのだから・・・すごいなぁ、ヘレン・マクロイ。

posted by かしこん at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月27日

わかりやすく、うなぎでパワーアップ

 どうもこのところ、右の耳がおかしかった。
 お風呂上がりにはじまったので、「耳の中に水が入って出てこなくなったのか?」と最初思って、でも通常ならば一日寝たら水は出てくるはずである。 それもない。
 耳の中が、ぼわんと膨張した感じ。 音は聞こえるけど聞こえにくい、何かが詰まったような状態。 ・・・これ、前にやった『耳管解放症』の再発では?
 と考えると症状が似ている・・・頭をしばらく下げると改善される解決法も一緒。
 あぁ、やっちゃったよ・・・である。
 意識してなかったが、どうも体重が思った以上に急激に落ちたらしい。 暑さでろくなもの、食べてなかったもんな(主食:ざるそば・麦茶・ガリガリ君、ときどき豆腐・枝豆・もやし・カニカマなど)。 で、量もあまり食べられないし。
 しかしこのような症状が出てしまっては、命には別条はないが生活にイライラがたまる。
 これはなんとかしなければ・・・ということで、あえて荒療治。
 ウナギを食べよう!
 というわけで神戸そごうの地下・海幸すしでの“うなぎフェア”にのっかり、もう夕方なため持ち帰り蒲焼を買う人たちの群れをよそ目に「イートインいいですか?」と誰もいないテーブル席に案内される。
 メニューは三つ。 『うな丼』・『うな丼(上)』・『うな丼(特上)』。
 勿論それぞれお値段は違いますが・・・どう違うのか聞いてみる。
 「上と特上は炭火で焼いたのを丸ごと一匹お出ししています。 あとは量と、うなぎの質ですかね」
 ということなので、ここは間をとって「上で!」と注文。
 しばらくしたら、「お待たせしました〜」とやってきた。

  うな丼上.JPG え、これでうなぎ一匹?、と思ったあたし。
 お味噌汁はイワシのつみれ汁でした。 これにイチョウ切りした大根とにんじんが入ってくれてたらかなりうれしかったけど。
 うな丼に玉子焼きはつきもの・・・なんだけど、丼自体にタレがこれでもかとかかっているので玉子焼きはそのままのほうがうれしかったな。 そう、見た目でもうあたしは負けていたのだった。 +香ばしすぎる脂のにおいと。
 が、ここで負けていたら耳は治らん!
 お味噌汁、玉子焼き、と周辺から攻めていって、いよいような丼を攻略!
 うなぎのかば焼きを箸で切ろうとして・・・すんなり切れないことがわかり、気づく。
 はっ、これ、関西風のウナギ(蒲焼)だ!
 関東風と違って、蒸してない〜。
 うなぎ自身から出た脂で炭火でじわじわ焼かれました、みたいな皮の頑固さ(それは歯ごたえと香ばしさにもつながるのだが)は、今のあたしにはカウンターパンチのように強力だ。 ・・・た、食べきれるだろうか。
 しかも食べ進むうちにごはんの中に更に蒲焼が隠れていて、「あぁ、これが“一匹分”の意味ね」と納得。 半ばグロッキー化していたが、この内側のウナギがごはんの熱でもって蒸された状態に近くなっていて、関東風ふっくらウナギに似た食感(しかし脂がきついのは変わらず)。
 それでも意地で完食しました。 ごちそうさまでした。
 すぐに動けないので、麦茶をいただきしばし休憩。
 あぁ、この一食でこれまで何日分のカロリーと同じであろうか。
 「ありがとうございました! またのお越しをお待ちしております!」という元気な声に見送られて店を出る。
 その夜はずっと、「食べすぎた・・・おなかが重い」と麦茶を飲むのすらしんどかったのだが、翌朝。 耳の不調がまったくなくなった!
 ざるそばに温泉卵やゴボウの入った練り物などをトッピングして食べられるようになって、食欲増進の気配。 たった一食で、この激変ぶりに自分でびっくり。
 長い時間かけてしっかり噛んで食べた、のもよかったのかもしれない(これまでは食べる量が少ない故に食事にかかる時間も短かった)。 歯と顎の動きが耳管に影響を与えてくれたのかも。
 なるほど・・・うなぎはほんとに夏バテに効くのかも、と単純に効果に盛り上がったあたしでした。 でも、しばらくは食べなくていいや・・・。

posted by かしこん at 04:08| Comment(2) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月26日

ハングオーバー!! 史上最悪の二日酔い、国境を越える/THE HANGOVER PART II

 原題はシンプルに、『THE HANGOVER PART II 』。
 そう、まさにパート2(なので一作目を見てから見に行きましょう、行く人は)。
 前作から二年後、別のやつが結婚することになって・・・同じように結婚式前夜の記憶を失い、目が覚めたら「ここはどこ?」状態に。

  ハングオーバー!!ポスター.JPG 飛べ、異国の地へ!! 飛ぶな、昨夜の記憶!!
    酔っぱらいはバンコク共通。  ← キャッチコピーまでダジャレである。

 同じプロットでよくやるなぁ、と思えばスタッフは「前作を超えようとは思わず、同じレベルを保つように」を心がけていたという。 『デュー・デート』がお下品路線過剰だったのでちょっとな・・・と思ったけれど、“一作目は小規模公開” → “予想外に当たったので二作目は拡大公開”という図式そのままの流れだったので、『SAW』を思い出して行ってみた(期待する内容の方向性は違いますが)。
 一作目とほぼ同じシチュエーションのオープニングに、つい笑ってしまいましたよ。

  ハングオーバー2−4.jpg 学習しないなー、キミたち!
 歯科医のステュ(エド・ヘルムズ)がタイ出身の女性と結婚することになった。
 だが、ダグの結婚式でのバチェラーパーティーの一件を心底後悔しているスチュは、同じ過ちは繰り返すまいと近所のファミレスでバチェラーブランチですまそうとする。
 が、フィル(ブラッドリー・クーパー)は激怒。 結婚式に出るため夫婦で高い航空券買わされたのにフライドポテトで終わりか!、と。 懲りてないのかお前は!、とつっこみたいのと同様、すでに結婚して小さな子供の世話も交代でする男性にとってバチェラーパーティーとは普段の憂さを晴らすための大事なイベントなんだろうか・・・と考えてしまった(他に気分転換することないのかなぁ)。
 まぁ、ストーリー的には前夜の記憶を失ってもらわないと困るわけなんですが。
 そして前回行方不明にさせられた花婿だったダグ(ジャスティン・バーサ)は、妻の父親からの懇願を伝える。 あのお騒がせ男(ダグには義弟)のアラン(ザック・ガリフィナーキス)を結婚式に招待してくれないかというのだ。 何故自分には声がかからないのかと更に引きこもりが激しくなっているという。 というわけで様々な不安要素を抱え、一行はタイへGO!

  ハングオーバー2−2.jpg ま、このあたりまでは順調だったんだけどね。
 さすが「微笑みの国・タイ」・「親日家の多いタイ」だけあって、結婚式は南部のほうのリゾート地で行うせいもありましょうが、タイのみなさんは大変礼儀正しい。 アメリカ人ってこんなにやかましく礼儀知らずなのだな、としみじみ実感(まぁ、比較対象があれですが・・・特にアランのダメ度は天井知らず)。
 そして例によって気づいたら全然知らない街(実はバンコク)、それぞれとんでもないことになっており、今回は花嫁の弟が行方不明・・・ダグくんは大参事に突入する前に奥さんが呼びに来て先に帰ったため、彼の被害はゼロ(これはダグがいては話に支障をきたすのか、ジャスティン・バーサのスケジュールの問題なのかどっちだろ?)。
 と、一作目とほとんど同じような展開が続きますが、えらいのはのちのちきちんと話がつながるようになっているところ(このあたりはミステリとしてフェアです)。
 内容は無茶苦茶ですけどね。 でもキャストたちはしっかりそれぞれを自分の役にしてしまったなぁ、という彼らの役者としての成長は感じます。 前作のときに比べてみなさん明らかに売れてきてるし。
 何故か「えっ!」っていう豪華ゲストがいたり、それなりに面白かったですが・・・パート3は、もう結構です。

ラベル:映画館 外国映画
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2011年07月25日

この季節もやはり・・・カバン

 「もうカバンは買うまい!」と思っていたのに・・・なんでこうなっちゃうかなぁ、という感じ(他人事のようですが、微妙に反省はしています。 後悔はしてません)。
 まずは例によって<キケンなお店・ATAO>にて。
 あぁ、そういえば去年も見かけたわ、このタイプ。 でも手に取ったらやばいなぁ、と思ってUターンして、しばらくして見に行ったらまったくなくなっていたので「あれは幻だったのかな?」と思ったビニールバッグ、今年も新作柄で登場。
 5〜6種類あったかな? でもあたしはこの色と模様にぐっと来てしまう。

  ビニモ3.JPG 微妙な青緑、そして赤いバラ〜。
 表面は業務用のビニールで覆われているので、雨の日でもお出かけOK!、ということで。 持ち手は当然、牛の本革でございます。 カバンを倒して斜めに写真を撮ったので真四角バッグに見えますが、実際は底辺の短い台形型。

  ビニモ1.JPG ほんとはこういう形。
 側面に添わすとB5クリアファイルが入るかな、という大きさです。 ただ、調子に乗ってカバンに物をどんどん入れていくと、まだ使い始めで革が硬いので腕が痛くなります・・・。
 ついつい荷物の多いあたし、小さなカバンでスマートに歩く!、がある種の理想ではありますが、現実はなかなか難しいのです。

  ビニモ2.JPG 若干わかりにくいですが、色柄。
 生地はあたかもジャガード織りのような高級感のある素材、赤をベースに白と青いバラがちりばめられている。 布のどの部分が来るのかは個体差が激しいので、これもまた“世界であたしだけのカバン”。 あたしは赤いバラの集まりがが斜めに横切っているのがちょうど川の流れに浮かんでいるように見えて、その「動きのある感じ」が気に入ってこれを選びました。 「ピンとくる気持ち」、大事です。
 ビニールバッグというと日に焼けたり汗などで次のシーズンには黄色く変色してしまうことが多いけれど、去年買ったスタッフの方は色は変わっていないということだったので、“業務用ビニール”の威力をあたしも試してみようと思います。

 そしてもうひとつ・・・かごバッグ。
 10年選手のかごバッグがあるから今年もいいかなぁ、と思っていたのですが、ちょっと気になるやつがあって・・・たまたま取り扱ってるお店の前を通ったので聞いてみたら、「本来はもう発売するはずなんですが、入荷が遅れています」ということで、入荷したら連絡をもらうことにした(だって実物を見てみないとわからないし、買うかどうかも見てから決めてもいいですかと了承済み)。
 で、当初予定もさらに延期になり、結局連絡が来たのは6月に入ってから。
 その頃、もうATAOでビニモ(上記のバッグ)を見てしまっていたので、知らない振りしようかなぁと思ったんだけど、何度も連絡をくれたお店の方と、あたしの都合ですぐにお店に行けないことでお取り置きの期間を延長してくれたりで(しかもお店に入ってきたカバンは2種類2個ずつ! 店頭に出せばすぐ売れるだろうに抑えてくれているのだ)、これは大変申し訳ないと思ってなんとか行った。

  クレドラン1.JPG で、実際に見てしまうと・・・
 ほしくなっちゃうものですよねぇ。
 クレドランというカバンメーカーのものですが、これと、クレドランのベーシックカラーというべき茶のヌメ革と緑と黄色のチェックスカーフのと2種類。 ヌメ革のほうが革本来の変化の具合を楽しめるんだけど、このブラウンな革の色も悪くないし、なによりクレドランとしてはブルーのスカーフって珍しいのよねぇ。 赤も入ってるし。
 というわけで、定番ものより珍しい方を選んじゃったよ!

  クレドラン2.JPG スカーフをあけると、両側にこのようなポケットが。
 非スマートフォンのあたしには二つ折り携帯がちょうど入る大きさです。 定期入れもOK。 編み込んだかごの部分はすごくやわやわで、しっかりしてそうだけどかなり軽いしやわらかい。 今の時期は薄着になるので、ショルダーもできそう。
 でもどのくらい入るか、まだ確かめてはいない・・・(台風来たし、さすがにこれは雨の日はダメでしょう)。
 おーい、もう、部屋にカバン置く場所ないぞ〜。

ラベル:カバン
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2011年07月24日

気がつけば、アナログ放送終了の日

 あぁ、ついに「あのボタン」が押される日が来るわけね・・・。
 被災地など一部地域をのぞいて、アナログ放送は2011年7月24日をもって終了し、デジタル放送に切り替わる。 なんだかすごーく先の出来事のようだったが、ついにその日は来てしまうわけですね。
 一応、うちはデジタル移行完了してますが・・・テレビとして見るのはWOWOWやCATVが中心で、地上波はドラマぐらいしか見ないんですよね。
 テレビ局のニュースにジャーナリズムを期待するのは間違いだとうすうす気づいてはいたものの、地震以降その感覚は確信に変わったし。 普段見ていないので、ごくたまに「ワイドショー」と呼ばれるような番組をちらりとでも目にしてしまうといたたまれなさが半端なくて、すぐにチャンネルを変えてしまうようになったのはいつからだろう。 だいぶ前からその傾向はあったけど、昨今の“いたたまれなさ”は本当に尋常じゃないです。
 こういうのを毎日普通に見ている人がいるのか・・・と考えると、日本人がバカになるのも仕方ないというか、感性が澱むのも当然かと。
 さっきWOWOWで『アナログ放送終了記念 GG(ジジイ)対談』というのをやっていて、伊東四朗と大竹まことがテレビの過去と未来について語る、みたいな趣旨だと思っていたんだけれど、半分ぐらいWOWOWの宣伝番組でそう深い話もなく・・・がっかり。
 その中でも「テレビの強みは即時性だ」と四朗さんはおっしゃっていたのだが(ケネディ暗殺事件も衛星中継の実験放送中に起こった、とか)、しかし『即時性』は今やインターネットのほうが速いわけで。 あたしがテレビのニュース番組を見なくてもそれなりに世の中の動きを俯瞰できるのはネットのニュースを見ているからだし。 レポーターの失礼な態度とか直接見なくてすむから、気持ち的な不愉快感はだいぶ減ります。
 そんなわたしの、最近(ちょっと前のこと含む)で気になった出来事。

○ 松本元復興相が「軽い躁状態」として入院したこと。
 まず、「躁病」と「軽い躁状態」はまったく別である、ということ。 躁病なら入院必至ですが、軽い躁状態で入院する必要はありません(そんなことしてたら精神科のベッド足りません)。 こういう人がいるから、「政治家や大会社の社長は簡単に入院できていいな(皮肉)」とか、「じゃあ『うつ』も結局はさぼり病じゃん」って思う人が減らないのだ、ということです。 「金と力で診断書を書かせた」というイメージが残る限り、“精神科”そのものに対してもイメージダウンは免れない。 そこまで考えてるのか?、と伺いたいですが、どうせ自分が大事であとはどうでもいいんでしょうね、とも思えるので、やはり民主党の方々にはさっさと退場していただきたいものだと思います(仮に躁状態だとしても、「九州の人間だから東北の町の名前はわからん」的発言は仕事をする人間としていかがなものか・・・そしてできないのなら引き受けるな!、という話です)。

○ 菅首相は北朝鮮拉致加害者の関連団体に多額の資金提供をしていたそうだが、これは自民が与党時代だったら内閣総辞職も免れない事態なのに、 何故のらりくらりとしていられるのか。
 これは国会でかなり追及されてますが、驚くほど地上波のニュースでは取り上げられていないようですね。 麻生さんの連日のバー通いやカップラーメンの値段を知らないこと(とはいえ、当時、高級カップラーメンで400円超えるものもあったんですがね)で騒いでいたマスコミはなんだったのか? グルですか、あんたたちもグルですか?、って思うよ、こうなったら普通。
 また、なでしこジャパンを勝手に政治利用するのもやめてもらいたい。 迷惑だから。
 その“不屈の精神”を自分に置き換えるのもやめてほしい。 気持ち悪いから。
 あと、ろくに固まっていない「自然エネルギーへの転換」に我が物顔で乗っかるのもやめてくれ。 絶対日本にとっていいことにならない気がするから。

○ セシウム牛を「すぐに健康に影響が出ることはない」という人は、自分で1kg毎日食べて、実験データに貢献してください。
 斉木しげるさんは「これで国産牛が安くなるな、しめしめ」とおっしゃってましたが、それこそジジイや人生の半分以上生きた人、子供がみな成人した人などはいいでしょう。
 しかし小さい子供にはどうする? その子供を育てる義務のある親の立場は?
 暫定基準値も変えすぎだ!
 避難区域が指定されたとき、人だけじゃなく家畜や動物たちも移動させるべきだったし、そうしていればこんな大事にならなかったはず。 「稲藁が原因」って早い段階から指摘されていたことだし、ほんとに4カ月以上政府は何もしていない、と言われても仕方ないでしょう(おまけに口蹄疫からも何も学んでいない)。 放射能被害の直接の原因は東電でしょうが、その後の対応のお粗末さは国の責任。 だからといってすぐに税金投入するとかそういうのは決めるの早すぎ。
 与党になれば税金はポケットマネーだと思っているのか?
 あと、節電を呼び掛ける人たちがぴしっとスーツ着こんでるのにも違和感。
 そちらにはさぞ冷房がきいていらっしゃるのね、と思うから。

○ エイミー・ワインハウス、死去。
 なにやってんだよ・・・が第一声でした。
 “RIHAB”そのままの一生、だったじゃないか。
 グラミー賞もらったときの、あのみんなからの温かい拍手を忘れたのか?
 ヤクと酒でボロボロでも、それでもその才能を信じてるから是非立ち直ってくれというあのあたたかい声援を。 これで立ち直らねば女がすたるぞ!、とあたしも流れる涙をぬぐいながら応援したのに。
 彼女の周囲にはもっと彼女に気を配れる人はいなかったのか・・・。
 もう遅いですけど、残念でなりません。

 東京タワーの公式マスコット、ノッポンくんが「テレビを見ないという選択肢もあるよ」と公式ツイートで発言して話題になってるようですが、まったくその通りでございます。

posted by かしこん at 03:45| Comment(2) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月23日

追いつかれました、けど

 ヴァランダー警部シリーズ第7弾、ついに邦訳!

  背後の足音1.jpg背後の足音2.jpg 背後の足音/ヘニング・マンケル
 実は先日(というよりもっと前だが)WOWOWで、これを原作にしたBBCが制作したドラマ『友の足跡』を見てしまっていたので、あらすじはわかっているんですが・・・シリーズファンとしては衝撃の展開! それ故に邦訳を待てずに先日(これもまたかなり先日)、英語版のペーパーバックを買っていたのでした。

  ワンステップビハインド.JPG One Step Behind
 これはスウェーデン語から英語にトランスレートされたもの。 洋書の、しかもペーパーバックを買うことがあまりないあたし、『解説』とかないことは想定内でしたが目次すらないことに唖然・・・。 日本の翻訳本は、親切だなぁ。
 で、基本的に読書は日本語で行うものと思っているあたし、いくら読みたい物語でも英語だと時間がかかる・・・。 ペーパーバックの形も微妙に読みづらい(厚い割に軽いのはいいのだが)。 ま、言い訳です。 なかなか進まないうちに東京創元社から早々に「発売しますよ!」のお知らせが入ってしまったので、じゃあ、待ってる方が早くない?、と気分的に挫折。 で、早速新刊を購入。 「追いつかれた」というよりも「追いついてもらうのを待っていた」が正確なところです。
 やっぱり日本人には日本語だね! ペーパーバックでは微妙と思ったところ(なんでこんなに描写を重ねるんだろ、とか、“ものの腐る月”とか)もすんなり納得!
 スウェーデンでは8月は「暑い」ではなく「暖かい」なんだね! うらやましいよ!
 で、相変わらずヴァランダー警部はうっかりさん(?)で、自分の体の不調に困惑気味。 読んでるこっちが「それって○○病だって!」とすぐわかってしまうのに、病院に行って医師に会うまで予想もしていない警部。 もういい大人なのに・・・特に仕事にのめり込んでしまう男の人って、ダメですねぇ。
 まぁ、そんな“お悩みがち”なところがヴァランダー警部の特徴でもあるのですが。
 今後とも健康と女にだまされることに気をつけてお仕事がんばってください。
 そんなわけで上巻、「衝撃の展開!」までもう少しですごくドキドキ。
 『背後の足音』を読み終わってからペーパーバックを読んだら、すごくさくさく進むかも、と思ったりしている。
 ちなみに第8弾は、来年刊行予定とか! 待ちます!

 そして、忘れてはいけない新刊マンガ。

  3月のライオン06.jpg 3月のライオン 6巻/羽海野チカ
 出番少ないのに表紙とは、二海堂!、と思ったのは束の間・・・。
 ひなちゃん問題に多くを割かれるかと思ったけれど(実際割かれているんだけど)、ひなちゃんの内に秘めた闘志に加えて多くの人々の“戦う気持ち”がクローズアップされた巻に。
 零くん(主人公)の担任の林田先生がいい味出してるよなぁと思っていたけれど、ここにきて、「この人、あたしと似てるかも!」ということが発覚・・・。
 「オレが話をつけてやる」発言には激しく同意だった。
 いまのところいじめっ子女子の描かれ方が類型的だが、今後彼女たちの事情なども描いてしまって“基本、事情はあるけどみんないい人”解釈になるのか、あの担任教師ともども放置なのか、気になるところです。
 零くんは「人としての一般常識足らず」からちょっと成長しているし、更に将棋の腕は言うまでもなく。 しかしどんな世界に住もうとも、帰ってくる(心を許して訪れられる)家という存在、肯定的に話を聞いてくれる人(自分を心配してくれる人)、おいしいごはん、などなど地に足のついたものがいちばん大切である、ということを教えてくれる話でもある。 むしろそれがいちばん、大事なのだ。
 この先、更にヒリヒリする展開が待ち構えていそうだが・・・それでも明るい未来を信じられる。 読者には、それも大事です。

ラベル:新刊 マンガ
posted by かしこん at 05:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月22日

デンデラ

 「これは、ロケ地は庄内映画村だね!」とわかってちょっとうれしくなる。
 一面の雪風景、それだけでどこか心がなごみます〜(まぁ、実際はなごんでなんかいられないほど寒いのもわかっていますが)。
 東映は作品によって「いつでも1000円キャンペーン」を始めていてこの映画もそれに該当するのですが、そのせいなのか往年の大女優たちのファンだからなのか、客席はシニアと思しき方々ばかり・・・うーん、幅広い年齢層に見てもらいたいからこそのキャンペーンだろうに、意味はあるのか(シニアはいつでも1000円だし、その回の客はあたしが最年少だった感じ)。
 実はあたし、恥ずかしながら『楢山節考』を見ておりません(あらすじはなんとなく知っている程度)。 でも直接の続編というわけではないから、と思ったんだけど。

  デンデラポスター.JPG 姥捨山には、続きがあった。

 物語的にはどこかわからないが、雪の多い極寒の山村では70歳を迎えると老人は山に捨てられる、という習慣が続いていた。 斎藤カユ(浅丘ルリ子)は70歳になり、自ら進んで姥捨ての地に赴く。 それが極楽浄土へいける約束だと信じて。
 カラスなどが集まってきてカユをつつくが、覚悟を決めて目を閉じるカユ。 しかし彼女が目を覚ますと、そこには既に死んだはずの、先に“姥捨て”された村の先輩老女たちがいた。 なんと、100歳になる三ツ星メイ(草笛光子)がリーダーとなり、老女たちは山の裏側に『デンデラ』という共同体をつくり上げていたのだった。
 そして自分たちを厄介者払いした村人たちへの復讐心を胸にたくましく生き続けていたのだった・・・という話。
 ベテラン女優たちがノーメイク、もしくはメイクダウンで挑む意欲作!、ということで期待していたわけなんだけど・・・あまりよくわからないんだけど、そういう時代、地方の農民に名字とかあるのかな?、という疑問が頭をよぎった。 という感じで、いろいろ疑問がよぎる内容だったのだが、こういう話にリアリティを求めてはいけないんだな、きっと(と、自分を納得させてみる)。
 それよりも、ノーメイクだというのにおめめぱっちりの浅丘ルリ子に驚愕。 すでにアイブロウ入ってるみたい・・・素顔がお人形さんのようなんだろうなぁ、そりゃ子供時代に甘粕氏にスカウトされるわ、と妙なところで納得。
 負けてないのは草笛光子さんである。 なにしろ『デンデラ』の創始者という設定、最初にひとりで生き残っていく描写はすさまじい(「女を捨てている」とかではなく「人としてどうよ」の感じ)。 ほんとに“汚れてる感”たっぷりで、女優魂を見せつけていただきました。 是非是非助演女優賞にノミネートしていただきたい。 とはいえエンドロール見るまでほとんどの女優さんは「あの人は誰?」・「えっ、こんな人も出てたの?」状態でしたが。

  デンデラ1.jpg もう、誰が誰やら・・・。

 カユが参加し、50人になった<デンデラ>。
 共同体とはいえ思想(?)対立はあり、メイを筆頭とする“村に復讐を目的とする武闘派”(なにしろ槍を持って突き刺す訓練などしている)と、隻眼の椎名マサリ(倍賞美津子)が主な“復讐など忘れて、せっかくデンデラがあるのだからここで静かに暮らそうという穏健派”にわかれている(でも穏健派は少数なので「いくじなし」と呼ばれている)。 50人でも考え方がまとまらないのか、と思いつつ、ある意味明るい未来のない(最年少が70歳ですから)デンデラでは復讐という形でも目的意識を持つことが生を先へつなげる力になるのか、これって高齢化社会の進む日本の縮図だね!、と考える(ちなみに当然、70歳以上のジジイも捨てられる運命だが、男性全般に深い恨みを持つメイは男性をデンデラに迎えることはなく、見殺しである。 長年の女性差別への復讐と思われます)。
 そう思うと子供が生まれるって希望なんだな・・・だからこそ福島や東北・北関東の子供たちの健康を守ることは国として急務なのに、今の政府は何やってるんだ!、と怒りに打ち震えるのであった(映画とは関係ありません)。
 そんな中、カユは村から来たばかりだし姥捨てにも納得してきたので復讐心などないし、新参者故「小娘」呼ばわりだし、むしろ助けられたことで「極楽浄土に行けなくなったじゃないか」と憤慨していたのだが・・・そんなことが一変してしまう事態が起こる。
 いきなり、『羆嵐』状態になるのである。 いやー、この展開にはびっくり。
 多分本州なので、ヒグマではない。 見た目、ツキノワグマに似ているが違う。
 どんなクマだよ!(毛は黒いのだが、凶暴性はヒグマやグリズリー並みである)。
 仲間をクマに殺され、残された自分たちの身を守るために自衛するデンデラ。
 “今そこにある危機”の前では表面上の対立など不要。 一丸となってクマと戦う道を選ぶのだが!
 というわけで、生きることをあきらめたカユがもう一度、自分の意志で生きることを選択する、という話だと思うのですが・・・いかんせん、クマが出現してからはB級ホラーの勢いで(結構残虐描写あり。 R指定だった?)。
 しかも死んでいくばーさまがみな「デンデラ〜」と叫んだり呟いたりしながら倒れていくので「これはギャグか?!」と。 多分、B級ホラーに免疫のないお客様がた、リアクションに大変お困りの気配が伝わってきました。
 そのアンバランス感がもう少しうまく処理されれば、「女は強し」というか、「死んだ気になったらいくらでも生きられる」という生命賛歌になったと思うんだけど・・・(でも少子高齢化が大前提の日本では希望はあるのだろうか)。
 エンドロールが始まった途端にさっさと席を立つシニアな方々の姿を見ると、この映画は受け入れがたかったらしい・・・でもこれだけの大女優を一堂に見る、というのはなかなかないと思うので、その価値はあったんじゃないかなぁ(結局、褒めどころはそこですね)。
 ラスト数分の急展開を、あたしはもうちょっと見たかったかな〜。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

名前のない少年、脚のない少女/OS FAMOSOS E OS DUENDES DUENDES DA MORTE

 あ、原題切れちゃった。 『OS FAMOSOS E OS DUENDES DA MORTE』です。
 なんとなく、ブラジルでこういうファンタジック系の映画、珍しくない?、ということで。
 でもあたしの思う“ファンタジック”とはちょっと違った・・・。

  名前のないポスター.jpg 近くに感じる。 でも、僕の思いは届かない。

 主人公(『名前のない少年』としてエンドロールでも「.....」とあらわされているが、便宜上“僕”とする)は16歳。 “ミスター・タンブリングマン”というハンドルネームでネット上で詩を書いている。
 家庭にも学校にも自分の居場所はないと感じている“僕”は、同じくネット上の動画の中に現れる“脚のない少女”だけが自分の心のよりどころと思い、彼女のいる仮想空間に思いをはせ、彼の目にはいつしか現実と仮想空間との区別がつかなくなっていく。

  名前のない1.jpg 映像は、どこか粗かったりするけど。

 「きみの詩、いいね!」とメッセージを送ってくるネット上の知人とキーボードで会話をし、「三日後のボブ・ディランのコンサートに行こうよ」と誘われる(それが現実にあるのかどうかもちょっと曖昧だったりする)。 現実の友人とは夜中に会ってマリファナを吸ってみたり(それが余計に“僕”の現実感を喪失させている要因か?)、何気ない会話で現実の隙間を埋めてみたりするけれど、完璧ではない。 でもこの二人はどこか共通するものを持っているようで、友人として仲がいい感じはするのだが。
 そんな日々の現実を生きながらも、“僕”の思いはいつも彼女のところにある。

  名前のない3.jpg “僕”の目にはいつしか彼女が実体化する。

 そして彼女とともにネット上の映像に映っていた男が村に戻ってきて、静かな波紋が広がる。 いったい彼女は誰なのか? あの男との関係は?
 映画にはほとんど説明がないので、あらすじをまとめようとするとネタばれになってしまうので困る。 物語が(というほど起伏があるわけでもないが)進むにつれて、人物関係や出来事、登場人物たちの背負った心の傷が見えてくるのです。
 「あぁ、そうなんだ!」とわかる瞬間は、わかるよろこびよりも哀しみのほうが先に胸を打つ。
 この映画もまた、『喪失と、そこからの再生の物語』なのでした。

  名前のない5.jpg すべてはこの橋の上から。

 息子に対してどう接していいのかわからない母親の姿は、母親に対してどう接していいかわからない息子=“僕”同様、喪失という同じ心の傷を抱えているから。 友人とわかりあえるのもまた(わかりあえない部分もあるのと同様)、喪失という意味を知っているから。 空の星の光と、光を蓄積して電気を消した部屋の中でぼんやりと光る切り抜かれた星形のものは違うけど似ているように、本質的な部分ではまったく違っても思いを重ね合わせることはできる。
 救いは突然降ってくるものではないけれど、かすかな希望は近くにあって、それをどう思うのかどうか。 言ってしまえばありきたりなテーマかもしれませんが、一歩間違えば観客を眠りに引き込んでしまいそうなゆったりとした進行、あえて説明せずに現実と幻覚とネット上の映像を混在させる手法も含めて実験的要素もてんこもりですが、3・11後の日本人の心にかなり響く秀作だと思います。
 上映館も少ないし、公開も結構すぐ終わっちゃったりしてますが、DVDが出た際には多くの人に見てほしいですね。 ブラジルに対するイメージも、変わります。


※ 中規模公開の洋画が神戸市内に入ってこなくなりました・・・。
  三宮シネフェニックスがなくなったせいもありますが、西宮のTOHOシネマズがそこで止めちゃってる気配濃厚(一応OSシネマズミント神戸と一部提携してるはずなのに・・・)。 おかげで『わたしを離さないで』も『デビル』も『モールス』も神戸市内に来ない・・・これで西宮まで見に行ったらすごく「負け」の気分なので絶対行くもんか!、と涙をのむ。 こういうところ含めて、東宝が嫌いだ。 勝手に鑑賞料金変えるとか言ってみたり、ミニシアター潰しか! 金と力にあかせて市場を独占するつもりなのか?!(TOHOシネマズにあらずはシネコンではない、か?) ・・・あぁ、なんかやな感じ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 03:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月20日

2011年春ドラマまとめ&夏ドラマはじまり

 結局ドラマはリアルタイムではなく、録画したのを見ているので(CMを待ってる時間も勿体ないのでスキップしたいのです)、世間とタイムラグができてしまいますが、やっと春ドラマ見終わったので・・・。

JIN ‐仁‐
 これがいちばん視聴率よかったのかな? 続編にも映画化にも引っ張らず、きちんと終わったのはよいことだったと思います。 現代に戻ってからの咲さんの手紙を読むくだりは宮部みゆきの『蒲生邸事件』を思い出してしまいました(これも以前NHKでドラマ化されましたが、原作を簡略化していたにもかかわらずラストには号泣)。
 今は耐性ができたのか、そこまで泣かなかったけど、でもちょっと泣いちゃった。

マルモのおきて
 阿部サダヲに“普通の人”を演じさせた、ということであたしの中では高評価です(世良正則にもびっくりしたが、親父さん結構はまっていた)。
 『JIN』には勝てまい、とあえて勝負を捨てたことでいいドラマができるとは皮肉です(でも途中からテレビ局が妙な色気を出してきたのでラストがしまらなくなった、残念)。
 芦田愛菜ちゃんは『Mother』といい『うさぎドロップ』といい、親に問題のある子供の役が多いよな・・・それも演技力のたまものなんだろうか。

ハンチョウ
 まさか『ハンチョウ』で警察官銃撃とか出てくるとは・・・。
 でも佐々木蔵之介、好きです。 上着を羽織るときは勢いをつけすぎですが。

遺留捜査
 刑事ものではどうしても重点を置かれてしまう犯人側・動機・犯行の手段よりも“被害者の想い”そのものにフォーカスを当てた点で、いっぱいあるテレ朝の刑事ドラマでも独自の位置を獲得したと思うんだけど・・・どうなんだろう、続くのかしら。 続いてほしい。

  遺留捜査1.jpg 毎回ちょっとしかなかったけど、上川隆也と甲本さんのやりとりにはほんわかなごませていただきました。

ハガネの女 シーズン2
 あたしは前シーズン、面白く見たんだけど・・・今回はイデオロギー的主張が見え隠れして残念な感じ。 アスペルガー症候群は確かに個人差があるけれど、ドラマの展開上都合のいいように描かれてる気がして納得がいかなかった。 駆け足的な終わり方も、「打ち切りですか?」な感じで、だったら同じく深夜枠でやってた方がよかったのでは・・・原作者との間にトラブルも発生したようだし、シーズン3は難しかろう。
 子役たちのレベルは高かったのに(でもシーズン1のほうがもっと高かったかも)・・・片岡愛之助ももっと活躍させてほしかったのになぁ。

BOSS
 とりあえず光石研さんがかっこよかったです!

高校生レストラン
 始まったのが遅かったしノーマークだったのですが(土曜9時にドラマを見る習慣がしばらくなくなっていたから、録画することすら意識になかった)、これは普通に面白かった。 神木くん、普通の役でもいけていた。
 「いただきます」・「ごちそうさま」の意味とか、サービス業の真髄とか、説教くさくなく“当たり前のこと”として伝える内容に好感。 しかし終わりがいささか駆け足になったように感じたのは、脚本の変更があったからか?
 だから原田芳雄の途中退場が心配で・・・アラスカから届くハガキを読むナレーションの声がいつもと全然違ってたし、体調悪いのかと不安だった。 絶対『大鹿村騒動記』見に行くから、早く元気になって帰ってきてね!、と思っていたところに突然の訃報・・・(泣いてもいいですか? ・・・よしおちゃん💧)。
 ここ十年ぐらいは何度目かの原田芳雄黄金期だったと思う(『PARTY7』あたりから若手の製作者と積極的に組むようになって映画界での存在感がぐっと増した気がする)。
 もう一度、『タモリ電車倶楽部』に戻ってきてほしかった。

 そして、夏ドラマ。

IS
 テレ東のこの枠はマンガの原作で決定!なのだろうか。
 でも冒険してるようなぁ、と思う。

絶対零度〜特殊犯罪潜入捜査〜
 『コールドケース』のパクリ、という批判をかわすために丸ごとフォーマットを変えたのか?、の荒業に愕然。
 桐谷健太くん、がんばってます、というのがなんかうれしいです。

チーム・バチスタ3 アリアドネの弾丸
 原作とはまったく違うことは承知の上で、白鳥さんは仲村トオルがいちばんいいと思う! その分、田口先生(伊藤淳史)がおバカな役回りになってしまうけどさ。
 ヤスケンさん出てる!、ということに盛り上がりましたが、初回から濃いメンツ揃ってますな・・・白鳥さんの存在感が今まで以上に薄いです(これから盛り上がるのであろうことはわかってますが)。 これは原作未読なのですが、出てきた瞬間から「あ、この人が殺されるわ」とわかってしまってどうしましょ。
 刑事にしては顔が白すぎる中村靖日さんにも、なんか期待。

新・警視庁捜査一課9係 シーズン3
 飄飄と加納倫太郎係長が「鑑識、行こっか」と行った先に米沢守さん(六角精二)がいたのにはびっくりだよ! 『相棒』と同じ世界だったのね! 米沢さん、働き者!

ブルドクター
 これも『バチスタ』シリーズがずっと言ってきたことの変奏曲、という感じか。
 もはや日本の社会問題はドラマという形で提示するしかないところまで来ているのかも(だからテーマもかぶるし、若干最先端とずれるけどこれは優れたオブザーバーを迎えれば解決すること)。 日本国内の司法解剖率が、少しでも上がればいいですねと切に願う。 こんなことのために犯罪が隠蔽されるのは世の中のためにならないのだから。
 これは小日向さんにつられています(しかし他のキャストも濃い)。 江角マキコの息子の役が『ハガネの女』の男の子ではないかという気がするのですが、どうでしょう。

それでも、生きてゆく
 これは小田さんの主題歌がずるいと思っちゃった・・・。
 いかにも坂元裕二な脚本ですが、満島ひかりのキャラは彼女の映画のイメージから引っ張ってきてないか?(でもテレビで見る彼女は思っていたよりかわいくて、よかったです)。
 コミュニケーション不全一歩手前のかみ合わない会話、瑛太の「かつらかよ!」な不自然な髪形(その後、自分で切った割にはやたらうまくまとまっている)には笑うとこじゃないのに笑ってしまった。
 重いテーマだけれど、これもまた問い続けなきゃいけない問題なんだろうなぁ。

ドン★キホーテ
 てっきり木皿泉脚本かと思ってしまったけれど、違った。 でもキャスティングやスタッフは『すいか』『光とともに・・・』などの流れを感じたので見てみる。 高橋克実、気の弱い役がやっぱり似合うなぁ(しかしこれは『転校生』のオマージュでもあるのだろうか、小林聡美出てるし)。 これも普通に面白い感じになりそうである。

 あと、佐藤浩市の『陽はまた昇る』もチェックする予定・・・。

  陽はまた昇る1.jpg 警察学校の教官だっけ?
 同じ主人公らしい先日の土曜ワイド劇場、「これはなんかシリーズ化しそうだ!」と思ったにもかかわらず見るのを忘れたという・・・。 見てなくても、支障はないかしら?

 ※ ブロガリのメンテナンスのため、リアルタイム更新ができませんでした・・・。

ラベル:ドラマ
posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | テレビ・テレビドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月19日

否応なく、夏・・・

 パソコンの調子が悪くなった日か、その前日ぐらいのこと。
 あまりに朝の太陽の光が眩しくてよれよれと歩いていたら、それが目に入ったのでございます。

  今年初のセミの抜け殻.JPG セミの、抜け殻・・・。
    この影の濃さで日光の強さを感じていただけるでしょう。

 うわっ、今シーズン初めて見つけちゃったよ!、という驚きと、何もこんなところから・・・という驚きと。 だって、まわりずーっとコンクリートの壁で、もうちょっと行くと植物やらツルのからまったワイヤー柵的なものがあるのに、こんな暑いところで。
 とはいえ、「もうちょっと」は人間から見た距離。 セミにとってははるか遠いのかもしれず、そもそもその存在を知らなかったのかもしれず。
 これを見てなにゼミかはわかりませんが・・・今年はまだ、朝に謎のシャワーの音(セミの鳴き声大音量)で目覚めさせられてはいない。 これはずいぶんと早く出てきてしまったのだろうか、それとの朝に騒がしいセミとは別の種類か?
 『八日目の蟬』で、一日長く生きたセミは仲間がいなくなってひとりぼっちだが、誰も見られなかったものが見ることができる、的な台詞があったけど、それはあくまで全員が同じ日に生まれたらの前提ですよね・・・フライングしちゃったやつは、7日間でそもそも仲間を見つけられるのかどうか。 たったひとりで7日間を生き抜く、というのもそれはそれでありの生き方だとは思いますが。
 なんだかちょっと切なくなって、写真におさめてみた。
 台風に巻き込まれずに、一生を全うしてね。

posted by かしこん at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節のこと/街の中の自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月18日

ハリー・ボッシュシリーズ、続々読破中!

『ラスト・コヨーテ』/マイクル・コナリー
 順調に、ハリー・ボッシュシリーズ4作目。 例によって例のごとく、ハリーが謹慎処分されているところから話はスタート。 彼が何をやったかはのちのち明らかにされますが、時期がちょうどLAを大地震が襲った直後。 ハリーお気に入りの家も半壊で行政から立ち退きを迫られている(が、ボッシュはそれに素直に従うような人間ではない)。 前作でやりなおしたかに見えた恋人にも去られ、謹慎という名の長期休暇を持て余すボッシュは、ついに禁断の箱:自分の母親殺害事件を再調査することに・・・という話。

  ラスト・コヨーテ1.jpgラスト・コヨーテ2.jpg 上下巻を活かさない装丁だ。
 このへん、ちょっと『ブラック・ダリア』が入ってるのかと思えば、ハリーには内的にこもる鬱感情は見られず、むしろどんどん外側に攻撃的になるようだ。
 けれど、ハリーの母親に対する想いとか、上役アーヴィングとの言葉は少ないが行間にいっぱい何かが含まれている会話など、“ひとりの人間としてのハリー・ボッシュ”をこれまでの中で最も掘り下げた作品で、すごくパーソナルな香りがします(勿論、追い詰めるべき犯人も存在しますが、ちょっと付け足しの感あり)。
 ハリーファンならば多分感動するところ・・・なのですが、あたしはそこまでハリー本人に対して特別な(?)感情は抱いておりませんので、「よかったね」な感じです。
 結構このシリーズ、現実にアメリカで起きた出来事(ロサンゼルス大地震だけじゃなく、O・J・シンプソン事件やら大企業や政治家の汚職やら)がさりげなく織り込まれてるのですよね・・・ということは『イソノ界』的ではなくハリー・ボッシュの世界は現実そのものということで、否応なく彼は年齢を重ねていくということよね・・・。
 ボッシュが定年まで続くのかしら?

『トランク・ミュージック』/マイクル・コナリー
 引き続き第5作。 ロールスロイスのトランクに押し込められた射殺死体が発見される。 “トランク・ミュージック”と呼ばれるマフィアの手口で、被害者は小物の映画プロデューサーであることが判明。 彼は闇の仕事に手を染めており、知りすぎた故に消されたのか、それとも・・・。 そして捜査過程で、ボッシュは忘れえぬある女性と再会するのだった、という話。

  トランク・ミュージック1.jpgトランク・ミュージック2.jpg これもまた上下巻を(以下略)。
 もうびっくりなのは、毎回毎回違う女と恋に落ちておきながら、彼女が出てきちゃったらこれまでの女性たちは十把一絡げになってしまったこと。 それ、他の女性たちに対して失礼すぎないか!
 しかし仕事の面ではこれまた打って変って理解ある新しい上司が来るわ、エドガーがパートナーに復帰するわ、新しく女性刑事がチームに加わるわ、“一匹狼ボッシュ”とは思えないほど仲間に恵まれ、チームワークで捜査が進むのが新鮮です(だがこの幸せが長く続くのだろうか・・・という不安もないわけではなく)。
 しかし裏組織が絡んでそうな事件ほど、実は絡んでない、というパターンが読めてきて、犯人の意外性などはもうなくなっておりますが・・・なんとなく、海外ドラマを見てる気持ちになってきました(つまりキャラクターの人生そのものを追いかけていく感じ?)。

 引き続き、第6作『エンジェルズ・フライト』に入っております。
 でも他のも読みながらだし、7月21日にはヴァランダー警部シリーズ邦訳最新作も出ますんで、多分そっちが先になっちゃうな・・・と思います。
 結局、あたしはマイクル・コナリーよりもヘニング・マンケルのほうが好きみたい。

ラベル:海外ミステリ
posted by かしこん at 05:30| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする