2011年06月26日

とりぱん 11巻/とりのなん子



 わー、『とりぱん』の新刊が出ている〜!、ということに小躍り。



 「北東北、身の丈ワイルドライフ」がキャッチコピーのこのコミックエッセイ、



具体名は調べていないが作者の住んでいる町は岩手県の県北部(青森県寄り)の



山間部地方だとあたりがついていたので、地震で大きな被害が出た場所ではない



だろうとわかってはいた。 わかってはいたけれど、調べるのが怖かった。



 本屋で『週刊モーニング』の表紙を見ても(紐でくくられているので立ち読みは



できない)、表紙に『とりぱん』の文字がなかったりしたから。 ま、表紙デザインの



都合上、連載作品全部が載るわけじゃないんだけどね。



   しかし実際は、連載は一回も休むことなく続いていたらしい。



 今回の表紙はメジロでございます。



 冒頭のカラーページはまた冬の入口。 次はいきなり『僕の小規模な生活』の



パスティーシュまんが『私の小規模な鳥活』として『僕の小規模な生活』そっくりの



タッチで一話(羽)分まるまるやってしまう器用さは相変わらず。



 えさ台レギュラー陣の鳥たちに加え、10巻から加わった金魚のまるちゃんと



きんちゃんも相変わらずのパワーでネタを提供。 季節は移るけれども変わらない



日常が続くはずだった。 あの日までは。



 あたしの予測通り、作者の住んでいるあたりは「地震が来て大停電になったが、



それほど被害は大きくない」地域だったらしい。 雪が降ってきたのに熱源がなく



(灯油の反射式ストーブや暖炉があるところは使っていたらしいが、余震のことを



考えると反射式ストーブもあまりおすすめできない)、そもそも電気がないので



夜は真っ暗、携帯電話も何もつながらない。 人は文明の利器を失うとなんと



ちっぽけな存在かと、“孤独”を思い知ったと。



 そして翌日電気が通って、テレビで初めて被害の大きさを知り言葉を失う・・・



それはあたしの実家の人たちや、地元の友達が体験したこととして聞いたことと



まったく同じだった。



 作者は冷静に描いている。 悲惨さも深刻さも最小限にして。



 けれどあたしは涙が止まらなかった。



 今でもあたしは思っている。 地震を体験できる場所にいればよかったと。 津波で



行方不明になった人と代わってあげられたらいいのに、と。 5年先・10年先に白血病に



なっても構わないから生きたい人の代わりに放射能を浴びる場所に行きたい、と。



 感情論です、わかっています。 けれど東北の復興の先が見えないままでは、



あたしは自分の人生の先を考えることができない。 あの日から、あたしの心は



東北に置き去りなのだ。



 それでも東北は全滅したわけじゃない、美しさはあの日のあとにもちゃんとありますよ、



と、このマンガは教えてくれる。 だからそれをはげみに、あたしももう少し生きようと



思った。 ダメダメな政府がどんなことをしてくるのか、とにかく見届けなくてはね!



 多分関係なく、地元の人たちがなすべきことをしていくんだと思うけど。


posted by かしこん at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マーラー 君に捧げるアダージョ/MAHLER AUF DER COUCH



 正統派のドイツ映画なのかなと思ったら、意外にもトリッキーなつくり。



 オープニングクレジットもちょっと洒落てるし、テロップで<起こったことは史実、



どう起こったかは創作>と最初に断言してしまうのもいい。



 グスタフ・マーラー(ヨハネス・ジルバーシュナイダー)は神経症に悩まされ、



先進的な治療をしていると評判のドクター・フロイトを訪ねる。 「あなたの苦しみは



若い奥さんを満足されられてないと感じているからだ」とずばりと言われて立腹した



マーラーは席を立ち、街を彷徨するがついにフロイトに妻・アルマ(バルバラ・



ロマーナー)との日々を語り始める・・・という話。



   おじさん二人。 右:フロイト、左:マーラー。



 マーラーとフロイトって同時代人なんだ!、ということにびっくりです(あたしは歴史の



年表的なものに弱くて)。 で、邦題はいかにも音楽に絡んだ壮大なラブロマンス的な



感じだけど、原題を直訳すれば『カウチに横たわるマーラー』ってところ?



 若干、看板に偽りありかも・・・。



 マーラーが語り始める妻アルマ(バルバラ・ロマーナー)は年下男との浮気をやめない



奔放な女。 だが実は・・・そこにはこの二人だけに通じる“夫婦の本質”が隠されていた、



という話。



 意外にも音楽家としてのマーラーを描いた部分は非常に少なく(音楽としては使われて



いるけれども)、人間関係重視な話。 しかも合間にアルマの母とかにインタビューした



みたいな映像が挟み込まれ、ちょっとドキュメンタリータッチ?! 時代モノでこういうの、



面白いと思いました(笑えるポイントもあるし)。



   アルマは当時の社交界の華。

     クリムトのモデルをやって迫られたりするも軽くいなしていた。 アルマを

     描いたクリムトの絵はその後、アルマの部屋の壁に飾られることになる。



 アルマもまた、ピアノを弾き自分で作曲もする人。 そしてやっぱり出てくる対位法。



この感じ、『ナンネル・モーツァルト』と一緒だぞ、と思っていたら・・・マーラーは「趣味で



ピアノを弾くぶんには構わないが結婚するならマーラーの妻としての義務を全うせよ



(つまり「作曲」はやめろ)」と言うようなやつで。



   しかもプロポーズの言葉、なし。

     出会った瞬間から結婚することに決めてました、的な態度は何様ですか!

     しかもアルマが反対するとはこれっぽっちも思っていない・・・19歳も年上の

     くせに、ちょっとは遠慮というものを知れ。 それとも「自分は天下のグスタフ・

     マーラー」だからなんでも許されると?



 まぁ、やっぱりそういう時代だったからかもしれないけれど、結婚前は「素晴らしい



才能だ」とか言っておきながらそれはなに!、である。 しかしこんな自信満々な



態度も、自らの年齢の衰えとともに失われていくわけですね・・・哀れだ。



   それでも、アルマは彼を愛していたようである。



 愛するが故に相手のために献身的に尽くしたい気持ちと、自分自身の内側から



あふれる「自分の音楽をやりたい」という衝動の両方に引き裂かれるアルマの姿は



とてもわかりやすいのに、男性から見たら全然わからないのね・・・という「偉人と



いえども実は情けない男です」なシリーズにカウントされちゃうかも。



 『君に捧げるアダージョ』の“君”とはグスタフ・マーラーのほうだったのではないか。



アルマがどれほどの犠牲を払ったか(悪妻と思われる部分も含めて)、彼は本当に



その愛の深さを理解したのだろうか。



 女の忍耐ってすごいわぁ(でも一度見限っちゃうと切りかえ早いけどね)、としみじみ。



 驚いたことに監督は『バグダッド・カフェ』の方だそうで・・・恋愛を一筋縄では描かない



ところは共通してる部分あるかも


posted by かしこん at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする