2011年06月17日

甘いもの・・・



 三宮センター街のジュンク堂近くに、ちょっと前から御影の『ダニエル』が



クレープのお店を開いている。 あたしが通りかかると大抵女子高生やマダムで



列をなしていてなかなか近付けなかったのだが、その日はちょうど誰もいない



空白の時間。 ショーケースじっくり見れるぞ!、ということで近づく。



 しかし、他にお客さんがいないということは、「いらっしゃいませ!」とお店の方は



待ち構えているということで、小心者のあたしは早くオーダー決めなければ、と



焦る。 クレープの中身として選べるのは10種類ほど? ちょうど“NEW!”の



札が出てるシャルロット生地だけ見えてるやつを「これはなんですか?」と尋ねる



(他のは“フレッシュいちご”などと名前がついている)。



 「こちらは本日限定の、コーヒーのジュレとムースを主体にしたものでございます」



 コーヒーか・・・それはちょっとあたしには当たりはずれが大きそう。



 さすが『ケーキ屋さんがつくるクレープ』だけあって、その中身は“タルトやパイの



フィリングになってておかしくないもの”ばかり。



 訊いておいて申し訳ないが、“イチジクのクラフティ”にする。



   「すぐお食べになりますか?」と聞かれたので

   「はい」と返事したら・・・こんな包みでした。 ¥300−



 クラフティ好きなのですよね、特にダークチェリー。 イチジクがどんななのか



気になりまして・・・一口、ぱくり。



   まずはガツンとカスタードクリーム。



 クラフティのわりに焼いてないんじゃないか・・・と感じるほどのクリーム状(気持ちの



上ではプリンとカスタードクリームの中間ぐらいの予定だった)。 しかも、想像以上に



イチジクも生っぽい! けれど、するん、とイチジクがのどにすべりこんでくる。



 あ、でもこれはこれでおいしい、とあっさり主旨変え。



 ジュンク堂へのエスカレーターの横で完食いたしました。



 しかも結構おなかいっぱいだ・・・ごちそうさまでした。





 とらやが羊羹に新しい味、しかも“紅茶”を出したというのでちょっと前から買って



あったのを、賞味期限が長いことをいいことに寝かせていたのを、おいしいミルクティを



淹れたので出してくる。



   4口サイズ? ¥200−



 羊羹で紅茶の味が出るのかなぁ、あんこの強さに負けちゃうんじゃないの?、と



思って原材料を見れば、そこには白餡的中身。 じゃあ、この色の原因は紅茶



そのものということ?、と期待が膨らむ。



   一見、普通の羊羹ばりの黒さ。



 で、食べる・・・紅茶?



 あ、噛んで飲み込んだときの後味がほのかに紅茶の感じ(しかし一緒に紅茶を



飲んでしまうと、もうわからない・・・)。



 いや、小さいけど食べ応えのあるどっしり感とか、いかにも『とらや』なんですが。



 そうか、これ一個に紅茶の味を求めるのではなく、「紅茶に合う羊羹」という新しい



提案なんだな!、ということで納得。 実際、わかりやすい紅茶味を期待するから



「???」になるのであって、普通においしい羊羹であることには違いない。



 あずきの苦手な方はOKかもしれんし、白餡好きな人もだませるかも。


posted by かしこん at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月16日

八日目の蟬



 NHKのドラマ版は集中放送の録画を失敗し、1・2・5・6話と見てしまいました。



原作は未読です。 ドラマが壇れい扮する希和子を主役に時間軸通りに描いたのと



違い、映画は裁判のシーンから始まり、成長した薫=恵理菜の目線で進行します。



   ダブル主演かと思いきや・・・。



 不倫相手の子供を身ごもってしまった希和子(永作博美)は「今はあきらめてくれ」と



相手(田中哲司)に言われ、堕胎するがそれが原因で二度と妊娠できない身体に



なってしまう。 その後、相手の妻(森口瑤子)が出産。 一目子供の顔を見ようと



留守宅に立ち寄った希和子は、4か月の赤ちゃんを連れだしてしまう。



 彼女の鬼気迫る感じがなんとも。 裁判であやしげな雰囲気をさんざん発して



おきながら、多分見る側のほとんどはこの段階で彼女に同情してしまうだろう



(夫・彼氏に浮気された過去のある人は別かもしれないが)。



   年齢のわからない人だ・・・。



 20年後、大学生となった恵理菜(井上真央)は家庭になじめず家を出ている。



 あまり人とかかわりを持たないように、いろんなことを考えなくてすむ肉体労働系の



アルバイトばかりしているが、かつて塾に通っていたときの講師(劇団ひとり)と不倫を



している。 そんなある日、ルポライターを名乗る女(小池栄子)が現れ、「誘拐事件の



ことを話してほしい」と言う。 だが恵理菜は過去の記憶を封印して、思い出せなく



なっていた。



 結構早い段階でJohn Mayerの“Daughters”を使うのは反則じゃないのか? 



というかそういうこだわりを持つ子が聴く曲だろうか?、ってちょっと考える。



 なんで劇団ひとりだよ!、という感じですが、愛情に飢えている彼女は最初に優しく



してくれた相手なら誰でもよかったはずで、かっこいい男性ではリアリティに欠けると



いうことなのだろう。 ある意味高校教師と不倫して大人の階段を上った気になって



いる女子高校生とちょっと似た香りがする(教師側にとっては気まぐれなおこぼれの



つまみ食いでしかないのにね)。



 ダメダメな田中哲司ともども、この映画に出てくる男はほんとに弱くてダメなやつ



ばかり。 男運が悪い女は不幸、ということなのか、女にも問題があるからダメな男



しか寄ってこないのか、難しい命題である。



   妊婦にビールを飲ませるな!



 そしてやたら挙動不審な小池栄子がよかった。 食べ物にやたら執着してしまう



のは、足りない愛情を無意識のうちに埋めるためなんだろうかと考えてしまう。



 そう、描かれるのは「愛情が十分得られない(と感じている)人」ばかりである。



 誘拐され、4歳で戻って来た恵理菜は、実の両親と呼ばれる人に引き合わされて



それまでの過去を否定しなければならなくなる。 だからといってすぐになつける



わけじゃない。 実の母親なのに距離を置かれる・そのことで夫の不倫を否応なく



思い出させられる恵理菜の母親もまた、愛情(というか自己肯定)に飢えている。



夫には浮気されるし、本来なら、自分の娘は無条件で母親たる私を愛するはずなのに



・・・という苛立ちを飛び越えた怒りは、彼女をフォローする場面がないだけに余計に



つらく、そのくせ観客に好感を与えないというひどい役です・・・実は被害者なのに



(いちばんの被害者は恵理菜だが)・・・(まぁ、でも、夫の不倫相手に向かってあの



罵詈雑言はちょっとひどいよな、というのはあるかも。 自分の旦那も悪いわけでしょ)



・・・森口さん、損な役引き受けちゃいましたね(NHKドラマ版では板谷由夏が最後



ちゃんと娘への愛を示す場面があったのだが)。



 けれどきちんと愛された記憶は、自分が封じ込めた過去の中にあった・・・というのが



恵理菜がこれから生きていくために必要なものだった、というのがこの映画の言いたい



ことだったのかな? だから、これから彼女は前向きに生きていける、と。



 たとえそれが自分勝手な都合から生まれた愛情であっても。



   愛された記憶が思い出せないのは

    不幸なことである、と恵理菜の経験が言っている。 しかし希和子のしたことは

    犯罪なのだが、この映画はそれに対して否定も肯定もしていない。



 恵理菜目線のため、どうしても希和子の存在が最初以外は回想シーンの中にしか



出てこないんだけど、それでも永作博美の存在感は抜群でした。 あえて“現在の



彼女”を出さないことがよかったのかも(しかしそのおかげで泣けるポイントはなく



なったが)。



 それにしても、小豆島の写真館のご主人が田中泯さんって・・・なんか雰囲気あり



すぎて怖かったよ〜。 そしてどうもカメラワークが野暮ったい、と思ったら監督は



『孤高のメス』の人だった・・・。 20年前だからってことですかね?(でも現代パートも



あるんだけどな・・・)



 あまりに唐突な終わりは賛否両論あるかも。 あたしも「そこで終わりかい!」と



びっくりしてしまうほどであったが、“恵理菜目線”を貫くためにはああするしかなかった



のかな・・・という気もするし。 自分の人生、乗り越えるのは自分。



 母性とは、謎である。 多分それは、本人にしかわからない。


posted by かしこん at 04:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月15日

『ちはやふる』にうるうるしつつ・・・



 『ちはやふる』の新刊が出たというので本屋へ。



 6月末には『楽園番外地』の2巻や川原泉の新刊が出るらしい!



 わーい、楽しみ〜!



   ちはやふるL/末次由紀  もう夏だな・・・。



 まだ大会中であります。 冒頭から、机くんと肉まんくんのやりとりに目から



ぶわっと涙が盛り上がる。 お互いを、みんなの気遣ってこその言動なのに



それがすれ違ったり。 傷つけるとわかっていても言わなきゃいけない!って



思ったり。 上手い下手関係なく“競技者”でいるのか、サポートメンバーに



徹するのか、どっちが正しいとか答えはないけれど、でもそうやって悩むことが



大事なのよ! そしてもう、先生たちの「大人の気配り」が若者に伝わる瞬間も



また泣けてきますわ。 そういう人に出会えたか否かが人生を変えるのね!



 まだまだ話は途中なので勢いですが・・・これが完結した暁には、これがどういう



マンガだったかやっとわかるんだと思う。





 と、いうわけで一冊で終われないあたしは、「ハヤカワがめちゃめちゃ押してる!」と



いうことで気になっていたこちらを。



   ねじまき少女/パオロ・バチガルピ



 帯に「『ニューロマンサー』以来の衝撃!」と書いてあります。



 ヒューゴー賞・ネビュラ賞・ローカス賞・キャンベル記念賞各賞受賞、というのは



SF界ではたまにあることなんであれですが、「新時代のエコSF」っていうコピーは



どうなのか・・・。



 とりあえず、“エネルギー構造が激変した近未来のバンコクで、少女型アンドロイド・



エミコとの出会いが世界の運命を大きく変えていく・・・”というあらすじには惹かれる



ものがあります(また「トンデモニッポン」が出て来なきゃいいが・・・)。



 そして、「おや!」なもう一冊。



   子どもたちの長い放課後/仁木悦子



 仁木作品のうち、子供たちが主人公なものから若竹七海が編集した短編集。



 『猫は知っていた』を読んだのはあたしが小学生の時ですが、最初のうち著者・



仁木悦子の書くものはみな仁木兄弟のシリーズものだと思っていて(しかも当時は



古本屋さんで買っていたのでシリーズものを順番で読めるとは限らなかった)、



そして何番目かで手にしたのが『灯らない窓』。



 「わ、シリーズじゃなかった!」とびっくりしつつ、読んだら・・・これが面白かったん



ですよね。 主人公は子供、しっかり中身はミステリ、おまけに後味ちょっと悪い・・・。



 まぁ、そういうのを「面白い」と考える小学生もどうかと思いますけど、それであたしは



仁木兄弟シリーズだけじゃなく“作家・仁木悦子”作品は面白い!、と開眼したの



ですが、いかんせん全作品が手に入ったわけではなく・・・そして記憶も曖昧です。



 この短編集には初収録の作品もあるそうなので、楽しみ!


posted by かしこん at 06:27| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月14日

出てたなら教えてください・・・



 SLT(Sing Like Talking)の4月6日発売のニューアルバムが地震の影響を



受けて「発売延期・時期未定」となり、スケジュール通りに敢行できたコンサート



ツアーは内容を変更して新作の演奏はなし、と聞いたので、こりゃそうとう遅れるの



かな・・・と思っていたのですが・・・いつの間にか出てたんですけど・・・どういうこと?



   Empowerment / SING LIKE TALKING



 実は、SLTのアルバムをリアルタイムに買うのは1997年の『Welcome To Another



World』以来。 いや、その後も聴いてはいたのだけれど、「気がついたら出てました」で



何年遅れとか・・・あたしのプライベートがちょうどいそがしいときと重なったせいもあった



けど、「なんか・・・違う? 歌詞の改行も増えた? でも減ったのもあるし・・・」と、



微妙な違和感を抱いてしまったのでした。



 ううむ、彼らは違うところへ行ってしまうのかなぁ、と思っていたところに、これ。



 『Welcome To Another World』の次に出ました!、と言われても違和感がないほど、



SLT的王道路線に帰ってきました!(と、あたしは感じた)



 歌詞はずいぶんわかりやすくストレートになったし、メインヴォーカルのみならず



コーラスまで全部竹善さんがやっちゃってて、千章さんや智彦さんがまったくコーラス



してないのが不服といえば不服ですが・・・もう役割分担なんでしょうか。



 地震のことを意識してつくったわけでもないのに、全曲に通じる“力強さ”がなんだか



救いにつながるような気もして。 “歌の力”を感じます。



 相変わらずファンクをやり倒したり、でもお得意のミディアムテンポも忘れずに、



「やりたいことをやりました」な態度が潔いかと。



 あえて言いましょう、おかえりなさい!





 輸入盤新譜コーナーに、なんだか見覚えのあるロゴ。



 これは、あたしが以前ファーストアルバムを買った同じバンドでしょうか?



 試聴して、「うん、多分ヴォーカル同じ声」と確認して買いました。



   THE WAY IT WAS / parachute



 あたしの持ってるファーストも輸入盤なのでバンドの詳細は一切不明ですが・・・



多分アメリカのバンドでしょう。 結構ストレートに強いロック色を出しておきながら、



突然“美メロ”ソングで聴き手をノックアウト。 ファーストはやりたい放題感が強かった



ように感じたので、もうちょっとコンセプトとか方向性を定めてみたらどうだろう、と



思ったものですが、セカンドも結構同じ路線で、でも明らかにファーストより洗練されて



いるのですよね。 びっくり。 で、これはこれでまとまりがあるように感じられてくる・・・



つまり、それが彼らの持ち味ということか。



   LOSING SLEEP / parachute

     ちなみにこちらファーストアルバム。 今じゃ国内盤も出たし、輸入盤も

     ジャケット写真変わってる。 “Under Control”いいです。



 今後も聴き続けたいバンドです。 しかし、バンドのロゴって大事ですね!!!





 で、もう一枚。 買いそびれてたエリオット・ヤミンの新作。



   Gather‘Round / ELLIOTT YAMIN



 もう3枚目です。 もともと歌のうまい人なんだけど、『River Of Dreams』のビリー・



ジョエルっぽい歌い方とか、スティーヴィー・ワンダーっぽい雰囲気にも挑戦?(と



いうか結果的にそうなったのか)、サウンド面では王道路線なれどチャレンジ精神も



忘れず。 アメリカン・アイドル出身だけど、もうそんなことは気にせずに“大人の



サウンド”追求って感じなのかな〜。



 いや、それは歓迎です。


posted by かしこん at 05:11| Comment(0) | TrackBack(0) | Music! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月13日

ランナウェイズ/THE RUNAWAYS



 “70年代を駆け抜けたガールズバンド、ランナウェイズの軌跡”−とありましたが



あたしはそのバンド、知らなかったよ・・・。



 1975年、LA。 15歳のジョーン(クリステン・スチュワート)はロックがやりたくて



仕方なかったが、ギター教室に行っても「女性にエレキは教えられない」とアコース



ティックギターしか持たせてもらえない(当然、練習曲はスタンダードナンバー)。



 当時、ロックはまだ男のものだったのだ。 しかしライブハウス?で出会った音楽



プロデューサーのキム(マイケル・シャノン)は“女の子だけのバンド”を組んで一世を



風靡しようと思い付く。 ドラム、ベースと女の子を見つけ、あとはバンドの顔となる



ヴォーカルだけ。 そこで白羽の矢が立ったのが、同じくライブハウスにたむろしていた



シェリー・カーリー(ダコタ・ファニング)だった。



   二人とも、顔が怖いわ。



 そして、スマッシュヒットとなる『チェリー・ボム』が生まれる。



 なんとランナウェイズは本国でブレイクするよりも先に日本で熱狂的な人気を



誇っていたらしい(篠山紀信がシェリーの自宅までグラビアを撮りにきている)。 



 おかげで後半に来日してライヴをするシーンがあるのだが、これが“トンデモ



ニッポン”で・・・すごく哀しくなる(中国もまじっているが絶対間違っている!な



感じで)。 まぁ、本国で売れなくても日本で売れて、それがきっかけで全世界で



売れる、というパターンは80年代以降もありましたが(だから日本に好意的な



アーティストは多いわけで)、もしかして「とりあえず日本で売ってこい」みたいな



戦略が当時存在したのだろうか・・・そんな疑惑がふと浮かび。



 まぁそれはともかく、一躍スターダムにのし上がるバンドはメンバー間の信頼



関係を築く前にいそがしくなってしまい、偏る人気に不満が生まれ、ティーンの



女の子が業界の波に巻き込まれて無事でいられるわけがなく、あっさり彼女たちは



酒やヤクに手を出していく。 そのあたりがものすごくさらっと流されていたので、



もっと掘り下げてほしかったんだけど・・・そうすれば破滅的な行動をとってしまう



シェリーの気持ちがもっと痛々しく理解できるようになるだろうに。



   それでも練習は改造したバンの中で。



 なにしろ彼女たちを“代替のきく商品”としてしか見ていないプロデューサーに



ムカつく。 時代と言われればそれまでだが、未成年を監督・保護する責任とか



一切考えてもいないところがむしろすがすがしいほどバカだったり。 当時の業界の



非常識ぶりが(現在もそれほど大差ないのかもしれないが)、彼女たちの青春を、



人生を台無しにしたかのような。



   バンド結成時。 ドラムの人右から2番目。



 描写は少ないのだけれど、ドラム担当の人にももっと脚光を浴びせてほしかった。



 ギターを弾く女の子も少なかっただろうけど、ドラムをたたく女の子のほうが



少なかったのではないだろうか? そして演じた人も最初シアーシャ・ローナン



(『ラブリーボーン』の)だと思っていて、「え、すごい豪華キャストじゃん!」と



大興奮だったあたし(だってよく似てたんだもの・・・遠めのカットしかなかったし。



後半アップが出てきて、「あれ?」ってなったぐらいで)。 まぁ、メインが



ジョーンとシェリーだから仕方ないのか・・・。



 よく考えたらクリスティン・スチュワートとダコタ・ファニングって『トワイライト』の



2と3で共演してるんだよな、ということをすっかり忘れるぐらい、全然違う役柄で



身体張っての熱演。 そして『トワイライト』よりも二人ともこっちの役のほうが似合う



・・・クリスティンのワイルドさ、ダコタの棄てようとしても棄てきれない「よい子」っぽさ。



 なので、緊張感のない編集とか、深みの足りない脚本とかがいろいろもったいない



なぁ、と。 いいところもあるんだけれど。



   多くを語りあわない二人の関係が、

             強い絆だと思えたときもあったのに。



 その後、ジョーン・ジェットはソロになり、自分のバンドをもつことになる。



 そのヒット曲『I LOVE ROCKN' ROLL』をあたしは知っていた(というか「聴いたことが



ある」というか)。 でも、『チェリー・ボム』は知らなかった。 そんな時間の隙間を



飛び去ってしまったバンド、それがランナウェイズなのか・・・いや、そんなバンドは



他にもたくさんいる。



 時代のあだ花、ってこういうことを言うんだな・・・と無常感たっぷり。



 シェリーとジョーンの友情は、その後どうなったんだろう。



 実話なだけに(この映画の原作はシェリー、プロデュースはジョーン)、そっちの方が



気になります。


posted by かしこん at 03:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月12日

ニュースでたどる海外ドラマ



 ジャック・ケボーキアン氏が亡くなったそうで・・・そういえば彼をアル・パチーノが



演じたドラマ、前にWOWOWで放送したの録画したままだったな、ということで



あわてて見てみた。





死の処方箋〜ジャック・ケボーキアンの真実



 アル・パチーノ、ジョン・グッドマン、スーザン・サランドンとテレビドラマとしても



豪華な顔ぶれ。 死を待つだけの病状の人に、尊厳ある死を自分自身で選べる



ように、という装置を開発したケボーキアン医師は希望する患者に使用させる。



 とはいえ病状を確認し、面接して本人の意思も確かめ、家族の了解も取っている



(希望する患者の98%はまだその段階ではないと断っていると言っていたし、



ある青年には「君はうつ病だから、まずはそれを治してからだ」と伝えている)。 



でもたまたまピューリタン派の検事に目をつけられ、告発されたのが有名になって



しまうきっかけ。 “死の医師(ドクター・デス)”と世論に言われてしまうほどの



あくどさは感じないというか、「尊厳死」と「安楽死」の定義がごっちゃになってるな〜、



と思うのだが、キリスト原理主義が根強いアメリカでは自殺自体が罪だから、それを



助ける医師もまた罪人、ということなのだろう。 歪曲して伝わった報道を信じる



デモ隊には、「僕を殺さないで」というプラカードを持った車いすの少年が・・・。



 「いまは90年代だぞ!」とケボーキアン医師も自宅で怒鳴っていたが、あたしも



びっくりしました。



 でも、身近な人がもう生きる望みがないのに苦しんでいる姿を見たことがある人と



ない人では、考え方が大きくわかれるような気がする・・・。



 ケボーキアン医師はアルメニア出身で動乱の時期に親に連れられてアメリカに



来たそうで、苦しんで死んでいったアルメニアの人々のことが忘れられなくて、そして



尊厳死を当たり前のものとして定着させようとかなり意識的にやっていたと思われる



(だからドクター・デスと呼ばれようとも気にしてないし、より物議を醸すために一線を



越え、第二級殺人罪で有罪にされるのだが)。



 バリー・レビンソンがプロデュースしてただけあって、社会派ドキュメンタリータッチ。



 アル・パチーノのあまりのジジイぶりに驚愕。



 彼を非難する人はまだいるんだろうが、ドラマ自体はかなり彼の主張に好意的と



いうか、理解を示しているように見えた。 誰もがそうしろというわけではない、ただ



そういう選択肢もあっていいだろう、という。



 でも、「尊厳死」という概念、日本では臓器移植よりも抵抗なく受け入れられそうな



気がするんだけど・・・どうなんだろうなぁ。





glee グリー



 NHKでいかにも放送しそうな内容だけれど、吹き替えにするときは登場人物の



鼻歌さえも日本の声優さんに吹き替えさせることで有名なNHKが、歌が主役と



いってもいいこのドラマどう扱うのだろう・・・と思って見たらば、さすがにこれの



“歌の吹替”は無理だったみたいですね。



 高校生活における力関係が無情なまでに描かれるこのドラマ、コメディ前提では



あるけれど、アメリカの教師もこういういじめというか優越感を誇示するような行動を



いちいち注意しないのかな・・・これが自由の国の自己責任?



   シャーベット状アイス入りのグレープソーダを

     顔面にかけられたりします。 寒そうだけど、向こうは湿度が低いのか

     糖分のべたつきのほうが処理が大変らしい。



 いわゆる“負け組”(向こうでは“ナード”でしょうか? “勝ち組”のはずのアメフト部の



選手でもグリークラブに入部すれば負け組扱い。 部活にも序列があるんだな・・・)の



高校生たちが歌うことを通して自分自身の誇りを取り戻していく、という感じであろう



物語(テーマとしては『中学校のときイケてない芸人』にも通じますか?)、その時々の



キャラクターの心情にぴったりの曲がミュージカル風に展開されていくのも面白い。



   ミュージカル苦手人間にもアレルギーの出ない構成。



 それにしてもスー先生(チア部のコーチですげー自己中心的っぽい人物、最初の



ほうは喋り方がかなり頑固な男っぽい)の吹替えをしている野沢由香里さんの実力と



いうかその懐の深さには改めてびっくりです。



 これはリアルタイムにBSプレミアムでわりと見れてます。





デスパレートな妻たち シーズン6



 いやいや、すごいことになってきてますけど・・・な、このシリーズ、もう大人しく



なってもいいんじゃないの、とはいえその騒がしさは衰えず・・・登場人物たちの



パワーがとにかく凄いので、なんだかんだ言いながら見てしまう。 見てしまうと、



つい続きも見てしまう。



 なんで毎回毎回犯罪をちゃんとからませるんだろうか? 郊外に住む人はみんな



誰もが秘密を抱えてるみたいだ(これっていわゆる『昼ドラ』的魅力?)。



 新レギュラー女性の声も勝生真沙子さんとかベテランを起用するので通年



レギュラーとのバランスも損なわれないのが素晴らしい(スーザン役の萬田久子だけは



もうどうしようもないが・・・もはやこっちが慣れてきたよ)。



 次のシーズンにはヴァネッサ・ウィリアムスが加入するそうなので、当然吹替えは



『アグリー・ベティ』のときと同じ五十嵐麗さんにやっていただきたいものです。


ラベル:海外ドラマ
posted by かしこん at 05:57| Comment(0) | TrackBack(0) | WOWOW・CATV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

アメイジング・グレイス/AMAZING GRACE



 なんか微妙に古い感じ・・・と思ったら2006年制作映画でした。 このタイムラグは



ミニシアターの足りなさのせいなのか、配給会社の力のなさなのか、配給権の高騰



なのか、よくわかりませんが・・・それでも遅ればせながらも見られることを感謝しないと



いけないのかもしれません。



   その歌が教えてくれた、愛で歴史を変えられると。



 というか、『アメイジング・グレイス』は古来からある聖歌・讃美歌のひとつだと



思ってました。 実は、奴隷船の船長をしていた過去を悔い神門をくぐった人物



ジョン・ニュートンがその罪を神に許してもらうために作詞したものだったとは・・・



(ということはメロディーは昔からあったのだろうか?)。



 18世紀のイギリスで、奴隷解放の条例を通そうとする若き政治家ウィリアム・



ウィルバーフォース(ヨアン・グリフィズ)を主人公に、彼の友人たち・同じ信条を



もつ同志たちとともに「いかにして奴隷貿易をやめさせるか」に奮闘する姿を描く



伝記映画でありつつ、議会政治を真っ向から描く映画でもありました。



 でもイギリス映画らしく、ちょっとひねった描き方だったけど。



   情熱的で弁も立つウィルバーフォース。



 自然と意識せず動物愛護精神を持っているウィルバーフォースは政治の世界に



進むか得意の歌を活かして芸術の道に、果ては信仰の道に向かうか迷っていたが、



のちに首相になる盟友ピット(ベネディクト・カンバーバッチ)の強い誘いと奴隷貿易の



実態に心を痛め、奴隷法廃止をライフワークとして政界へ。 勿論彼の味方はいるの



だが、奴隷貿易は当時のイギリスの主な収入源であり圧倒的に反対派が多い。



 様々な方法を使い、ちょっとずつ票を切り崩す彼らに、ベテラン議員フォックス卿



(マイケル・ガンボン)が味方についてくれることに。



   マイケル・ガンボン、老獪?な政治家を

      やたらキュートに演じちゃって・・・かっこいいったら。



 と、イギリス演劇・映画界を支える人たちが次々登場で別の意味でわくわくだった。



 協力者として情報をもたらしてくれるトーマス・クラークソン(ルーファス・シーウェル)は



少々まなざしがあやしいが・・・なんか見たことがあると思ったら『ツーリスト』にも出て



ました! 反対派の筆頭議員(キアラン・ハインズ)も『ザ・ライト』でヴァチカン側の



人間で出てた人だ(この前見たイギリスのテレビドラマにも出てたなぁ)。 そして



なにより、ウィルバーフォースの師であり、『アメイジング・グレイス』の作詞者である



人物はアルバート・フィニーだし、奴隷船で連れだされたけれどなんとか働いて身を



立てることができた(?)エキアノという人物を演じるのはあのユッスー・ンドゥール!



 なんなの、この豪華キャスト!



   髪の毛がないから最初わかんなかったよ、

            アルバート・フィニーだということが。



 他にも、やたらフランシス・ベーコンを引用するウィルバーフォースの執事さんとか、



ご主人様に決して文句は言わないけれど実はヒステリー寸前の調理係?さんなど、



魅力的な人物多数。 イギリスの役者の層の厚さを見せつけられる〜。



 まぁ、この映画をもって「イギリスが植民地支配を謝罪した」ということにはならない



んでしょうが、「かつて奴隷解放運動に尽力した人たちがいた」と正面切って語ることも



ちょっと勇気のいることなのかもしれない、と思ったりして(この考え方は自虐史観に



引っ張られてるかな?)。



   当然、奴隷船の実態も調査・・・

    よくわからないけど、小道具もかなり気を遣ってる感じがする。 時代考証大変そう。



 長い話を強引にまとめたんだろうなぁ、というメリハリのなさ・若干の説明不足も



感じますが、でもこの俳優陣を見てるだけで満足だったりする部分もあって。



 ヨアン・グリフィズを今までそんなに意識したことはなかったけれど、この映画では



ちょっと三上博史風な雰囲気で、好きなタイプです!



 そして多数決という議会政治の絶対性を逆手に取った大逆転劇に、議会制民主



主義の皮肉を見る思い。 でもそれも清廉な志を持ち続けたからこそ。



 日本の国会よ・・・こういうところを真似してくれ、と思わずにはいられない。


posted by かしこん at 05:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月10日

岳 −ガク−



 原作の存在は知っていたのですが、そのときには結構な巻数が刊行ずみ・・・



絵柄のタッチがあまり好みではないかも、ということもあってスルーしてました



(主人公の名前が『岳』なのかと思ってたぐらいで)。



 しかし映画となってしまったからにはスルーできず、なんだかんだ言いつつ



雪山好きなので(行きませんよ。 遠くから眺めるのが好きなのです)、しかも



佐々木蔵之介出てるし、ということで行ってみる。



 日本映画でどこまで“山岳遭難救助”が描けるか興味もあったし。



   「また、山へおいでよ!」



 舞台はどうも日本アルプスのようです。 主に北かな?



 人が出てきた瞬間に「あ、こいつ、遭難する!」とわかる親切設計。



 長野県警山岳救助隊がどれほどハードに訓練しようとも、ひとりの山岳救助



ボランティアに太刀打ちできないという都合のよさ(というか悲しさ?)にがっかり。



 多分、原作のほうはちゃんとしてるんだろうな・・・とむしろ原作を読みたくなる



代物でした。



 長野県警交通課に勤務していた久美(長澤まさみ)は志願が実って晴れて山岳



救助隊に配属される。 が、赴任前日にあいさつに行けば「要救助者発見!」の



知らせ。 わけがわからないうちにヘリに乗り込むも、要救助者はボランティアで



ある島崎三歩(小栗旬)が救助していた。



 まず冒頭、雪山用品を片っ端から買いながら携帯で電話、「え〜、女捨ててる



わけじゃないってば〜」と舌足らず口調で喋る久美にがっかり。 女友達との気さくな



会話というつもりの演出なのかもしれないが、久美に対する観客の第一印象が決まる



場面でそれはないでしょう、という感じ。 別に普通に喋っていいじゃないですか。



それがあるから、どうしても久美は最後のほうまで「どこか甘えてる」というイメージが



拭えなくなってしまうので、久美というキャラクターにとっても長澤まさみ本人に



とっても大変マイナスです。



   まぁ、新人とはいえ体力勝負の部署で

     実際にそうではないとしてもあまりに運動音痴っぽく見えるのもいかがなものか。



 三歩くんはおおらかな人柄をあらわすためのゆっくりした喋りなんでしょうけど、



小栗旬だからなのかこれまた演出のせいなのか、バカっぽい・・・天然、という



方向でなくただただバカっぽい。 しかもこの場合のボランティアってどういう



定義なの(お給料発生するの)? 山に住んでる感じですが、身につけてる装備は



一流メーカー品だし、いったいどうやって生活を?(多分そこは気にしてはいけない



ところなんでしょうが、気になりました・・・)



 救助隊隊長(佐々木蔵之介)は責任を伴う判断をびしっと決める役どころですが



(若干キャラが『ハンチョウ』とかぶっていなくもない)、いかんせんそのメガネが



似合わない・・・。



   なんかもったいない・・・

    そして救助隊がどうも機能的に活動しているように見えない・・・



 さらにびっくりなのは、無線で「そこからどれくらいで行ける?」と尋ねられ、



「うーん、40分くらいかなぁ」とあっさり答える三歩くん!



 どんだけ狭い山やねん!



 それとも君はいつもピンポイントにちょうどいい位置にいるのか!



 そしてもう・・・「なんで来たんだよ」という登山者ばかりで(ほら、出てきた瞬間に



遭難するのがわかるからね)、特に父子家庭で子供は小学生なのに北アルプスに



来るとはどんなバカだよ・・・父親に何かあったら息子はどうやって生きていけば



いいのさ!、と怒りがわきあがる(このへんが、子供にユッケを何の疑問も持たずに



食べさせてしまう男親の危機感のなさにも通じるような気がする)。



 そして最後まで甘さの残る久美にも憤りが(いくら非常事態とはいえそんなこと



する技術が君にはあるのか! その覚悟には敬意を表するけれども)。 そこは



あなた死んでおいた方がよかったんじゃないですか?、と思ってしまいましたよ。 



なんか息を吹き返して安易な感動を呼ぶ展開っぽくて安っぽくなった(せっかく



長澤まさみはがんばっているのに。 これは脚本家と監督の責任だな〜)。



 まぁ、山ではとにかく食べることが大事、ということを強調する山小屋の存在



(しかしこの小屋の位置もどのあたりにあるのか微妙にわからないんだけど)と、



おかみさん(市毛良枝)の存在、台詞がほとんどない割にかっこいいところをもって



いくプロのヘリ操縦士(渡部篤郎)がよかったですね。



   サングラスだと老け感がわからないので便利。



 が、エンディングテーマがコブクロで・・・どうも説教くさい感じに(そして国内に



あるほとんどの登山スポーツウェアメーカー全面バックアップ!ってのもわかった)。



 山の風景は美しかったですよ。 結局、それだけか・・・。



 「やっぱり山はいいな〜」っていって、この映画見た人が安易に日本アルプスに



行かないことを祈りたいと思う。


posted by かしこん at 06:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月09日

キッズ・オールライト/THE KIDS ARE ALL RIGHT



 母親が二人、もしくは父親が二人いる家庭、アメリカではそう珍しくないので



あろうか。 それくらい、レズビアンカップルとその二人の子供で構成される



この家庭はごく自然なホームコメディの空気をまとっている。



   なんだかんだでも子供たちはかわいい。



 “同性同士のカップルが家族をつくる”という需要(?)は日本でもあるだろうな・・・



最終的には憲法の改正が必要だろうけど、地方自治体の条例レベルで同性結婚が



可能とかになったら人口減少で困ってる市町村には利点になったりしないだろうか。



ゲイコミュニティをつくるんじゃなくて、普通の街中に溶け込むように(もともとの



歴史?から考えれば日本人は同性愛に寛容だったし、精子バンクを利用するにせよ



養子をとるにせよ、“特殊な家族関係”が普通になればそういうのに対する差別や



いじめは減るはず)。 ゲイの方々にはいろんな仕事をしたりや能力のある人いる



だろうし、町も活性化しないだろうか(まぁ仕事の関係で元の場所を離れられない



場合もあるかもしれないけど、住民票を移すなどすれば税収は上がるし、最終的に



その土地で暮らす算段をすると思うし)。 映画の内容とはまったく関係ないのですが、



衰退する地方出身者としてそんなことを考えてしまいました。



 女同士のカップル、ニック(アネット・ベニング)とジュールス(ジュリアン・ムーア)は



精子バンクから同じ人の精子をもらい、それぞれ姉のジョニ(ミア・ワシコウスカ)と



弟レイザー(ジョシュ・ハッチャーソン)を産む。 ジョニが18歳になったことで、



精子バンクに提供者についての情報を請求できる権利が発生する。 ほんとは



父親について知りたいのはレイザーのほうだったのだが、大学進学のため間もなく



家を出るジョニは弟の意志を尊重し、遺伝子上の父親について問い合わせる。



 本人の同意があれば連絡も会うことも可能、ということで、二人はドナーのポール



(マーク・ラファロ)を訪ねる。 有機野菜をつくり、レストランを経営し、バイクを乗り



回して一人の自由を謳歌するポールに、姉弟は新鮮さを覚えて好感を持つ。 が、



それを知ったニックとジュールスは面白くない。



 そして“家族”なんてものとは縁遠いと思っていたポールは、突然現れた遺伝子上



のみとはいえ“自分の子供たち”に愛情を感じてしまうのだった。



   微妙に気まずいパーティーで。



 ジョニ役のミア・ワシコウスカは『アメリア 永遠の翼』とはまた違う方向ながら



キュートなのは変わらず(こうなるといつも「『アリス・イン・ワンダーランド』の」と



語られてしまうのがかわいそうになる)。 いきなりある程度分別のついている年頃の



子供が現れたら、多分男性はみなコロッといくのではないだろうか(独身主義とかで



あれば余計に)。 だって、育てるの大変な小さい時期は素通りできてるし、家族を



持つ・養う責任とは向かい合わずに済むもの。 いいやつなんだけど、そんな男の



ずるさとちゃっかりしたところをマーク・ラファロはやたら魅力的に表現。 家族唯一の



男であるレイザーが「知りえぬ父性」を求めてしまうのはいたしかたないかと(それ故に



ダメな友だちと付き合ってたけど、ポールと知り合ってからはその友だちのダメさに



自分で気づく。 それだけでもこの出会いは間違いではなかったのでは)。



   基本、みなさんノーメイクですか?



 アネット・ベニングのニックはいかにも“レズビアン一直線”で来た感じのある種の



かたくなさが一目でわかるすごさ(また職業は外科医ということで、一家において



父親的役割を担ってます)。 対してジュリアン・ムーアのジュールスは「実は昔、



男の人と付き合ったこともあるのよね〜」的ゆるさとけだるさが漂っていて、



相変わらず巧いわけです。



   この人の雰囲気、憧れるわ〜。



 「新しい家族のあり方に乾杯!」と盛り上がっちゃうポールと、「なんかこれは



やばい流れかも」と感じてしまうニック。 ある意味、父親の座を奪われるような



気持ち?



 それにしても、レイザーに「なんでああいうとき、男同士のゲイビデオ見るの?」



と聞かれたニックとジュールスが、答えをはぐらかさずに「女同士のって演技って



いうのがわかるから醒めちゃうのよ」と真剣に答えてしまい、「もういいよ、



それ以上聞きたくない!」って怒られるシーンとか、なんか面白い。 男性ならば



「うるさい!」とか「そんなこと聞くな!」と怒鳴ってしまうだろうことも、女性の傾向と



して説明しようとしてしまうところとか、同性愛者も関係なく同じなんだなぁ、みたいな



(女脳の持ち主、と言いかえることも可能でしょうか)。



 そして付き合いが長ければ相手への不満も出るし、認めてほしい気持ちを口に



出すのは相手に負担かしらとストレスがたまるし、女同士であっても男女間と同様に



関係はぎくしゃくするのだ、という当たり前のことにも気づかされる(海外ドラマでは



男同士のゲイカップルはよく出てくるけど、女同士って『Lの世界』とかがっちり



描いたもの以外は少ないからな〜。 そしてせいぜい二人の関係が中心で家族を



つくるとこまでいってないからな〜)。



   いい関係にはなるんだけど・・・

         結局、大人は『責任』という言葉からは逃げられない。



 そして家族の再生へとつながる過程にポールの居場所はなく・・・最後はいいところ



なしでかわいそうになってしまった(それでも、家を出るジョニはポールからの贈り物を



もっていくので、時間をおけばまた会えるんじゃないのかな、という希望は残って、



よかった)。



 THE KIDS ARE ALL RIGHT : 子供たちは大丈夫。



 そう、極端な話、親はなくても子は育つのだ。 だから子供たちは大丈夫。 だが、



大人たちは? そういう話だったのかな〜。



 相変わらず肩とか腕のシミというかそばかすを隠す気もないジュリアン・ムーアの



潔さに、また惚れちゃいますよ。


posted by かしこん at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月08日

積読本減らしキャンペーン続行中・・・D



『ボックス21』/アンデシュ・ルースルンド&ベリエ・ヘルストレム



 引き続きのスウェーデンミステリ。



 タイトルの“ボックス”とはコインロッカーのことでした。



 前作では幼児性愛者の犠牲になる子供たち、今作では男の暴力に苦しめられ、



搾取される女性たち、と『ミレニアム』シリーズにつながる題材・・・それだけ、かの



国はこれらの問題に頭を抱えているのでしょうか(そして似たような問題は日本にも、



他の国にもあるんだろうなぁ、と思わされます)。



   コインロッカーベイビーの話ではなかった。



 経済的に力のない国から若い女性をだまくらかし、不法入国させて売春組織に



売られていく彼女たちのかなしすぎる行く末。



 エーヴェルト・グレーンス警部とスヴェン・スンドクヴィルト警部補のコンビが



主人公という形になったので、前作よりは登場人物の判断がしやすくなりました。



 仲間内のひどい仕打ちを闇に葬るか否か、苦悩するあたりは昨今流行りの警察



小説の流れをくんでます。 しかし二人の気遣いを無にするラスト二行、ほんとに



後味が悪い・・・。 このまま終わるなら許されんぞ!、と絶叫したくなるほど後味が



よくない! 第三作目で言及してほしいなぁ、是非。





『植物はヒトを操る』/いとうせいこう・竹下大学



 いとうさん、最近活動が音楽寄りだよなぁ、と思ってチェックを怠っていたら、



こんなの出てました。 対談本なのでサクッと読めてしまうのが物足りない。



 植物は動物より執念深い、という気がしていたあたし、「植物の死は曖昧で



人間を含む動物とはまったく違う時間を生きているよう」という考えには大いに



賛同します。 そう、植物は自分たちの繁栄のために人間を利用しているのです。



   注は多いが写真がもっとほしかったかな。



 あと、「白は滅びの色」とか(受粉してくれるはずの虫には認識できない色だから)、



平和だった時期の江戸時代はお侍さんが暇だったからアサガオ栽培が盛んになった



とか(つまりその時点で“育種”という考え方があり、品種の多様化を生んでいた)、



西洋人が見てびっくりするくらい園芸は発展していたとか(「斑入り」の葉は西洋人に



とっては失敗作だが、それを面白がる日本人の美意識が輸出され、珍重がられる



今に至っているらしい)。



 だからこそ、『ガーデニング』よりも『ひとつの鉢』のほうに情緒を感じる日本人が



なんとなく多いのではないかしら。



 対談相手はキリンビール出身でペチュニアの新種で世界一になった育種家の方。



 今度はこの方の本を読んでみたいなぁ、と思ってみたり。





『ブラック・ハート』/マイクル・コナリー



 ボッシュシリーズ3作目。 こちら原題は『コンクリート・ブロンド』ですが、



邦題は『ブラック〜』で統一することに決めたのかな?、の迷いがうかがえる



タイトルです(ちなみに4作目は『ラスト・コヨーテ』と原題通りになっております。



路線修正?)。



  



 1作目から語られ続けた、「ボッシュがエリート街道から転落し、ハリウッド署



殺人課に都落ちした『ドールメーカー事件』」の詳細が、犯人(とされた)男の妻が



ボッシュを訴えるという形で裁判で明らかに。 が、そのさなかに『ドールメーカー



事件』と同じ手口の被害者が発見され、ボッシュが射殺した犯人は真犯人では



なかったのか?、という疑惑が浮上(ブロンド美女がコンクリート詰めにされた



遺体で発見されるため、『ドールメーカー事件』以後は『コンクリート・ブロンド



事件』と総称)。



 しかし捜査を進めるにつれ、もっと恐ろしい真実が浮かび上がってくる・・・。



 わりと早めにボッシュは模倣犯を特定するんだけど、「いやいや、その人違うって!



もっとあやしいやついるじゃん!」と言いたくなって仕方がない。



 まぁ、事件は事件でいいんですけど(ここでも被害者は運の悪かった女性ばかり)、



捜査過程でボッシュは一匹狼でいることのマイナス点と、うまくやれば組織は使えると



感じるプラス面と両方に向き合うことになり、ちょっと進歩?



 まぁそれでも裏切られたりするし、けれど許すことで自分の気持ちが楽になること



にも気づき、ちょっと合理主義にも足を踏み入れかねないところまできたかも。



 なるほど、このシリーズはハリー・ボッシュが様々な年代で受けてきたトラウマを



ちょっとずつでも自己に向き合わせ、再生を志そうという試みなんだろうか。 でも、



仕事が殺人課ってのがかなり荒療治な気がしますが。



 そして毎度毎度ハリーが恋に落ちる女性は、自分に似た孤独の影を背負ってる人。



長続きするわけないじゃん!、な組み合わせは、あえて毎回別の女性と出会わせようと



いうハードボイルドジャンルのお約束のためなのかしらん(このへんがあたしがハード



ボイルドに納得できない理由かも)。



 が、三作目にして「意外な犯人!」に力を入れてきた感あり!



 この先、是非ミステリとして楽しみたいなぁ。



 それならばまぁ、ボッシュの苦悩にも付き合ってあげてもよい( ← 何故上から



目線だ・・・)。


posted by かしこん at 04:34| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月07日

アンノウン/UNKNOWN



 本来『身元不明』というタイトルで配給が決まってましたが、大地震の影響で



「このタイトルはよろしくない」ということで“原題=カタカナ”に変更された作品



(何故知っているかというと新作映画情報で『身元不明』で紹介されていたのを



前に見てたから。 『アンノウン』という同じタイトルの別の映画もあって、それは



それで地味ながら面白い作品なんだけど)。 表に出てないだけでも、いろんな



影響が映画界に出たんだろうなぁ、と推測するに映画界は大混乱だった模様。



   結果はこういうことで。



 この週で終わる!、ということで109シネマズHATで見ましたが・・・最初に



「3月11日に発生した・・・」の文言が出て、現実を忘れたくて映画館に行くのに、



最初に現実を突きつけられるのは気が重い(あれ以来いつもなんですけどね)。



 悪気がないことはわかっている、過剰反応し過ぎなあたしの問題なのだ。



 実はリーアム・ニーソンにもあたしは個人的に遺恨がある。 まだそんなに



売れていなかった頃、サム・ライミの『ダークマン』に出て、そこそこヒットしたのに



「アクションスターと思われたくない」と以後のシリーズに出るのを拒否したので



ある(おかげで『ダークマン2』以降のシリーズはサム・ライミが監督を降りたことも



ありしょぼい出来になってしまった。 劇場公開もされずにビデオスルーでしたよ)。



 その後、『マイケル・コリンズ』・『シンドラーのリスト』と演技派の看板をとったにも



かかわらず、ヒット作がなくなってきたら『96時間』に出て・・・アクションスターに



なってるじゃんか!



 というわけで今も微妙な気持ちを引きずっているのだが、話が面白そうなので



見てしまいました。



   空港入国管理にて。 ここまでは

   問題なかったが・・・美人な奥さん、どこかで見たことがある!、と思ったら、

   『MAD MEN』のドン・ドレイパーの奥さん役の人だ!



 学会に出席するため妻とともにベルリンを訪れたマーティン・ハリス(リーアム・



ニーソン)は宿泊するホテルについてから空港にアタッシュケースを忘れたことに



気づく。 チェックインを妻に任せあわててタクシーを拾って空港に向かう途中、



事故に巻き込まれて車ごと川に転落。



   ノンストップ?アクションのはじまり。



 目が覚めたら病院で、4日間昏睡状態だったと知らされる。 身分を示す物を何も



持っていなかったので誰にも連絡ができなかったと医師に言われ、頭も打っており



記憶が混濁した状態にある ― そのうち思い出すだろうが記憶が失われている部分も



あることがわかる。 とにかくマーティン・ハリスという名前と妻リズ(ジャニュアリー・



ジョーンズ)の存在、学会のことを思い出した彼は「妻が心配している」と医師に頼み



こみ、会場に行く許可をもらう。 しかし会場に行くと、妻のはずの彼女は彼のことを



「知らない」と言い、その横にはマーティン・ハリスと名乗る別の男(アイダン・クイン)が



いた・・・という話。



 外国で身分証明書をもたないことがこんなにも心もとないものだとまずはしみじみ



(ハラハラ?)させられる。 記憶の曖昧さがアイデンティティクライシスにつながり、



無意識の迷宮が絡んでくるのかと思いきや(多少絡むんだけど)、マーティンを狙う



存在が早々に出現するのでそっち方向へのハラハラは肩すかし。 しかも連中の



手口がかなり乱暴というか・・・そんなに派手にしたら処理が大変だしすぐばれる



じゃないか、とつっこみたいくらい無茶苦茶である。



 でも、また舞台がベルリンってところが謎めき度を上げているというか、いい雰囲気



出しているのでポイントアップ。



 事故のときに乗っていたタクシーの運転手ジーナ(ダイアン・クルーガー)は彼が



助けられた後で姿を消すのだが、それは彼女がボスニアからの違法移民だから。



また病院でマーティンの担当になった看護師は英語を話せない(多分、彼女も



旧東ドイツ側の弱い立場の人だったのだろうと予測される)が、「何かの助けになる



かも」と人探しをしてくれる人物の連絡先をくれる。 そして訪ねた人物はエルンスト・



ユルゲン(ブルーノ・ガンツ)と名乗るシュタージュ(東ドイツ秘密警察)出身だったり。



   ブルーノ・ガンツ、老けてもかっこいいぞ!



 かつての共産圏の闇のようなもの(それが今のベルリンに実際あるかどうかは



わからないが)を感じさせる緑や青みがかった映像が非常にいい感じなのだった。



 舞台をベルリンに設定したの、大成功ですね!



 で、見ているうちに微妙に積み重なっていく「おや?」の数々が、フランク・ランジェラが



現れた瞬間に確信に変わるのはちょっと爽快。 「出たーっ!、真打登場!」って感じの



フランク・ランジェラ、出番少ないけど強烈な存在感です。 しかも彼とブルーノ・ガンツが



相対する場面の風格というか緊張感というか・・・「もっとこの二人のシーン、伸ばして



くれよ!」って言いたくなるくらい素晴らしい。



   ダイアン・クルーガー嬢ってこんなに

    いい女優さんだったっけ?とびっくり。 というか、やっと顔と名前が一致しました。

    今後要チェック女優だ!



 ラストはそれでいいんかい!、とつっこみたくなる気持ち満載ですが、二人の



おじいさんと二人の美女に免じて許してやってもいいかな、ぐらいの気分にはなる。



 リーアム・ニーソンへの気持ちは・・・まだ微妙だが。


posted by かしこん at 04:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月06日

レッド・バロン/THE RED BARON (DER ROTE BARON)



 ドイツ映画。 大作っぽいのに地味すぎる印象、「いかにも三宮シネフェニックスが



かける映画」のもろタイプじゃないですか、ということで、見る(つまり個人的に掘り出し



物の可能性大、ということで)。 そんなわけで、予備知識ゼロ。 客席は白髪まじりの



男性客ばかり! あたし、最年少?



 で、ドイツ映画だと思ってたんですが・・・タイトルやクレジットの肩書(Directed by



みたいな)が英語・・・台詞も英語だ!(吹替にしては口と動きあってるし、人によって



ドイツ訛りきつかったりきつくなかったり・・・世界配給を視野に入れて、ということなの



かしら?)



 舞台は1916年、第一次大戦中のドイツ。 男爵の子息であることから“バロン”と



呼ばれるドイツ空軍一の操縦の腕を誇るマンフレート・フォン・リヒトホーフェン



(マティアス・シュヴァイクホファー)は飛行機乗りの騎士道精神を語る高潔な男



だった。



   空の上が彼の生きる場所。



 のちにライバルと呼ばれる連合軍のパイロット・ブラウン大佐(ジョセフ・ファインズ)の



機を撃墜するも彼を救出し、看護師ケイト(レナ・ヘディ)に託す。 のち、彼は敵軍の



無敵と呼ばれたパイロットを撃ち落とし、撃墜記録を塗りかえ、自分の愛機を真っ赤に



塗る作戦で“レッド・バロン”と呼ばれる英雄に祭り上げられていく。



 序盤に繰り広げられる複葉機のドッグファイトの高揚感ときたら、誰が誰だか



わからない(知らない役者さんばっかりだし、最初はどっちがドイツでどっちが



連合軍かわからないし)ということもあり、『紅の豚』の最後のほうの空中戦よりも



はるかに盛り上がりました。



   雲海の上を飛んでるんだよねぇ

                     ・・・風防もなしにさ。



 そして、「え、第一次大戦ってこんなに牧歌的だったの?」と思わせる前半は、



あくまで上空からしか地上を見ない(そして貴族階級にある)パイロットである



リヒトホーフェン目線だから。 それでも、仲間は一人ずつじわじわ減っていくのが



せつないですが。



   仲間たちと。

     ところで、“赤い彗星”ってこっからきてるのかしら?(非ガンダム世代なもんで)



 けれど「ドイツ空軍の守り神」として英雄扱いされてからは、弟を同じ隊に入れ



られて宣伝に使われたり(この弟がまた目的のためなら手段を選ばず的な冷酷さを



もっていて、こういうタイプの青年がのちのちナチスになるのかなと思わされた。



ま、めでたくも、彼は兄たちと空中戦を繰り返すことで“騎士道”の意味を知るように



なるのだが)、果ては戦死されては士気にかかわるとドイツ軍の命令により地上



勤務にさせられたり。



   どっかで見たことあると思ったら、

   サラ・コナー(『ターミネーター:サラ・コナークロニクル』の)じゃないか!



 ケイトとの出会いや地上勤務を経て、リヒトフォーヘンは戦場とは騎士道の通じる



場所ではないことを知り苦悩する・・・という展開はお約束なれど、丁寧に描かれて



いるので好感触。 また、彼の相棒というか同志的関係の人物にユダヤ人をもって



くるのも今っぽい(彼は架空の人物だが、同じように従軍したユダヤ人は数多くいた



ようである。 特に仲が悪いとか差別っぽい感じは一切なかった)。



 が、がっかりなのはケイトである。 リヒトフォーヘンと恋仲になるのはいい。



 彼に戦場の現実を思い知らせておきながら、地上勤務になったことをよろこび、



自分のために命を大事にしろみたいなことを言う。 彼は自分一人のしあわせのために



残りの人生を生きられるような立場でも性格でもないのに、それがわからないとは!



(ドイツ人と日本人は気質が似ていると言われるが、すんなり理解できるあたり



確かに似ているのかもしれない)



 リヒトフォーヘンのジンクスであった古いジャケットについて、はっきり台詞にせず



その行方をわからせる演出は粋でよかったなぁ。



   やはり見どころは空中戦。



 スクリーン狭しと飛び回る複葉機、大空に等距離に浮かぶ気球。 後半へ進むごとに



空の戦場も悲惨さを増していくのだが、“飛行機乗り”というロマンチズムは消えない。



 戦争とノスタルジーを一緒にしてはいけないとわかっているが、そういう時代だった



のだということでお許しいただきたい。 なんで日本はこういう(変なイデオロギーに



偏らない)戦争映画、つくれないのかなぁ。



 リヒトフォーフェンの最後の出撃は、25歳のときだったそうである。



 あぁ、なんか切なくて、いい映画だった。


posted by かしこん at 04:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

かつてない注目



 地元の県知事選挙がこんなに全国ニュースで取り上げられたこと、今まで



あったであろうか、というほどの騒ぎになっていて驚いた。



 結果がわかり・・・まぁ、予想通りのものではあるんだけど、全国紙は「原発



推進派勝利」と書いている。



 残念ながら、地方自治・県知事選挙はひとつの論点で決まるほど簡単なもの



ではない(どの選挙もそうだと思うけど・・・『小泉郵政選挙』の弊害ですか?)。



 で、これまでの流れから考えると、首長を公明・共産・社民等から出したことが



ありません(当選できても市町村・県議会レベル)。 「公明とか共産って“出れば



負け”なのによく出続けるな〜」って昔から子供心に思ってました。



 なので公明の地盤ではない!、ということは強く言っておきたい(学会員の方が



いらっしゃらないということではありませんが、他の地域に比べれば少ないという



ことです)。



 実際のところは、「ここしばらくの知事の中で三村氏がいちばんましである」と



県民が思っている、というだけのことです。 まぁ前任者がひどかったんだけど、



そいつが作った借金だいぶ返してくれたみたいだし、県のイメージアップ作戦も



かなりがんばってると思う(それは他県に出たからこそ感じます)。



 他県の人に「原発で何かあったら責任取れ」って言われるのはなんか違う気が



するんだけど・・・じゃあ、今の福島第一原発のことは福島県民のせいなのか?



 というか、ここで青森が仮に原発や核燃料サイクル事業から完全撤退したら、



六ヶ所でとりあえず引き受けている全国からの核のゴミ、どうなるの?



 これは一時の感情論で決めるべきことではない、と思う(まぁ原発利権の闇が



あることは事実らしいが、それはこれからオープンにしていくべきこと)。



 選択肢の中で唯一ましなものを選んだ=原発賛成! 事故の責任も引き受けます!



と受け止めるバカはわざとだよな・・・そんなバカが同じ日本人とは思いたくないが。



 それだけ民主アレルギーが強い、ということでもあるんですよ。



 まぁ、「ちゃんとやってください」と新知事には申し上げます。 戦いは(いろんな



意味で)これからですから。


posted by かしこん at 03:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月05日

鎌塚氏、放り投げる@サンケイホールブリーゼ



 劇作家・演出家の倉持裕さんは「そんなにめちゃくちゃ好き!」というわけでは



ないんですが、目の付けどころはあたしが面白そうと思うところに近い、と最近



感じるようになったので要チェックです。 とはいえ、好きな役者さんが出てないと



行くところまではいきませんが。 今回はラーメンズ・片桐仁くんが出てるのと、



いちばん最初の公演案内情報に「いつしか思いもかけないホラーな展開に」みたいな



ことが書いてあったからだった。 映画よりも演劇でホラーをやるって難しいから。



   のわりに? ポスターがメルヘン??



 羽島伯爵家に仕える執事・鎌塚氏は年齢にともない引退、あとを息子の鎌塚



アカシ(三宅弘城)に託す。 アカシ氏がお城のような羽島家の勤務初日、かつて



別の貴族の家で働いたことのある女中頭・上見ケシキ(ともさかりえ)と意外な再会を



果たす。 羽島家当主(大河内浩)はアカシに父親と約束したことを果たしてほしいと



言うが、アカシはなにも聞かされていなかった。



 羽島家は家柄はよいが実際家計は火の車、成り上がりながら羽振りはいい堂田



男爵夫妻(片桐仁・広岡由里子)から援助を得たいが正面から頭を下げるのはいや



だという。 だったら、堂田夫妻の弱みを握ればいいのでは・・・と一計を案じるアカシ



だが、物事は思った通りにはまったく進まず・・・という話。



   なんか、明るいよなぁ。



 かなりコメディである。 どう見てもコメディである。 堂田夫妻が出てくれば出て



くるほどコメディである。 上映時間が一時間を過ぎ、「ここからどうやってホラーに



持って行くんだ???」とあたしは考え続けた。



 そしてドタバタ度を増しながらコメディはつきすすみ、最後“ちょっといい話”的



しんみりとした叙情を漂わせ、終わった・・・



 え、ホラーはガセネタ?



 それとも最初の宣伝の段階では台本は出来上がっていなかったのか?



 あたしが勝手にホラーの文字を読み間違えたのか?



 なんか、粗探しをするように見ちゃって、すごく損した気分なんですけど・・・。



 携帯電話もある現代で、執事稼業がやっていけるほどお屋敷は多いのかとか、



華族制度廃止されてから何年たったかわからないけど、そういう方たちは今でも



昔の肩書を名乗っているのだろうかとか、そんなしょうもないリアリティーについて



まで考えてしまったじゃないか(そもそもここは日本でいいのか、とか)。



 片桐くんの破壊力は相変わらずだし、広岡由里子さんのぶっ飛びぶりもさすが



です。 羽島家奥様の佐藤直子さんは今までそんな強い印象がなかったんだけど、



強気な中に隠しきれない上品さがあって素敵! 堂田家の執事・宇佐役の玉置



孝匡さんは顔は全然似てないんだけど、“ちょっとダメな小林隆”って感じがした。



三宅くんは杓子定規なほどに真面目にやろうとすればするほど物事がおかしくなり、



それに納得できず苦悩する姿、非常に似合ってて笑えます。



   パンフレット¥800−

      演劇にしては安い方。 おつり200円は募金箱へGO。



 だから“ホラー”って期待しなければ、もっとフラットな状態で楽しめたのになぁ!



 なんか残念だ・・・。


posted by かしこん at 05:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月04日

海幸すし@神戸そごう



 しばらく前に、そごう神戸店の地下の工事中の一角に「新規オープン」の



お知らせがあって、その存在を知った。 北陸のお寿司屋さんらしい。



 結構狭いスペースなんだが・・・カウンターにするのかな?、とか勝手に思って



いましたら、いつの間にか開店していて、普通にテーブル席だったのでびっくり。



こりゃ“相席がデフォルト”ですな。 まぁ、鮨屋に長居するのは粋じゃないから、



ぱっと食べてぱっと帰る、が正しいけど。



   メニューは貫数違いのセットと、ちらし、うな丼のみ。

    多分内容がその日の仕入れによって変わるものと思われます。



 ランチメニューとかではなく、一日中同じメニューとお値段、というのがわかり



やすくていいかも。 しかし、まだ開店して間もないためか、いまいちお店の方が



慣れてない感じ・・・まぁそのうちスピードアップするでしょう。



 ちょうど通りかかったときに「数人待ち」という感じだったので、じゃあわりとすぐ



かな、と思って並んでみました。 が、すぐ食べて帰る人もいる中で食べ終わっても



お喋りを続けて延々と席を立たない人もいる! なので予想よりも待つことになり、



あたしの前に順番待ちをしていた西区在住のおばあさま的な方と仲良く喋ってしまった。



そしてお店の人に連れと間違えられたのであった。



   8貫セット<彩り> かぶす汁付き

        普段¥840−のところオープン価格¥630−



 あたしはワサビが苦手なので「サビ抜き」で注文します。 魚が新鮮なら本来



ワサビはいらん!のです。



 まずはエビの頭や魚のアラで出汁をとっているというお味噌汁、いただきます。



 ちょっとしょっぱいかな、と思ったけどこれがおいしい! アラとはいえ結構身が



ついているので、それも食べ応えあり。 で、おすしのほうはシャリが小振りなので



食べやすく、ぺろりといけちゃいました。 写真で切れてますが、赤いのがのってる



のは白魚で、その隣から時計まわりに甘エビ・太刀魚・マグロ・イカ・アナゴ・



サーモン炙り・たまご、でございます。



 本格江戸前寿司ではないけれど、回転寿司のいいところもとったローカルな



味わいのお店、って感じ? 劇的においしいわけではないけれど、魚介にうるさい



東北人の基準はクリアしています。



 同じメニューを持ち帰りパック販売もしてますが、お値段同じだから・・・お味噌汁



つく分、どうせならイートインしたい感じかな。



 ちなみに西区の方とは結局順番が同じなので同じテーブルに付き、楽しくご一緒



させていただきました。 同じくそごう地下には神戸牛を扱う『大井肉店』のイートインも



あるのだが「この歳だと、お肉はちょっとね〜、という日もあるのよ。 ここ、量も



ちょうどいいし、三宮に出てくる楽しみが増えたわ〜」、とよろこんでおられた。



 なんか、全然知らない人とそんな風に会話して食事もできるようになってる自分にも



ちょっと驚いてみたり(まぁ、相手がいい方だったからだけど)。 思っているよりも



あたし、大人の部分があるのかもしれず。



 ごちそうさまでした。


posted by かしこん at 04:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする