2011年06月30日

ミスター・ノーバディ/MR. NOBODY



 この映画は、あらすじを説明するのがすごく難しい!



   人生の選択には、意味がある



 下手に喋ったらネタバレだし、でも映像で見ないとこの感覚は理解できないし、



「言葉って無力だ―っ!」ってことに気づかされる久し振りの映画。



 そう、“映像でしかできないこと・語れないことをしている”という『映画でなければ



存在できない物語』(多分、これを小説にしたらすごくしょぼいものになるだろう)。



 「とりあえず、これは見てください」としか申し上げられません。



   ジャレット・レト、地味な印象なんだけど

     (顔がどうも誰かに似ているような・・・)、眼力が半端ない。



 主人公ニモ(ジャレット・レト)の人生が寄木細工のように展開されるこの映画。



 たとえば幼なじみの三人の女性と、もしもそれぞれの人生があったら・・・の展開を



台詞としての説明なしで映像だけで切り貼りしていく。 見てる側は混乱しそうなのに、



まったくしない(むしろすんなり理解できる)のは色やモチーフをきっちり押さえることで



わかりやすくしてくれているから。



 人生における選択の組み合わせを考えたら樹状図のようになるんだろうけど、それを



映像で次々に表現してるんですよね〜、しかも美しく。 どれが本当の彼の人生で



どれが本当ではないのか、もしくは全部本当なのか、全部本当ではないのか。 並行



世界なのか、それともすべて空想の産物なのか。



 とにかく、「すごい」です。



 『インセプション』にも通じる巧妙に張り巡らされた伏線、否応なく観客の想像力を



最大限に引き出させる展開。 これって見る側を信頼してないとできない作戦だし、



つくる側も一切妥協しない姿勢を貫かなきゃいけない。



 『八日目』の監督さん(ジャコ・ヴァン・ドルマル)だそうですが・・・すごく幅の広い人



だなぁ。 でもこの映画をつくり上げるのに十数年かかったというのはわかる気がする。



 そして主人公にとっての運命を握る三人の女性がエリース(サラ・ポーリー)、



アンナ(ダイアン・クルーガー)、ジーン(リン・ダン・ファン)で、それぞれがまったく違う



個性を演じている(だからこそストーリーがこんがらがらない要素にもなっている)。



   またもダイアン・クルーガー、好演!

    勢いのある人は出演作が集中するのか?、たまたま日本での公開日が

    近いだけなのか? それでも、大作にも出つつ小規模の作品にも出るという

    姿勢が素敵。



 サラ・ポーリーも好きな女優さんですが(監督もしているというのに)、『スウィート



ヒアアフター』のあの少女なんだよねぇ・・・といつもびっくりさせられる。 そうそう、



ニモの少年時代を演じる男の子たちも顔や雰囲気がジャレット・レトによく似ていて、



突然の場面転換で時代が変わっても違和感なく見られた。



   それもまた“物語の連続性”を助けています。



 それにしても、SFって素晴らしい!



 イマジネーションが映像になることのすごさを再確認。 荒唐無稽のように見える



設定を借りながら、人間の本質に迫るのだから。



 『誰でもない』とはつまり、『誰でもある』ということ。



 ニモの人生における最大の決断、その瞬間のその気持ちを思ったら、不覚にも



泣きそうになってしまった。 その気持ち、すごく、わかる。



 これ、あたしの中で、今年を代表する映画になるかも。


posted by かしこん at 04:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月29日

コメットさんにも華がある/川原泉



 わーい、久し振りの川原泉の新刊だ〜!、と、小躍り。



 なんというか、この人も独特というか、独自の地位を築いているマンガ家だよなぁ、



と思う。 だからもう、一度はまったら抜けられないんですよ。



 『レナード現象には理由がある』に引き続く、超・進学校私立彰英高校シリーズ。



 とはいえ出てくる高校生たちは偏差値85とは関係ないほどにお気楽。



 そう、個人個人で様々な事情を実は抱えていたとしても、川原ワールドの登場人物



たちはみなそれぞれに“お気楽”なのである。 これか、ハマったら抜けられない理由は



これか・・・弱音を吐かないのも世の中を怨まないのも、我慢強いとか意地っ張りだから



とかではなくみなさん「さりげなく気遣いの人」だからだ(しかも本人は気遣いだとか思って



ないところがまた素晴らしい)。



 そんなお気楽な人たちの間で起こる『ボーイ・ミーツ・ガール』物語なれど、恋愛という



言葉はどこにも出てこない。 お互いの気持ちを確かめあったりもしない。 ごく自然に、



当たり前の日常の延長の中にある。 その加減がまた奥ゆかしいのです。



   表紙見てびっくり。 「え、ゾンビ?」



 連作短編方式なので主人公は変わるけど、クラスメイトや先輩後輩の関係で



前作の登場人物も引き続き姿を見せてくれるのもうれしい限り。 まぁ、だんだん



題材が過去の作品に似ているぞとか、今作者が興味のあるものを使ってるな、とか



いう部分もありますが、それがわかるのもまた長年川原作品の読者である証拠!



 タイトル作であり表紙を飾る少女はゾンビ映画が大好きで、「何故ゾンビ好きか」の



理由もまた切ない(そもそもロメロがゾンビ映画作り続ける原動力も、本質的には



“人間嫌い”ですし)。 なんかわかるわー、と共感(しかしその熱意は彼女に完全に



負けているあたしなのだが)。



 そして例によって蘊蓄を通り越した説明も健在で、楽しい。



 今回は化合物としてのペプチドについてと、グレシャムの「悪貨は良貨を駆逐する」の



話と近年ではハイエク氏が「反グレシャムの法則」を提唱しているらしいという補足知識



までいただきます。



 それはもう、「役に立つか立たないかわからない知識なんて持っていてどうする!」に



真っ向から反対する、「無駄な知識などない! 役に立つか立たないかなどという次元で



見るものではない」という静かな主張である。



 あたしはそれに賛同しております。



 基準は“役に立つか立たないか”ではなく、“面白いか面白くないか”のほうが面白いに



決まっているではないか。



   是非、併せて『レナード現象にも理由がある』も読みましょう。



 高偏差値高校の話といえば『バビロンまで何マイル?』もそうですが、川原ワールドでは



偏差値の高さは「サバイバル能力」や「不測の事態に対して素早く順応する能力」や



「知っている断片的な知識をつなげて考えることができる能力」などに変換されている。



 つまり、“真の教養人”への道、なのである。



 あたしの目指したいのはそこなのか? だから、やめられません。


posted by かしこん at 00:54| Comment(2) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月28日

プリンセス トヨトミ



 「あぁ、だから大阪は東京を目の敵にするのか」と納得した一本。



 豊臣秀吉人気が根強い大阪と、江戸幕府を開いた徳川家康が結果的に首都にする



きっかけになった東京では『大坂夏の陣』を境に変わってしまったのだわ〜。



 おバカでショッキングなシーンから幕を開けるけれど、実際の物語は会計検査院から



三人が実地調査のために大阪に派遣されるところから。 一見、なんでもなさそうな



OJOという関連団体がどうもあやしい・・・と密かに調べていた最中、驚くべき事態が



起こり・・・。



   大阪全停止。



 まず登場人物のネーミングからすべては仕掛けられている。 会計検査院の3人、



「鬼の松平(松平元)」(堤真一)・旭ゲンズブール(岡田将生)・「ミラクル鳥居(鳥居



忠子)」(綾瀬はるか)と徳川に関連する名前(旭くんは本来女性のほうがいいんじゃ



ないのかなぁ、と思ったら、原作では旭と鳥居の性別は逆であるらしい。 キャラ的に



綾瀬はるかは鳥居さんのほうがはまっているので、そっちが優先された模様。 尚、



朝日姫‐旭姫と書くものもあり‐は徳川家康の継室であり、豊臣秀吉の実の妹である。



それがハーフという設定につながっているのかなぁ)。



   そんな、三人。



 まぁ、基本的に、おバカ映画でございます。



 出てくる人がみんなあやしい、なにかいわくありげ、となったらこれは『オリエント



急行殺人事件』方式しかないでしょ!



 とはいえ、大阪全停止の割に電気はついているのね、とか、ここまでの大都市に



なっちゃったらそんなこと知らずに住んでる人もいるだろうし、そもそも女系家族は



どうしたらいい?、などとツッコミどころは多々ですが、それは野暮というもの。



   鳥居さん、食べまくり。



 とりあえず登場人物同士のやりとりは面白い。 中井貴一のお好み焼き屋の



おやじ姿、似合わない〜(堤真一と役が逆でもよかったかもしれない。 年齢的な



問題ですか?)。 まぁ面白いんだけど、『鹿男あおによし』的なインパクトには欠ける



かなぁ(玉木宏がにぎやかなたこ焼き屋のにーちゃんとしてサービス出演してます)、



と思ったわけです。 結構な部分を台詞で説明しちゃってるし、息子のトランス



ジェンダーの件は結局放置かい!(これ、三通りに解釈できるんだけど・・・)だし、



ラストシーンのダメ押ししすぎに代表されるようにテレビドラマ的演出が抜けてない



ところもあるし、映画としてはどうなんだ?、という(そしてそもそも話としても「だから



どうなんだ?」と言われたら返す言葉がない感じにも・・・)。



   多分、息子を持つ父は泣く話、だと思う。

   そして父親になにかわだかまりを持ったままの息子にもまた、グッとくる話でもある。



 しかし、“大阪の東京嫌い”についてより考えたときにふと気付いた。



 ここで提示されているのは、『くに』(それは『国家』だったり『国体』だったりする



もの)を、争いごとなくかつ長く続けるための唯一の方法ではないか? そして



日本はその方法でずっと自然にやってきてしまったがために、そのすごさとか忘れて



しまってるんじゃないか? その素晴らしさに気づかないからこそ、その理屈が国際



社会に通じないことが理解できない人が出てきてわけわかんないことになっている



のでは? もしくは、完全に通じないと思い込んでいるために、それを日本側の非と



とらえてしまっているのでは。



 実は、このやり方を世界のロールモデルにすることが、世界平和の近道なのでは?



 うむむむ・・・と、考え込んでしまった。



 「『プリンセストヨトミ』って結局誰のことだったの?」と帰りのエレベーターで言ってた



人がいたが、はっきり描かれなかったのは多分誰でもよかったからだ。



 “象徴としての存在”そのものがはっきりしていれば、それでいい。



 あぁ、見た人のどれくらいが気付いただろう!



 こんなおバカ話の中に「この国はとても素晴らしいんだよ!」という力強いメッセージが



隠されていることに。



 それにうっかり、感動してしまいました。



 ただ、どうしても『画』がテレビサイズなのよねぇ(テレビで見たら「おおっ」と思う



かもしれないけれど、スクリーンではいまいち映えない)。 鈴木雅之監督の弱点は、



そこだと思う(でも『HERO』よりはましになったので成長しているのかもしれない)。



 今後に期待したいところです。


posted by かしこん at 03:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月27日

イリュージョニスト/ L'ILLUSIONNISTE



 ジャック・タチの本名がタチシェフとは知らなかった。



 ほんとに半自伝的作品として書かれたんだろうなぁ(脚本はジャック・タチが



生き別れた娘のために書いたというの幻の作品であるらしい)。



 『ベルヴィル・ランデブー』は人物の絵がちょっと・・・と思って敬遠していましたが、



これは絵柄もジャック・タチ映画っぽかったので見てもいいかな、と。



 しかし配給にジブリがかんでいると知り、なんだか舌打ちしたくなる。 自分でも



気付かないうちに“アンチジブリ派”になっているようです(勿論、世界のすぐれた



アニメーションを日本に広く紹介するのだという趣旨には賛同なんだけど・・・



なんなんでしょう、カネのにおいとか妙な力関係を感じるからでしょうか)。



 さて、映画の舞台は1950年代。



   疲れ切った、楽屋。



 時代遅れの手品師・タチシェフはパリではもう仕事が見つからず、まだ彼の芸が



通じるところ(つまり辺鄙なところ)をめぐる旅に出て、スコットランドの離島に辿り着く。



大成功を収めるタチシェフだが、宿の小間使いアリスはタチシェフをすっかり本物の



魔法使いだと思い込み、彼の次の旅先についてくるのだが・・・という話。



 カラーのアニメーション映画ながら台詞は最小限に削り取られ、ほとんどサイレント



映画のような印象。 タチシェフはフランス人だから英語が微妙で、アリスもスコット



ランド訛りがきついのか会話があまり成立しないところもサイレントな風情の説得力に



なっている(結局、アリスの言葉は日本語字幕でも表わされてなかった気がする)。



 絵も細密ではないけれど終始ノスタルジックな美しさに溢れてる。



   いい雰囲気出てるよね〜。



 だから非常に叙情的なのですが、「世間知らず」といえば聞こえがいいアリスの



図々しさに非常に腹が立つ。 彼は魔法使いなのだからほしいものはなんでもねだって



いい、という思考回路がまずおかしい、ということに気づいて!



 また、彼女を傷つけたくないタチシェフはアルバイトをしてお金をつくり、彼女の夢を



かなえようとする。 マジシャンとしての仕事をせずに、だ。 本末転倒ではないか!



   まずはおしゃれな靴、その次は豪華なコート・・・。



 でもそれを重苦しさなどまったくなく描かれてしまうので、なんかノスタルジーに



騙されちゃうなー、という雰囲気もある。 タチシェフが身を隠すために飛び込んだ



映画館で『ぼくの伯父さん』が上映されているのはわかりやすすぎるオマージュですが、



この物語に出てくる人がいい人ばかりじゃない(完全な悪人というわけではないが、



だいたいの人はこずるさを持っている、という感じ)ってのもジャック・タチっぽかった。



 そして、同じ宿に泊まる大道芸人たちの豊かな個性とその悲哀。



 いつしか芸だけで食べていけなくなる彼らのアルバイト状況とか、面白いんだけど



なんだかせつないのですよね。 でもその感じを押しつけてこないのもいいバランスで。



 まぁ、『街の灯』の伝統にのっとって(?)、手品師の気持ちは報われることなく



アリスは勝手に自分の“幸せ”をつかむわけなんですが、決して二人に恋愛感情が



あったわけではなく、手品師もアリスに厳しい現実を最後には教えるところがまだ多少



観客としては救いがあるかなぁ。



   旅に出てからアリスが働いたのって、

    隣人に頼まれて(材料一切その人持ち)シチューをつくって下宿人の大道芸人

    仲間にふるまっただけのような・・・。 まぁもともと小間使いだから家事らしき

    ことはしてたけど、大概は新しい靴とコートでエディンバラの街をはしゃぎ

    まわってばかりな印象。



 タチシェフにはアリスのことなどとっとと忘れて地元に戻ってほんとの娘と一緒に



暮らしてほしいし、アリスには“生活”という“より厳しい現実”に今まで自分がどれだけ



恵まれてきたか、手品師の好意にどれだけ甘えてきたのか思い知ってほしいものだ、と



考えてしまうあたしは相当ひねくれ者?



 だって彼女がこのまま成長したとして、いつか手品師のようなことを他の人にして



あげられるとは思えないんですもの。 幼さもしくは無知故の無神経さが許せないのは、



あたしはまだ修行が足りん・まだ若いからでしょうか・・・それとも、「自分もかつては



そうだった」という自覚が足りないのでしょうか。



 なんとなく、反省。


posted by かしこん at 04:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月26日

とりぱん 11巻/とりのなん子



 わー、『とりぱん』の新刊が出ている〜!、ということに小躍り。



 「北東北、身の丈ワイルドライフ」がキャッチコピーのこのコミックエッセイ、



具体名は調べていないが作者の住んでいる町は岩手県の県北部(青森県寄り)の



山間部地方だとあたりがついていたので、地震で大きな被害が出た場所ではない



だろうとわかってはいた。 わかってはいたけれど、調べるのが怖かった。



 本屋で『週刊モーニング』の表紙を見ても(紐でくくられているので立ち読みは



できない)、表紙に『とりぱん』の文字がなかったりしたから。 ま、表紙デザインの



都合上、連載作品全部が載るわけじゃないんだけどね。



   しかし実際は、連載は一回も休むことなく続いていたらしい。



 今回の表紙はメジロでございます。



 冒頭のカラーページはまた冬の入口。 次はいきなり『僕の小規模な生活』の



パスティーシュまんが『私の小規模な鳥活』として『僕の小規模な生活』そっくりの



タッチで一話(羽)分まるまるやってしまう器用さは相変わらず。



 えさ台レギュラー陣の鳥たちに加え、10巻から加わった金魚のまるちゃんと



きんちゃんも相変わらずのパワーでネタを提供。 季節は移るけれども変わらない



日常が続くはずだった。 あの日までは。



 あたしの予測通り、作者の住んでいるあたりは「地震が来て大停電になったが、



それほど被害は大きくない」地域だったらしい。 雪が降ってきたのに熱源がなく



(灯油の反射式ストーブや暖炉があるところは使っていたらしいが、余震のことを



考えると反射式ストーブもあまりおすすめできない)、そもそも電気がないので



夜は真っ暗、携帯電話も何もつながらない。 人は文明の利器を失うとなんと



ちっぽけな存在かと、“孤独”を思い知ったと。



 そして翌日電気が通って、テレビで初めて被害の大きさを知り言葉を失う・・・



それはあたしの実家の人たちや、地元の友達が体験したこととして聞いたことと



まったく同じだった。



 作者は冷静に描いている。 悲惨さも深刻さも最小限にして。



 けれどあたしは涙が止まらなかった。



 今でもあたしは思っている。 地震を体験できる場所にいればよかったと。 津波で



行方不明になった人と代わってあげられたらいいのに、と。 5年先・10年先に白血病に



なっても構わないから生きたい人の代わりに放射能を浴びる場所に行きたい、と。



 感情論です、わかっています。 けれど東北の復興の先が見えないままでは、



あたしは自分の人生の先を考えることができない。 あの日から、あたしの心は



東北に置き去りなのだ。



 それでも東北は全滅したわけじゃない、美しさはあの日のあとにもちゃんとありますよ、



と、このマンガは教えてくれる。 だからそれをはげみに、あたしももう少し生きようと



思った。 ダメダメな政府がどんなことをしてくるのか、とにかく見届けなくてはね!



 多分関係なく、地元の人たちがなすべきことをしていくんだと思うけど。


posted by かしこん at 06:53| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

マーラー 君に捧げるアダージョ/MAHLER AUF DER COUCH



 正統派のドイツ映画なのかなと思ったら、意外にもトリッキーなつくり。



 オープニングクレジットもちょっと洒落てるし、テロップで<起こったことは史実、



どう起こったかは創作>と最初に断言してしまうのもいい。



 グスタフ・マーラー(ヨハネス・ジルバーシュナイダー)は神経症に悩まされ、



先進的な治療をしていると評判のドクター・フロイトを訪ねる。 「あなたの苦しみは



若い奥さんを満足されられてないと感じているからだ」とずばりと言われて立腹した



マーラーは席を立ち、街を彷徨するがついにフロイトに妻・アルマ(バルバラ・



ロマーナー)との日々を語り始める・・・という話。



   おじさん二人。 右:フロイト、左:マーラー。



 マーラーとフロイトって同時代人なんだ!、ということにびっくりです(あたしは歴史の



年表的なものに弱くて)。 で、邦題はいかにも音楽に絡んだ壮大なラブロマンス的な



感じだけど、原題を直訳すれば『カウチに横たわるマーラー』ってところ?



 若干、看板に偽りありかも・・・。



 マーラーが語り始める妻アルマ(バルバラ・ロマーナー)は年下男との浮気をやめない



奔放な女。 だが実は・・・そこにはこの二人だけに通じる“夫婦の本質”が隠されていた、



という話。



 意外にも音楽家としてのマーラーを描いた部分は非常に少なく(音楽としては使われて



いるけれども)、人間関係重視な話。 しかも合間にアルマの母とかにインタビューした



みたいな映像が挟み込まれ、ちょっとドキュメンタリータッチ?! 時代モノでこういうの、



面白いと思いました(笑えるポイントもあるし)。



   アルマは当時の社交界の華。

     クリムトのモデルをやって迫られたりするも軽くいなしていた。 アルマを

     描いたクリムトの絵はその後、アルマの部屋の壁に飾られることになる。



 アルマもまた、ピアノを弾き自分で作曲もする人。 そしてやっぱり出てくる対位法。



この感じ、『ナンネル・モーツァルト』と一緒だぞ、と思っていたら・・・マーラーは「趣味で



ピアノを弾くぶんには構わないが結婚するならマーラーの妻としての義務を全うせよ



(つまり「作曲」はやめろ)」と言うようなやつで。



   しかもプロポーズの言葉、なし。

     出会った瞬間から結婚することに決めてました、的な態度は何様ですか!

     しかもアルマが反対するとはこれっぽっちも思っていない・・・19歳も年上の

     くせに、ちょっとは遠慮というものを知れ。 それとも「自分は天下のグスタフ・

     マーラー」だからなんでも許されると?



 まぁ、やっぱりそういう時代だったからかもしれないけれど、結婚前は「素晴らしい



才能だ」とか言っておきながらそれはなに!、である。 しかしこんな自信満々な



態度も、自らの年齢の衰えとともに失われていくわけですね・・・哀れだ。



   それでも、アルマは彼を愛していたようである。



 愛するが故に相手のために献身的に尽くしたい気持ちと、自分自身の内側から



あふれる「自分の音楽をやりたい」という衝動の両方に引き裂かれるアルマの姿は



とてもわかりやすいのに、男性から見たら全然わからないのね・・・という「偉人と



いえども実は情けない男です」なシリーズにカウントされちゃうかも。



 『君に捧げるアダージョ』の“君”とはグスタフ・マーラーのほうだったのではないか。



アルマがどれほどの犠牲を払ったか(悪妻と思われる部分も含めて)、彼は本当に



その愛の深さを理解したのだろうか。



 女の忍耐ってすごいわぁ(でも一度見限っちゃうと切りかえ早いけどね)、としみじみ。



 驚いたことに監督は『バグダッド・カフェ』の方だそうで・・・恋愛を一筋縄では描かない



ところは共通してる部分あるかも


posted by かしこん at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月25日

アジャストメント/THE ADJUSTMENT BUREAU



 フィリップ・K・ディック作品の映画化といえば、傑作かダメダメかどっちかな



気がする・・・そしてその勝率はスティーヴン・キング作品にも近いかも。



 だからきっとダメなほうだろうなぁ、と思って見た(この態度が我ながらいかんの



だと思う)。



 下院議員のデヴィッド・ノリス(マット・デイモン)は上院に立候補し、その好感度で



当選をほぼ確実なものにしていたのだが、うっかりな恥さらしによって落選する。



 傷心の彼は偶然出会ったエキセントリックな美女エリース(エミリー・ブラント)に



はげまされ、意外性に満ちた落選演説を行ったことでまた好感度アップにつながる。



   運命の出会いは男子トイレで。



 またエリースに会いたいと願うデヴィッドに、再びの偶然が。 しかしそれは本来



「あってはならない再会」で、緊急事態の修正のため『運命調整局』の局員たちが



介入する。



   ネタばらしのあげく「彼女にはもう

    会うな」と言われるが・・・、デヴィッドはそんなことはお構いなし、エリースに

    再会するために猪突猛進を繰り返すのだった。



 そう、「ただの偶然」・「たまたまの出来事」と誰もが思っていたことは、すべて



ひとりひとりの“運命地図”により、運命調整局に厳重に管理されているのだった



・・・って、これ、本来大オチのネタなんじゃないの? 序盤でばらしちゃって



大丈夫?、と別の意味でハラハラする。



 そんなわけで“上の人”の指示により人間を正しい方向へ導くために努力する



ダークグレー系地味スーツのみなさんが、だんだんいじましくなってくる不思議



(エンドロールには地味系スーツブランド名が並んでいて爆笑)。



   調整局のみなさん(手前がハリー)。



 SFスリラー系かと思いきや、実はラブストーリーという「看板に偽りあり」な宣伝は



よろしくないのでは? でも“純愛”で売るにはエリースはいわゆるツンデレキャラと



いうか、わりと毒舌の皮肉屋なのでちょっと無理(それでも彼女を忘れられないという



デヴィッドはMの人か?)。 とかいろいろなことを考えてしまいますな。



 なんでも“どこでもドア”と化す映像のたたみかける感じとか、ダークグレーの



スーツの人たちが沢山いる(MIBならぬMIG?)どこかマグリットを思い出させる



シュールな光景とか、好きな部分もあるんですけど・・・それが全体の評価に繋がらない



のが残念。 というか困ったちゃんなデヴィッドにほだされちゃう親切すぎる調整局の



ハリー(アンソニー・マッキー)とか、“上の人”とかのせいで他の調整局の人たちが



とにかく不憫・・・(あんなに苦労させといてこれかよ、的な)。



   せっかくテレンス・スタンプ出てるのに!

      あたしは『私家版』の彼が大好きなのですが、最近の出演作は微妙な役が

      多い・・・もっと彼のよさを活かしてほしい!



 あーあ、リチャードソン(ジョン・スラッティー)やトンプソン(テレンス・スタンプ)は



働き損かい! 努力が報われない人って、いるもんですよね。



 と、すっかりMIGのみなさまに同情。



 ただ、なかなかエリースに会えないことにキレたデヴィッドが「君には感情がない



のか!」と叫ばれたハリー、「あるが、流されないだけだ」とシンプルに答えたところは



かっこよかった。



 “上の人”=“神”とか考えずに楽しむのが日本人としては気楽な方法だと思う。



 それにしても、アメリカではマット・デイモンタイプが好ましい“若き政治家像”なん



ですかね・・・そっちの方が興味深いかもな〜。


posted by かしこん at 18:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

業務連絡!



 えー、本日一般発売だった今年のシティボーイズライヴ。



 無事、梅田芸術劇場の先行予約で大阪公演楽日夜公演をゲット!



 (もう、このために年会費を払っているといっても過言ではないよ・・・)



 真ん中からややきたろうさん側の、4列目でございました。 こんないい席、久し振り!



   『動かない蟻』



 今回から新しい演出家ということで・・・ポスターイメージもよりシュールになりました。



一瞬、蟻というより蜘蛛に見えたよ・・・(特に足首にいるやつ)。



 昨年は大阪公演を飛ばされたので、今年は大阪優先の日程になっている気がする



・・・逆に、東京公演派の人は大変じゃないだろうか(会場も世田谷パブリックシアターに



なってるし)、と地方から東京に見に行く人のことを考えると少々心苦しいのでありますが。



 それにしても、今年は9月か・・・また季節感がずれていく。







 “ピーター・フォーク氏、死去”のニュースが携帯電話の帯ニュースで流れて、



「ついにこの日が来たか・・・」と落ち込む。 アルツハイマーだとかいう話が何年か



前から出てたし、ずっと新作見てなかったから「いつかは・・・」と覚悟はしていたんだ



けれど。 でも、事実としてはっきり目の前に突きつけられるのとはまた別の話。



 『刑事コロンボ』が大好きだった! マイベストワンは『祝砲の挽歌』です。



 でも、演じるピーター・フォークも好きだったんだよなぁ。 彼がいたから、当時



地元ではまったくなかった“ミニシアター系映画”の『ベルリン・天使の詩』の特別限定



上映会(夜1回・1週間のみ)に出かけたのだ〜。 N子さん、覚えてるよね!



 今はなき東映の映画館でした。 東京でロングランの記録つくって、いいだけ話題に



なってからの公開だったんだけれど、地元ではそれくらいにならないと客が入らないと



いう判断だったんだろう(実際、そこそこお客の入りはよかった印象が)。



 でも、これがあたしの“ミニシアター系映画”の原体験で、それが今につながってる



んだなぁと思うと・・・



 当時はレンタルビデオ全盛期でもあり、彼を見たさに『グレート・レース』、『あきれた



あきれた大作戦』、『ブリンクス』、『名探偵登場』といった昔の映画を手にしたんだよなぁ。



多分そういうきっかけがなければ見ることのなかった映画であり、でも見たことによって



往年の大スターだったり、その後再評価される役者の若き日を記憶にとどめることが



できたわけで。 ある意味、映画というものの世界を広げてくれた恩人、かもしれず。



 かつて石黒賢主演の『人間の証明』のドラマを録画したビデオテープは実家に保管



してあるよ!(当時、「製作費の何割がピーター・フォークのギャラ」などと陰口?を



叩かれていたがそんなこと知るか)



 地デジ対応にしての再放送をフジテレビに望む。



 『刑事コロンボ』が今でもCS放送で人気コンテンツであるように、ピーター・フォークの



“名優ぶり”もまた永遠である。



 R.I.P.



 なれど、だから彼は生き続けるのだ、スクリーンの中で。


posted by かしこん at 13:34| Comment(0) | TrackBack(0) | シティーボーイズ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月24日

手塚治虫のブッダ 赤い砂漠よ!美しく



 あぁ、なんかやっちゃったよ・・・と冒頭部分でイスからずり落ちそうになる。



 手塚ファンの妹からはすでに公開前から「あれはダメだろ」という警告が来ていた



のだが・・・でも堺雅人がいるんですもの・・・仕方ないじゃん。



 だから覚悟はしていたのだが、それにしても・・・という残念すぎる出来。



   ポスターイメージ。



 2500年前、シャカ国とコーサラ国は交戦状態にあった。 ある日、シャカ国に



「世界の王になる」と予言された王子シッタールダが生まれる。 一方、スードラという



低い身分故に奴隷となっている少年チャプラは母親と平和に暮らしたいがため、高い



身分ほしさにコーサラ国の将軍を瀕死のところで救う。



   チャプラ少年時代。



 何不自由ない生活の中でわずかに生まれた疑問を膨らましていくシッタールダと、



将軍の養子として決死の努力で頭角を現していくチャプラ。 そのためには命も懸ける。



   チャプラ青年時代で声が堺雅人と交代。



 シッタールダ初陣の日、チャプラも敵軍の指揮官として戦場に立つ。 ついに二人の



運命が交錯するが・・・という大変ドラマティックなストーリー展開なのに、なんでこんなに



盛り上がらないのか?



 そもそもタイトルの『赤い砂漠』もなんのことやら・・・みたいな。



 おまけにシッタールダもチャプラも少年時代は普通にうまい声優さんがやっていて、



「これ、成長したからって声の人変える必要なくない?」と思ってしまうていたらく。



 いや、欲目じゃなく堺雅人は結構頑張っていたとは思うよ! いつも気を張ってなきゃ



いけない役だから怒鳴る&声を張る場面が多かったのでそれにも救われたかと。



 しかし吉岡くんは・・・カリスマ性を声から感じ取れません(今後変わるのかもしれない



けれど・・・でもキャラが“へっぽこ王子”なんだよねぇ。 まだ萩原聖人のほうがよかった



かも)。 そして最大のミスキャストはシッタールダの父スッドーダナ王(二十六世観世



宗家・観世清和)。 能の方だけあって、声の質はいいんですが・・・いかんせん棒読み



・・・どんなに偉い方でも、練習はしてもらってください!



   父王と王子、会話なさすぎ!



 しかもこれ、東映アニメ60周年記念作品だそうで・・・言われてみれば東映マンガ祭で



子供の頃からお世話になりました(昔はテレビアニメの寄せ集め劇場版だけでなく、



世界名作の長編アニメもあったのです)。 そういう長い歴史を持っているというのに、



ところどころで「なんじゃこりゃ?」というほどクオリティの低い作画がある(最近アニメを



見ていない素人のあたしでもわかるということは相当です。 その旨、妹に告げれば



「納期の問題じゃね?」という返事が・・・しかしそれでOK出したんだから、それは監督の



責任ではないだろうか)。



 さらに問題なのはチャプラの母とナレーションを吉永小百合が担当していること。



 これは同一人物なのか別の存在なのかが不明なため、チャプラの母が知りえないこと



までナレーションすることに違和感が(おまけに15年たってもチャプラの母は外見が



変わらず・・・さすがにそれは無理があるでしょ)。



 そもそもシッタールダの苦悩が非常に薄っぺらくしか描かれていないので、チャプラとの



邂逅シーンで“彼のオーラにチャプラ、ビビる”、という最大の見せ場もなんかチャプラが



勝手にひとりでおののいてるだけにしか見えないし(ここの作画も最悪)。



   「なんだこのすがすがしいオーラは!」



 すいません、なんか笑っちゃいました(しかも、苦笑)。



 「どうしてものしあがりたい」というチャプラの動機の必然性も薄いというか真に



迫ってこないのよね・・・母親のためなのか権力欲に取りつかれたのか、果ては



世の中の仕組みそのものを変えたいと思ったのか。 その過程が描かれていないので、



彼の気持ちがわからない。 だからせっかくの見せどころ(本来号泣場面のはず!)も、



「あらー・・・」って感じで通り過ぎてしまう。



 シッタールダの解脱場面もあっさりしすぎ!



 まぁ、あたしも考えが変わってきたのかもしれないんだけど、身近な人も幸せに



できない人間が大勢を幸せにできるとは思えなくなってきたんですよね〜。 だから



周囲に理解を求めず(本人としては理解してもらえないから、ということなんだろうけど



わかってもらうための努力が足りないように見える)、いきなり出家なんて自分勝手



だぞ!、と映ってしまうのでした。 それもまた、必要なことが飛ばされているから。



 そもそもこの映画の対象はどこなのだろう。 子供向けにしては説明不足すぎるし



(シッタールダよりも謎の存在・タッタのことはほったらかしすぎだぜ!)、その割に



戦の場面の残酷描写は容赦ない。 大人向けならば人物描写が甘すぎる。



 しかも「何故そこで!」という中途半端なところで終わり・・・なんと三部作なのだそう



である。 チャプラはもう出ないので、2部以降は見ないと思います。



 エンドロールにずらりと並んだ仏教団体の名前・・・これか、これだけのスポンサーが



あるからのんきにつくっていられるのか・・・“アニメーションの東映”も落ちぶれたなぁ、



がっかり。 そんなんだからジブリのひとり勝ちを許してしまうんだぞ!、といろいろ



関係ないことを含めて、少々立腹気味です。


posted by かしこん at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月23日

憧れの“少女マンガ家”の実像に迫る



 ふらりと寄った紀伊國屋で、「あぁ、読んでみたいなぁ」と思っていた本を見つける。



   数寄です!壱/山下和美



 建築家だが能楽堂の構造を研究したりして、お茶室をつくりたい!・数寄屋造りの



家を建てたい!、という若者と知り合った筆者が、長年胸にくすぶっていた「和の家に



住みたい」心に火をつけられ、日常の仕事と並行しながら「数寄屋造りの家に住む



ためには、それにふさわしい教養や所作を身につけなければ!」と一念発起した



日々を綴るエッセイ。 が、それが普通のハウツー本とはまったく遠い位置にある、



というのが本書の読みどころ。



 「19歳でデビューしてからマンガしか描いてないので、社会的経験値ゼロ」を



自認する筆者の過去の数々の失敗がセラピーのように書き起こされている(途中



から筆者も「これはセラピーだ」と開き直られたご様子)。 だから「えっ、そんなことも



書いちゃっていいの?!」というほどに赤裸々な現状のぶっちゃけ話(過去のうっかり



やら、断るのが苦手なために銀行がすすめる投資信託にOK出してしまったばかりに



実は今はお金がない・・・とか)が展開してハラハラドキドキです。



 あたし自身もどちらかといえば“うっかり派”のほうなので(自分の興味ある範囲は



詳しいが、興味のないことには一切無頓着)、他人事とは思えない部分もありで。



ただあたし自身はお金がない上、博才もくじ運もないので労働以外でお金を手に



入れようと思わない感覚が徹底しているため、痛い目に遭ってないだけですから。



 交渉上手な若き建築家、住宅メーカーに勤める義兄などの協力者を得て、筆者は



正しき数寄者となって数寄屋を手に入れられるのか!



  ※ 数寄者:「すきもの」ではなく「すきしゃ」と読むのが正しい、らしい。



 家が建つまでこの企画(つまり連載 → 単行本)は続くそうなので・・・続巻が大変



楽しみでございます。



 あと、「うわっ、予想外のもの見つけちゃったよ!」パターン。



   一瞬と永遠と/萩尾望都



 これはマンガではなく、文章のエッセイ集。



 萩尾望都はあたしがマンガを読み始めたときにはすでに“他に追随する者のいない



少女マンガ界のトップランナー”であったし、それは今も変わらないんだけど、あたし



自身が歳を重ねるごとに『萩尾望都』の偉大さがしみじみと理解できるようになって



きたというか・・・同じところに住んでいる人に「少年マンガにおける高橋留美子みたいな



存在?」と言われたが、まったく土俵が違うのではないかと思った(しかし高橋留美子が



どういう存在なのかあたしにはよくわからないので「むむむ」と答えるのが精一杯であった)。



 唯一無二の存在を、誰かと比較することなどできようか。



 ハードカバーなので迷ったのだが、ぱらっと目次をめくったら“食卓にはブラッドベリの



幸福を”の文字があったので購入決定! 帯によれば「萩尾望都があこがれ、求める



ものたち」について書かれているらしい。 つまりそれは幼き日々についての回想も



含まれるであろう。



 憧れる人が好きなものについて語るのを聴くことは、単純にうれしい。



 ましてそこに自分が好きなものも出てくれば更に、である。



 ハードカバーは買わないようにしていたが、これは別である。







 追記:夜中にゴミを出しに外に出たら、街がすっぽりと霧に包まれていた・・・

    ここはロンドンか! つまりそれだけ、湿気が多いということです。

    あぁ、げんなり。

    でもまだ昼と夜の温度差があるからこそのこの現象・・・そのうち、夜中でも

    サウナと変わらない日がやってくるんだろうな・・・


posted by かしこん at 04:32| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月22日

おくりものてぬぐい@サルビア



 暑くなってきました。



 というか、湿気に耐えられない北東北人のあたしは気温云々の前に高い湿度で



まずダウンする。 そして緯度の違いは太陽の角度の違いを生み、ただでさえ



皮膚タイプTのあたしはすぐ日焼けをする。



 というわけで、暑いのに長袖・帽子・UVカット&汗取り用途のストールは必需品、



毎年数が増えている。



 個人的にはインド綿のストールが好きなのだが、何故か最近いいものに当たらない。



そこでふと気づく。 “手拭い”、いいんじゃない?



 ってことでストール代わりになる手拭い、ちょっと見つけました。



   その名も、「おくりものてぬぐい」。

      油紙の封筒に説明書きが添えられて入っている。



 徳島産本藍を使用の純国産。 そこでは模様が三種類、一種類に対して色の



バリエーションが三種類、と計9種類があって・・・悩む。



 で、結局これにした。



   “こもれび(藍×空)”、何故かポストカード付き。



 これで半分に折った状態ですが・・・こもれびなのか・・・あたしはてっきりサンゴ



だとばかり。



 本藍は使う前にしっかり洗っておかないと色移りするはず、と思ったときにふと



いたずら心が芽生え、そこそこ使ってる白いタオルと一緒に洗っちゃえ!(そしたら



ぼんやり薄くて青いタオルができるかなぁ、と) ・・・しかし、タオルは白のままだった。



 ちょっと、残念。



 しかしありがちなことに両端が切りっぱなし!



 糸がほつれやすいよ、気をつけねば・・・。


posted by かしこん at 02:34| Comment(2) | TrackBack(0) | 趣味・小物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月21日

ジュリエットからの手紙/LETTERS TO JULIET



 原題から、ずっと『ジュリエットへの手紙』だとタイトルを思い込んでいた・・・



シネリーブル神戸のカウンターでびっくり、です。



   50年分の愛とともに、あなたに会いに来ました。



 NYタイムスの事実調査員をしているソフィー(アマンダ・セイフライド)はほんとは



記者になりたいのだがチャンスをつかめずにいる。 そんな折、婚約者のヴィクター



(ガエル・ガルシア・ベルナル)と休暇を利用してハネムーンの予行演習でイタリアに



行くことに。 ヴィクターはイタリアンレストランの開店準備真っ最中で、食材の



仕入れ先を探すためでもあるため行き先はチーズ工場やハム工場、ワインセラーなど。



 ロマンティックに浸りたいソフィーはいささかおかんむりで、ひとりで訪れた場所は



『ロミオとジュリエット』のジュリエットの生家として世界中からジュリエット宛に恋の



悩みをつづる手紙が届けられる場所だった。



 その手紙を集める女性を尾行したソフィーは、“ジュリエットの秘書”という名の



ボランティア団体がそれらの手紙に返事を書いていることを知る。



 「ニューヨークからきた記者なのね」と勘違いされたソフィーは自分でも返事を



書かせてほしいと願い出て、石積みレンガの隙間にあった50年前の手紙を見つけて



返事を書く。 すると数日後、ひとりの若い男性が怒鳴り込んできたのだった。



 「祖母にあんな手紙を書いたのは誰だ!」と。



 ジュリエットからの返事に触発された祖母クレア(ヴァネッサ・レッドグレーヴ)は



一念発起、50年前約束した相手ロレンツォを探しに来たのだ。



 と、イタリア・ヴェローナの美しい風景とロマンティックな物語、と大変わかりやすい



展開になっておりますが、それが“よくある話”で終わらないのがヴァネッサ・レッド



グレーヴの気品ある演技である。 探し出して謝りたいの、と強い意志を感じさせて



反対する孫チャーリー(クリストファー・イーガン)を言い負かしてまで来たのに、いざ



「もしかしたらこの先にロレンツォがいるのかも」と感じた瞬間、急に臆病になってしまう



乙女な風情といい、女性の美しさ・かわいらしさには年齢関係ないよ!、と感服です。



   70代と言われても・・・美しいわ。



 それに対してアマンダ・セイフライドさん(媒体によっては「サイフリッド」と書かれる



こともあり)、若いのに何故『マンマ・ミーア!』同様婚約者のいる役ばかり・・・美人で



スタイルもよいのだが、清純派キャラが似合わないのかしら(あたしも最初に見たのは



『ヴェロニカ・マーズ』の小悪魔リリーだったから)。 あやしげな魅力を放つキャラの



ほうが似合う人なのかも。



 加えてソフィーというこのキャラクターが非常に残念な人物で・・・いくら婚約中の



旅行だとはいえ、イタリアンのシェフが食材の宝庫を前にして仕事を忘れろなんて



無理な話。 そこを理解してこその婚約者ではないのか?(というかそういうのを



一緒に楽しめないようなら今後の長い人生も楽しめないような気が・・・)



 こういう人って自分の仕事が順調になったら相手の理解が得られないことに怒り



出したり勝手に失望したりするんだよなぁ(と思ったら後半ほんとにそういう展開に



なるので苦笑するしかなく。 ま、途中でソフィーが食べ物を大事にしない描写が



あるので、シェフとは根本的に合わないと感じさせられるのであるが)。



 ラブストーリーのヒロインとして観客(この場合あたしですが)の共感を得られない



のは非常に痛いと思う(国民性の問題だけでなく、それとも共感を抱く女性のほうが



多いのかしら・・・恋愛実践面では少数派だという自覚があるのでそれはそれで



心配です)。



   だってちゃんろお土産も買ってくるし、

    起こった出来事話すし、存在を忘れず気にかけてくれているではないか。

    しかし、婚約直後ではそれくらいでは満足できないということかもね・・・若いってこと?



 それに対してチャーリーは実に女性にとって都合のいいキャラクターで、面白みに



欠ける!



 なのでこの映画の素晴らしさはすべてヴァネッサ・レッドグレーヴのおかげといっても



過言ではない。 そしてあたしなら単純なおぼっちゃまよりも、仕事に誇りを持つ



イタリアンのシェフのほうを選ぶぜ(まぁ、ガエルのほうが好みってこともありますし、



おいしいイタリアンが食べたいので)。



 むしろ“ジュリエットの秘書”たちをメインにした物語が見たくなってしまったんですけど。



 むむむ、不完全燃焼・・・。


posted by かしこん at 07:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月20日

積読本減らしキャンペーン続行中・・・E



『アイガー・サンクション』/トレヴェニアン



 『サトリ』に入る前に何故かこっちに手を出してしまった・・・。



 ジョナサン・ヘムロックは大学教授で美術鑑定家、そして登山家でもある凄腕の



パートタイム殺し屋。 この設定でもう『シブミ』要素ばっちり! しかしジョナサンは



ニコライのような精神修行が足りないので、気に入った女にうっかり騙されるなどと



いう読み手でもすぐわかる失敗をしたりする。 まぁ、そこが人間的?



 まぁこれがトレヴェニアンのデビュー作だそうなので、ヘムロックのキャラクター



造形をより掘り下げて、ニコライ・ヘルが生まれたのかもしれませんね。



   クリント・イーストウッド主演で映画になってるそうで

                            ・・・それを意識した表紙かしら?



 タイトルの“アイガー”は勿論“アイガー北壁”を指す(なので読みたくなった



わけで)。 とはいえ前半はジョナサンの生活環境・何故パートタイムの殺し屋を



やっているのかなどの紹介で(当然、そこは説明でありながらも面白いわけですが)、



アイガーに行くのはラスト1/4、しかも北壁踏破過程描写はさらに最後、という



引っ張りまくりの作品ですが、映画『アイガー北壁』を見ていたおかげでメンバーが



ルートを話し合う際に出てくる言葉にその光景が浮かぶし、“アイガーバード”と



文中で揶揄される口さがない成金の見物人たちへの嫌悪感にも同調できます。



 しかし、そもそもアイガー北壁をのぼりながら同じパーティの中で自分の標的を



探してしとめようなんて無茶な話なのですが、それを無茶と感じさせない筋運びが



素晴らしい。 さすがに古い作品なのでオチは読めますが、でも面白かったなぁ。



 そうか、雪山が舞台のアクション小説ってジャンルもあるわけか、とちょっと開眼



(これはスパイスリラー・ハードボイルドというジャンルらしいが)。





『おれの中の殺し屋』/ジム・トンプソン



 50年代が舞台だとは思っていたが、なんと書かれたのも1952年だった・・・



その中で人格障害、ソシオパスを一人称で書く・・・すげー。



 そりゃ、スティーヴン・キングも手放しの賛辞を解説に書くわなぁ、と納得。



 映画『キラー・インサイド・ミー』で気になったところを確認したかったのですが、



なんと映画はかなり原作に忠実だったんですね! それもびっくり!



   ジム・トンプソン作品をシックな表紙で

    再発売したらしい・・・扶桑社ミステリー文庫もたまに粋なことをする。



 自分はおかしいと自覚しているやつのひとり語りはかなりやばいです。



 「おれはそうした」と書いてあるだけで「うわっ、また殺したのか!」と思ってしまう



くらい読む側がビビりすぎ(殺したことを指したときもありますが、たいていはそう



ではないのだが)。



 原作を読んでから映画を見たら、映画に対する評価はもうちょっと上がったかも。



 それくらい原作を大事にしていると思う(ただ、それが10年代の映画界で正当に



評価されるかどうかはまた別の話。 主人公のトラウマに逃げた感が無きにしも



あらずだし)。



 しかし小説のほうでは誰も主人公に彼の性癖の理由など教えないし、読者からの



同情も意識しないで進むので、ただひたすらに困惑の海。



 とりあえず、ひたすらにへこむ。



 そしてやばい人には絶対かかわってはいけない、と確信させる書である。



 でも問題は、“やばい人”は一目でわからないということなんだよなぁ。



 あぁ、おそろしい。


posted by かしこん at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月19日

ナンネル・モーツァルト 哀しみの旅路



 邦題が長くなるとブログタイトル枠におさまらない・・・。



 原題は“NANNERL,LA SOEUR DE MOZART”です。



 もう音楽歴史映画はひとつのジャンルとして定着したのであろうか。 それとも



ここ数年で公開が集中したのか・・・まぁ、好きだからいいんですけど。



   偉大なる天才作曲家モーツァルト。

              その陰には、運命に翻弄された姉ナンネルがいた ― 。



 モーツァルト一家が馬車で“ドサまわり”しているシーンから始まる。 そうだよな、と



改めて気づく。 当時、長旅といっても狭い馬車に乗っているだけ。 隙間風もすごい



だろうし、食事だってまともなものがあるとは思えない。 次のスポンサーに出会える



まではこんな旅を続けたわけだ。 父親は自分が決めたことだからいいだろうけど、



モーツァルト姉弟にとってこの日々はどうだったんだろう?



 11歳のヴォルフガング(ダヴィド・モロー)のヴァイオリンと、15歳のナンネル



(マリー・フェレ)の歌と伴奏は各地で絶賛を浴びるわけだが、それは彼女たちの



意志だったのか。 なんだかもうそれだけでやたらせつない。



 旅の途中、馬車が壊れたので最寄りの修道院に助けを求めたら、そこにはルイーズ・



ド・フランス(リサ・フェレ)をはじめとする王の三人の娘が滞在しており、ナンネルは



初めて同世代の女の子の友人をもつ。 ナンネルとはマリア・アンナの愛称らしい!



ルイーズは13歳くらいか? 身分の差は存在するが娘に王位継承権はないし宮廷でも



ないから、どこか孤独な魂の持ち主同士は急速に仲良くなる。



 その過程がとても楽しそうで、見ていてこっちもわくわくだ(のちのち、ナンネルにとって



この時期がいちばん楽しい時代だったんじゃないかということがわかってくることもあり)。



   ナンネル役の方、めちゃ美人という

    わけではないが、意志の強そうな印象深い顔立ちであたしは好きだ。

    なお、フェレという名字の方が多く出演されていますが、監督もルネ・フェレと

    いう名前・・・娘総動員の低予算映画なのだろうか?



 それにしても! 18世紀当時、女がヴァイオリンを弾いてはいけないとか(人前で



演奏するだけでなく練習することも許されない)、作曲することも禁じられるとか・・・



「女には対位法は理解できない、作曲など無理だ」が常識なのである、ムカつくったら



ありゃしない。



 ヴェルサイユに到着し、演奏を賞賛され滞在許可を得ても、ルイーズからの伝言を



渡すためには男装しなければ相手には届けられないのだった。 なのでナンネルは



男のふりして音楽学校に通ったり(実の父親が音楽教師だというのに)するけれど、



王太子とのほのかな恋愛感情は彼のきまぐれによってずたずたにされ、ルイーズは



出家するし、「女として生まれたことで自分の望みは何もかなえられない」と知って



しまう悲劇。 当時、女性はみな多かれ少なかれそうだった、と言われても・・・



やりきれないですよ。



 これで弟がもっと頼りになる性格のやつだったらまた違うのかもしれないけど・・・



『アマデウス』な感じだったら役に立たなそう(コンスタンスと結婚してからは姉の



存在は手紙だけだったような)。



   それでも、演奏しているときの二人は

              とても楽しそうで、息が合っていた。



 なんかつらい! 才能があったのに、運命の流れを止めるすべのないまま時代の



影に、そして弟の才能の陰に隠れてしまった女性。



 そんな人、いっぱいいたんだろうなぁ・・・。



 ナンネルの決して幸福とは言えなそうな晩年がテロップで流れるごとに、心は沈む。



 チェンバロの何世代か前の楽器(名前忘れた・・・)の音色が、美しくて切ない。



 とても低予算映画とは思えない出来なんだが・・・この空気感はヨーロッパならでは



なのでしょうか。 日本映画でも是非挑戦してもらいたい。


posted by かしこん at 04:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月18日

スコット・ピルグリムVS.邪悪な元カレ軍団



 原題は、“SCOTT PILGRIM VS. THE WORLD”。



 冒頭のユニバーサル映画のマークが8ビット画面&サウンドになっていることで



いきなり気分が盛り上がる。 ファミコンだ!



 というわけでファミコン(&日本のゲーム)とアメコミ(若干日本のマンガも入り



つつ)を忠実に映像化、というチープ感あふれつつ微笑ましい出来上がりに。 



 『ホット・ファズ』のエドガー・ライト監督作品ということで、非常に納得。



 そう、万人が思うであろう、おバカ映画でございます。



 売れない(売る気もない?)バンドでベースを弾くスコット・ピルグリム22歳



(マイケル・セラ)はイケてない雰囲気漂わせつつも何故か付き合う女の子が



絶えず、今は17歳の高校生とデートしていることに周囲の人間は納得できず。



 スコットの妹がアナ・ケンドリックで、オスカーにノミネートされてもこんなおバカ



映画に出てくれるのね・・・とほっこり気分にさせてくれる(また言葉が乱暴でも



どこかかわいいのがいい!)。 ちょっとおとぼけのスコットのルームメイトくんが



成長したキーラン・カルキンなのにもにやり(いい味出してます!)。



 彼らの日常会話がいかにもで、ちょっとリアルで楽しい(DSやってるいかにも



オタクな青年が『ゼルダの伝説』が好きとかいうのには大爆笑だったり)。 なんか



イギリス的!



 ところが、スコットが「運命の相手!?」と感じてしまったラモーナ(メアリー・



エリザベス・ウィンステッド)に出会い、恋に落ちてしまってから彼の生活は一転。



彼女の元カレ(元カノ含む)7人と戦って倒さなければラモーナと付き合うことは



できないのだ! かくてスコットは「ゲーム世界の戦い」に身を投じる。



   まぁ、バトルシーンになる前から、

    人が出てくればRPG的それぞれのポイントが表示され、電話が鳴れば

    その音をあらわす文字が踊ったり。 それにわくわくする人にオススメ!



 何故ゲーム画面になるのか? それは言ってはいけないというか・・・多分、



ミュージカルと同じような感じの世界観だと思えば。 いきなり歌いだすことを



受け入れる世界同様、この映画の中でもバトルシーンはゲーム世界に切り替わる。



敵を倒せばコインがじゃらじゃら降ってくるのはスーパーマリオですかね?



   バトルシーンは

          『ストリートファイター』というより『鉄拳』?



 ま、世界観は一度理解しちゃえば何でもありですが(ここがダメな人は絶対ダメな



映画だと思う・・・)、スコットくんがまず人としてダメで。 日本人がイメージする



ところの“オタク”とはまったく違うキャラなので、『電車男』的なものを期待しても



まったく違い。 だってスコットはラモーナと出会ってからも、高校生のナイブスとは



別れないもの! 二股かよ! おまけにそれがばれてもナイブスはけなげにも



スコットを助けて戦いに加わるのだ! なのにラモーナの女性として・人間としての



魅力はあまり描写されず・・・ナイブスがかわいそうじゃないか!



 つまりそこが、スコット・ピルグリムくんの人としての底の浅さである、ということ



なのだろうか。 ゲームをクリアしても人間として成長できるわけじゃない、そこから



何か学びとらないと意味がない、という。



 というわけで、彼はいつか“8人目の元カレ”としてまたゲームに参戦する日が



来るのかもなぁ、と思うのはあたしが意地悪だからか? いや、いちばん成長した



のがナイブスだ、ということでよかったと思うべきかも。 



 と、物語的には不満もありますが、とにかく音や音楽が面白くて楽しい!



 ファミコン・スーパーファミコン世代にはたまらないかも。


posted by かしこん at 13:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする