2011年05月16日

積読本減らしキャンペーン続行中・・・B



『梅里雪山 十七人の友を探して』/小林尚礼



 チベットの聖山・カワカブへ向かった日中合同登山隊17人が、1991年に



雪崩と思われる事故に巻き込まれ全員遭難した。 遭難者の中に友人がいた



筆者は捜索隊に志願し、その後2006年まで遺体や遺留品を探しまわった記録。



 事故当時筆者は22歳であり、こんなに当時の自分のことを含めて正直に書き



残すことはすごいと思うのだが、最初に捜索隊として参加したときの若気の至りと



いうか無茶ぶりは、「そりゃ勢いやら己の力を過信して『山をなめている』と言われて



しまう典型だなー」とちょっとあきれる(あたしの登山経験はハイキング+α程度



ではありますが、読んだ遭難ルポはかなりの数である)。



 しかも個人的に腹が立つことに、この登山隊が日中合同ということもあるだろうが



筆者には『中国とチベットは別物である』という意識が欠けている。 なので最初の



ほうは腹が立って仕方なく、かなり読みづらかった。



   ヤマケイ文庫、あたしの好み過ぎるラインナップだ!



 しかし大規模捜索を終え、筆者一人でチベットのある村に常駐して地元の人々との



交流が始まってから、ようやく筆者はチベットと中国を意識して書きわけるようになる



(漢族の通訳にチベット族は野蛮と聞かされたと書いてある序盤だが、ある以降



からはチベット人と表記されるようになるし)。



 まぁ、『梅里雪山(メイリーシュエシャン)』自体中国語読みだし、場所は雲南省に



あるので中国なのではあるが、なんか腹が立つというか微妙な気持ちになるのである。



 遭難したと思われる場所の下は氷河が流れていて、雪が緩めば氷河の水は下の村の



人々の貴重な水源となる。 梅里雪山は連山・連峰を指す名前で、その最高峰が



カワカブだという解釈でいいのだろうか? ともかくもチベット人はカワカブを



聖なる山とあがめ、そこは人間が立ち入ってはならぬ場所だと考えているのだが、



筆者も含め最初の登山隊は未踏峰制覇ばかりに気を取られ地元の人々の気持ちを



意識したかどうか自問自答。 結果、遭難したことで何年も氷河に埋まった遺体は



雪解けの時期に現れる、水源を汚染しながら。



 そして筆者は何年もその地にとどまることで「ここは人が登ってはいけない山



だった」という結論に辿りつく。



 遅いよ・・・(あたしは「地球上には人が足を踏み入れてはいけない場所はある」



派なので。 ほんとはガラパゴス島も許可制(研究目的の学者かプレスのみ)にして



原則人が住むのはやめてほしいと思っています)。



 序盤で捜索隊として氷河に足を踏み入れたとき、著者は「生きることを実感する



ための登山で命を落とすなんてあってはならない」的なことを思ったと書いてあった。



 となるとよく言われる「山で命を落とすのは山好きには本望」というのは間違い



なのか。 というかそういうことをしないと生きてる実感が得られないのか・・・



いろんな事故で、人は死ぬ。 けれど山での遭難死に対して世間の風当たりが強い



のは(自業自得だとか、他人に迷惑をかけるなとか、それこそ山をなめるなとか)、



やはり登山をする人としない人では考え方に決定的な違いがあるからなんだろうなぁ、



と思わざるを得ない。



 最近では当時建てられた慰霊碑の、日本人の名前の部分だけ傷つけられたりして



いるらしい。 チベット仏教を信じる人たちはそんなことをしないと思うので、



反日感情に任せた漢族の仕業であろう。



 2011年現在でも、最後の一人の遺体だけが見つかっていない。 そして



カワカブは、未踏峰のままだそうだ。





三谷幸喜のありふれた生活9 さらば友よ/三谷幸喜



 これも新作が出るたびに毎度思うことなのだが、新聞連載を一冊にまとめるため、



どうしてもタイムラグが出る・・・ちょうど丸一年遅れて読む格好になる。



 特に今回はお仕事面では『TALK LIKE SINGING』がメインだったので、その舞台を



見ていないから感慨とか特にないし。



   愛猫との日々も、ご本人が覚悟を決めてから

    書いているからそんなに胸に迫らないというか・・・実際にネコを飼っている方

    ならまた違う感想になるのでしょうが。



 『わが家の歴史』のことも微妙に細かいこと忘れてるし(で、記憶を掘り起こして



くれるほど細かく書いてくれるわけじゃない)。 一回の分量が決まってるから



仕方ないんだけど・・・エッセイとして、物足りないです。



 でもそれは本業に多くのエネルギーをとられている結果、だと考えよう。



 “一年遅れ”という微妙さがいらいらを冗長させるのならば、5年ぐらいあとに



読んだらもうどうでもよくなるのかも。





『グイン・サーガ・ワールド 1』



 本屋で見つけて手に取ったけど・・・文庫サイズだけど文庫じゃない!



 ムックみたいな感じ? 小さい『SFマガジン』的な。



   つまり、<雑誌>風なのだ!



 え、連載なのかよ! あたしはてっきり様々な著者が短編を持ちよったオムニバスに



なると思ってた・・・だったら一冊一冊、長編になるのならその著者の名前で本を



出せばいいではないか(サブタイトルを『グイン・サーガ・ワールド』にして)。



 それだと売れ行きに差が出ますか・・・そうですか。



 しかしいくら遺族の許可があったとはいえ、栗本薫の中学時代の日記を抜粋とは



いえ公開するのはいかがなものか(今岡氏は賛否両論を覚悟しておられたようだが)。



 中学生のとき、彼女はまだ“栗本薫”ではない。



 それは栗本薫個人を研究する書に載せるべきものではないだろうか、どうせ発表



するのならば。 なんだか、『グイン・サーガ』はやはり彼女のものなのであると



言いたいお気持ち全開なのだろうか、と考えてしまう。



 このプロジェクト、失敗なんじゃないだろうか・・・。


posted by かしこん at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする