2011年05月13日

『シブミ』、再読



 『サトリ』を読む前に『シブミ』を読み返してみようと・・・。



 いつ読んだかもう覚えていないのだが、「確かああいう話」的記憶はあり、



本を開いたらその記憶が間違っていないことがわかった。



 でも、ディテール結構忘れてる〜(読み返すと思いだすのですが)。



 しかし、それにもかかわらず、新鮮である。



   シブミ/トレヴェニアン

         今は装丁が変わったようですが、あたしのはこれです。



 これ、原著は1979年の発表です。 ニコライ・ヘルはロシア人の母のもと



上海で育つが、その後上海を占領した日本軍の岸川大佐に養育されて



日本人の美学“シブミ”を獲得するため、戦況が厳しくなった上海を出て、



岸川大佐の紹介で碁の師匠大竹さんの家に住みこむわけですが。



 今でさえ世界各国にあふれる『トンデモニッポン』とはまったく違い、日本人が



共感する日本的価値観を既にしっかり書いてくれている、ということにあらためて



驚いた(一回目読んだときも驚いたけど、さらにその深さに気づけるようになった



自分がいるということで)。



 「アメリカ人の本質は商人である」とか、一言で本質を射抜いちゃうところには



「ひょえー!」となる。 しかも極東軍事裁判(いわゆる『東京裁判』というやつ)が



茶番にすぎないとリアルタイムでニコライに言わせている。



 しかも『シブミ』って微妙だと思うでしょ? でもニコライと岸川大佐、ニコライと



大竹さんとの間で“渋い”と“渋さ”と“渋み”の違いについて語っていて、日本語には



意味に微妙なバリエーションがあることや、侘び・寂びだけではない精神性まで



説明される。 こういうことを外国の人が書いてくれるって、やっぱりうれしいよなぁ、



と思ってしまうわけです(勿論、中国・朝鮮半島の文化ともまったく違うと書かれてる)。



 終戦後の飢えた民衆たちが、それでも礼儀正しく振る舞いみんなで肩寄せ合って



野宿する姿をニコライは美徳と読み取るけれど、そのあたりは今回の地震被災者の



振る舞いと重なる部分もありましょう(が、集まって休んでいた女子供から物や金を



盗む男たちもいることは描かれている、作中ではニコライにひどい目にあわされた



ようだが)。



 あぁ、『サトリ』にも正しい日本文化・精神論が書かれているといいなぁ。



 しかし、ニコライが感嘆してくれた日本人の精神性は、残ってはいるけど減りつつ



あるのが現状という感じで・・・かなしい限り。



 「メルトダウンの可能性はあります」と発言した人が速攻で更迭され、二ヶ月たって



から「メルトダウンしてました」とよくも他人事のように報告できるな・・・とあきれて



モノも言えないくらいなんですけど(しかも正確には“フルメルト”状態らしいじゃないか)。



 「高濃度汚染水の行き先はわかりません」って、子供の使いか?!



 これはもう、チェルノブイリよりもひどいよ・・・。



 ごめん、ニコライ。 この状況の障害になる者、全部排除してもらえないかな。


posted by かしこん at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする