2011年05月03日

神々と男たち/DES HOMMES ET DES DIEUX



 三宮シネフェニックスの支配人さんに以前、「今度、カンヌでグランプリ獲った



作品やれるんです〜。 是非見に来てください」と言われ、「あ、それは、必ず!」



と答えたのがこの『神々と男たち』です(今思えばその頃はもう閉館を決められて



いたわけで・・・まさに“最後の花道”な感じだったのかなぁと思ったり)。



 ちなみに、カンヌにおいてグランプリは第二位のことであります。 映画好きとして



カンヌ映画祭の結果の記事は読むんだけど、その頃は日本の配給なんか決まって



ないのがほとんどだから原題で紹介されるため、あらすじを知るまではどの映画の



ことなのかわからないこと多し。 すぐに公開が決まるとは限らないのでタイムラグも



あります(これは2010年のグランプリ、めずらしく早めです)。



   実際はカーキグレー調なのですが・・・照明の加減により。

           “さよならを言わなければならない時に・・・ともに生きる”



 はじめポスターを見たときから、中央のメガネの方にものすごく見覚えがあるん



だけど誰なのかはっきり思い出せない・・・でずっと気になってました。



   彼の名はランベール・ウィルソン。

     そしたら『華麗なるアリバイ』で殺された人、『迷宮の女』の精神科医でしたよ

     ・・・多分他にも見てるんだろうなぁ。



 映画は1996年にアルジェリアで実際に起きたフランス人修道士の誘拐・殺害



事件をモチーフに“修道士たちの静かな日常”と“そこに忍び寄るテロの恐怖”、



その結果“国に帰るか、信仰に生きるか”を問いかけ続けた修道士たちの姿が



描かれます。 大変内省的で、それ故とても静かで地味に見えてしまう前半ですが、



修道士役の俳優さんたちの力強くまさに修道士になりきった演技によりぐぐっと



見入ってしまう。 野良仕事をし、はちみつを瓶に詰め、医師資格を持つ者は



村人の診察をし、礼拝堂で聖歌を歌い祈りを捧げる、その繰り返しだけといっても



過言じゃないのに。



   村の娘さんとの会話。

    「恋したことある?」  「何度も。 けれど、60年前に大きな愛が訪れた」



 こちらはシトー会と呼ばれるカトリック会派だそうですが、自給自足がモットー



みたい(はちみつを市場に売りに行くシーンがあって、「それ買いたい!」と



手を挙げたくなった)。 服装に妙に既視感があると思ったらここの修道院は



トラピスト会所属だそうで、函館にあるトラピスト修道院と同じだからなのかしら?、



と思う(小学校の修学旅行で行きましたから。 バター飴やサブレを修道士の方々が



つくっていて、その売り上げが彼らの生活費等になる模様)。



 実際の事件は武装派イスラム原理主義集団(GIA:武装イスラム集団)によって



起こされたということになっているようですが、詳細は今を持っても謎のままだとか



(真相究明のための裁判が現在も継続中)。



 フランスとアルジェリアの複雑な関係は『いのちの戦場−アルジェリア1959−』



という映画で詳しく知ったけれど(あ、この映画を観たのもシネフェニックスだった)、



まだまだ複雑なままなんだなぁ、と何とも言えない気持ちに(アルジェリア側の



おえらいさんが修道士長に「アルジェリアがいつまでも成熟しないことに疲れた。



それもフランスの植民地政策のせい、組織的な略奪のせいだ」的なことを言っていたから)。



 武装集団が無差別に外国人を殺していくシーンなどが挿入されたりもしますが、



基本、修道院内部がメイン。 電話もない、ラジオもない、ときどき届く手紙と



用があるときだけの外出、と、ある種情報が遮断された状態で、それでもひたひたと



迫ってくるのが感じられるテロの存在を前にして心穏やかにはいられないけれど、



でも実際目の前にするまではっきりと感じられないという気持ちが、無理矢理かも



しれないけれど3・11後の日本ともダブります。



   テロリストと直面して。



   アルジェリア軍からも圧力が。



 「あなたたちの安全は保障できないから(むしろ人質として利用される可能性が



高いから)、フランスに帰ってくれ」とアルジェリア政府から勧告を受け、本国からも



帰国命令が出て、足並みの乱れる修道士9人。 死にたくない・帰りたい派と、



我々を頼る村人を見捨てることになるがそれは神の御意志なのか、で悩む派と。



 修道院内の描写は光の使い方がすごくいいんだけど、特に秀逸なのは台所。



 食卓のある部屋の壁が半分くりぬかれて台所が見えるんだけれど、そこに9人が



集まっているところを食卓側から撮る画は常に宗教画のようなのだ(絶対9人が



重なったり隠れたりすることなく映り、後方から光が差し込む。 くりぬかれた



壁がちょうど額縁のようになっている)。 何シーンかありますが、そこはとにかく



「うまい!」と思わず膝を叩きたくなる巧さと美しさです。



 静かなる葛藤の末の彼らの出した結論・・・それもはっきりと台詞に出される



わけではないんだけれど、それぞれが覚悟を決めたのであろう夕食の席に一人の



修道士が持ってきたカセットテープから流れるのはチャイコフスキーの『白鳥の湖』。



 それまでBGMはほとんどなく、出てくる音楽は彼らが祈りを捧げる聖歌だけ



だったので、あまりにも有名すぎてベタに思えてたこの曲をこんなにも新鮮に



感じられるとは! そして修道士ひとりひとりの表情をじっくりと追うカメラは、



彼らの人生そのものを映し出すようで(また、このシーンは『最後の晩餐』に



なぞらえてある)、役者のみなさんの演技力というか気持ちの入りようのせいも



あるでしょうが大変胸を打たれました。



   お客さんが訪れて・・・みんなの写真。



 “殉教”という精神は多くの日本人には馴染みが薄いであろうし、あたしも



信仰を持っていないので彼らの覚悟を本当の意味で理解できたとはいえないし、



多分これからも理解できないと思う(けれど彼らもそこまではっきりとした意識は



なかったかもしれない)。 ただ、身近な人々を置いて自分たちだけで帰るのは



・・・という“情”の部分はすごくわかるし、結果的にテロに利用されることは



大局的な見地からしたらマイナスなんだけど、それでもささやかなことを見過ごす



ことができない、という部分には共感する。 



 安易に善悪を決めつけない(神々=キリストとアラー、キリスト教とイスラム教は



相容れぬものではなく互いに理解しあえる存在だ、とコーランを引用して修道士長と



テロリストリーダーが語り合う場面もある)、わからないことは推測で描かない、と



いう中立的な立場をあえて取ったのであろうこの映画は、実話であるということの



持つセンセーショナルな部分を飛び越えて「人間として生きるとは」という壮大な



問いかけを提示する。



 答えはないけど、それぞれが見つけていくものだろうけれど。



 なので大変地味な映画になっているため、見る人を選ぶかと思いますが、見て



損はなし!、です(演技派おじさん俳優好きな方、必見!)。



 こんな地味な映画にグランプリをやるんだから、さすが腐ってもカンヌ、ですなぁ。



 そして上映してくれた三宮シネフェニックスに、心をこめて「ありがとうございます」。


posted by かしこん at 06:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする