2011年05月31日

ソウル・キッチン/SOUL KITCHEN



 おいしいもの大好きです。 そんな気持ちに火をつけてくれるような予告編に



つられ、¥1000の日に鑑賞。 予備知識ゼロだったので、ドイツ映画であることに



途中まで気づかなかった・・・。



 大衆食堂的レストラン“ソウル・キッチン”を経営し・料理人でもあるジノス



(アダム・ボウスドウコス)のもとに、ある日仮出所した兄イリアス(モーリッツ・



ブライブトロイ)が「形だけでいいから雇ってくれ」と頼みに来る。 働き口があれば



刑務所に戻らなくていいし、働いている時間は保護期間中も門限が延長されるから。



 しぶしぶサインするジノスだが、ジャーナリストの恋人は上海に赴任するといい、



キッチンの模様替えのため荷物を運んで腰を痛め、このままでは店も開けられず



不運続きのわが身を呪う。 そんなとき、たまたま恋人のファミリーパーティーに



参加したレストランで失礼な客にぶち切れ、その場でクビになったシェフを見かける。



 彼の料理を気に入ったジノスは雇うことにするが、加工食品大量使用のメニューが



気に食わないシェフは「自分の料理を出させろ」と言う。



   フルメンバー?登場。



 このシェフが、むちゃくちゃだけどかっこいい!



 彼に料理を習いながら(というか手伝わされながら?)、生の食材を使っていかに



素材のおいしさを引き出すか、食事をする時間の大切さを引き出すのもまた料理の



持つソウルである、と学んでいくジノス。



   まさに「炎のシェフ」!



 しかし常連客はいつも通りの“大衆食堂”を期待していたわけで、聞いたことのない



メニューなど食べる気にはならない。 一気に客を失うが、あることをきっかけに



シェフの料理のおいしさに気づいた人々が集まり始め、一気に店は順調に。



 が、そうはうまくはいかないもので、店の土地を狙うジノスの幼馴染の不動産業者が



出てきたり、遠距離恋愛の恋人とはうまくいかなくなるし、腰はいつまでも治らないし、



兄貴はなにかやらかしそうだし、と伏線がすべて回収されていく様子は(想定内の



展開ですが)意外にも「ダメ人間も捨てたものではない」という「いい話」になりました。



   しょーもない“兄弟愛”がばかばかしくて

    (途中腹も立ちますが)よい。 家族ってそんなものなのよねー、的なあきらめに

    似た愛情とでも申しますか。



 もっとドタバタできたようにも思えるし、もっとリアリティ寄りにできたようにも



感じられるし、なんかこじんまりとまとめちゃったなぁ、と残念なところもないわけ



ではないけれど、ファンタジー一歩手前のコメディということで(本当の悪人が出て



こない感じとか、登場人物それぞれがキャラ強すぎとか)、あたしはわりと好きです。



 が、ダメ兄がほんとに改心したのかとか、ジノスがシェフのソウルをほんとに今後も



受け継ぎ続けられるのか・・・とかの不安も若干よぎりますが(それくらい兄弟が



あまりに頼りない)、いつかふらっとシェフが帰ってきてくれるのを待ちたいと



思わせる映画だったかな(というか帰ってきてほしいなぁ、是非)。



   しかもラストをロマンティックに

    しめくくっちゃうところにはびっくりだ!けど、ちゃんと伏線張られてるんだよね〜。



 こういうお店が近くにあって、常連になりたいよなぁ・・・という願望にも火を



つけられたりして。



 上映後、何故かくじ引きがあり、あたしは“食べるラー油”をいただきましたが・・・



あたしは食べないのでこんなのもらっても(しかし他の賞品にもこれといった



ものはなく)。 ドイツ映画なんだから、どうせならドイツの食材がよかったなぁ



(と、タダでもらっておきながら図々しい感想でした・・・)。


posted by かしこん at 03:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月30日

本屋さんに行ったら・・・



 一冊だけで帰って来られないのがあたしの悪い癖。



 まずは第一目的のこちら。



   パタリロ!86巻/魔夜峰央



 前巻が全盛期の雰囲気をちょっと取り戻しかけていたのでこれにも期待。 すると



懐かしの「タイムワーーープ!」の技?をパタリロが思い出していたり。



 それにまつわる話『90年』は初期の傑作『忠誠の木』のセルフパロディ作品になって



いたような・・・(途中まで感動的なんだけど、そこをあえて台無しにするという)。



 またちょっと、先が楽しみになってきました。



   誰も寝てはならぬ15巻/サラ・イネス



 デザイン事務所<オフィス寺>に集う変な人たちのヘンな日常もなんだかもう15巻目。



最近、ちょっと話がマンネリ気味だったんだけど(まぁこれもそのマンネリは続いている



んだけど)、この先に展開がありそうな“予兆”が含まれているのが「おおっ!」って感じ。



 あたしはオカちゃん(気象予報士で早朝テレビのお天気おねえさん)が好きなのですが、



今回いまいち出番が少なく、でもヤーマダくん(この人も結構好きだ)とのなんとはなしの



会話と、恋愛感情に踏み込みそうで踏み込まない、自制ができるようでできてないかもな



微妙な年齢の大人たちのさざなみのような感情と戸惑いがうっかりな絵柄とエピソードの



中に潜んでいるのが面白いのです。 だからつい、続きも買っちゃいますな。



 完成度としては『大阪豆ごはん』のほうが上だけど・・・でも、『誰寝』のキャラにも



愛着を感じてます。



   天冥の標W・機械じかけの子息たち/小川一水



 “全10作完結予定、壮大なSF叙事詩”と謳われて始まったこのシリーズも、もう



4作目!(すみません、あたしはまだ一作目が途中です・・・



 しかし出たときに買っておかないとあとでおそろしい目に遭うから(まとめて買うと



値段にびっくりだし、いつの間にか品切れになっていることもあるから)。



 でも順調に刊行されてますなぁ。 最初は「いつまでかかるんだろ」って思ったけど、



意外に早く最終巻が出るかもしれん(長い作品に懐疑的なのは、田中芳樹に痛い目に



あわされてきた過去があるからかも・・・。 『アルスラーン戦記』や『創竜伝』は



完結したのでしょうか? 『タイタニア』はあきらめました)。



 小川一水つながりで、もう一作。



  

     風の邦、星の渚[レーズスフェント興亡記]/小川一水



 14世紀のローマ帝国で起こるファーストコンタクト。



 でも多分、町に生きる人々の物語になるんじゃないかな〜、という予感。 ハード



カバーで出たときは高くてためらっちゃいましたが、めでたく文庫化!



 しかし、今の状況では彼の『復活の地』のほうが読まれるべきかなぁ、という気が



する。 「大規模地震が襲い、壊滅状態の帝国をいかに復興するか」に対する誠実な



官吏と国民によるひとつの提示。 そこには情報を隠蔽する者たちは不要である。



 現実は小説よりひどい、という意味では、“物語”は理想に過ぎないのであろうか。



   白夜を旅する人々/三浦哲郎



 これは既読なんですが・・・実家に行けばあるんですが、少し前に著者が亡くなり、



多分生前最後のインタビューでこの作品の続編の構想がある、というようなことを



言っていたと思い出したから。 「これに続編があるのか!」という意味でも、



読み直してみようかと思ったので。



 5人兄弟姉妹のうち2人がアルビノとして生まれ、兄弟のうち3人が自殺する、と



いうセンセーショナルな部分だけとりあげちゃうとキワモノっぽいですが、その時代や



地方での閉塞感、兄弟同士の葛藤が想像とはいえ当時生まれたばかりの6番目の



子供の手によって書かれる、という事実の重さに打ちのめされますね(高校生の



ときに読んだっきりなのに印象が鮮明なんですよね〜)。



   林の中の家/仁木悦子



 あ、ポプラ文庫で仁木兄妹シリーズの続き出てる! じゃあ、順番に出るんだ〜、と



一安心(でも油断しきってたので、買うのかなり遅れました)。



 と、また結構お金を遣ってしまった・・・



 でも『アンダー・ザ・ドーム』を買う勇気はないの・・・文庫化を待とう。





 台風の影響ですごいことになっておりました。



 気圧の変化で片頭痛を引き起こすあたしはいきなり七転八倒したり、でもその



おかげで珍しく熟睡してみたり(しかし変な時間に寝たのでもう寝れない・・・)。


posted by かしこん at 05:09| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月29日

サラエボ,希望の街角/NA PUTU



 『サラエボの花』の監督第二作目・・・と聞いていたので、冒頭から流れるラップ?



ヒップホップ?な音楽に目が点になった。 あれ、こんな映画だったの?、と思って。



   ポスターもそういうイメージじゃないし。



 舞台は現在のサラエボ。 ボスニア航空(?)の客室乗務員として働くルナ



(ズリンカ・ツヴィテシッチ)は空港の管制塔で働く恋人のアマル(レオン・ルチェフ)と



同じアパートで暮らしている。 当たり前の、幸せな毎日のはずが、アマルが



勤務中に飲酒をしていていたことが発覚して6か月の停職をくらう。



 平和に見えるサラエボだが長く続いた内戦の傷跡は今も深く残っており、アマルも



その心の傷からアルコールに逃げていたのだった。 禁酒セラピーに通うことになった



アマルだが、かつての戦友と再会して彼らとの付き合いを深めていく。



 ルナはまったく知らなかった、イスラム原理主義者である彼らのように、アマルも



また原理主義者になっていっていることを。



   しあわせなときもあったのに。



 え、ボスニアってイスラム教なんだ!、ってことにまず驚いた(無知ですみません。



セルビア正教だと思っていた・・・両者をうまく融合させているのだろうか?)。 勿論、



市民の多くは普通のイスラム教徒で、原理主義者は少数派であるようですが。



 内戦から15年だそうですが、神戸で「震災」と言えば「阪神淡路大震災」を指すように



(だからこっちでは「東日本大震災」のことを「震災」と言いづらい。 「あの地震」、とか



「今回の震災」と呼んで区別されます)、さっぱり癒えないものはあるわけで、まして



同国人同士が戦ったとなれば、その傷の深さは簡単に口にできるものではない。



 それはわかるけど、管制塔の仕事をしながら飲酒とは・・・人命を預かる仕事という



意識が欠けている・もはやまともな判断能力がないということ。 それを支えようとする



ルナの姿はかいがいしいですが、アマルにとってはそういう期待も重いんだろうなぁ



(勿論ルナもまた内戦によるつらい記憶を背負っているわけなので、セルビアに暮らす



人々にとってつらい記憶のない人はいないんだけど)。



 皮肉なことに、アマルは原理主義者のキャンプに行って思想は完全に染まってしまう



けれど飲酒癖は克服する。 つまり彼にとっては救いになるものなら何でもよかった



のか・・・「男は弱い」ってのはそういうことなのかなぁ、とちょっと納得。



 ルナはアマルの誘いでキャンプに行ってみるけれど、着る服やら湖で泳ぐ場所にも



難癖をつけられ(戒律上重要なのでしょうが、信者ではないルナにとっては理不尽な



命令としか受け取れない)、ぶち切れ。



   キャンプから戻ってきても、親族の

    パーティーで原理主義思想をぶち上げるアマルにルナは勿論家族も激怒。



 孤立を深めるアマルはますます仲間と行動を共にするように。



 イスラム教の土地でも、原理主義者は受け入れがたい存在なのだろうか(たやすく



自爆テロに結びつきかねないという警戒? 本来の宗教とはかけ離れ過ぎていると



いう嫌悪?)。 同じ宗教の中でも排斥されるということは、ますます過激さに磨きが



かかるということで・・・見ていて「原理主義教」のやっかいさに頭を抱えることに。



 宗教対立って永遠に終わらないなぁ、と思わされるから。



   ルナが帰り道で女友だちと会話する

                シーンが、静かな安らぎでした。



 それにしても、なんでこんなに男尊女卑なのか?



 アマルの仲間が、身寄りのない娘を二人目の妻として娶るシーンがあるのだが、



イスラム教は一夫多妻を認めているけどボスニア・ヘルツェゴビナ的には違法



(しかもその娘は16歳とかだった)。 法よりも宗教上の決まりが優先することに



納得できないルナ、そしてあたしもだ! 花嫁は戒律上、拒否権がないようで、



結婚式の最中ずっと感情を押し殺した目をしている。



 それがすごくつらかった



 タイトルとは異なり、希望はありません。 ただルナの決意を希望と取ることも



できるけど・・・それはそれで悲しさが伴います。



   ルナ、ちょっとこの角度は吹石一恵嬢に似てる?



 あぁ、世界は広いけど、むなしい。



 それでも生きる力強さを「希望」と呼ぶのでしょうか。



 サラエボの現実を描き続けるヤスミラ・ジュバニッチ監督を、これからも追いかけて



みたい感じ。


posted by かしこん at 05:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月28日

いろいろと、さんざんで



 舞台を見に、久し振りに梅田へ。



 芝居についてはまだ公演が残ってるみたいなので詳細は後日アップすることに



しまして、リニューアルオープンした大阪駅周辺、三越伊勢丹&ルクエをのぞいた



ことについてちょっと。



 とはいえ時間に余裕がなかったので、飲食店&スイーツ系をメインに見たわけ



ですが・・・関西初出店のお店が多くて、びっくり。



 『クリスピークリームドーナツ』は大阪初出店ではないけれど、「あぁ、ここにできた



のかぁ。 道理で神戸でもここの箱を持って歩く人が急激に増えたのはこのせいかぁ、



と納得。 と、その先には『スープストック東京』が! 高いけどここの“オマールエビの



ビスク”が好き。 おぉ、フルーツのジェラート&ソルベ専門店『GROM』も!



 はっきり申し上げて、ここで挙げたお店の単価は決して安くありません。 東京に



行って旅気分で財布のひもが緩いときにはOK、という価格を、日常線上の大阪駅で



ゆうゆう払えるか、というのはいささか疑問が湧かないわけではない(今はオープン



したばっかりでにぎわってますが)。



 さて、と三越伊勢丹地下に移動。 『ジャン・ポール・エヴァン』が入ってる!



 あ、伊勢丹だから当然か、と納得も、カフェ併設のようであまりの人の並び具合に



店内をのぞきこむこともあたわず。 ショコラだけ、買えるのかしら?(しかしここの



お店は店員さん一人に一組の客、と決まっているので、この行列がカフェ待ち客なのか



ショコラ待ち客なのか判断できず)。



 と思ったらその隣に、『ピエール・エルメ・パリ』が!



 ここ何年かあまりいい評判を聞いていなかったのだけれども(できる人は独立したり



他に移ってしまったとか、青山のお店の接客がなってないとか)、それでももう一度



プレジール・ショコラを食べたかったのです。 それが判断材料になるしね。



 ところが、お店にはマカロンと焼き菓子しか置いてない・・・



 思いあまって店員さんに聞く。 「生ケーキ、置く予定はありますか?」



 「今はご用意がないんですが、いつかはお出ししたいと考えているんですが、まだ



はっきりとした時期はお答えできません」とのこと。



 そうですか・・・とすごすごと、時間も時間だし人の多さにも疲れたので西梅田方面に



向かう。 ハービスENTやブリーゼブリーゼはいつも以上に人が少なくてなごみますなぁ。



 が、これで疲れが出て、中途半端に舞台に集中し、寝てしまってはどうにもならん、と



ブリーゼ4Fのエスプレッソのお店『イリー』へ。



 といってもあたしにエスプレッソは無理である。 カフェラテでもきつかろう、と



メニューを隅から隅まで見て、チョコレート入ってるやつ、発見!



   ちゃんとハートの模様をつくってくれる。



 「チョコレートが下に沈んでおりますので、よくかき混ぜてお召し上がりください」と



言われたけど、模様を壊すのが忍びなく、ちょっと一口。



 フォームミルクの肌理が細かくて、「あぁ、イタリアンバールって感じ!」と盛り上がる



も、エスプレッソは強力だった・・・。



   断面写真。



 これはこれで美しいですが、マドラーでガシガシかき回します。



 一口、ふ〜。 ショコララテっぽくなりまして、おいしいんですが、とにかく濃い



 エスプレッソも濃いが、チョコソースも濃いんじゃ!(ハーシーズのチョコシロップか?



疑惑浮上) これで居眠りすることはなさそうであるが、夜も眠れないかもしれん・・・。



 さすが本場、イタリア。 スタバは所詮シアトルね〜。



 はぁ、チェイサーに水がほしい・・・。



 (しかし2/3ほど飲み終わったところで店員さんがお水を持ってきてくれて、非常に



ありがたかった。 めちゃめちゃ水がおいしく感じた)



 パニーニなどもおいしそうだったのであるが、なんか気疲れと、これいっぱいで満腹



(しかし得てしてそういう場合、家に帰ってからおなかがすくのよね)。



 無事、舞台は全編、記憶が欠落することもなく鑑賞。



 で、帰りは阪神電車に乗ったのだが・・・その日は甲子園で対阪神戦があったらしく、



甲子園口から客が大量に乗車。 読書もできず、足も踏まれ、結構さんざんな目に・・・



 お菓子類を買わなくてよかった、と胸をなでおろしたのであった。


posted by かしこん at 04:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月27日

ブラック・スワン/BLACK SWAN



 ナレーションがないのに「映画で一人称」をやったのってすごくないか!?



 というのが最初に来た感想です。



 そして予告で感じた通りに、見事なホラー映画に・・・。



   純白の野心は、やがて漆黒の狂気に変わる・・・。



 『アンチクライスト』が妻から夫の攻撃(とはいえ妻も夫も監督自身の具現化なん



ですけどね)だったのに対し、『ブラック・スワン』は徹頭徹尾、とにかく「自分自身を



追いこむ物語」。



 NYのバレエ団に所属するプロのバレリーナ、ニナ・セイヤーズ(ナタリー・ポートマン)は



芸術監督のルロイ(ヴァンサン・カッセル)から「清楚で気品があり、理性的かつ完璧な



踊り」と称賛されるが、優等生の枠から出られないことを責められる。 折しもずっと



プリマだったベス(ウィノナ・ライダー)を引退させ、新たな段階にバレエ団をもって



いきたいルロイはまったく新しい振り付けで『白鳥の湖』を行うと発表、キャストも一新



するという。 新しい人物も加わり、どうしても主役になりたいニナはオーディションの



プレッシャーから精神のバランスを崩していく・・・。



   ニナ、バレエ団でもちょっと浮いてる感じ。



 ニナは母子家庭で、母親もかつてバレエをやっていた人物ということもあり母親の



ニナへの依存度は半端ではない(母親としてはニナに成功してほしいのだが、あっさり



自分を越えられるのもまた許せない、みたいな二律背反が見受けられる)。 母親の



呪いもまた、さりげないけど怖いわけです。



 鏡の多様は、“鏡に映る自分”が“自分”だったり“そうありたい自分”だったり、実は



“母親”だったり、“必要以上に臆病な自分”だったり・・・と、ニナの内面をわかりやすく



表すバロメーター(画面上のちょっとした細工により、どういう状態なのかすぐわかると



いう親切設計です、怖いけど)。



   鏡の中に映り込む自分がまた鏡の中に

          ・・・古典的手法ですが効果はやはり高い。



 出番は少ないが、役目を追われたベス役のウィノナ・ライダーが最近の中でいちばん



いい演技をしていたような。 他の映画のように「老けた!」とか感じさせずに、



リアルに“追い落とされる者”の苦しさや悔しさ、苦々しさを体現していた。 いつかは



ニナもそうなるのだと、これもまた彼女を追いこむ要因。



   ベス、すさんでます。 配役の勝利?



 黒鳥(ブラックスワン)に必要な狡猾さやたやすく王子を誘惑する妖艶さを表現



するのに苦しむニナだが、ライバルのリリー(ミラ・クニス)はプライベートから



黒鳥そのもののような女性。 役を奪われることを恐れるニナは彼女のすすめに



従って「悪いこと」にも手を染めてみるのだが、不安は消えず・・・しかし公演当日、



ある出来事で吹っ切れたニナは見事な黒鳥のパ・ドゥ・ドゥを踊る。 だが・・・。



   どこまでがメイクでどこまでが幻覚か、

                観客も蒼ざめますわよ。



 こんなことを言っていいのかわからないが、他者を傷つける方向に行った『アンチ



クライスト』よりも徹底して(本人が意識していることではないが、結果として)自分



自身を追いこんでいくニナのほうが、あたしは共感できました。 やばいけど、すごく



こわいけど。 現実と幻覚、事実と記憶の区別がつかない恐怖は、なんか感じたことが



あるような気がしてニナがとても痛々しかった。



 更に痛いのはトゥシューズを脱いだときの割れた爪・にじむ血(余談だが新しい



バレエシューズを自分用にアレンジしていく様はすごく面白かった。 分解して



テーピングしたり、靴底にハサミで切り込み入れたり)、そして皮膚がくっついた



指! しかもそれをじわじわはがす! しかし向こうの爪切りは眉毛切りみたいな



小さなハサミなんですね。 それで切ってたらますます爪の先がとがりそうだけど。



 が、いちばん怖かったのは黒鳥を踊るときのニナのありえない顔の角度だった。



 悪魔的なものすら感じた。 実際はボディダブルの本職バレリーナさんにナタリー・



ポートマンの顔を合成したらしいけど・・・CGの違和感でなく存在としての違和感



だったので、あれはありだと思います。



 黒鳥パートのインパクトがものすごかったので、終幕の白鳥の部分がバレエとしても



映画としても弱くなっちゃったかなと感じたけれど、やはり映画はただのサイコホラー



ではなく、押しつぶされそうだった弱々しい鳥が、自分の才能を確信してこれまでの



殻をすべて脱ぎ捨ててバレリーナとして一流に成長した、という話だと思いたい。



   覚醒。



 しかし、一流になるためにはこれほどの犠牲を払いますよ、その覚悟はありますか?、



と問いかけられているかのようだ・・・。



 『ダンシング・チャップリン』を見たので草刈民代さんの肉体美と比べたらナタリー・



ポートマンはまだまだだけど、でも背中とか二の腕あたりはかなりいい線いっている



ように見えた(肩幅細い!)。 そりゃ予算がなくなっても自腹でバレエの稽古を



続けただけのことはあるわ、とナタリー・ポートマンの役者としての意地を見たと思う。



 そしてヒロイン一人称映画だけあって、印象的なのはみな女性・・・ヴァンサン・



カッセルすらも実はどうでもいいみたいな潔さ、好きです。



 ただ・・・これは日本の都合ですが、拡大公開になって果たしてよかったのかどうか。



 あたしは時間の都合でシネコン・ミント神戸で見てしまったんだけど、かなりの



客の入りにもかかわらず、ほとんどの客がエンドロールで席を立つ・・・。



 余韻が台無しじゃ! わかったのか?、この映画のこと、ちゃんとわかったのか?、



と聞きたくなった(いや、あたしの解釈が正しいとは限りませんが)。



 あぁ、いつものようにシネ・リーブル神戸で見ればよかったなぁ、と後悔。



 やはりミニシアターの映画ですよ、これは。


posted by かしこん at 03:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月26日

♪くるみゆべし詰め合わせ♪



 先日、くるみゆべしのことを書いたならば、仙台在住の友人からこんな



お届けものが!



   くるみゆべし詰め合わせ



 三角形のタイプは見たことある気がするけど食べたことないかも、と、



箱に入っている“商品ご案内”的なものを見たならば、そのお店は『かんのや』。



福島のお店であった。



 「おお、東北内でも『福島応援キャンペーン』かい?」とお礼を兼ねてメールすれば、



「え、福島だった?(汗)」なご本人。 知らなかったのかい・・・。



 ちなみに三角タイプは、中にちょっとさらし餡っぽいこし餡が包まれており、表面に



芥子粒がぱらぱら(くるみはなし)。 四角タイプはくるみ・ごま・ゆず(くるみゆべしは



奥の方で隠れています・・・そしてどれにもくるみが入っています)。



 「ゆずゆべし」って・・・「馬から落馬」じゃん、と思いつつ、でもくるみ・ゴマ中心で



発展した“餅菓子”としての“ゆべし”は“油餅子”と書いたりもするそうなので、



これはこれで本来の“柚餅子”とはまた別物ということで。



 ちなみにこの「ゆずゆべし」には醤油が使われていないので、柚子の香りが活き、



さらりと軽い清涼感が非常にいい感じであります。



 わーい、Mちゃん、ありがとう! ごちそうになります!


posted by かしこん at 03:43| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月25日

ザ・ライト 〜 エクソシストの真実/THE RITE



 もう、予告の感じが「アンソニー・ホプキンス怪演!」という感じだったので・・・



あたしあんまりエクソシストものにはひかれないんだけど(基本、ホラーはキライ



じゃないしむしろ好きですけどね、ゾンビものとか特に)、アンソニー・ホプキンスに



負けました(ちなみに公開延期になったのは、地震後に「こういう穏やかならざる



内容の映画を公開してもいいのか」という話し合いがあったためだそうですが・・・



どう関係があるのかいまいちわかりませんでした。 キリスト教徒の方なら関係



あるのかしら?)。



 冒頭に、「悪魔との戦いは今も続いている」というローマ教皇ヨハネ・パウロU世の



言葉が引用され、実話っぽさを強調! タイトルは“正しさ”的なほうかと思って



ましたが、スペル見たら『儀式』のほうでした。



 家業は葬儀屋だが、継ぎたくない。 でもとりあえず上の学校に行きたい、と



考えたマイケル(コリン・オドナヒュー)は神学校に入ることに。 信仰心以外の



教科の成績は優秀で、恩師からヴァチカンに研修に行かないかと誘いを受ける。



そこでは“エクソシスト養成講座”が開かれていたのであった。 神の存在と同様、



悪魔の存在にも懐疑的なマイケルだが、会ってきたまえと紹介されたのは<異端>



と言われつつも一流の腕をもつとされるエクソシスト・ルーカス神父(アンソニー・



ホプキンス)だった。



   とにかく迫力あり!



 エクソシストとか、悪魔ものって必ずと言っていいほど不意をついて人が車に



はねられるよな・・・この映画でもそのお約束は破られず。 とはいえ、予告で



煽るほどのホラー映画ではなかった・・・(ちょっとがっかり)。



 とはいえ、なんとなく「信仰とは・人間とは・生きるとは」をテーマに対話する



マイケルとルーカス神父の二人芝居の戯曲に変更できそうだな・・・とつい考えて



しまうあたしはなんなんでしょう?



 それにしても、「どう見ても結局ハンニバル・レクター」なアンソニー・ホプキンスは



そう見られることを楽しんでいるのだろうか?、と思うようなやり放題の怪演で・・・



仕事選ばないのかなぁ、実は。



   行われる<儀式>とは。



 「悪魔憑き」は真実なのかどうか、という回答はグレイゾーン(日本だって悪魔



なんて概念のない昔には「キツネ憑き」とか呼ばれてたこともあるわけだし)。 



他人から見たら精神病で片づけたほうが早い話でも、本人や周囲がそれを信じて



いなかったら意味がないわけで、ある意味プラシーボ効果としてのエクソシストの



存在をヴァチカンは育成しているのだろうか、と感じる。 勿論、もとにあるのは



信仰心の深さなり強さだったりするわけだが。



 てことは、いちばんコワいのは人間の思い込みや自意識?



 ルーカス神父の自宅には最初からネコやカエルが沢山いる・・・言われてみたら、



ある側面から見れば“使い魔”とされる動物ですよねぇ。 陰陽道の式神のほうが



かわいく感じられてしまったじゃないですか。



 しかし「相手のまことの名を知ることで相手を支配できる」ってケルト神話にも



ある考え方・・・世界中の一神教も、もとにある考え方は別にあるんじゃないのか



なぁ、と無宗教で絶対唯一神否定・八百万の神派のあたしは思ってみたり。



 『レポゼッション・メン』・『プレデターズ』のアリシー・ブラガ嬢がエクソシスト



講座を受けるジャーナリストとして登場してますが、彼女の存在が必要だったのか



微妙・・・(そのあたりも、二人芝居に置き換えられそうと考える要因)。 マイケルの



父親がルドガー・ハウアーだったんだけど、あまりに老けた感じでわかりませんでした!



 それにしてもマイケルくん、『THE TUDORDS』に出てる人なんだけど



アンソニー・ホプキンスに完全に存在負け、顔立ちも地味だからかなぁ。



   画面全体的にも、なんか地味です。



 しかもローマ(イタリア)を楽しめないアメリカ人でかっこ悪すぎ(バールやカフェに



入らずマクドナルドとは!)。 まぁ、注文方法がわからないという可能性もありますが、



アメリカの食事の貧しさ(加工食品全盛・手作り料理少ない)をこんなところでも



感じさせられるとは・・・日本の食生活は豊かだねぇ。



 まぁ、<信仰という生き方>の例を見せてもらったということかな。 このお二人の



モデルになった神父さんは実際にいるそうですし。





 ところで、『素敵な金縛り』の予告見たんですが・・・離婚報道のあとでは個人的に



三谷幸喜の好感度だだ下がりです(なんだか小林聡美は下がらないんだけど)。


posted by かしこん at 03:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月24日

キラー・インサイド・ミー/THE KILLER INSIDE ME



 「私が出会った中で最高の、身も凍るような犯罪小説」



 スタンリー・キューブリックの言葉がポスターに引用されていますが、それは



原作小説に対するものであってこの映画に対してではないですよね?



 ちなみに原作はジム・トンプソンの『おれの中の殺し屋』です。



   若干、B級の香りが・・・。



 ノワール系はあまり好みではないのですが(だいたい救いがない話が多い



から)、監督がマイケル・ウィンターボトムだということに期待して、しかしほんとの



下心は予告にちらりと映っていたサイモン・ベイカーだったりしまして。



 ちなみにこれもシネ・リーブル神戸ですが(『ダンシング・チャップリン』と同じ日



でしたが)、整理番号4番でした・・・。 レイトショーだったからということにしておこう。



 オープニングクレジットが時代的なノスタルジックさとハードさをまとめていて



すごくかっこよく、期待が高まる。



 舞台はある田舎町。 保安官助手として働くルー・フォード(ケイシー・アフレック)は、



職場では勤勉で温厚、住民からも頼られる存在だった。 地元の小学校教師エイミー



(ケイト・ハドソン)とは長年付き合っている周囲も認める恋人同士。 何の問題も



ないように見えるルーだが、実は過去に根深い心の傷を負っており、それによる



暴力衝動をぎりぎり抑えていたのだった。



 ある日、上司の保安官(トム・バウアー)から「町のはずれに娼婦が住みこんで



いるようだから町から追い出せ」との命令を受け、その娼婦ジョイス(ジェシカ・



アルバ)に出会ったことでルーの中にある暴力性が目を覚ます・・・という話。



 実は結構豪華キャスト。 期待のサイモン・ベイカーは郡検事で、誰も疑わない



ルーに対して疑惑を深める唯一の人物で、かっこいい!(けどラストでは・・・



 最後までルーを助けようとする弁護士はビル・プルマンで、ネット・ビーティーは



ルーの同級生だったバカ息子の所業に頭を痛める地元の大立者。



 時代設定は1950年代? 60年代? そんなアメリカの田舎町でいかにも



ありそうな出来事が積み重なっていくB級感たるや、どこか『ザ・プレイヤー』にも



通じるところがあるような・・・。



   ある意味、ジェシカ・アルバ、すごい。

   「絶対ヌードにはならない」と宣言されているそうですが、娼婦役でもその態度は

   崩さず、そのかわり(?)殴られっぷりが半端じゃないです。



 CSIがいたら一発でつかまる杜撰で行き当たりばったりな計画、ほんのちょっとの



綻びですべてがダメになるのをわかっていながら、そのボロを隠すためにまた罪を



重ね、もはや相手が自分にとってどんな意味を持つ存在だったのかも忘れてしまった



かのようなルーの心のなくしっぷり、暴力衝動に支配されてしまった男の哀れな末路を



見届けるためにここに座ってしまったよ、と観客にあきらめを突きつけてくるウィンター



ボトム監督、なかなかにお人が悪い。



 でも映画としたらちょっと長いかな? もうちょっと刈り込んだら緊張感が持続した



かなーと思う部分もあれど、時代の雰囲気を大事にした故に間延びしたかなと感じる



ところも。 ちょっと残念。



 内なる矛盾を抱えながら普通どおりに振舞って見せるケイシー・アフレック。



 前のめり気味の一本調子の喋りといい、ほぼ表情を変えない能面ぶりといい、



“壊れた・壊れていく男”がはまってます!(そりゃ兄貴ベン・アフレックより



役者として評価されるよなぁ、と納得)



 問答無用の殺人鬼映画は今年すでに『冷たい熱帯魚』・『悪魔は見た』と見たけれど、



この2本の殺人者たちの“本人たち”にとっては筋の通った殺しっぷりに比べると



このルー・リードはあまりに危うくて、その歪んだ感じが逆にリアリティを呼び、



「こっちの方は現実にありがちな殺人・暴力なのでは・・・」と戦慄させていただきました。


posted by かしこん at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月23日

自家製?ジンジャーエール



 2リットルの水ペットボトルがまだまだ品薄の神戸市内、透明炭酸飲料もまた



さっぱり姿を見せません(500mlのはあるけどさ、高いじゃん)。



 でも、たまたま元町商店街の『カルディ』(コーヒーや輸入食品のお店)の前を



通りかかって、「もしやここにあるのでは?!」とピンとくる。



 そしたらば、イタリア産ミネラルスパークリングウォーター1.5リットル(¥189!)が



お店の奥に3本あるのを発見! 重たいし買い占めになるのはイヤなので、1本



買ってみました。



 帰ってきてから冷蔵庫でしばらく冷やして(常温で置かれていたので)・・・そして



“はちみつジンジャー”とパイレックスのグラス、登場!



   薄切りショウガとスプーンのまわりから

                   すごい泡が大発生!



 かきまぜたら余計炭酸が抜けてしまう・・・浸透圧を信じて、薄切りショウガから



成分が周囲に拡散するのをじっと待つ。



   横から写真。

           固まっていたショウガが広がってきてます。



 だけどほっとくとぬるくなっちゃうし、じわじわ泡は出続けているし、ということで



スプーンでかきまわすことを許可。 また、ちょっと待つ。



 では、いただきまーす!



 おお、ジンジャーエールっぽい!



 はちみつの甘さって砂糖より軽いのよね・・・なんか最近、砂糖の甘さが重たく



感じられて、かなりはちみつ寄りになっている自分がいる。



 炭酸水と“はちみつジンジャー”の適量と抽出時間はこれから試行錯誤ですが、



ガラスポットでまぜてから冷蔵庫でしばし待機、のほうがいいのかなぁ。



 しかしいろいろ試す前に1.5リットルがなくなりそうである。



 もう、アマゾンでミネラル炭酸水、セット買いしちゃおうかなぁ。


posted by かしこん at 04:07| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

ダンシング・チャップリン



 いつものシネ・リーブル神戸が、びっくりするほど、込んでました。



   予想外のお客の数・・・見込み甘かった。

   シニア層はいつでも1000円なのだから、レディースデイやサービスデイは

   できたら避けてほしいなぁ(心の叫び)。



 普段通りにチケットを買ったら、整理番号58。 「えっ! ずいぶん込んでるん



ですねぇ」と思わず声に出る(あたしはいつも、だいたいヒト桁が多いので・・・)。



 「はい、前の回が満席でして、そのまま次の回のチケットをとられたお客様が



多くて・・・この回も満席近くなるかもしれません」と、カウンター嬢も少々お疲れの



ご様子。 さもあろう、普段この映画館に来たことないでしょ、なシニア層の方々が



3人以上の集まりで訪れているのだ(そしてカウンターで誰がお金を払うかで



ひと悶着し、もうチケット発券しちゃってるのに「クレジットカードで払える?」などと



無理難題をふっかける・・・そんな組み合わせがいっぱい)。 そりゃ疲れるよな。



 しかしなんでそんな人々が、この『ダンシング・チャップリン』に群れるのだろう?



(最近リアルタイムでテレビ見ていないのでわからないが、大々的な宣伝がなされて



いたのかしら? 『Shall we ダンス?』の好きな世代? 草刈民代ファンとか?



もしくはバレエファン? はたまたチャップリンのファンか?)。 それは結局、



最後までわからないんだけど(まぁ、興行成績がよくてシネ・リーブル神戸の経営の



役に立つならそれでいいです)。



 映画としては二部構成。



 第一幕<アプローチ>は、周防監督が実際に『ダンシング・チャップリン』の



創作者で振付師のローラン・プティと会って映画化の許可をもらうこと、どういう



映画にすることの話し合いと、「チャップリン役は彼にしか許さない」と言われて



いるダンサーのルイジ・ボニーノや草刈民代やダンサーたちの顔合わせ・稽古



風景がドキュメンタリー的に綴られる。 これが面白かった。



   プロ、しかも一流の人たちのやりとりは、

                それだけでスリリング!



 ルイジ・ボニーノのダンサーとしての才能は勿論人間としての魅力がちょっとした



場面からたっぷりうかがえる(ファンになりました)。 そしてあまり時間は割かれて



ないけど、同じ創作者としてのローラン・プティと周防監督のせめぎ合いによる緊張感



(「このダンスはプティさんのものだから、彼にOK出してもらえないことはできない」と



言いながらも自分の意見を取り入れてもらおうと苦悩する周防監督の姿があります)。



 稽古風景もなかなか見られるものじゃないし、本番までにどのような試行錯誤が



繰り広げられるのか、実際の身体の動きだけじゃなくて会話でのやりとりも見せて



くれて、もっと見たかった(予告であったシーンがなかったんだけど・・・また別の



メイキングがあるのかな?)。



 で、5分間の幕間を経て、第二幕<バレエ>。



 第一幕の結果がこうなりました・・・の発表会といった感じ。



   キャスト勢揃い。



 でもオリジナルの『ダンシング・チャップリン』を映画用に短縮・脚色したようなので



(フルでやったら上映時間は3時間を優に超えそう)、これでバレエの『ダンシング・



チャップリン』を知った気になってはいけないのだろうけど、映画ならではの野外ロケと



いった趣向を活かし(監督、プティさんを言い負かしたのかな?)、スオウオリジナルを



つくったのだと思う。



 監督曰く「これが僕のバレエ入門」とのことですが、その原動力が妻への愛でないと



言えるか?、というくらい草刈民代への愛情と尊敬の念があふれた作品になって



おります(観客としても“バレエ素人に対するバレエ入門”であるといえる)。



 あたしとしてはルイジ・ボニーノという存在を知ったことで大満足!



   『街の灯』



 チャップリンは子供の頃NHKでやったのを見たっきりなあたしは深いことは



わかりませんが、それでも「あぁ、あれはあれね」と感じられたのでよかったかなぁ。



 『草刈民代、最後のバレエ』が愛する夫の手でつくられる、それもまた映画の



マジックだと思ったりして、ニヤリです。


posted by かしこん at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

お家をさがそう/AWAY WE GO



 大作やら重たい作品ばかり撮ってきたサム・メンデス監督が、低予算でとりあえず



撮りたいやつ撮ってみた、という本作は、かなり肩の力の抜けたロードムービー



だった。 邦題は『おうちをさがそう』と読んでください。



 バート(ジョン・クラシンスキー)とヴェローナ(マーヤ・ルドルフ)は同居している



仲のよいカップルだが、ヴェローナの信条により結婚はしていない。 が、思いがけず



ヴェローナが妊娠。 しかもバートの両親がよりにもよってベルギーのアントワープに



引っ越すと爆弾発言をしたことで(二人はバートの両親の家の離れ?に住んでいる



らしい)、自宅は売却される運命に。 お互い三十歳すぎなのに親に依存し、“自分たち



だけの生活基盤”ができていないことに気づいた二人。



   どうしよう!、とあわててみたものの。



 さいわい、二人ともどこに住んでもできる仕事(バートは保険関係?、ヴェローナは



イラストレーター?)があるので、生まれてくる子供のために三人で家族としてやって



いくいちばんいい場所はどこなのかを探すため、二人は全米各地にいる友人知人を



訪ねて歩くのだが・・・という話。



 いい人オーラ全開のバート、どうもどこかで見た感じ・・・と思ったら、『恋する



ベーカリー』の娘の婚約者か! ひげともじゃ髪でわからなかったよ! あれも



すごくいい人の役だった。 もはや本人もきっとそういういい人なんだろうなぁ、と



この“人のよさ”は演技以上のものを感じる(そりゃエミリー・ブラントも結婚する



よなぁ、と納得)。 こんないい彼氏がいるのならそれで十分では? 住むのが



どこでもいいならどこでもいいじゃん(というか全米各地を回る旅費があったら



近くに家を借りられるのでは?)、と映画設定の根本をひっくり返す感想が出て



くるのですが。



   久し振りの再会、みな最初はいい感じだが・・・。



 そして訪ねる先々の家はそれぞれ見事に違う問題を抱えており(このあたり、



やりすぎギリギリのところまでブラックユーモア満載)、子供を育てるのが不安に



なるやら反面教師になるやら。 あっけにとられた後、バートとヴェローナがしみじみ



語り合う場面がよかった。 口げんかしつつも、二人の絆がどんどん深まって



いくのが感じられて。



   とてもお似合いの二人に見えてくる。



 音楽もちょっと昔の“古き良き時代”的サウンドが多く、それも旅を心地よく感じ



させている要因かも。



 ちょっとずれた感じのあるバートとヴェローナが、旅を続けるごとに(会いに行く



人たちがおかしすぎるので)どんどんナチュラルに見えてくるのも好印象。 ただ



ヴェローナがかたくなに結婚を拒む理由がはっきりしなかったのが気になるといえば



気になるんだけど、そういうのは本人もわからないことだったりするし、そういう部分も



受け入れるのがまさにバートの“愛”だったりして、でもこの先にはバートの気持ちを



ヴェローナが受け入れる余地が漂っていたようにも感じられるし、今後の展開はまた、



わかりませんが。



 ある意味“青い鳥探し”なので幸せは近くにあるわけですが、遠回りをした方が



見つけたときのよろこびは大きいのでしょう、きっと。



 多分、サム・メンデス監督は離婚後か離婚問題真っ最中にこの映画をつくって



いたのでは・・・と思うと、余計なお世話ですが微妙な気持ちになります。 これも



一種の、自己セラピー?


posted by かしこん at 05:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月21日

SOMEWHERE



 ソフィア・コッポラ作品はあたしの中では『ヴァージン・スーサイズ』がベスト



かも・・・ごひいきエル・ファニングにつられて見たこれが現時点での彼女の



最高傑作と評されているのを読むと、鑑識眼と自分の好みとのせめぎあいって



むずかしい、としみじみ思う。



   やばい、寝る・・・と開始3分で

               思わせるのもある意味すごい。



 スーパーカーがぐるぐると同じところを4週も走る遠景を黙って見せられる



オープニングに、「しまった・・・これは寝るかもしれん」と感じたあたし。 いや、



それが勿論運転しているジョニー・マルコ(スティーヴン・ドーフ)の苛立ちや



やりきれない気持ち、退屈を紛らわすことを知らない不器用さなどを表しているのは



わかるんですけど、ドキュメンタリータッチと言えば聞こえがいい、被写体から



一定の距離を置く撮り方は登場人物への感情移入を幾分妨げる意味でも“物語”に



入り込めない・入ってほしくない意図を感じてあたしはちょっと引いてしまうのです。



 日々高級ホテルでド派手な生活を送るハリウッドスターのジョニーだが、前妻との



間の娘、11歳のクレオ(エル・ファニング)をしばらくの間あずかることになる。



   そこにある、静かな日々。



 ハリウッドの仲間たちとは180°違う、クレオとの生活。 しかし、その日々も



やがて終わりが訪れて・・・という話。



 へー、ポールガールってホテルに出張サービスもやってくれるの?、と目が丸く



なるが、その踊りを延々と見せられてどうしたらいいのやら。 ジョニーの空虚な



退屈さはもうわかった! いつまでも同じ体験をさせられるこっちの身にもなって



くれ!、と思う。 しかし、こんなに中身がからっぽの人間が見る人の心を震わせる



“演技”なんてできるんだろうか? 所詮、一時だけのスターって設定か?



 当然ソフィア・コッポラは自分と父親のことを引き合いにされるのをわかって



いるだろうに、父親をこんなに薄っぺらい人間として描くとは・・・なにか許せない



ことでも?、と勘繰りたくなってしまう。



   そこはエル・ファニングの

          かわいさでもってもおつりはこない。



 それにしてもクレオはかわいい。 こんな可愛い娘が自分のことを無邪気に父親と



慕う、そんな姿を見ちゃったら心を動かされないやつなどいるだろうか、というくらい



かわいい。 それ故にジョニーのダメダメさ加減も引き立つわけですが。



 そんなダメ男でも、クレオにとっては大事な父親なので、映画はジョニーに近寄り



すぎないがあたたかい目では見ている。 やわらかな光の映し方とか、まさに



“移ろいゆく時”の美しさをあらわしていると思うんだけど、そのくらいでジョニーの



ダメ加減が許容できるということはなく・・・一応、その先には希望があるんだろう



なぁと思うんだけれど、クレオとの生活を当たり前と感じてしまったらまたふらふら



しかねないジョニーの危険度も見逃せなく、なんとも曖昧な見終わり感になって



しまった。



 あたしには父親が早い段階でいないので、どうも『父親』という存在には過大な



期待を抱きがち&厳しい視点になりがちです。 これもある意味、ファザー・



コンプレックスなのかもしれない。



 だから、この映画とは相性が合わなかった、ということでしょう。



 つまりそれだけ、娘が父親を見る目は厳しい!、のです。


posted by かしこん at 06:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

婚前特急



 邦画でコメディ、しかもラブコメって難しいと思う。 しかしそれに真っ向勝負した



姿勢を買ってみる。



 フリーペーパーの営業を都内でしつつ、同時に5人の男性と付き合う24歳の



チエ(吉高由里子)は、「今が楽しければそれでよし」をモットーに生きてきた。 



しかし親友のトシコ(杏)が結婚することを聞き、「結婚、いいよー」と言われ、



ふと自分の越し方を考える。 では、と5人の男を『結婚相手として相応しいのか



どうか』査定することに。



   何故2番がないのか・・・を想像すると

  それはそれで面白いけど、いちいち全員の部屋の合鍵、持ってるのめんどくさくない?



 その5人の男は、ヘアサロンオーナー(榎木孝明)、バイクショップオーナー



(青木崇高)、食品会社の営業(加瀬亮)、年下大学生(吉村卓也)、パン工場



工員(浜野謙太)。 それぞれのメリット・デメリットをノートに書き込み、デメリットの



多いやつから振っていくことにするが、真っ先に切り捨てようとした相手から



「え、ていうか、オレとチエちゃん、付き合ってないじゃん。 オレ、好きな人が



いるんだよね〜。 だからさ、これまで通り、体だけの関係は続けようよ。 じゃ!」と



予想外の返答。 プライドが傷つきまくったチエはそいつへの復讐に意欲を



燃やすのであった。



 ある意味、チエは率直過ぎである。



 トシコに「なんで5人と付き合うの?」と聞かれれば「だって、相手が一人しか



いなかったら、その相手と都合がつかなかったら最悪だよ? ごはんどうする?



映画は? 旅行は? だから、その人がダメだったら別の人、っていう、時間を



有効利用してるだけ」と言うが自分でも言い訳めいているのはわかっている。



 「だったら、一人で行けばいいんじゃない?」



 「でも、だって、一人じゃつまんないでしょう!」



 そう、チエはさみしがりやなだけなのである。 最初にこういう会話を持ってくると、



突拍子もなく無茶でおバカなチエの行動も見ていて許せる範囲内になるのがうまい



なぁ、と思う。 しかし至極まっとうなことを言っているように見えるトシコも実は



かなり・・・であったりして、「若い女の子、大丈夫か!」みたいな気持ちになって



しまうのはもう世代のずれなの? あたしがカタすぎるの?



 吉高由里子のキャラクターを全面的に活かした、逆にいえば彼女頼りの映画なため、



5人の彼氏の存在が描ききれてない(3人ぐらいでよかったのでは)・途中から



登場人物限られすぎ(脇役にもっと愛情がほしい)・先が読めすぎる(まぁミステリじゃ



ないからいいのか)、と不満がないわけじゃないですが、日本で手薄なロマンティック・



ラブコメというジャンルにあえて参戦した勇気は買いたい。



 でも、“スクリューボール・コメディ”と呼ぶには勢いが弱い。 特急じゃないなー、



急行でもない快速って感じ。 ただドタバタ度を出すために頑張っているのはわかった。



   チエのことをいちばんよくわかって

    いるのは営業職さんなんだけど、バツイチの彼の心は離れて暮らす息子で

    占められているので・・・。



 しかし、チエのぶっ飛びキャラに目が行きがちだが、そもそも5人の男たちも



それぞれ問題ありだし、チエのことを全部夫に喋ってしまうトシコも、それを聞いて



「チエちゃんってほんとに面白い子だねぇ」と答える夫も、なんだか出てくる人たちに



まともな人がいない感じ! ラスト近くに登場する白川和子さんのさりげない一人



語りが唯一まともな人の考えに思えてちょっと感動しちゃったんだけど。



   結局、勢いですか・・・。



 恋愛のゴールは結婚ではないのだが・・・いいのか、それでいいのか!、とツッコミ



満載のラストシーンまでチエの甘さは否めないのだが(その後の生活はいろいろ大変



だと思う・・・)、でも人生とはそんなものなんですかねぇ。



 女の子同士が複数で見に来てる感じが多かったので、見た後ワイワイ盛り上がるには



最適映画かも・・・。


posted by かしこん at 06:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月20日

積読本減らしキャンペーン続行中・・・C



『羆嵐』/吉村昭



 「とにかくヒグマは恐ろしいから気をつけろ」とは、幼少の頃から北海道に旅行に



いくという話になるたび繰り返しのぼる話題であった。 函館に遊びに行くだけでも、



である。 更に小学校の修学旅行だったりしたらヒグマが出るような場所には



行かないよ、と言っても「ヒグマは普通のクマじゃないから」と言われる。



 おかげで、ヒグマは恐ろしい、という意識が刷り込まれております。



 今はもういないと思うけど、子供の頃、地元のちょっとした公園にツキノワグマが



いた(動物園はありません)。 今思い返すと動物虐待と言われてしまうぐらいの



狭い檻だったような記憶なんだけど、そのツキノワグマも間近で見ると怖かった



(まぁ、狭いところに押し込まれて不機嫌だったんだろうなぁ)。 というわけで



「かわいいクマはプーさんとパディントンだけ」と割り切った意識になります(でも、



近くに山がある地方人はだいたいそういう感覚ではないだろうか)。



   ということを、この表紙を見て思い出した。



 本書はヒグマが開拓村を襲うという、大正4年12月に起こった日本獣害史上



最悪の惨事についてのドキュメンタリー。 死者6名(一人は妊婦だったので



正確には7名)という数字は『ジョーズ』以降のパニック映画と比較したら少なく



感じてしまうけれども、なにしろ事実ですからね。 恐ろしいことです。



 とはいえ筆致は淡々としていて、身の毛もよだつはずの前半も比較的さらりと



読めてしまい(あたしの感覚がおかしいのか?)、ヒグマ退治のために集まった



人々が疑心暗鬼になってパニックに陥る中盤(このへんのほうがある意味怖かった



・・・)、そして伝説の熊撃ち・銀次郎とヒグマの一騎打ちというクライマックスに



なだれ込むも、やはり文体は静かであっさりしすぎにも思えてくるのだが、下手な



動物パニック小説にしないためにはこのほうがいいのかなぁ。



 三人称だが、区長さんがすべての登場人物の内面を説明してくれちゃうのがやたら



親切である(だから彼がいちばんおいしいキャラクターであるともいえる)。



 銀次郎さん一人にポイントを絞っていたら、全編ハードボイルドになっていたかも



しれないとも思う。



 北海道は広い。 最近は全然行っていないけれども、とりあえず街中以外の場所



には踏み込むべからずという教えは、まだあたしの中にある。 研究室にいたとき、



助手の先生が「昔、学生の貧乏旅行でいろいろまわったんだけど、真夏の北海道で



ヒグマに出会って一目散に逃げた。 あのときは死ぬかと思った」という話で



みんなの笑いを誘っていたが、あたし一人だけ笑えなかった。 ぞわっと鳥肌が立ち、



「何事もなくてよかったですね」と空気を読まず真顔で言ってしまったなぁ、という



ことも思い出してしまった。



 とりあえず北海道の原野に憧れている人は、これを読んでください(そしてアラスカの



原野に憧れている人はジョン・クラカワー『荒野へ』を読むか、もしくは映画『イントゥ・



ザ・ワイルド』を見てください)。





『ブラック・アイス』/マイクル・コナリー



 ボッシュシリーズ第二作目。 これは原題そのままの邦題です(ということは作者は



『ブラック・〜』というタイトルで統一するつもりだったのかな、最初は)。



 ハリウッド署の殺人課にいるボッシュは、その日が当番にもかかわらず変死体発見の



連絡が自分に入ってこないことを訝しく思う。 実はそれが同じハリウッド署麻薬課の



刑事ムーアで、自殺したものと判断される。 ムーアは麻薬組織とつながっていた汚職



警官だというのだ。 そして何故かボッシュは捜査からはずされる。



 数週間前にムーアと会っていたボッシュは、遺体のそばに残されたメモ『おれは自分が



なにものかわかった』の意味とともに、ムーアの背後を探ることに。



   タイトルの“ブラック・アイス”はメキシコからの

                     密輸麻薬をあわらす言葉。



 が、もはやシリーズ二作目にして事件そのものよりも「ボッシュと彼をめぐる組織に



集う人々」とのやりとりがメインというか・・・いかに一匹狼として組織の中をすり



ぬけて生きるか、を描く話になっているような気がする(今後のシリーズもそういう



展開なのだろうか)。



 ラストのどんでん返しも「どこかで見たことがある・・・」というか、まぁ原著が



1993年なのでそれ以降のもので見ている可能性があり、あまり驚けなかったですが



(というか予想がついちゃいましたが)、「感動と寂寥感あふれるラスト」という解説の



“感動”にのれなかったあたしです。 寂寥感はわかりました。



 しかし、何故毎度毎度女性と恋に落ちるんだ、ボッシュ!



 きっとその関係も長続きしないんだろうな・・・と思わされちゃうかなしさもあり



(そのくせ「割り切った関係」の女性の存在もあったりする。 一匹狼は女性にしか



なぐさめを求められないのか?)。 なんだかんだ言いつつも、本当の孤独には人は



耐えられない、ということなのかしら?



 えーっと、三作目『ブラック・ハート』、待機中でございます。


posted by かしこん at 00:47| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月19日

アンチクライスト/ANTICHRIST



 「カンヌ映画祭騒然!」・「日本国内での公開は絶望視か?!」と騒がれたことで



記憶していた問題作・・・ですが、ラース・フォン・トリアーの作品が“問題作”と



呼ばれなかったことがあるだろうか、いやない(反語)。



 しかもこの作品は、『ドッグヴィル』・『マンダレイ』に続くアメリカ三部作の



完結編がつくれない故に鬱が深まった監督の自己セラピーのために制作されたという



・・・いやはや、芸術家とは実にめんどくさい存在である。



 ミヒャエル・ハケネが「全部わかった上で観客を不快にさせる・映像で観客に暴力を



ふるう」監督だとしたら、観客を不快にさせるという意味では近いのだが本当の意味が



わかっていないのがラース・フォン・トリアーではないか、という気がする(何故ならば



彼は精神を病んでおり、実際に世界がこのように見えているのかもしれないからだ)。



   ウィレム・デフォー、かつて『最後の誘惑』と

   いう映画でキリストを演じてそれも各方面から非難を浴びたように記憶してますが

   ・・・それを踏まえての出演だろうなぁ。 その分歳もくったのに、チャレンジし

   続ける役者魂に敬服します。



 プロローグ、と題された、モノクロで台詞もない一連のシークエンス。



 この映画のすべてはここにあるというか、この部分を見るだけでこの映画には



価値がある、頭おかしいけどトリアーが天才だと呼ばれる意味がわかります。



しかも、そこで止めておいても十分その先推測がつきますよ、というところも容赦なく



違うカットを挿入しつつ最後まで描いてしまう冷酷さ。 こういう変質狂めいた



ところが見る者(この場合あたしですが)の気分を著しく滅入らせる。 だが、そういう



部分を客観的に見ることで、これもあたしにとってはある意味セラピーに近い体験



だったかもしれない。 かなり荒療治でしたが。



 夫婦の思わぬ不注意により、年端もない息子を事故で亡くしてしまう。



   このタイルの色! 他にも、強調される色合いが独特。



 妻(シャルロット・ゲンズブール)はその罪悪感から自分をどんどん追い込み、



精神的におかしくなっていく。 夫(ウィレム・デフォー)もまた事故の責任を



感じていながらもセラピストという自分の職業柄、妻を救おうと二人で思い出の森に



ある小屋“エデン”に行き、外界との接触を断って治療を試みる・・・という話。



 はっきり言えば、こういう問題を当事者だけで解決しようと思うのがそもそもの



間違いなのである。 夫と妻、それぞれ別のセラピストにかかるべきだった。



 でもそんなことしたらこの映画は成立しないわけで、妻を自分の手で救おうとして



しまった夫の側もかなり精神的にまともでなかったといえるだろう。 まとも度が



違えども、どちらもおかしな二人がずっと一緒にいたら、待っているのは悲劇で



しかない。



 問題は、その悲劇が「どういう種類か」というのがこの映画のストーリー。



 『プロローグ』に続き、『第一章 悲嘆』・『第二章 絶望』・『第三章 苦痛』・



『第四章 三人の乞食』・『エピローグ』と章立てで構成されているのも



『ドッグヴィル』以降と同じで、わけわかんないなりに区切りがあるおかげで



見やすい構成となっておりますが、だからといってそれが「わかりやすい」と



同義ではなかったり・・・。



   しかしシャルロット・ゲンズブールは

     ほんとに「どんどんやばい感じ」になっていっており・・・撮影中と

     その後の精神状態がほんとに心配になるほどであった。



 なんとも評価に困ってしまう映画で、「そうですか」と頷いて終わってしまう



こともできるし、細かいことにいくらでも言及しようと思えばできるし・・・



どうしたらいいのかわからない、というとても珍しい映画でもある。



 「人間の本質って所詮こんなもの」でもあり、「自然を前に人間は無力であると



同時にその本質がむき出しになる」でもあるし、「愛し合っているとはいえ夫は妻を



無意識のうちに自分の望む枠におしこめており、妻はそのことに不満を常々感じて



いたのだがはっきり言語化できずにいて、それが爆発した」とも読み取れるし、



「結局、いっちゃった人には理屈など通じない」し、「人間の欲望に終わりがない



ように、悪夢が終わったかと思ってもそれは一瞬で、救いは永遠に訪れない(悪夢は



また繰り返す)」ということでもある。



   三人の乞食・・・?



 映画館のバイト君(ボランティア?)が「この映画、重いっすよね・・・」とスタッフの



人に呟いていたが、大学生ぐらいの彼にはそういう表現しかしようがなかったのかなぁ



(まぁ一言でいおうとすれば、そうなってしまうのであろうが。 いや、あたしには



“とにかく痛い”映画ではある)。



 しかしあたしにはあまり堪える重たさではなかった。



 見ごたえのある二人芝居、と受け取りました。



   こんなシーン記憶にないんだけどな・・・寝てたのか?



 「あーあ、やっぱりトリアーって人間嫌いなんだなー」と思った次第(あたしも



慣れてきたのか?)。



 でもこのタイトルを『アンチクライスト』にした意味はよくわからない・・・



やはりキリスト教的素養がないとダメか。





 余談ですが、元町映画館に初めて行きました。



 なんとなく敷居が高くて・・・ボランティアに参加してないと行ってはいけないの



だろうかとか、神戸映画サークルの会員じゃないとダメなんだろうか、という気が



していたので(実際には普通の映画館なので、もちろん誰でもOKなわけですが)。



 開館前の「ボランティアの手でほとんど運営されます」的アピールがどうも



そのようなイメージをあたしの中でつくってしまったらしい。



 映画館自体は「新しいけど、ちっちゃくなったパルシネマ」、って感じかな。



 ラインナップを見れば、神戸アートヴィレッジセンター〜シネ・リーブル神戸



(〜テアトル梅田)の隙間って感じがする。 シネフェニックスの志は継いで



くれないらしい・・・(でもミントが「明らかにこれ、シネフェニックスで予定



してたやつじゃないのかなぁ」という作品を公開予定に組んでいるのでありがたい)。


posted by かしこん at 03:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする