2011年04月07日

今年の桜は・・・



 巷では「桜が、桜が」という話になっているのに、あたしには全然ピンと来ていない。



確かに近所の公園の桜の木は咲きまくっているのですが・・・。



 ふと気づく。 近所の川べりに立つあの桜がまだ咲いていないからじゃないか。



 通勤途中にあるので、ほぼ毎日近くを通るのに、まだ全然咲いていない。 それ



どころか普段ならばかなり前から「咲く準備してますよ〜」という気配をみなぎらせて



朝の周辺の空気を桜色に靄をかけるみたいなほど存在感があるのに。



 どうしたんだろう。



 で、今朝、その木を目的に近づいてみたら・・・木がない!



 いや、あることはあるが・・・前と違う!



 よくよく地面を見ればなにかの基準点を示す小さなマンホールの蓋的なものが



埋め込まれていた。 あぁ、これのために、あの桜は抜かれたのか!



 (それをあたしは何故気づかないのか・・・どれだけ朝があわただしいかって話です。



そして帰りの夜は暗いのであります)



 しかし、その横に、どうやらいちばん大きかった枝を挿し木にして植えたみたいな



やけに風格のある小振りな桜があった。 やった時期がまずかったのだろうか、



つぼみを膨らませようとする気配はあるが、途中で止められてしまったかのようで、



いつも花を咲かせる前の樹皮から感じる緋の色がない。



 あぁ、これじゃ今年は咲かないかもなぁ。



 まるっきりなくなるよりはましなのかもしれないんだけど、なんかこんな形で



残されたらそれはそれで・・・かなしい。



 あたしにとっての基準の桜がこのありさまでは、今年の桜は完全にタイミングを



逸したなぁ。 というか今が4月だということが、信じられないというかちゃんと



理解できてない感じがするもの。





 本日のお仕事は「徹夜しないと間に合わないのではないか・・・」という危機に



襲われたが、なんとかなった(とはいえ帰宅は23時ですよ〜)。



 なので件の桜の木も、近所の満開の桜の写真も撮れず。



 けれど、遅くまで会社にいたせいでものすごく久し振りにシング・ライク・トーキングの



“Seasons Of Change”を聴いた。 なんだか泣きそうになった。



       限りなく続く Seasons Of Change

        ほんとうのことを

        苦しさに揺らいでも よどみなく時は過ぎ

        何処を見て何を目指す いのち途絶える果てに

        闇を抜け虹を渡り いけるのさ自由だから

        目の前にとらわれず 遥か真夏を思う 僕が越える

        叶えると決めたから いけるのさ思うがまま

        吹き荒れる嵐すら 太陽の下だから

        きっと越えるだろう 君と越えるだろう     



 耳で聞いて思い出しただけなので、漢字遣いや単語の切り方などは思いっきり



間違っていますが、雰囲気だけ感じてください。



   “Seasons Of Change”



 「チェンジ」という片仮名にした日本語には大きな転換的な意味が付きまとっちゃう



けど、この言葉にはゆるやかさと確実さが同居している、と思う。



 放射能汚染問題を抱えてそれでも東北の復興を考えるとときに苦しくて押しつぶされ



そうになるんだけれど、「時は過ぎる、“僕”と“君”がともに手を携えれば、その



流れる時間のうちに何かを成し遂げられるはず」という希望。



 あぁ、なんかはっきり、こんなに具体的に音楽から力をもらったかも。


posted by かしこん at 02:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする