2011年04月30日

アレクサンドリア/AGORA



 古代文明好きとしては素通りできない名前、アレクサンドリア(アレキサンドリアと



表記してたものもあるが)。



 アレクサンドリアといえば大灯台と図書館。 この物語は図書館の方を中心に展開



します(とはいえちゃんと大灯台は遠景に登場します)。



   セットや小道具にもリアル感!



 舞台は4世紀のエジプト。 図書館にはその時代の英知が集まり、多くの学生が



師について学んでいた。 その研究者の一人で天才数学者で天文学者かつ物理学者



(まぁ、当時はそんな学問的垣根はなかったのであるが)のヒュパティア(レイチェル・



ワイズ)はその才能と美貌から多くの学生(弟子か?)に慕われ、長老たちからも一目



おかれていた。



 学問の世界では男女の差はない先進性を誇るも、悲しいかなヒュパティアでさえ



「争いは奴隷や下層階級の者たちのもの」と言ってはばからないこの階級制度とは



なんなのだろう?、と早々にかなしくなってみる。



   のちのちカギを握る奴隷・ダオス



 とはいえ、レイチェル・ワイズは『ナイロビの蜂』に続いて女優ならば誰でもやりたいと



思うであろうヒュパティアを見事に演じてくれています。 もう、アレクサンドリアには



女性は彼女しかいないのでは?、と思わせる存在感です。



   実際“学者”の女性は彼女一人だったようだ。



 弟子のひとりオレステス(オスカー・アイザック)からは熱烈な求婚を受け続け、



彼女の奴隷ダオス(マックス・ミンゲラ)からも密かに慕われつつも、恋愛よりも



結婚よりも宇宙の真理を解き明かしたいと願った人。 彼女に起こる悲劇とその時代を、



ただの昔物語ではなく現在へと連綿と続く歴史の一部であると表現したアレハンドロ・



アメナーバルは、やっぱりすごいと思った。



 このころのエジプトは当然多神教である(自前の宗教がありますから)。 しかし



ローマ帝国が事実上世界を支配しており、キリスト教がじわじわと広まりを見せている。



ここで描かれるキリスト教の乱暴狼藉は今のイスラム原理主義とどこも変わるものは



なく、無宗教の人間としてはかなり不愉快な思いになるけど(こんなことしてたのに



今、キリスト教はイスラム教をたたくのか、的な)、その繰り返しもまた世の習いなのか



・・・むなしい。



 ただ、キリスト教の急激な広まりは徹底した身分階級制度の反動で(だからこそ



「神の前ではみな平等である」が説得力を持つ)、そこに気づけなかったのがアレク



サンドリア側の失態なんだけど、その報いが図書館の破壊なのか・・・というのは



非常にやりきれなくて、悲しい。



   図書館とはいえ、当時の本は巻物なんですよね。



 そのくせもうすでにユダヤ教とキリスト教は仲が悪い。 なんなんだ!、と大変



腹立たしい気持ちになっている(感情移入しすぎである)。 “邪教”という名目で



これまでの英知の結晶が灰になる・・・人類は何度同じことを繰り返すんだろう。



 と、めちゃめちゃ内容に入れ込んでしまうのは、セットもすごいしCGも使ってるけど



違和感がなく4世紀のアレクサンドリアがリアルに表現されているから。 奴隷や



下層階級に生まれてしまった人々の“人間とはみなされない生活”もしっかり描かれ、



キリスト教にひかれてしまうのも仕方がないという気にもなる(が、だからといって



改宗したからすべてOKというわけではないのであるが。 ここではキリスト教は



平等を唱えておきながらめちゃめちゃ男尊女卑なのだ!)。



 キリスト教徒・ユダヤ教徒に町を乗っ取られても、ヒュパティアは研究をやめない。



   地球の軌道を考えています。

      つまりこの時代に地動説は当たり前だったということで、軌道が円では

      説明のつかないことについて考えているわけです。



 女に活躍されてはキリスト教・ユダヤ教にとっては邪魔。 というわけで彼女は



魔女呼ばわりされることになり、悲劇はやってくる・・・のだけれど、伝わっている



ヒュパティアの最期よりもかなり救いのある扱い?になっていて、監督の彼女への



敬意と思いやりを感じました。 そして、彼女を守れなかった男たちの悔恨も含めて。



 こんなに強い信念を持って生きられるかな〜。



 壮大すぎて、悲惨すぎて、いろいろ考えさせられすぎて泣くとかいう映画ではない



ですが、どっしりとしたものを受け取った気持ちになりました。



 ハリウッドでは絶対につくれないであろう映画を、同じような規模の大作として



つくりあげたスペイン映画界、すごいです!!!



 ちなみに原題のAGORA=アゴラは“広場”の意味で「知の意見交換をする場」と



いうことでしょうが・・・昔、秋田駅前にあったダブルネーミング“アゴラ広場”は



今もあるのだろうか、ということをふと思い出してしまいました。


posted by かしこん at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

なごみクラブに行ってみたい!



 どうも最近不眠に拍車がかかっている。



 こうなったら肉体を酷使せねばなるまい!、と、普段電車で移動のところを徒歩で。



1時間半〜2時間くらい歩いたかも。 途中、信号待ちの間にみるみる大粒の雨に



降られたのにはちょっとびっくり。 すでに、変わりやすい天気の時期なのね。



 そしてご褒美のように、忘れたころにやってくる(というか思ったよりインターバルが



短いから意識していなかった)『なごみクラブ』の3巻が出ていた!



   なごみクラブB/遠藤淑子



 会員制のちょっと変わった地味系ホストクラブが舞台の話ですが・・・今回、かなり



人情話が多かったような・・・号泣するほどじゃないけど、読んでてうるうるしてしまう



話ばかり。 決して派手な展開はないし、実際は何も解決してないかもしれないけど、



それでもあたたかな希望が残るという・・・・・・ほのぼのなのに切なく、ぼけぼけ



なのにやさしい。



 あぁ、こんなホストクラブがあるなら行きたいよー!



 そしてもう一冊、意外なものが。



   木村くんは男友だち/逢坂みえこ



 おお、逢坂みえこの新刊をリアルタイムで見つけたの久し振り!!



 「片方が結婚した後でも男女間の友情は成立するのか。 そもそも、男女間に恋愛は



成立するのか!」という思いっきり大上段からの基本設定になっております。



 素敵な男友達がほしい・・・という既婚・子持ちの作者の妄想が作品誕生のきっかけの



ようですが、“男女がいつ友情を築いたのか”というのが結構ポイントかも。



 お互い独身の学生自体からの知り合いならば「もしかしたら恋愛関係になっていた



かもしれない可能性」がその後の友人関係のネックになるかもしれないけれど、でも



それも当人たちの性格によるのでは・・・(あたしは友達はあくまで友達、それ以上



でも以下でもないから恋愛に発展しようがない性格です)。



 そして結構いい大人になってから知り合って友人になった場合、そしてお互いに



結婚してたりなんかしてた場合ならば、更に問題はないのではないかと・・・でも



これも性格か、泥沼不倫になっちゃう人もいるもんなぁ。



 あぁ、恋愛観は人それぞれですね〜。



 で、悩みつつも結局買ってしまいました。



   サトリ/ドン・ウィンズロウ



 実はスティーヴン・キングの大作『アンダー・ザ・ドーム』も出ていたのですが・・・



上下巻買うと¥6000ぐらいかかるので・・・ちょっと頭を冷やしてからにしよう、と



その場を退散。



 しかしその後、いつものはちみつ屋さん『ドラート』で、ポフツカワを買い足しに行き、



ついに国産“シナの木”のはちみつにも手を出しちゃいました。


posted by かしこん at 04:45| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

ヤコブへの手紙/POSTIA PAPPI JAAKOBILLE



 あらすじ見たら、「よくある話」っぽかったんだけど、フィンランド映画って珍しいし、



どういう切り口になるのかと思って、見に行く。



   ほのぼの系かと思いましたが・・・。



 状況説明なしで、仏頂面の女性が仮釈放を認められたことを告げられる。



 自分は終身刑では?、といぶかる女性に、刑務官らしき人物は手紙の束を示し



「身元引受人を希望している人がいる」と告げる。



 いきなりのシリアス感に、少々ビビる。 終身刑を言い渡されるようないったい



何をこの女性はやったのか?



 しかし次のシーンではトランクを片手にほとんど森の中と言ってもいい道を辿る



カットに。 目指す一軒家は教会で、そこにはレイラ(カーリナ・ハザード)の身元



引受人となるヤコブ牧師(ヘイッキ・ノウシアイネン)が一人で住んでいた。



 牧師は盲目のため、彼あての悩み相談の手紙を読み上げて返事を書いてくれる



存在が必要なのだという。 勿論最初から友好的な牧師はテーブルのいちばん



近い席にお茶のカップを置くが、レイラはわざわざいちばん遠い席に座り、カップを



移動させる。 そんないやがらせ・心を開かない意志表示にも牧師は動じない。



 ここに郵便配達人が加わり、ほぼ三人だけで映画は進む。



 うーむ、これは舞台でもできそうだなぁ。



 当然、郵便配達人は突然現れたレイラに警戒し、牧師様に何かするつもりでは、



と敵意丸出し。 レイラはレイラで「こんな仕事めんどくせー」とばかりに届いた



手紙を半分捨てる(中身を改めお金が入ってたら自分の懐に入れる)、という暴挙に



出る。 まったく、イヤな女である。



 が、映画にはまったく描かれないけれども見ている側には謎というか違和感が



浮上してくる。



  1.ヤコブ神父は全国から悩み相談をされるほどの有名人なのか?



 状況は不明だが1970年代と思われる。 有名人ならば手紙だけでなく、直接



訪ねてくる人もいてもいいはずだし、教区との関係で教会関係者との間での役割と



してやっているのであれば、他の教会の人とのかかわりやら連絡があってもよさそうな



ものだが・・・描かれません。



  2.レイラが来てから手紙が届かなくなるのは何故か?



 郵便配達人がレイラを恐れて数日近づかない・・・は心情的にわかるが、仕事なの



だからいつまでも手紙を届けずにいられるはずがない。



  3.悩み相談・救いを求める手紙を書いているのは誰なのか?



 と、根本的な謎に行きつくわけで・・・。



 その謎は最後まで明かされないんだけど、「多分こういうことなんだろうなぁ・・・」



と類推することはできます。 それが、チョイ役っぽい郵便配達人の存在をぐいっと



はね上げることになりますが、それは見てのお楽しみに。



 心を閉ざしているといえば聞こえがいい、ただふてくされているだけにしか見えない



レイラ(また見た目を明らかに美人にしてないところがポイントです)が、はっきり



説教されるわけでもなく、ちょっとしたパンとチーズとお茶とコーヒー、そんな静かな



日常の存在に気が付き、何をしても変わらぬ態度のヤコブ牧師がいて・・・という



ことに心の安らぎを感じていく過程がシンプルながら美しかった。



   手紙を読むのはいつも外のテラスで。



 レイラが心を閉ざす原因は悲しいかな「よくある話」なんだけど、だからって個人が



受ける心の傷が浅くなるわけじゃない。 それを受け止めるヤコブ牧師はもはや人の



レベルを超えた存在にも思えてくるけど、それにもいつか終わりは訪れるわけで。



 感動的、って言っちゃうと嘘くさく聞こえるけど、心揺さぶられる物語だったのは



(ありがちはありがちなんだけど)、確かである。 どことなく寓話めいているのも、



雰囲気に合っていた。 これで90分に満たないのもまた潔い。



 北欧の陽の光は、緯度が高いが故にはかなくて美しい。 そんな映画です。


posted by かしこん at 04:25| Comment(2) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

個人を守るための“自粛”もありだと思います



 鬱だったのかなぁ、と思った。



 妹からのメールで「田中実、自殺だって!」ということを知り。



 (しかも妹は「一瞬、田中要次と間違えたよ」と書いており・・・あのさわやかな



笑顔の持ち主と“自殺”という言葉の不釣り合いさを物語る。 そして勿論、田中



要次さんにも似合いませんが)



 まず、「本当に自殺なのか?」と疑問を投げかけ(結構警察は簡単に自殺って



判断しちゃうって聞くから)、仮にそうだとしたら、という前提で話を続けますが。



 生真面目な人ほど、つらさをまわりに打ち明けない。 全部自分で背負いこみ、



自分で自分をどんどん追い込む。 彼も、そうであったのだろうか。



 「震災でいっぱい人が死んだのに、自殺なんておかしい!」と言う人もいる。



 確かに理屈ではそうだろうが、そこまで追い込まれている人にそれは通じない。



 むしろ、追い打ちをかけた可能性もある。 代わりに自分が死ねばよかったのに、



とか、被災地の悲惨な状況を見て更に生きる意味を見失うとか。



 自粛ムードが続くことが非難され始めているが、“自粛”という口実で明るく振る



舞うことをやめることができて助かっている人、結構多いかもしれない。



 つまりそれだけ、日本人は疲れているのだ。



 「経済を回さなきゃ」を言い訳にしないとダメなくらい、見るからに元気よくいることに



疲れているから“自粛ムード”の気配はなかなか消えないのではないだろうか。



 だって、なにもできないもの。



 原発周囲指定避難区域にいる動物たちを助けることも、小さな避難所で行き届かない



支援を待っている人たちにすぐに何かを手渡すこともできないんだもの。



 泣き寝入りするしか、ないじゃない。



 「がんばろう、日本」って、なにをがんばったらいいのよ。



 自分にできることしかできない、でもそれが役立っている気配も感じられない、それを



いつまで待てばいいのか? こんなときに連休を取る気満々の政治家どもの首級を



獲らなければ国民の無力感は伝わらないのか?



 あたしは、生真面目でいかにもいい人オーラ全開の(それこそ『刑事貴族』な感じの)、



俳優田中実が好きでした。


posted by かしこん at 02:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題・ニュースに思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月26日

遅すぎた快挙を祝いつつ・・・



 新刊をチェックしようと思って、アマゾンのランキングに目を通した。



 おや、伊藤計劃が急に売れてるのはなんで?



 そしたら、『ハーモニー』がフィリップ・K・ディック賞の次点を獲ったからだと判明。



 ・・・うれしいことだけど、ちょっと遅かったよねというか・・・まぁ日本国内でも



評価遅かったから仕方ないんだけど(外国には翻訳するタイムラグがあるし)。



   こういう装丁が許される作家でした。



 でも『ハーモニー』だけじゃなくて『虐殺器官』も売れているのがうれしいですね。



   こっちが先に文庫化なので・・・対になる装丁です。



 よかったね、ハヤカワ!



 でもドン・ウィンズロウの新刊を単行本で出すのはやめて・・・(トレヴェニアンの



『シブミ』の続編(というか前日譚)という形だから仕方ないとは思うけどさー)。



   帯がすごいことに。

          これも黒と白の対比ですね。 各¥1,680−、悩む・・・





 しばらくニュースを遠ざけていたのだが(それでもネットのはつい見ちゃうんだけど、



テレビ・新聞は無理だ)、先日からの国会中継は、ひどすぎる。



 「お前ら、やる気あるのか!」と怒鳴りつけたい人々の群れ。



 そう、群れ、なのだ。 役立たずはいくら数が集まろうと役立たずなのである。



 震災対応もろくにできない、しかもあの日以来日本の外交は開店休業状態だそう



である。 世界は日本国内のおたおたなど待ってくれるほど優しくない(というか



親日派の優しかった人々の気持ちさえも数々の失態で裏切ってくれている)。



 ドナルド・キーンさんは特例中の特例である。



 もはや世界は「日本なしのアジア・日本なしの世界」を考え始めているというのに



・・・この国を代表する方々は何をやっているのか?



 鎖国するならばすればよい。 自らその覚悟をもって。 でもそんなつもりはない



のに世界からはじかれた・・・とまた“想定外”という言葉で片付けようとするの



だろうか。



 JR西日本の福知山線事故から6年がたった。 なのに、遺族や被害者との交渉は



まだ難航していて、責任の所在ははっきりせず、なんだかよくわからない。



 日本人は“責任をとる”という意味を本当はわかっていないのかもしれない、と



思う今日此頃。


posted by かしこん at 04:22| Comment(3) | TrackBack(0) | 本・読書 reading books | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月25日

若葉茂れり・・・



 抜き去られてしまった、あたしの好きな桜の木。



 そのあとには、こんなものが埋まっています。



   なんかの基準点?



 重要なものなんでしょうけど・・・だからって元気に生えてた木を引っこ抜かなく



たってよかったじゃないのさー!



 と、先日がっくりうなだれたのですが、このところの陽気のおかげか、挿し木に



されたやつから、新緑が! よかったー、成長してる!



   が、主な木はどう見ても桜ではない・・・。



 手前、カンバ類かしら。 後ろ(写真の反対側)の方に桜の枝が挿し木されて



いる模様。 これはいったいどういうことなのか・・・。



 というか、“挿し木されてる”というあたしの感覚自体が錯覚?



 ・・・謎。



 まぁ、来年、またここで桜が咲いてくれるのならいいのだけれど・・・でもなんか、



激しく納得がいかない。 


posted by かしこん at 03:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節のこと/街の中の自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月24日

ヘヴンズ ストーリー/HEAVEN'S STORY



 今のところ日本映画最長!、と呼ばれる278分。



 この映画もまたアートヴィレッジセンターでした。 前半・後半でインターミッション



10分をはさむとはいえ、いすに座ってる状態がしんどかった・・・。 しかも一日一回



13:20〜のみで上映期間一週間、入場料¥2800である! それきついでしょ、って



ことで初めてこの映画館で前売券を買いました(それでも¥2000なんだけど、まぁ



映画2本見るのと同じと思えばいいか、みたいな)。 そのかわり土曜日も仕事の時期



だったので、チャンスは日曜日しかないわけで。 そういう意味では朝一上映じゃなくて



助かりました(起きれない可能性大)。



   世界が憎しみで壊れてしまう前に。



 全9章ということもあり、インターミッションもありで覚悟したほどの長さを感じた



わけではなかった。 でも、「日本って病んでるな〜」としみじみ思ってしまったのは



確かである。



 多くの人物が次から次へと登場し、断片的な出来事が積み重なり、それがいつしか



物語というタペストリーを織っていく。 『感染列島』の監督の方ですが、あくまで



この映画は長いから商業ベースに乗らないだけで、もともとエンタメ志向の人なんじゃ



ないのかな、という気がした(たとえ内面的にアングラなものがあろうとも)。



 一家皆殺し事件で、唯一外出していて助かった少女。



 祖父(柄本明)に引き取られることになるが途中で家族の思い出の地に駆け上がる。



車にいると思っていた孫がいない、と気付いた瞬間からの祖父の取り乱しよう、息子



夫婦ともう一人の孫を奪われた悲しみと苦しみを人に見せないようにしてきたのが



最後の一人をも失いかねないという恐れを前に感情が爆発するシーン、まったく



柄本明ずるすぎるというか・・・いい役をやってます。



 そして少女は電器屋?のテレビで妻と娘を殺されたが犯人が未成年ということで



無期懲役の判決を受け、「彼が出所したら僕が必ず彼を殺します」と発言している男



(長谷川朝晴)を見る。 少女の家族を殺した犯人はその場で自殺してしまった、彼女の



復讐対象はもういない。 だがいつか、彼の復讐を手伝おう。



 それが少女の生きる目的になるのだった。



 復讐屋を営む男(村上淳)が新たな依頼先に出向くと殺しの対象(佐藤浩市)は廃墟と



化した北の地の団地で最後まで抵抗を試みる。



 鍵屋として働く男(長谷川朝晴)は不本意な判決以来、抜け殻のような人生を送って



いる。 そして男に裏切られたばかりの客に難癖つけられ、振り回され、しかしその女



(菜葉菜)も不幸を背負っていることを知り、同情を覚える。



   そして、時が流れ・・・。



 成長した少女は復讐屋の息子と顔見知りになる。 そして男を探し出し、妻子を殺した



犯人(忍成修吾)が出所したことを告げるのだった。 しかし男にはもう新しい家庭が



あり、もう忘れたい気持ちと忘れられない気持ちに引き裂かれ、苦悩する。



 そんな前半のスピード感、すごい。



 一見無関係なように見えた人々がつながり、かかわっていく様子を季節の移り変わりと



ともに詩的な要素も絡めつつ疾走していくのだから。



 しかしインターミッション後の後半、その速度は明らかに落ちる。



 「加害者にも人権が・事情が」を描かれてしまっては、“復讐”の持つ緊迫感はなくなり、



ただ互いの気持ちに納得できない人たちの群れになる。 うわっ、我儘勝手に生きた



やつのほうが勝ちなのか?、と感じさせられる部分もあり・・・しかし“とにかく



自分が生きるため”というしたたかさにはそういう部分も必要なんだろうけど、と



げんなりさせられたりもした。



 ひよったわけではないと思うし、最初からすべてのキャラクターを分け隔てなく



描くつもりだったんだろうけれど、観客としてはただむなしさだけを引きずることに



なり・・・つらいです。



 役者のみなさんの熱演がせめてもの救いでございました(忍成修吾に「人間として



付き合いたい」と時間をかけて彼の心を開かせた女性役の山崎ハコさんのパワーが



失速した後半の吸引力になりましたが・・・彼女の思い出の地が廃墟と化した



団地なので・・・はっきりとは描かれない部分を想像すると誰しも闇を抱えすぎ)。



   「初めて信頼できる人に出会った」

        ならば愛する者を突然奪われる憎しみも想像できるだろうに・・・

        それとこれとは別、なのが所詮人間の弱さなのか。



 映画的にも最後には希望を、と考えたのか、物語上のルールを破り、なんと少女に



救いを与えてしまいます。



 これはちょっと、いただけない。



 そして語りすぎのエンディングテーマも、無粋すぎでした。



 前半はよかったのに・・・けれどこの映画が提示する“罪と罰”・“生と死”は確かに



重いし、考えさせられる(ただ、死んでいく者と生まれいずる者との対比はあまりに



ありがちというか、陳腐だ。 あたしはこういうまとめが苦手なのだ。 江口のりこさんは



またも無愛想仏頂面だったし)。



 というわけで、いろいろ考える。



 下手にきちんと完成した映画だったらここまで引きずらせるだろうか・・・そう



考えれば、未完成・未成熟な作品であるが故に届くものがある、ということなのかも



しれない。 面白くなかったわけじゃないですよ。 ただこれだけの時間があっても



まだ語られてない部分もあるわけで・・・キャラクター多すぎたかなぁという部分も



あれど、人生で出会う人のことすべて把握できるわけじゃないし、一瞬の交差の意味も



あるのだろうなぁ。



 というわけで賛同できない箇所はあれど、キライになれない。



 このような映画をつくれる余地があるのなら、日本映画界もまだ大丈夫かなぁ、と



思えました(前の『海炭市叙景』の存在も含み)。


posted by かしこん at 06:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

はしごカフェ 2



 カフェ文化の根付いている街・神戸でありますが、あたしがまだ「普通のカフェ」との



距離感がうまくとれずに、結局チェーンのカフェばかり行くことが多くなっております。



 いや、それなりに行ったりしてるんですけど、お店が狭かったりお店の人との距離も



近かったりすると写真を撮っていいのか悩むし、どれくらい長居していいのかの感覚が



つかめないんですよね・・・それこそ、長く通って常連になるしかないのでしょうが。



 というわけで、例によってスタバであります。



   バナナのパンケーキとともに。



 新商品の“ココアカプチーノ”を試してみたくて。 カップのロゴも新しい



 しかも夜に行ったのに朝食メニューであるはずのパンケーキがひとつだけ残って



いたので、それもオーダーしてみました(ホイップバターとはちみつ入りメイプル



シロップがつきますが、あたしはホイップバターだけで十分。 メイプルシロップは



実家への食糧救援物資の箱の隙間にしのばせました)。



 コーヒーがもともと得意ではないあたし、ラテ系はOKになってきたけれどカプチーノは



もう一段階ハイレベルな印象なのですが・・・カカオならば大丈夫かと思って。



 しかし一口目、ガツンときたのはフォームミルクに包まれたエスプレッソだった・・・。



 しかも、熱い。 ちょっと待て、とパンケーキ一枚を先に食べる。 それからカップを



軽く振って、再挑戦。 ・・・あ、チョコレートの味が。 でも“ココア”の名の通り、



チョコはあまり強くない。 ココアのほのかな苦みが、エスプレッソの苦みと調和するの



でしょうか。 うーん、ココアに期待しすぎたか。





 その後、たまたま空いているのが見えた上島珈琲店。



 季節のミルク珈琲が“イチゴミルク珈琲”となっていたので素通りできず。



 イチゴが好きです。



 席をとってオーダー通してもらったが・・・つくってくれた方がまだ慣れていない方



なのか、明らかに看板の写真と違うものが出てきました。



   どこがイチゴかわからん・・・。



 写真では浮かぶホイップクリームの上にストロベリーソースが、という感じだったの



ですが。 ホイップ自体も沈んでおります。



 これはどういうことだ、とスプーンをカップに差し入れると・・・何かが底に沈んでいる!



しかも明らかに個体・・・そうか、プレザーブ状のイチゴ(いちご本来の形を残した



ジャムのようなもの)が入っているのか、と思ってひとつすくって口に入れたら・・・



違うよ! いちごのペーストが固まってるだけだよ!



 がしがしと、スプーンでかきまわす。 まだ熱いうちにペーストを溶かさなければ!



 なるほど、これがホイップの上に乗せられていったのなら沈むはずだよ・・・。



 完全には溶けきれなかったんだけど、かな―り甘いイチゴ味になりました。



 コーヒーの味はどこに? うむ、これはイチゴペーストを規定量より入れすぎたん



ではないだろうか? そんなに“いちご好き”な顔をしていただろうか・・・これもきっと



サービスだったんだろうな、と思うことにするが、次にまた“イチゴミルク珈琲”を



頼むかどうかは自信がない・・・。


posted by かしこん at 08:55| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

コーエン兄弟二本立て!



 『シリアスマン』は去年のアカデミー賞候補、『トゥルー・グリット』は今年の候補。



 製作上では一年以上のタイムラグのある作品が日本で(というか神戸で?)ほぼ



同時公開って・・・。



 しかし『シリアスマン』を先に見て、理由がわかりました。





シリアス・マン/A SERIOUS MAN



 冒頭で、ちょっとした寓話が披露される。 時代いつ? どこの話?(ポーランドっ



ぽいかなーと思ったけど) 何故か画面も地上アナログサイズ。



 転じて1967年、舞台はあるユダヤ人コミュニティ。 小さな大学で物理学を教えて



いるラリー(マイケル・スタールバーグ)はこの上ない平凡な生活を送っていると



思っていた。 しかし妻と息子と娘、同僚、ご近所などなどにより、彼が平凡だと



信じていた世界がガラガラと崩れ落ちていく出来事が多数。 何故こんなことに?



   黒板に書く数式は、心の平穏。



 いや、そもそものトラブルはもしかして、元々彼の中にあったのでは?



 気がつかない振りをしていただけだったのでは?



 コーエン兄弟らしさ全開の不条理劇なれど、『ファーゴ』的な悲惨な出来事は



起こさず、あくまで淡々と日常生活の延長を描いているのが新しい。 息子が



ヘッドフォンカセットで聴くジェファーソン・エアプレインの“SOMEBODY TO LOVE”が



観客を巻き込むドラッグのようにじわじわと効いてくる。



 ユダヤ人コミュニティというのがまず日本人には馴染みがないということと、明らかに



顔の売れている人が出ていない、というのが日本公開の遅れた原因であろうと思います。



   かみ合わない息子との会話、

          そして息子の心配事は当然親に話せる種類のものではない。



 しかしユダヤ人ってこんなめんどくさい生活なのか、それとも60年代という時代の



せいなのか、と考えつつ、これくらいの制約で「めんどくさい」と思っちゃってる



あたし、どれだけ自由を謳歌しまくりなのか・・・。



 不安・怒り・鬱屈・悲しみなど、人の感じる負の感情が渦を巻き、とてつもない



内的パニックを引き起こすのだが、他人事だと思うとそれはとてもおかしくて、哀れ。



 だからすべてが落ち着いて、いい方向に行くように思えた瞬間、彼がしでかして



しまった愚かな過ちをまるで待っていたかのように鳴る電話、強い風。 所詮人は



ちっぽけだと、希望などはかなくただそこにあるのは運だけにすぎないと思わされる



ラストシーン。 それを絶望ととるか、その先に希望があるととるかは観客次第。



 それとも、神はそうして人を試しているとでも?



 相変わらず放置プレイなコーエン兄弟。



 実は、地震後にあたしが映画館で最初に見た映画がこれだった(選ぶのを間違ったと



自分でも思う)。 だから、ラストシーン、あたしは絶望に見えた。





トゥルー・グリット/TRUE GRIT



 あまり西部劇がよくわからないあたし。 ジョン・ウェインも名前は知ってるけど



自分の中にそんなにイメージがありません。 『勇気ある追跡』のリメイクだという



本作ですが、当然オリジナルは未見。



 そして今回外国人観客が多い映画でもありました・・・日本人的感覚からは笑えない



人種差別的表現ポイントでゲラゲラ笑う彼らを感じて、基本的に相いれない文化という



ものはあるのだと考えさせられる(いや、日本人でも笑える人はいるのだろうけど



・・・あたしはひきました)。



 14歳の少女マティ(ヘイリー・スタインフェルド)は、トラブルに巻き込まれて



殺された父親の仇をとるため単身町に出てくる。 父親が売った馬の代金をハッタリと



度胸で取り返し、それを元手にいちばん有能な保安官を雇うためだ。 町の噂で、



もっとも有能で“真の勇気(トゥルー・グリット)”を持つというコグバーン保安官



(ジェフ・ブリッジス)を探し当てるが、本人は飲んだくれでやる気のなさそうな



人物だった。



   14歳少女、この世界に馴染み過ぎ。

             今後の女優としてのキャリアがちょっと心配。



 ジョン・ウェインがどう演じたのかはわからないのですが、今回のジェフ・ブリッジスは



ちょっとやりすぎじゃないですか・・・なくらい、“飲んだくれで捨て身の男”をオーバー



アクション気味に。 それにしても西部劇っていつの時代なんだ、無法地帯じゃないか、



と愕然としたあたし(一応、法廷や法律はあるようですが証拠の厳密性とかは



問われていない)。



 意地で全身を固めた少女と、自己嫌悪を振り払えないおっさんがいかにして心を



通わせ、犯人を追う上でのパートナーになっていくかというのが見どころかな。



 はっきりいってこの映画、主役は14歳の少女マティであります。



 むしろコグバーン保安官は助演では・・・。



 途中で犯人を別の罪で追っているテキサスレンジャーのラビーフ(マット・デイモン)も



追い付いてくるんだけど、最初気づかなくて「なんかこの人、マット・デイモンに



似てるな〜」とのんきに思っていたあたしでした。



   だってそのひげ面・・・。



 で、探し出した犯人チェイニー(ジョシュ・ブローリン)ですが・・・うわー、また



悪役か〜、と頭を抱える(でも似合ってるんだからしょーがない)。



 チェイニーがボスと仰ぐ、コグバーンの宿敵もどこかで見たことある人なんだけど



・・・わっ、バリー・ペッパーだ!、と気づいたときのショックときたら。



   荒野と馬があれば西部劇ということで?



 決闘・対決、というシーンも勿論あるし、マティのために自分の身を省みない行動に



出るコクバーンはかっこいい。 けれどそれでいいのか、というくらいまとまっている



面も・・・コーエン兄弟らしくない正攻法。



 そして25年後のエピソードが、とにかく切ない。



 今とは全く違う、たやすく連絡のとれない環境で流れる時間の重さは、短いかも



しれないけど重さは計れない気がする。 あの日々がマティの人生そのものを変えて



しまったのだし、でも決して彼女はそのことを後悔したりなどしなかっただろうし。



 しかしこういう身も蓋のなさとか、登場人物よりも宗教観のようなものが映画内



ルールのように敷き詰められていたり、らしくないように思えながらもやっぱり



コーエン兄弟の映画だったな〜、と実感。


posted by かしこん at 04:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

久し振りに邦楽のCDだけ買った!



 聴く音楽はすっかり洋楽中心となっておりますあたしですが、日本のアーティストを



まったく聴かないというわけではないのですよ。 ただ一時期、非常に日本語をバカに



している!、と憤慨するやつらばかり出てきていたので遠ざかってしまい、そのままに



なっていただけで。



 でも最近はその反動なのか、きちんと“歌詞”を大事にする若手の方々が出てきて



くれているようでうれしいのですが、きっかけがないためにはまりこめません(もともと、



無名の時代から発掘して応援します!的パワーはあたしにはないので、耳にして



気に入った方々は追いかけますが、ある程度売れてくれればあたしが応援しなくても



もういいかな、と手をひいてしまうこともあり。 ゆずとかミスチルとかですね、CDを



買わなくても耳に入ってくるし、誰かが貸してくれたりするし)。



 しかし、売れる売れないに関係なく新作が出るたびに買ってしまう人はいる。



   どーも/小田和正



 前々作『個人主義』で「もうオリジナルアルバムはつくらないかも」発言をしていた彼。



「シングルがある程度たまったらアルバムにする感じかな」と言っていた通りに、



10曲中7曲がタイアップであります・・・(というわけで今頃ドラマ『トライアングル』の



主題歌『さよならは 言わない』が入っているという)。 またタイトルも適当っぽい・・・。



 でも、いいのです。 曲が似てるとか歌ってることが似てるとかいいのです。



 小田さんの声が聴ければ、それで。 そして売れるでしょうが。



 が、レコード会社がアリオラジャパンって、なに? 小田さん、ファンハウスじゃ・・・



と思ったらコーラスやってる佐藤竹善のS.L.T.の所属もユニヴァーサルジャパンに



なっており、スタレビはいつからテイチクですか?! と、今頃レコード会社再編の



波とかある程度ベテランの方々でもリストラされる現状とかが感じられて哀しくなって



しまった・・・(こういうのを感じたくないから邦楽から遠ざかってるのかも)。



 えー、ちなみにS.L.T.の新作は地震の影響で発売延期(未定)となっております。



 そしてこれも発売予定が二転三転しましたが・・・。



   ベストマテリアルズ/椿屋四重奏



 最初聞いたときはメジャーデビュー後のベストと、インディーズ時代のベストを別に



出す、という話だったような・・・が、蓋を開けたら初回限定盤にインディーズベストと



ビデオクリップDVDつける(標準盤はメジャー後ベストのみ)という仕様になった。



 これで¥980しか違わないんだったら初回限定盤買いますよ。



 で、聴いてみると・・・やはり最初の頃は粗削りというか、歌い方もメロディーの勢いに



引きずられていまいち歌詞が聞き取れないとかありますが(勿論それが好きだったと



いう方もいらっしゃるでしょう)、だんだん“伝わる・伝える”方向になってきていて、



ラストシングルとなった『マテリアル』でそれは高度に完成の域に達そうとしていた



わけで・・・やっぱりこの先が楽しみだったなぁ、と(特にファンというわけじゃ



なかったので傍観者的感想で申し訳ないのですが)思うのです。



 さて、最後に新人を一人。



   リアルタイム・シンガーソングライター

                        /高橋優




 「今思ったことを今歌う」というキャッチフレーズに「え?」となってしまったあたし



でしたが、毎日パワープレイされた『ほんとのきもち』がぱたっとかからなくなったら



ふいに寂しさを覚えてしまい、「やられた・・・」と敗北宣言。



 そう、言葉数の多い人に弱い、というのもあたしの癖です。



 今はちょうど時節柄(?)、次のシングル『福笑い』の♪“きっと世界の共通言語は



英語じゃなくて笑顔だと思う”♪に注目が集まっていることもあり、インタビュー聞いた



感じではご本人も基本的には真面目な青年のようだったので、ブレイクしてくれたら



いいなー、と思います。


posted by かしこん at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | Music! | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

大きな黄色い、満月に近い月



 実家より、「単一・二の電池が全然ない」の連絡あり。



 前々からそういう話は出ていたので探していたのですが・・・神戸でも見事に品薄。



 ついに100円ショップなども回ってみましたが、総じてどこも「入荷未定」。



 いったいどこにあるのか? 首都圏か? それとも単一電池自体生産減少傾向に



あったということなのだろうか。 急に増産しようとも追いつかないくらいに。 しかし



政府が隠匿したという190万とも210万個ともいわれた乾電池の単一の割合はいかに?



 というわけで単三・四電池で動くライトらしきものを探した方が建設的である、という



ことで上の妹は手元用ライトと、玄関に設置するライトを購入したらしい。



 次にいつ停電になるかは、予測がつかないと同時にいつ来てもおかしくないものだから。



 さてそんなあたしは、“しょうがはちみつ漬け”をそろそろお湯割りから変更して、次に



ジンジャーエールにして飲んでみようかなぁ・・・と炭酸飲料(願わくば『三ツ矢サイダー



ゼロ』)を購入しようと思ったのだが、近所のスーパーにはなかった・・・。



 ファンタオレンジやグレープ、ペプシ&コカ・コーラはあるのだが、透明炭酸がない!



 ハイボールをつくるための酒メーカー炭酸はあるが・・・1.5リットルを¥198で



買おうとしてる気分としては500ミリで100円越えは・・・つらい。



 こういうのも、贅沢になってしまうのだろうか。



 ピンポイントでほしいものがなかったら、代用品でなんとかせよ。 場合によっては



代用品すらない場合もあるのだから、それ自体を幸運と思いたまえ、と。



 3・11後、日本は貧しくなるという人がいる。



 いや、すでに心は貧しかったのだ(とくに都会は)。 これまではそれを物質的豊かさで



埋めていた。 ベールをはがされたらもう貧しさしか残らない。 むしろ豊かな心は田舎に



こそ残っている、のかもしれない。



 今夜は満月だったのだろうか、やたらに低くて、だからいつもより黄色く大きく見えた。



クレーターの色の差がわかるほどに。



 けれど道を進むとすぐに建物の影に隠れてしまった。


posted by かしこん at 06:24| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

積読本減らしキャンペーン続行中・・・@



『追想五断章』/米澤穂信



 親の死により大学を休学、復学のための学費稼ぎと生活費を節約するために



主人公は古書店を営む叔父の家に居候し、仕事を手伝うことに。



 ちょっと映画『森崎書店の日々』に似ていなくもない設定だけど、こちらの主人公は男で、



人生の展望をすでに暗く掴んでいるところが大きな違い。



   “青春後”の物語だと言われています。



 そんなところに、信州から「生前父が小説を書いて同人誌などに発表していたらしい。



その5編をすべて集めてほしい」と依頼が入る。 店主は叔父なれど、ちょうど対応に



出たのは主人公。 報酬の金額につられて調査を始めてみたものの・・・それは



“家族の秘密”に結果的に土足で踏み込む行為だった。



 米澤穂信という作家、『古典部シリーズ』とかライトノベルタッチのところから出てきた



方なのでハッピーエンド指向なのかと思いきや、意外にも「後味のよろしくない話」・



「ラストがいまいちすっきりしない話」がお好きなのでは・・・と思います。



 これは幾分希望がにじむラストではあるけれど、その解釈も取りようによっては



変わるので。 あたしの好きな『犬はどこだ』や『さよなら妖精』もそういう傾向なので



・・・『ボトルネック』はかなりマイナスな方向のラストだとあたしは解釈しましたし



(『インシテミル』はだからちょっと別方向だと思います)。



 この方は、ミステリやどんでん返し要素がなくても、読ませる物語をいつか書く人だ、



と思っています。





『幽霊たち』/ポール・オースター



 今更かい!、のつっこまれ覚悟でございますが、一応自分を弁護しますと、再読で



ございます。



   装丁、古いままだな・・・。



 一度目は県の図書委員の研修会に来た講師がこれを激賞していて(多分読んだ



ばっかりだったんだろう)、それで気になって読んでみたものの・・・高校生の頃



『ノルウェイの森』の面白さがわからなくて文学を敬遠気味だった時期に更にポスト



モダンを読んでも・・・「ふーん」で終わったような記憶あり。



 で、最近ジョン・バンヴィル読んでみて読解力ついてきたかも!と感じてきた自分



(遅い・・・)、あらためてこの本に向き合ってみることにした(佐々木蔵之介主演で



舞台化決定のお知らせもあり、「あれをどうやって舞台で?」と考えるきっかけにも



なった。 余談ですが、きたろうさん主演で『ゴドーは待たれながら』を再演して



いただけませんかね)。



 私立探偵のブルーは、ホワイトの依頼でブラックの一部始終を見張り、報告書を



ホワイトに提出するという依頼を受ける。 任務を遂行するブルーだが、あまりに



動きのないブラックに対して疑問が沸き起こる。 見張っているのは自分のはずなのに、



まるで自分が見張られているような。 いつしか自分の存在すらも曖昧に思えてきて。



 あ、なんか、『ゴドーを待ちながら』に通じるものがありますね。



 変装したブルーがブラックと何気ない会話を交わす場面では思いのほかドキドキして



しまった(前、読んだはずなんですが・・・)。



 いわば“書くことの恍惚と不安”という内容なのでしょうが、80年代を代表する



アメリカ文学を2010年の目で見れば・・・結局のところ“他者に認められての自分”と



いう域から自意識は脱却できないようにも感じて。


posted by かしこん at 03:10| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

海炭市叙景



 これもアートヴィレッジセンターでした。 ここは行くときはやたら続く。



 舞台はタイトル通り北国の小さな町・海炭市ですがスクリーンに広がる町は



明らかに函館市。 函館オールロケらしく、なんとなく見覚えのある風景もある。



 なによりも降る雪が北国のものなので、懐かしさを覚える。 これって、郷愁?



   『かいたんしじょけい』と読んでください。



 “叙景”というタイトル通り、メインストーリーはありません。 この土地に住む



人々の日々を切り取って積み重ねたもの。 それが最後につながっていくけれど、



安易なハッピーエンドなどにはならず、ただ、人生は続く。



 かつては一大産業だった造船所も、今はリストラの嵐が吹き荒れている。



   組合の話し合いは、紛糾。



 結局仕事を失った青年(竹原ピストル)は妹(谷村美月)を連れて初日の出を見に



行こうと山に登る(それは、二人の子供時代に重なる記憶でもあった)。



 市役所職員(山中崇)が周辺地域開発のため立ち退きをおばあさん(中里あき)に



お願いする。 猫だけでなく様々な動物を飼っているおばあさんは首をがんと振らない。



 ある日、おばあさんがいちばん可愛がっている猫が姿を消す。



 プラネタリウムで働く男(小林薫)は仕事を愛し、星を愛し、訪れてくれる客に



感謝しているが、妻(南果歩)は勝手にスナックで働くようになっており、息子とは



口もきけない毎日。



 代々続くガス店を継いだ若社長(加瀬亮)は、今後はガスだけでは商売はやって



いけないと浄水器販売に目をつけ、東京からやってきた男(三浦誠己)とともに



得意先を回るが、成果は出ない。 しかも再婚した妻には浮気がばれており、連れ子の



アキラは義母によって虐待されている。 何もかもうまくいかないある日、若社長は



ガスボンベを持つ手を滑らせ、自分の足の上に落してしまう(都市ガス地域の方には



わからないでしょうが、プロパンガス地域ではガスボンベを定期的に交換してもらわ



なければならないのです)。



 路面電車の運転手(西堀滋樹)はたまたま路上を歩く息子(三浦誠己)を見かける。



息子は東京で仕事をしているはずだが、といぶかる父親のもとには息子は帰ることは



なかったが、母親の墓の前で鉢合わせをしてしまう。



 そんな点描スタイルに最初なじめず、造船所パートの途中でうっかり寝そうになって



しまったのだが「あぁ、この映画はそういうことか」と理解できてからは立ち直り、



最後まで無事完走。



 プラネタリウムのおじさんが「よかったらこれ」と星座早見表を渡すのがアキラくん



だったり、ブチ切れた義母によって勉強道具一式とともに窓から投げ出されても



いちばん最初に拾うのが星座早見表だったりと、まったくかかわりのなさそうに



見えた人たちのつながりが少しずつ見えてくる過程がミステリアスでもあり予定調和っ



ぽくもあり、でもそれが「パズルのピースがはまっていく」ということなのかもしれない。



   気づけば、それぞれの決断を乗せて

                           路面電車は走る。



 多くを語らない、とても静かな、映画。



 原作もそうなのかなぁ。



 その雰囲気を活かすこと、壊さないこと、それがこの映画の目的のようにも思えて。



 わー、函館市のフィルムコミッション、がんばってるなー、とちょっとうらやましく



なった(あたしの地元は確か函館市と姉妹都市だったか?で、かつて互いのフィルム



コミッションと共同で映画をつくろうとか盛り上がっていたような記憶があるのですが、



今はどうしているのやら)。



 でもあとから事情を聞いたら、この原作を書いた作家(佐藤泰志)は函館市出身で



村上春樹と同期、実力はあると認められながらも不遇な生活を送り、41歳で自殺と



いう衝撃の幕切れを果たした人物とか。 地元の人間としては何か報いたい、と思う



気持ちはわかるし、それが作者の代表作である作品の映画化へとつながったようで



・・・地味ながらこの映画から漂う力強さはそんなスタッフたちの意気込みなん



だろうなぁ、と思う。



   心を閉ざす妹の姿には、何も

   語らずともその思いは見えるようで・・・彼女のその後の人生を考えると、つらい。



 実力も知名度もある俳優さんにまじって現地でオーディションして出演が決まった



方も結構いらっしゃるようですが、素人加減がそんなに気にならなかったのもよかった。



プロの方もかなりオーラ消して演じてたからかな?



 この映画も結構長かったですが・・・(2時間半くらい?)、しかしそれほど長さは



感じなかった。 土地の風景がこんなにも雄弁な映画、他にあっただろうか。



 ただあたしが函館に多少の親しみを感じている(何度も行ったことがあるから)と



いうことだけでは説明がつかない気がする。 この映画の主役はこの町にかかわる



人々である前に、この土地なのだ、ということかもしれない。



 原作を読んでみたい、という気持ちになりました。





 これで、あたしが3・11前に見た映画についてやっと書き終わることができました。


posted by かしこん at 05:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月17日

国民の映画 @ 森ノ宮ピロティホール



 三谷幸喜新作、実力派キャスト共演!の、この舞台、チケットが獲れただけでも



運がよかったのかもしれませんが・・・遠いよ、ステージが遠い席だったよ〜!



 冒頭、スクリーンにニーチェの言葉が引用されたけど、文字が薄くて全部読めま



せんでした・・・。



   「ロビーを含む会場内は撮影禁止です!」と

              言われたので会場外に貼られていたポスターを撮りました。



 暗闇の中、映写機が回る。 その強い光に浮かび上がる二人の男が小日向文世と



小林隆であることに気づき、ちょっとほっとする。 遠くても、シルエットでわかるって



目の悪い人間にとっては大事なことです。



 ドイツ第三帝国宣伝省ヨゼフ・ゲッベルス(小日向文世)は映画や芸術の愛好家。



その腕を買われてナチスの宣伝担当大臣にまで上り詰めた男だが、彼の中には



政治色を奥に潜めた完全娯楽映画をつくりたいという夢があった。 そのために



ドイツ映画界で活躍する人々を集めてパーティーを開き、自分の構想を発表する



つもりだった。 だが、招かれざる客ハインリヒ・ヒムラー(段田安則)、ヘルマン・



ゲーリング(白井晃)の登場により事態は思わぬ方向へ・・・。



 小林隆さんが執事フリッツの役だったので「似合う〜!」と大笑いさせてもらい



(でももし伊藤さんが生きておられたら伊藤俊人さんがこの役をやったのだろうか



・・・とも一瞬考えたりして)、三谷作品に待望の初出演である段田さんが登場から



すっかりコメディリリーフで・・・後半は(なにせヒムラーですから)冷酷無比な



ところを見せるんだろうなぁとわかってはいるけど、若干ステレオタイプっぽい役柄で



少しさみしくなる。



 あたしは以前に『ヒトラー〜最期の12日間』などの映画を見ているので、当時の



ナチス高官についての知識は多少残っているため特に抵抗はありませんでしたが



・・・ゲッベルスの妻マグダ(石田ゆり子)の奔放さにはちょっとびっくり。



 最後にはあれほど狂信的にヒトラーに入れ込む人が、こうなんだ。



 いや、三谷幸喜は実在の人物を登場させてもそれはあくまで触媒的な役割しかなく、



歴史上の事実の余白に物語をつくりだす人だということはわかっていますし、人の



性格は一面的なものでもないし「それっておかしいんじゃない?」と言うつもりでは



なく、自分の中にあるイメージとの落差に驚きつつ、あたしの中にあるイメージに



捕らわれてしまっている自分に気づくわけです。 第一印象はなかなか覆らない、と



いうことですね。



   出てるのはこの方々だけではない。



 今回は登場人物がそこそこ多いのですが・・・ドイツ人のフルネーム、発音が



(席が遠いせいもあって)聞き取れません! だから次々現れる人物が誰が誰やら



・・・『意志の勝利』の話題が出て、やっとその人がレニ・リーフェンシュタール



(ベルリンオリンピックの記録映画『オリンピア』の監督)だとはっきりわかるという



かなしさ(しかも演じてる人を最初は吉田羊さんだと思っていて・・・新妻聖子さん



でした)。 ちなみに吉田羊さんはゲッベルスに取り入りたい新人女優(これは架空の



人物)で、全然イメージと違っていたのでそれもびっくりでした。



 それもこれも舞台が遠いからよ〜、そしてみなさん(特に女性陣は)メイクばっちり



だからよ〜。 石田ゆり子がすぐわかったのは彼女一人が微妙にちょっと下手だから〜。



 「段田さん、出る!」ということに盛り上がりすぎてたあたし、他に誰が出るのか、



誰がどの役なのか一切リサーチしなかったための大失敗です。



 映画監督にして俳優・エミール・ヤニングスは風間杜夫で、斉木しげるさんばりの



一人コントを繰り広げてくださり、さすがかつての仲間!、と感心(感心するところが



違いますが・・・でも当然ながらしめるところはきっちりしめるわけです)。



 白井さんが出ることは覚えていたので、「じゃあケストナーなのかなぁ」と思っていたら



それは今井朋彦さんで、一幕の最後の最後に現れたゲーリング元帥に「誰?!」と



大混乱してたらそれが白井晃さんだった・・・だって、あごのラインとか首筋とか含めて、



“太めの人メイク”ばっちりだったんだもの。



 登場人物が勢揃いしたところで、まず幕。 休憩15分。 前の列に座っていた



20代の女性3人、やはりあたし同様よく見えないようで・・・「あれって誰?」な話を



していた。



 「ヒムラーって、あのしゅっとした人やよなぁ」



 「そうそう、しゅっとした人」



 そうか、段田さんは若い演劇ファンには「しゅっとした人」で通っているのか・・・



それが休憩時間の収穫でございました。



 第一幕は「お揃いになったのでお食事にいたしましょう」なところで終わり、第二幕は



食事が終わり、客人たちが食後の時間を思い思いに過ごしているところから始まる。



 そしてゆるやかに、「実はこの舞台のほんとうの主役はフリッツである」という



前振りがきっちりなされているのに気付く。



 以前、“かわいそうな、哀れなユダヤ人”という立場を脱却しなければ新たな



ホロコースト映画をつくる意味はない、と誰かが発言していたのを見たことがあるん



だけど、それを踏まえるとこの『国民の映画』にも、“今、何故、この題材なのか”を



わからせる義務がある。 当然脚本家もそういうことは意識しているわけで、劇中で



「ヒトラー」という名前は一度も出てこない。 「ユダヤ人」という言葉は2回、



一度目は恐ろしい悲劇の引き金として、二度目は人間の無意識の冷酷さの証明として



使われる。 “盲目的に差別を信じる気持ち”は特に3・11後、対岸の花火では



ないため、脚本家が意識した以上に背筋の凍る台詞になってしまったのはよかったのか



悪かったのか。 そしてマグダの最後の台詞は実際の彼女のその後にしっかりと



つながるようになっており、あたしの中のイメージも守ってもらえました。



 登場人物たちのその後紹介で、レニが死んだのが2003年とわかると観客から



どよめきが起こった(え、そんな最近まで生きてた人なの?、みたいな)。 え、



亡くなったとき「政治と芸術は相いれるのか」みたいな論争が『意志の勝利』・



『民族の祭典』・『オリンピア』を引き合いに出されて新聞記事に踊ったではないか。



ちょっと前、ニュープリントで再上映するとかで話題になったではないか。 



 知られてないんだなー、ってことに驚く(パンフレットの三谷幸喜インタビューで



「エーリヒ・ケストナーもお客さんは知らない人ばかりかも」みたいな記述があって



「まさか」と思ったけどありうる話だ・・・とはいえあたしのなかでもケストナーは



『飛ぶ教室』の人ですが)。



 前半はかなり笑いがちりばめられておりますが、最後の30分でドスンと重くなり、



その重たさは家に帰ってからも続きます。 歴史が示すのは事実だけだけれど、それを



するのは人間、しかも一人一人は“普通の人”。 では、何が普通の人を変えてしまう



のか、そもそも“普通”とはなんなのか。 その基準は時代の空気によって変わるもの



かもしれないけれど、その空気もつくるのは人のはず。 自ら信じるもののために命を



捨てて抵抗するか、うまく空気を読んで立ちまわるか、たとえどんな状況でも「これは



おかしい」と思う気持ちを持ち続けることができるのか。 抵抗の仕方は人それぞれ、



でも誰しもが考えなければいけないこと、ということだと受け止めました。



 一言でいうならば、テーマは「誰しも芸術を愛する権利はある、しかし芸術の側に



だって選ぶ権利はある」ということかもしれない。



 本質的なところでは『笑の大学』に通じるところもあるんだけれど、なにせ実話が



ベースなので歴史的事実の重さが加わっちゃってるためしんどさは計りしれず。



 ただ唯一の心残りは・・・段田さん、結構予想通りだったなぁ、ということ。



 あたしは何を期待していたのかしら。 ・・・近い席で見たかったなぁ。


posted by かしこん at 05:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

恋とニュースのつくり方/MORNING GLORY



 レイチェル・マクアダムス、かわいいと思います。 あたしの中では『消された



ヘッドライン』がベストにキュートですが、それをこれは越えてくれるのか、という



期待にて、鑑賞。 実は監督『ノッティングヒルの恋人』&脚本『プラダを着た悪魔』と



いう布陣、サポート役にハリソン・フォードとダイアン・キートンまで出ているという



豪華さでの“お仕事女子ラブコメ”。 こういうところ、やせても枯れてもハリウッド、と



いう意地を感じます。



 しかし結論として、『消されたヘッドライン』のほうがかわいかったかなー。



 ベッキー(レイチェル・マクアダムス)は地方のテレビ局のモーニングショーの



スタッフとして働いていたが、突然リストラにあう。 しかしいつか三大ネットワークで



番組をつくるのが夢の彼女はあらゆるテレビ局に企画書や意気込みこみの履歴書を



送りつけまくる。 ちっとも反応がなくあきらめかけた頃、ニューヨークから電話が!



 結果的にモーニングショーの新しいプロデューサーに採用されたベッキーだが、



いざ蓋を開けてみればその番組は超低予算の超低視聴率番組だった。 とにかく



視聴率を上げなければ、と彼女がとった作戦は、伝説のジャーナリストでかつての



花形報道キャスターだったマイク・ポメロイ(ハリソン・フォード)を起用することだった。



   しかし思惑通りには・・・。



 だがニュースキャスターとしてのプライドが、モーニングショーの司会なんぞに



耐えられるわけもなくトラブル続出。 初めからのメイン司会者であるコリーン・ペック



(ダイアン・キートン)との確執も始まり、いったい番組はどうなっていくのか・・・。



 そう、予告で気になったのが、ベッキーを面接していたのがジェフ・ゴールドブラムっ



ぽかったから! 実際にも彼だったんですが、すごいお久し振り!って感じでやたら



うれしかった。



   個人的には『ジュラシックパーク2』以来かもしれん。



 明らかにワーカホリックのベッキー、髪はいつも簡単ポニーテールで前髪はふっ



飛ばし状態。 スキンケアもしてる時間ないんだろうな、と目の下のクマやらくすみ



なんかそのまんま、ではあるのですがアップになってもそれが痛々しくないところに



彼女の若さが活かされているのでしょう(『噂のモーガン夫妻』のサラ・ジェシカ・



パーカーのアップは痛々しくてつらかったよ・・・)。



 そんな彼女に興味を持つのは、同僚だが部署の違うアダム(相変わらずハンサム



なのかハンサムじゃないのかの微妙なラインのパトリック・ウィルソン)。



   初デート?は局の近くのバーで。



 手ごわい仕事に新しい恋、ベッキーは両方手に入れることができるのか?



 アダムは「働き過ぎだ(というか意識を仕事に持って行きすぎ)」と彼女に言うの



だけれど、ある程度結果を出さなければ仕事においていくらいいこと言っても相手に



してもらえないのではないか? そのためには最初にがんばれるだけがんばるのは



当然ではないだろうか(これって日本人的感覚?)。 だからベッキーの気持ち、



あたしはよくわかったけど。



 無理やり恋愛部分を持ち込まずとも、お仕事のことだけで十分物語はもったと



思うんだけどな。 ベッキーとコリーンの関係ももっと掘り下げてもよかったと



思うし(その点、ダイアン・キートンがもったいないというか、もっと活かして



あげればよかったのに)。



 が、いちばんおいしいのはハリソン・フォードなのである。



 どう考えても看板報道キャスターに見えないんだけど(戦場リポーターならすごく



似合ってると思うけど)、頑固でプライド高くて負けず嫌いの男がいやいやモーニング



ショーの司会に座る、という視聴者へのサービス精神一切抜きの露骨な仏頂面、



コリーンへの対抗意識など“おとなげない態度”多数。



   この二人の陰険漫才的やりとりが見たくて

                 チャンネルを合わせる人、いるかも。



 番組打ち切りがかかってくるからとにかく視聴率を上げたい、そのためには何でも



するベッキーと(そのおかげでいつの間にか体当たりレポーターにさせられちゃった



天気予報のおじさん、面白すぎ)、テレビは視聴率ではない、即効性の真実を映し出す



ことこそいちばんの役割、と考えるマイクとの溝は埋まらない。



 この二人がどう歩み寄るか・・・というのがこの映画の見せどころでもあり、



お仕事女子としての生き方を考えさせられるポイントでもある。



   自分を知ってもらうだけでなく、相手を知ること。



 仕事って仲良くなりすぎてなれあってもいけないけど、信頼関係とチームワークが



なくてもできないのよね。 けれどそれの基礎を築くのはプロ意識と、仕事への姿勢。



過労死するほど働くのはダメだけど、自分のやりたいことのために精一杯打ち込める



ものがあるならば、その時期は“お仕事命”になってしまってもいいのでは? そんな



時間、長くは続かないのだし。



 そんなことをつい考えてしまうあたしは、実は働くことが好きなのだろうか?



 映画としては“ハッピーなラブコメ”の域は出ていないんだけど、これはこれであり



なのではないでしょうか。 若干時代遅れ感がありますが、そして現実はそんなに



甘くないところもありますが、そんなこと言ったらきりがないわけで。 キュートな



ヒロイン、安定した実力派キャスト、それだけでも十分価値はあるかと。



 でも映画業界とはいえ声高にテレビ業界を批判できないんだな〜、というのが



実はいちばん面白かったりして。


posted by かしこん at 06:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする