2011年02月25日

これが同じ世界とは・・・

『湖は餓えて煙る』/ブライアン・グルーリー
 子供の頃からの習慣だと思うんだけど、ハヤカワポケットミステリは読みにくい(ポケミスは値段が高かったから、あまり読んでこなかったんです。 昔のごわごわしたゴムっぽいカバーの手触りも好きじゃなかったし)。 今はとてつもない厚さのハードカバーよりはましなんだけど、やっぱりあたしは文庫が好きなのさ。
 でもこれはポケミスでしか出てないので・・・『ラスト・チャイルド』みたいに文庫と両方で出してほしいなぁ(あたしとは逆にポケミスオンリーファンもいるだろうし)。

   装丁デザイン変更後、やっぱ雰囲気変わりますね。
 ミシガン州パイン郡の田舎町スタヴェイション・レイク。 主人公で語り手のガスはかつて町の期待を一身に受けた花形アイスホッケーチームのキーパーであったが、州の優勝がかかった試合でミスをしたことで自分を許せず、町の人々の目もイヤになり、大都市デトロイトで一旗あげてやると当時の恋人も捨て町を出て記者稼業に意気込むも、ピュリッツァー賞目前で半分は自分の責任のトラブルに巻き込まれて職も記者としての名誉も失う。 結局、田舎に戻って地元紙<パイロット>で編集長代理をして糊口をしのいでいるしがない男である。
 ダメダメ男の語り手、流行りですね。
 一人称“おれ”は読みやすいはずなんだけど、序盤からたくさんの登場人物が次々出てくるので誰が誰やら把握するのがまず大変(まぁ、進むうちにわかってきましたが)。 そしてお約束通り、町はダメな人間と素敵さを失わない人間にわかれていたりして、なかなか魅力的なキャラも出現。
 そんなある冬の夜、湖に打ちあげられたスノーモビルが発見される。 それは十年前に別の湖で事故死したはずのアイスホッケーのコーチのものだった。
 一体コーチの身に起こったことはなんだったのか? ガスは調べ始めるが、自分が不在だった十年の間に町に何が起こっていたのか、自分以外のみなはそれぞれ何かを知っているような気がして、でも自分は何も知らない、そして気づけないといういらだちが自分自身の状況にも跳ね返り、かなり苦悩しております。 しかし根がスポーツマンなので、とことん落ち込むわけでもなく、読んでるこっちが「おいおい、今の重要な手掛かりなんじゃないのか! 追求しなくてどうする!」とつっこむ始末。
 しかし合間に出てくるアイスホッケー、そして“運命の試合”の回想など手に汗握る試合展開をしてくれて、重要なことをあえて語り合わない男同士の友情が歯がゆい青春モノとしても楽しませてくれる内容です。 が、事件の真相はとても「楽しい」なんてものじゃないけど・・・。
 田舎町の人間関係ほど厄介なものはない。
 ジャーナリスト魂は微妙だけれど、男同士の友情と仕事をめぐる年代も性別も違う人間とのやりとりはよかったです(ただ若い記者ジョージーは社会人としてそれはどうだ、という態度ではあるが)。
 続編が予定されているそうです。 ダメダメガス君は過去と決別し、その町でこれから新しい一歩が踏み出せるのか? ちょっと気になるかな〜。


『生きながら火に焼かれて』/スアド
 こちらはシスヨルダン、FGMではなく“名誉の殺人”の被害者の話。
 出版当初から表紙が目に焼き付いて離れず、FGMの流れでやっと手にとった。
   ※名誉の殺人:一族の名誉を汚したとみなされた者はその一族の判断により処刑される。 それが犯罪として処罰されることはない。
 筆者が育った村は、信じられないほどの男尊女卑がまかり通っている。
 男であるというだけで女を奴隷のようにこき使い、気に入らなければ暴力をふるい、「女など何の役にも立たない、羊以下だ」と事あるごとに言う。
 ほう、自分の家族がみな男だけになったら、誰が家畜の世話をするのか、誰が料理をつくるのか、誰が家事をするのか。 そんなこと、一瞬でも考えたことないんだろう男たちに殺意がわく(女が全員出て行ったらこの村ではどんなことが起こるのか見てみたい)。 が、悲しいかな女たちは絶対服従を強いられており、反抗する気力というかそういう意識がそもそもないし、生まれる子どもは女の子のほうが多い・・・悪循環は止まらない、のです。
 そんな中、スアドは「結婚さえすれば女も自由に市場に買い物に行ける」という憧れを胸に「早く結婚したい」と願うようになる(といっても若い独身女性が一人で男性と会話しているところを見られただけでも・噂になっただけでもひどい目に遭う土地柄、自由恋愛などできるはずもないのですが)。 が、折しも斜め向かいの家の息子が「スアドに結婚を申し込んだ」という話を聞き及び(スアドの姉がまだ結婚していないので父親はその申し出を断ったらしい)、「私と結婚したがっている人がいる!」と知って盛り上がる彼女、すっかり“恋に恋する乙女”状態に。
 そして結果的に彼女はその男に騙されて、妊娠させられて、棄てられた。
 なのに男が責任を問われることはまったくない・・・ひとえに悪いのは彼女のほうで、「結婚していない娘が身ごもったことで著しく家名が傷ついた」ということで家族会議によりスアドの殺害が決まる。 義理の兄がやってきて、彼女の全身にガソリンをかけ、火をつけた。
 足の速かった彼女は全身を焼かれながらそれでも走って逃げて・・・どうにか病院に収容してもらうことができた。 しかし病院側も“名誉の殺人”については及び腰で満足な治療もできない(下手に手を出せばとばっちりを食らうから)。 そんな、“死んでくれるのを待たれている娘たち”の部屋があるのである。
 外国人の人道援助家のジャクリーヌがスアドの存在を知り、彼女を助けようと動きださなければ彼女はそこで死んでいただろう。

   この表紙のインパクト・・・忘れられないよね〜。
 そこでインターミッション。 昏睡状態のスアドに変わり、ジャクリーヌが彼女との出会いといかに彼女を出国させたかの手記を寄せる。 スアドの家族や村を糾弾するのは簡単だがそれでは事をこじらせるだけ。 いかに現地の習慣や状況にあわせて目的を遂げるかの難しさとどれほど忍耐が必要であるかが語られる。
 あたしには無理そうです。
 そして再びスアドの手記に戻るが、前半と後半の印象がずいぶん違う気がした。
 プライバシーにかかわる部分が省略されているためか、前半では「そのあたりの記憶がまったくない」と明らかに表現されているので描かれていない部分にも納得なのだが、後半ははしょり過ぎと思われる部分も。 新しい世界・女性にも人権のある自由な世界で生きられるよろこびと、それでも幼少時から刻み込まれた家の思想とがうまくかみ合わずに混乱しているからなのか、どうも後半は違和感が。
 「日本の読者の皆さんへ」や実際に著者と会った訳者のあとがきで描かれる彼女の姿があまりにも魅力的なので余計に後半の不完全さというか不自然さが悔やまれる。
 ただ、本を出したことで世界各国へキャンペーンに出かけることになった経験が彼女を強くしたのだろうし、そういう部分が後半に盛り込まれていれば違和感は少なくなっただろうと思われる(ただし前半はあまりにもつらいことが多すぎたので記憶が防御機能を働かせていると考えると、書かれているのは「つなぎ合わされ、作り直された記憶」で、後半はリアルな記憶と考えれば前半はフィクション色が強いということも言えたりするんだが・・・歴史の検証書ではないし、『名誉の殺人』で多くの被害者が出ていることは間違いないのだからそこを責めるのは酷な気がする)。
 公の場に出るとき、彼女は仮面をつける。 スアドという名も当然偽名である。
 彼女がまだ生きていることを知った親類縁者がまた殺しに来るかもしれないからだ(実際、逃げたあとに見つかって殺された女性もいるそうだ)。
 ともかく、あとがきから感じる彼女はしあわせそうである。 それが長く続くことを祈ると同時に、明らかに犯罪な男尊女卑をなんとかしてもらいたい、と強く願う。
 先日の『CSI:マイアミ』で、親の決めた結婚相手とは違う人を好きになったから婚約は解消する、といった娘を「家名を傷つけた」として父親が娘にガソリンをかけて殺しに行く、というエピソードがありました(そして父親は何者かによって焼死体にされるのであるが)。
 詳しい部族などはわかりませんが、ペルシャ語を話す亡命イラン人? ドラマでは“アラブ人”でくくられてましたけど・・・アラブ人の定義がわからないなー。
 ともかくも、アメリカに住んでいながら、父親の意識はそのまま。 けれど娘は“名誉の殺人”なんてありえないと思ってるし、自分の気持ちを伝えれば父親にも許してもらえると思ってた。 結局のところ、“名誉の殺人”は女性に力を持たせないための男側の戦略なんだ、ということです(しかしアメリカの高視聴率ドラマで取り上げられるということは名誉殺人の認知度は結構高いということなのだろうか)。
 しかしラテンアメリカの“血の掟”もあるし・・・(映画『ビハインド・ザ・サン』参照。 これは1910年のブラジルが舞台ですが、一族の誰かが殺されて、その血のついたシャツを一日干したあとの色が黄色ならば、殺した相手を殺し返さねばならない、という掟)。
 こっちは女性蔑視とは違う問題だけど、“家”(つまり名誉)が大きな意味を持ち続けるために個人の意志が尊重されるどころか犠牲になりっぱなしというひどい話で。
 人権というものを伝えなきゃいけない場所は、まだまだたくさんあるようです。

posted by かしこん at 01:22| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする