2011年02月11日

アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ/SENNA

 あたしは特別にF1ファンとかではないのだが、あの時代はちょうど今のサッカー日本代表戦のように「昨日のレース見ちゃったから寝不足だよ」的会話が当たり前で、有力ドライバーの名前はだいたい知ってて、グランプリレースがおこなわれる都市やそのコースのこともある程度わかってるのが普通だった。
 それもこれも、アイルトン・セナがいたからだ。
 “音速の貴公子”と呼ばれた男がF1レース界を牽引し、話題をつくり、なんの興味もなかったやつまでもモーターレースの世界のすごさに引きずり込んだ。
 だから、セナは事故でなんか死なないと思ってたし、1994年のサンマルコで事故ったときも「あんな緩いカーブでセナがハンドル操作を誤るわけがない」と信じていたし、事故といっても軽いクラッシュ程度だろう、とたかをくくっていた。
 まさか本当に、彼が死ぬなんて思ってなかったから。
 結局原因は不明とかで、意味がわからなくて、以降あたしはF1を見るのをやめた。
 そしてすっかり忘れていた、この映画のポスターを見るまでは。

  セナポスター.jpg びっくりしました。 で、見に行っちゃいました。

 映画というには余りにも粗い映像。 昔のフィルムやビデオを持ってきて繋ぎ合わせました、な構成は最近の高品質画像に慣れた身には「これで金とる気か!?」ぐらい映像そのものの質は悪いのだが、まぁドキュメンタリーなのでそれが臨場感というかリアルさになるわけで。 セナ財団全面バックアップだということなので、プライベートフィルムなども提供されているようだ(それは同時に“セナ礼賛映画”だということでもあるのだが)。
 で・・・あたしはセナの全盛期しか知らなかったんだな・・・としみじみ思った(でもそりゃそうなのだ、あたしが気付いたときにはもう彼は“貴公子”だったのだから)。
 なので彼がもともと地元ブラジルでカートレースをやってたなんて知らなかった。 めちゃめちゃ若くて、笑顔が無邪気で、とにかくカートに乗ってるのが楽しくて仕方がない感じで。
 その後、フォーミュラー2000、F1と順調にランクアップしていくセナ。 けれどレーサーとしての地位が上がるにつれて彼の顔には厳しさが宿るようになる。 カートレース時代のように笑うことがなくなっていた。 けれどあたしの知ってるセナはもうF1時代、「あ、あたしの知ってる顔になった」と思ったけれど、それでも十分ハンサムで甘いマスクなんだけど、そこには想像もできないほどの苦悩が潜んでいることを知ってしまった。

  セナ1.jpg F1上がったばかりの頃かな、若い!
 映画はアラン・プロストをライバルとして登場させ、当時のフランス人F1会長がプロストをひいきにしたせいでセナはいろいろ痛い目にあわされた、みたいなことが示唆されている。 しかしその当時、セナとトップを競っていたのはプロストだけじゃないはずだけど・・・ナイジェル・マンセルやシューマッハとか全然出てこなかった。 肖像権などの許可が下りなかったのだろうか(その分プロストがすっかり悪役で、始めのほうは腹を立てていたがだんだんかわいそうになってきた。 それも彼がセナのようにハンサムでなく、どこかひねた顔つきのせいでもあろう)。
 どの世界でも巨額が動くとなれば利権が絡む。 ただ、いい走りをしたいというだけなのに否応なく巻き込まれ、それでも本来のイノセンスさを失わなかったセナはやはり偉大だった・・・ということだろう(その裏の苦悩は、推し測れないほどだけれど)。

  セナ3.jpg 表彰台の似合う男だ・・・。
 世界王者になった後でも、初めて地元ブラジルのレースで優勝したときのセナのよろこびようときたら・・・オンボードカメラの映像とマイクの音声そのままだから思わずこっちがもらい泣きしてしまうほど切実でストレートな感情が迸り出ている。
 冷静なセナがあんなに泣き叫ぶなんて意外で、だからこそほんとうにブラジルで優勝したかったのだと、地元のファンによろこんでもらいたかったんだと感じた。
 愛国心とか言うと変な方向から噛みついてくる人たちがいますが、ブラジル人であることに誇りを持ち、だからこそ自分ががんばる姿をブラジルの励みにしてもらいたかったし、いろいろ問題の多い祖国をなんとか変えていきたかったんだろうなぁ。 なんたって、『シティ・オブ・ゴッド』の国なのである、もし今もセナが生きていたら・・・状況は違っていたかもしれないと思うとそれもまたやりきれないのだ。

  セナ2.jpg その日は、覚悟していたよりも早く来た。
 セナがF1にいた期間はこんなにも短かったのか、それでもまだ34歳だったのかということに狼狽する。
 あえてなのか、サンマルコの事故についてはあまり深く踏み込んでいなかった。
 結局、原因は不明ということで終わっている。 ただあの日、セナ自身がすごくコクピットに乗るのをためらっていたことがどうしても忘れられない。
 前日のラッツェンバーガーの事故死に動揺したままだったセナ、これも山岳遭難と一緒だ。 いつもと違う何かに背を向けてはいけない、走らないという決断が必要だったんだ! ・・・今となっては繰り言だけれど。
 何故か事故とセナの死を伝えるのはフジテレビの映像が使われており(これは日本向けのサービスなのか − 日本でセナがアイドル的人気を博していたことも触れられていたし − 他の国の放送局が許可を出さなかったのか、それともフジの放送分がいちばん冷静に状況を伝えていたからかなのか理由は不明だが)、アナウンサー・実況・解説の御三方の姿を見て懐かしいと感じつつも、それを映画館で見ることの違和感。
 それでもF1は続く、といい、その後F1では死亡事故は起きていない、と締めくくられる。 セナの犠牲は無駄ではなかったのだと言いたいように。
 そして現在、アイルトン・セナ財団の管財人はアラン・プロストだとエンドロールに出る。 プロストはプロストなりにセナを愛していたのだとわかって、いやなやつって思ってごめんよ、と思う(だからこそ彼は悪役に描かれることを承知の上でこれに許可を出したのかもな〜)。
 でもあたしはまだF1レースそのものを見る気にはなれないのだった。
 セナの死とともに、あたしの中で終わってしまったのかもしれない。
 この映画を見ても、消えた火が再び燃えることはなかった。

posted by かしこん at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする