2011年02月13日

ドキュメンタリー、つづき

『イルカと泳ぎ、イルカを食べる』/川端裕人
 イルカ・クジラ類は好きだし一緒に泳ぎたい夢もあるが、食べることにも抵抗がないという筆者が、人間と野生動物であるイルカとのかかわりを様々な土地を例にとりまとめてみた一冊。 まぁ、平均的な日本人のスタンスに近い立場ではないかと思います(まぁ、筆者のイルカ好きは平均以上ではありますが)。
  イルカと泳ぎ、イルカを食べる.jpg もうちょっと鮮明な写真がよかったけど。
 イルカは人と感情を通い合わせる特別な存在、と認識されたのが西洋でも比較的最近、というのが興味深かったです(そして一度交流しちゃったら相手に人格を与えてしまうことも)。 結局、ヒーリングやらスピリチュアルの象徴としてイルカが扱われているから、攻撃的な保護派はあんなにも過激なんだなぁ、と。
 ちょっと前までそういうあなたたちの国でもイルカやクジラはバンバン殺されていたということをちゃんと知っているのかしら?
 少なくとも日本人としては知っているつもりでしたが・・・日本の漁業の歴史においてかなりグレーなイルカ漁もあったと知り、イヤな気持ちに。
 以前読んだ『イルカを食べちゃダメですか?』では太地町の漁師さんだけが取材対象だったし筆者は漁師さんたちが大好きになっていたのでそういうことは書かれてなかったのですが(まぁ、グレーな漁港は東北だったので太地は違うみたいですが)。
 うーむ、あたしの住んでいた北東北ではイルカ肉は身近に流通してなかったけど(サメやエイはあったけど、それとも気付かないだけだったのかなぁ。 クジラ肉として売られていたのか? でもクジラもそんなに多くなかったけどなぁ)・・・同じ北東北でもイルカを常食にしている地域があるんだなぁ。 日本の食文化はほんとに狭い範囲で変わるものですね。
 「御蔵島、がんばれ!」と読んだ人がみんな思うであろう章では、ドルフィンスイムの案内をする島の漁師さんが「なんでイルカだけが特別なのか?」という根本的な疑問を持ち続けているというのも興味深かった。 御蔵島はカツオドリの数少ない繁殖地で、カツオドリが特別だというならばわかるが普段から島のまわりにいっぱいいるイルカが特別なのが納得いかないご様子なのです。 気持ち、わかります(あたしもねぶた祭りがすごいというのがわからないから)。 ただこの取材はかなり前のものなので、今も御蔵島では三宅島からの妨害に負けずにドルフィンスイムツアーを続けられているのだろうか・・・と心配になってます。
 かなりニュートラルな立ち位置で書かれた本書、文庫版では『ザ・コーヴ』への反論というか、むこうの主張から取り入れるところは取り入れるけど事実誤認な部分にははっきり反対する、という長めのあとがきが収録。
 あくまでニュートラルな立場を貫くのに対して解説の森達也が「私は絶対イルカを食べない」と断言して微妙に台無しに(なんでこの人に解説頼んだのかなぁ)。
 まぁ、これ読んでどう考えるのかは読んだ人次第ですよ、という本なので森氏の感想は間違いではないが、“解説”ではないという根本的なことに気づいてほしいものです。
 あたしはイルカ好きですが・・・シャチのほうが好きだし、品川のアクアスタジアムのイルカショー見て泣いちゃうけど、それはイルカたちのけなげさが胸を打つからであって同じことをシャチがしたらもっと大泣きであろう。
 ガラパゴスウミイグアナが海中で藻をはむはむしている姿に癒されるし、近所をとことこ歩くネコを見てもニンマリする。 身近でも身近じゃなくても、生き物の姿は何かを与えてくれると思うんだけど・・・何故、イルカだけが特別なんでしょうね。 人間が生きていくうえで他の動物の命をもらうことは必然なのに(そういう意味で「ベジタリアンだから」も体調やらご病気などが理由以外の人は信用しません。 植物だって命じゃ!)。
 ところで“生物多様性”という言葉、最近やたら使われますが・・・“生態系”で別に問題ないと思うのですが、用語も一歩踏み込まないと人々に伝わらないということなんですかね。 日本近海にいるイルカを“海産資源”と考え、“資源の保全・管理”という視点での今後の漁業の意味を訴えるのはよいと思います。 でも外国人にその考え方が伝わるだろうか・・・本人たちが好きな“種”への保護熱の偏りをIWCなどで指摘できるのか、水産庁の方々の努力と見識が問われます。


『切除されて』/キャディ
 もともと存在は知っていたのだけれど、詳細を知るのが恐ろしくて、でもずっと心に引っかかっていた。 『デザート・フラワー』に触発されて、やっと手に取る。
  切除されて.jpg 切除手術を受けさせられた後の写真だそうです。
 筆者はセネガルのソニンケ族出身で、7歳のときに女性器を切除されている。 
 こういうのはなんだが、クリトリス切除だけで同じく“女性器切除”と呼ばれる種類の中では比較的ましなほうではある(こんなことで“まし”と表現するのもはばかられるが・・・切除するのが女性だったり、カミソリが新品だったり、それなりに消毒やら傷跡の手当てをするだけソマリアなどでされている方法よりましはましである。 だからといって許されることではないが)。
 13歳のとき親族に決められた見たこともない相手と結婚させられフランスに渡り、暴力的な夫の家族手当ほしさのために次々子供を産ませられる。 セネガルはかつてフランス支配だったこともあり、フランスにはアフリカ人移民コミュニティがあるのだ(フランスの移民問題ってそういうところから端を発しているのか・・・)。
 FGM問題の話なのだが・・・あたしはこの“家族手当”に引っかかりを感じた。 子供のためのお金なのに、妻に一銭も渡さずすべて自分の懐に入れる夫(しかもこの夫はフランス語を理解することもなく、コミュニティの中の男同士の世界の中で完結している)・・・これが今の日本の“子ども手当”の行く末じゃないと誰が言える? というわけで“子ども手当”には断固反対です。
 筆者は学校にも通い、フランス語を話せるようになり他の人々と話す機会が持てたから問題意識を認識できたけれどあくまで特例。 多くのアフリカ人女性は因習と親族からの重圧で自分の意志を自由に発言することもできない。 暴力をふるわれても黙って耐えしのぶ。 筆者自身ですらも「おかしい」と思いながら親族の説得に従って一度飛び出した家に戻ってしまったこともある。 ある意味、洗脳なのだ。 自分が切除されたことに恨みや抵抗感を持ち続けているにもかかわらず、自分の娘たちにも同じように切除させてしまったぐらいなのだから(はっきりと問題に目覚めてからはとても後悔し、自分を責めているようだ)。
 FGM推進・擁護派は「宗教上の決まりだから」と言い張っているようであるが、イスラム教の経典コーランにはそのような記述はないそうだし、そもそも国や部族でその切除手法が異なっているということ自体「土着の慣習である」という証拠ではないだろうか(そんなことをしない部族もあるのだから)。
 結局、男が女を都合良く利用するための方法。
 はっきり言おう、今の日本は恵まれている。 日本での男女差別・女性蔑視など一部のアフリカ諸国に比べたら申し訳ない程度である(だからといって肯定するわけじゃないが)。 夫婦別姓がどうのと叫んでる日本のフェミのみなさん、まずはアフリカ女性のために全世界が手を組んでこんな習慣を一掃させましょうよ! 日本国内の問題はそれが片付いてからでも遅くないですよ、日本ではある程度意識問題は浸透してるんだから、法的な効力をつくるよりも個人の良識を強化するほうが大事でしょう。 真に女性の自立を願うなら、今も自分の意志とは関係なく性器を切除されてしまう女性・それを許可してしまう親・強制的な結婚は間違いであるという教育をイスラム教指導者たちに働き掛けるべきで(外圧だけでは意地になられるので)、それが広まることは日本にもいいリターンになると思う。
 また本書では「性的なよろこびを知る前から奪われた」みたいな感じのことが再三出てきますが・・・問題はそこじゃなくて(だったらどこの国でも生涯処女である女性は人間として欠陥ありということになるじゃないか)、たとえどの部分であろうとも勝手に傷つけるのは犯罪であり人権侵害であり、医学的な安全も保障されていない以上殺人につながる傷害事件だということです。
 ・・・女性の中でも意思統一が難しいなら、男性側を変えることはもっと難しい。
 いつまでも既得権益にぶら下がるのはやめて、自国の文化を守りたいのなら明らかな犯罪からは手を引く努力をしなければ。
 エジプトでムバラク大統領が辞任し、国外逃亡したことで「民衆の勝利!」と盛り上がっているようですが・・・国の実権を握るのがムバラク氏が後継を指名した副大統領と軍だというのでは民主主義には程遠いと思うのですが。
 ほんとうに民主主義を実践したいなら即・選挙でしょうよ。
 ムバラクを追い出したことだけで満足してるなら、遠からずエジプトは混乱の渦に巻き込まれるもしくは混乱を引き起こすことになるでしょう。
 一体、それを誰が助けるというのでしょう?
 「中国が沖縄を占領するのを世界が黙って見てるわけないんだから、尖閣ぐらい明け渡したって問題ないでしょう」などと発言するバカは侵略されたチベットを結果として誰も助けられていない、ということを知らないのか?
 それとも自分に目先の金があれば満足な、国家観のないただのバカか中国側に買収されているのかどっちなのか白状しておいた方がいいと思う。

posted by かしこん at 17:15| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月12日

僕が結婚を決めたワケ/THE DILEMMA

 最近のハリウッドラブコメ、また復権の兆しかなぁ、と思って。
 これはロン・ハワード監督作だというし、珍しいじゃない、と思って見てみた(正確にはその日レイトショーで間に合う映画はこれだけだったからだが)。
 乗用車のエンジン会社を共同経営するロニー(ヴィンス・ヴォーン)とニック(ケヴィン・ジェームズ)は大学時代からの親友。 エンジニアとして天才的なひらめきを見せるニックをビジネスの場面でバックアップし交渉の矢面に立つのがロニーの役回り。 ニックは大学時代からの彼女だったジェニーヴァ(ウィノナ・ライダー)と結婚していたが、ロニーはまだ独身。 恋人のベス(ジェニファー・コネリー)とはそろそろ結婚をと考えてはいるが、最後の一歩が踏み出せない。

  僕が結婚を4.jpg カップル文化ってめんどいなぁ。
 が、“邦題に偽りあり”で、ロニーがいかにして結婚を決意するに至ったか、という話ではない。 ジェニーヴァが浮気をしていることをロニーがたまたま知ってしまい、親友に言うべきなのか彼女に言うべきなのか悩み、夫婦とは・結婚とはなんだというところまで悩んでしまって奇怪な行動に出てしまう少々イカレた男の話なのであった(だって原題は「ジレンマ」だもんね)。

  僕が結婚を3.jpg ジェニファー・コネリー、もったいない。
 というか、男性側主演二人のイケてない風貌に比べて女性側の美しさときたらどうよ。 これが40代の恋愛・結婚のリアルですか?
 で、コメディとはいえ観客層ターゲットである白人男性の本音が見えるのもこういう映画のお約束。 国としてアメ車が大事なのはわかるが、ヒュンダイと同じ土俵で日本車がこきおろされるのは日本人として気分がいいものじゃない。
 クイーン・ラティファにせっかく出てもらいながらその魅力を活かしきれてないもったいない役だし、『ラテに感謝!』のマイケルのそれまでの人生が特別なものではないという事実の補強になってしまった。 アメリカ人、めんどくせーよ。
 というか、ロニーのどこが魅力的なのかあたしにはさっぱりわからん・・・なので(ヴィンス・ヴォーンはアメリカではセクシーな男優にカテゴライズされているようだが、やはりわからん)、ジェニファー・コネリーもったいないだろう!、と憤ってしまうせいでしょうか。
 「そんな男のどこがいいのか?!」しみじみ聞きたい感じです(ジェニファー・コネリーもなんか添え物的キャラクターだしなぁ)。 その分、ウィノナ・ライダーが強烈すぎて・・・この“淑女か悪女”の二元論的女性キャラクター分類もなんとかしてもらえませんかね。
 ううむ・・・ロン・ハワードにはラブコメは似合わないということなのだろうか。
 まぁ、そこそこ笑って終わって何も残らない映画ではあるけれど。
 というか、よくこれ日本公開になったな・・・もっと他に公開した方がいい映画、あるんじゃないのかなぁ?
 配給会社のしたいこと、わからないわ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 07:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月11日

アイルトン・セナ 〜音速の彼方へ/SENNA

 あたしは特別にF1ファンとかではないのだが、あの時代はちょうど今のサッカー日本代表戦のように「昨日のレース見ちゃったから寝不足だよ」的会話が当たり前で、有力ドライバーの名前はだいたい知ってて、グランプリレースがおこなわれる都市やそのコースのこともある程度わかってるのが普通だった。
 それもこれも、アイルトン・セナがいたからだ。
 “音速の貴公子”と呼ばれた男がF1レース界を牽引し、話題をつくり、なんの興味もなかったやつまでもモーターレースの世界のすごさに引きずり込んだ。
 だから、セナは事故でなんか死なないと思ってたし、1994年のサンマルコで事故ったときも「あんな緩いカーブでセナがハンドル操作を誤るわけがない」と信じていたし、事故といっても軽いクラッシュ程度だろう、とたかをくくっていた。
 まさか本当に、彼が死ぬなんて思ってなかったから。
 結局原因は不明とかで、意味がわからなくて、以降あたしはF1を見るのをやめた。
 そしてすっかり忘れていた、この映画のポスターを見るまでは。

  セナポスター.jpg びっくりしました。 で、見に行っちゃいました。

 映画というには余りにも粗い映像。 昔のフィルムやビデオを持ってきて繋ぎ合わせました、な構成は最近の高品質画像に慣れた身には「これで金とる気か!?」ぐらい映像そのものの質は悪いのだが、まぁドキュメンタリーなのでそれが臨場感というかリアルさになるわけで。 セナ財団全面バックアップだということなので、プライベートフィルムなども提供されているようだ(それは同時に“セナ礼賛映画”だということでもあるのだが)。
 で・・・あたしはセナの全盛期しか知らなかったんだな・・・としみじみ思った(でもそりゃそうなのだ、あたしが気付いたときにはもう彼は“貴公子”だったのだから)。
 なので彼がもともと地元ブラジルでカートレースをやってたなんて知らなかった。 めちゃめちゃ若くて、笑顔が無邪気で、とにかくカートに乗ってるのが楽しくて仕方がない感じで。
 その後、フォーミュラー2000、F1と順調にランクアップしていくセナ。 けれどレーサーとしての地位が上がるにつれて彼の顔には厳しさが宿るようになる。 カートレース時代のように笑うことがなくなっていた。 けれどあたしの知ってるセナはもうF1時代、「あ、あたしの知ってる顔になった」と思ったけれど、それでも十分ハンサムで甘いマスクなんだけど、そこには想像もできないほどの苦悩が潜んでいることを知ってしまった。

  セナ1.jpg F1上がったばかりの頃かな、若い!
 映画はアラン・プロストをライバルとして登場させ、当時のフランス人F1会長がプロストをひいきにしたせいでセナはいろいろ痛い目にあわされた、みたいなことが示唆されている。 しかしその当時、セナとトップを競っていたのはプロストだけじゃないはずだけど・・・ナイジェル・マンセルやシューマッハとか全然出てこなかった。 肖像権などの許可が下りなかったのだろうか(その分プロストがすっかり悪役で、始めのほうは腹を立てていたがだんだんかわいそうになってきた。 それも彼がセナのようにハンサムでなく、どこかひねた顔つきのせいでもあろう)。
 どの世界でも巨額が動くとなれば利権が絡む。 ただ、いい走りをしたいというだけなのに否応なく巻き込まれ、それでも本来のイノセンスさを失わなかったセナはやはり偉大だった・・・ということだろう(その裏の苦悩は、推し測れないほどだけれど)。

  セナ3.jpg 表彰台の似合う男だ・・・。
 世界王者になった後でも、初めて地元ブラジルのレースで優勝したときのセナのよろこびようときたら・・・オンボードカメラの映像とマイクの音声そのままだから思わずこっちがもらい泣きしてしまうほど切実でストレートな感情が迸り出ている。
 冷静なセナがあんなに泣き叫ぶなんて意外で、だからこそほんとうにブラジルで優勝したかったのだと、地元のファンによろこんでもらいたかったんだと感じた。
 愛国心とか言うと変な方向から噛みついてくる人たちがいますが、ブラジル人であることに誇りを持ち、だからこそ自分ががんばる姿をブラジルの励みにしてもらいたかったし、いろいろ問題の多い祖国をなんとか変えていきたかったんだろうなぁ。 なんたって、『シティ・オブ・ゴッド』の国なのである、もし今もセナが生きていたら・・・状況は違っていたかもしれないと思うとそれもまたやりきれないのだ。

  セナ2.jpg その日は、覚悟していたよりも早く来た。
 セナがF1にいた期間はこんなにも短かったのか、それでもまだ34歳だったのかということに狼狽する。
 あえてなのか、サンマルコの事故についてはあまり深く踏み込んでいなかった。
 結局、原因は不明ということで終わっている。 ただあの日、セナ自身がすごくコクピットに乗るのをためらっていたことがどうしても忘れられない。
 前日のラッツェンバーガーの事故死に動揺したままだったセナ、これも山岳遭難と一緒だ。 いつもと違う何かに背を向けてはいけない、走らないという決断が必要だったんだ! ・・・今となっては繰り言だけれど。
 何故か事故とセナの死を伝えるのはフジテレビの映像が使われており(これは日本向けのサービスなのか − 日本でセナがアイドル的人気を博していたことも触れられていたし − 他の国の放送局が許可を出さなかったのか、それともフジの放送分がいちばん冷静に状況を伝えていたからかなのか理由は不明だが)、アナウンサー・実況・解説の御三方の姿を見て懐かしいと感じつつも、それを映画館で見ることの違和感。
 それでもF1は続く、といい、その後F1では死亡事故は起きていない、と締めくくられる。 セナの犠牲は無駄ではなかったのだと言いたいように。
 そして現在、アイルトン・セナ財団の管財人はアラン・プロストだとエンドロールに出る。 プロストはプロストなりにセナを愛していたのだとわかって、いやなやつって思ってごめんよ、と思う(だからこそ彼は悪役に描かれることを承知の上でこれに許可を出したのかもな〜)。
 でもあたしはまだF1レースそのものを見る気にはなれないのだった。
 セナの死とともに、あたしの中で終わってしまったのかもしれない。
 この映画を見ても、消えた火が再び燃えることはなかった。

posted by かしこん at 01:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月10日

スフィンクスと出会ってしまった・・・。

 少し離れた所から、すでに眼力を感じていた。
 一体何が・・・とドキドキしながら近づけば、そこには見慣れぬ一匹のネコが。
 しかも微動だにせず、じーっとあたしを見ている。
 「あのー、写真撮ってもいいですか?」と尋ねてもじーっと、カバンから携帯電話を取り出してもじーっとしたまま、ただあたしを見返している。 その、威圧感ときたら!

  スフィンクスのようなネコ.JPG この写真では睨んでいるように見えますが、実際の雰囲気はそういう感じではなかったです。
 ただ、超然とはしていました。

 どこかエジプシャンの風貌とも相まって、まるで“スフィンクス”である!
 あんまりちょっかいを出すと恐ろしい質問とかが出題されそうなので早々においとまします。 失礼しました。
 「ありがとう! じゃあね!」と手を振ってみたがやはり微動だにしなかった・・・。
 どこのネコだろう。 「ボスですか?」で通じる風格だけど、多分今まで会ったことはないよなぁ。 まぁ、あたしもいつも同じ時間に通るわけじゃないし、毎日通る道でもないですから。 でも、見たことない種類のネコを見かけると、なんかうれしい。
 コミュニティの発展具合を感じられるような気がするから。

ラベル:ノラネコ
posted by かしこん at 01:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節のこと/街の中の自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月09日

完全なる報復/LAW ABIDING CITIZEN

 実はジェラルド・バトラー、好きです。
 『オペラ座の怪人』のファントムがかっこいい!、と思った気持ちをいまだに引きずっているらしく、他の作品を見るたびに「あれ?、こんな・・・だったか?」と考え込んでしまうんだけど、ジェラルド・バトラーと聞くとまた出かけてしまう。 だまされてますね。
 なのでこの映画、ポスターを見たときに「おおっ!」と思い、ジェイミー・フォックスとの心理戦的演技合戦か?!、と思い込んでいたところ、後日予告編を見たらなんか派手な爆発とか起こってます・・・なんか思ってたのと違うのかな? とはいえ、観るんですが。

  完全なる報復ポスター.JPG 正義とは、何か――。

 妻とまだ幼い一人娘とともに平凡で幸福な生活を送っていたクライド(ジェラルド・バトラー)は、突然強盗に自宅を襲われる。 重傷を負うクライドだが、目の前で妻と娘は殺害されてしまう。 こんなショッキングな幕開けが開始5分で終了。 たとえどんなに疲れていても、一発で目が覚めるであろう仕掛けです。
 その後、強盗犯人の2人は逮捕されるが警察の証拠調べがずさんなため確実に有罪を引き出せるかどうかわからないと踏んだ検事のニック(ジェイミー・フォックス)は自身の有害確定率を上げるため(もしくは下げないため)主犯の男に司法取引を持ちかける。 その結果、強盗の共犯ながら人を殺すのはやめようと言っていたエイムスが死刑となり、自ら二人を殺した主犯のダービーが数年の禁固刑に。 勿論クライドは納得しないが、ニックは「せめて有罪にできたのだから、これも正義だ」と説く。
 10年後・・・エイムスの死刑執行の日。 その場に立ち会うニックの目の前で、苦痛のない死刑が行われるはずがエイムスはのたうちまわって死ぬ。 規程とは違う毒物が仕込まれていたのだ。 そしてダービーの惨殺死体も発見される。
 だがそれも、クライドの報復のはじまりに過ぎなかった・・・という話。
 「えっ、『SAW』?」と思ってしまう残酷描写によろり(予想外だったもので。 でも直接描写は避けてますのでご安心ください、R+15ですが)。 しかし本家の続編以後と違って準備に10年かけるあたり、リアリティは十分です。 むしろ「クライドこそジグソウの正当なる後継者にふさわしいのでは?」とか考えちゃってる自分がいました。
 犯人はクライドだ!、とニックが気付き警察急行なれど、抵抗もせずに素直に逮捕されるクライド。

  完全なる報復2.jpg 何故か、まっぱでホールドアップ。
     これもファンサービスなのか?

 そこから始まるニックとクライドの攻防は、あたしの期待する心理戦!
 鳥かご風の取調室は、『羊たちの沈黙』でレクター博士が監禁されてたのを思い出す光景。 不敵な表情のジェラルド・バトラーにわくわくだ!

  完全なる報復4.jpg どこか“壊れた”感、ありあり。

 日常生活ならば「言葉尻を捕らえるんじゃない!」・「屁理屈言うな!」でゲンコのひとつでも飛んできそうな言葉のやりとりが司法制度という名のもとには何の証拠にもならないという事実。 これまでさんざん司法制度を利用して勝利をおさめてきたニックがおそらく初めてそれに足元をすくわれる。 クライド側から持ちかけられる取引のばかばかしさときたら、それが何の意味もないことだと(逆にただ愚弄しているだけだと)わかるが、ニックにはどうしようもない(しかしそれが観客には結構面白くて、そして不気味です)。
 ちなみのこの10年の間にニックには娘が生まれて父親になり、妻子を無残に殺されたクライドの気持ちもわかるというが、そんなことでクライドの復讐が止まるわけもなく、彼の標的は『矛盾に満ちた司法制度』そのものなのだ。

  完全なる報復5.jpg キャストも地味ながら実力派ぞろい!

 クライドは刑務所の中にいるのに、何故か彼が犯人としか思えない事件が次々と。
 誰か共犯者がいるのか? そうたたみかけてくる展開は大変手に汗握り、なんでこんなに面白いのに、しかも二大スター競演なのに地味公開なのか?、と腹が立ってくるが、クライドの職業(?)がなんなのかわかったときには「それ、反則では?」と一気に椅子から崩れ落ちそうになった。 そこからの失速ぶりには逆の意味で泣きそうに。
 うわーん、そりゃないわ〜。
 実力派俳優多数出演、とあたしの大好きな系統映画ですが・・・前半がかなり面白かっただけに厳しい。
 しかし、この映画が提示する“法”と“正義”は重く、苦しい。

  完全なる報復3.jpg “地獄の業火”は彼を救うのか?

 そしてニックが父親になったからクライドの気持ちはわかると言いながら、実際には自分の妻子は殺されてないわけで、“実際に殺された側の者”と“殺されていない側の者”の思いが重なるわけではない。 想像すれば同情はするが、自分がそうならなくてよかったという思いのほうがむしろ強いかもしれない。 ラストシーンのジェイミー・フォックスの表情が読めない顔だっただけに、あたしは「被害者側の想いに寄り添える非被害者などいないのだろうか」と暗澹たる気持ちになった。
 ここの彼の表情ひとつでまた印象の違った映画になっただろうが・・・。
 映画としては後半迷走して破綻してますが、問題提起という意味では堂々たる社会派です。 裁判員制度も鑑みて、法律とはここまで無慈悲で矛盾に満ちているということを普通の人も知らなければならない、というところまできちゃってるんだなぁ。
 でもやっぱりジェラルド・バトラーがキライになれないあたし・・・だまされ続けるでしょう、今後も。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 01:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月08日

アメリア 永遠の翼/AMELIA

 アメリア・イアハートは女性として初めて単独大西洋横断に成功した飛行士で、現代でもアメリカ女性のアイコンである。 なんで知ってるんだろうと思ったら、リンドバーグ関連本によく名前が出てきていたからだった(リンドバーグの妻と仲がよかったとか、リンドバーグに比べれば性格はよかったとか)。
 あ、『ナイトミュージアム2』にも出てきましたよね。 とりあえずアメリカでは伝説の女性のようです。

  アメリア1.jpg 実話・ビッグネームと揃っているのに小規模公開?
 ヒラリー・スワンク自らエグゼクティブ・プロデューサーになっているので念願の企画だったのか、ほぼすっぴんもしくはメイクダウンでの熱演ですが・・・なんか、TVでやる偉人の伝記ドラマみたいだった・・・なんで?
 とにかく飛ぶことが好き、なアメリアに1928年あるチャンスが訪れる。 出版プロデューサーのジョージ・パットナム(リチャード・ギア)から「大西洋を横断する飛行機に乗らないか」と話を持ちかけられたのだ。 自分で操縦する気のアメリアだが、ジョージはあくまで「操縦はこちらが用意した男性飛行士、君はその司令官として乗ってくれればいい。 そして手記を発表してくれ」と。 つまりはお飾りの女性進出なのだが、これもチャンスをつかむための足掛かりとしてアメリアはOKする。
 そして目的地アイルランドではなくウェールズに到着したが、大西洋横断そのものは成功。 一躍有名人に、英雄になるアメリア。
 なにしろびっくりなのが、当時の飛行機の貧弱さである。 張り子か?な機体。
 勿論計器の類はお粗末なものだし、自分の位置確認は目視! 無線は肝心な時に通じなくなるレベルだし、軽量化を優先してモールス信号器も積んでない。 のちに単独世界一周飛行(とはいえナビゲーターは同乗)に乗り出すときも機体がちょっと丈夫になったかな、ぐらいで機器の劇的な能力向上は感じられなかった。 まぁ、かつてのアポロ計画に使われたコンピューターもファミコンより低性能だったそうだし、今から考えたら恐ろしいことをやっていたんだな昔の人は。 知らないことが勇気につながるのか、でもアメリアは最初からあまり安全性に注意を払っているようには感じられなかったなぁ。

  アメリア2.jpg エンディングで出るご本人の写真とかなり似てます!
 どうしても伝記ドラマっぽさが抜けないのは、起こった出来事を追いかけるけれどもそこに至る心情があまり描かれないから。 第一印象最悪のアメリアとジョージが一体いつ恋に落ちたのか? ジョージの告白があまりにもいきなりでこっちはびっくりだし、アメリアもあっさりそれを受け入れるのはなんでなの? どこにそこにつながるシーンがあるの? そうかと思えばアメリアは浮気(ユアン・マクレガー、これだけのために出るとは・・・)、進歩的な女性は貞節なんかに縛られないのよということなのか、単にアメリアが愛の重さを理解していないだけなのか不明(男がやって許されることなんだから女もやって当然よ的論調のフェミニズムは困るんだよな・・・男も女も関係なく、人としてどうかという問題です。 そして「男なら許される」という方向を非難すべきなのだが)。 このへんの葛藤も、結構あっさり。

  アメリア4.jpg ほんとになんのために出てきた、という役だったなぁ。
 怒るがすべてを許すジョージは“よくあるリチャード・ギア”で特に新鮮味もないし・・・むしろアメリアに憧れて飛行士を志す若い娘が強気かつチャーミングで、彼女のことももう少し描いてほしいと思った(ちなみにどこかで見たことがあると思ったその女性、『アリス・イン・ワンダーランド』のアリスの人でしたがこっちのほうがイキイキしててかわいかった!)。
 まぁ終盤の世界一周飛行になって、給油のために降り立った各地の人々との交流とか宇宙飛行士の帰還みたいだし(今だったら領空侵犯とかいろいろ問題になるのかもだけど、飛行機そのものの黎明期だからなぁ、ということが実感できた)、どこにも陸地が見えない大海原に小さな飛行機がぽつんと浮かんでいるような不安をかきたてる光景とかいい場面が出てきましたが・・・いかんせん遅すぎます。
 そんなさなかでのジョージとアメリアの無線での会話で、やっとこの二人の愛の強さを認識できるわけなんですが(というかここにきてわかるあたしがニブいのか?)、なんだかジョージがかわいそうになってしまう。

  アメリア3.jpg 多分こういうところがギア様ファンにはたまらず。
 「あなたのことは愛しているけど、自分の夢のほうが大事」といわれてしまった側(男・女に限らず)は納得できない気持ちがあっても引き下がるしか選択肢はないもの。 あたしはジョージの側の人間であることをしみじみ再確認させていただきましたよ。
 しかしアメリアが今もアメリカ女性のアイコンであり続けているということは・・・やはり「女性だから」という理由で何かをあきらめてしまわなければいけない人がまだまだ多いということなのか、彼女のように自分のやりたいことを迷いなくしたいという人が多いのか、どっちなんだろう。


追記:『英国王のスピーチ』、フルバージョンの予告を見ました!
 ジェフリー・ラッシュのうまさがそれだけでわかってしまい、なんか腹が立つ。
 あなたもうオスカー持ってるでしょう! しかし今回の役、どうもなんか印象が・・・と思ったら気づいた。
 岸部一徳さんに、似ています!

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 02:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月07日

イチゴ好きにはよい季節だが

 実家の妹から、「ローソンのイチゴロールケーキおいしいよ」と📱から📩が。
 あぁ、あの“スプーンで食べる”ってやつ?
 というか、イチゴがあったんだ。
 妹曰く、「イチゴは期間限定みたい。 プレーンもおいしいよね。 でもチョコはおすすめしないよ」とのこと(意見には個人差があります)。
 しかし・・・確か妹はケーキの類があまり好きではなかったはず。
 子供の頃から一般的に子供が好きそうなメニュー(カレーとかハンバーグとか)が好きではない人でした。 成長してきて味覚が変わったのか?
 まぁ、おすすめというならば試してみようか、と近所のローソンにて購入。

  ローソンイチゴロール.JPG ちょっと、値段にビビりました。
 ¥210−って!(プレーンは¥150ぐらいだと思ったが・・・コンビニスイーツで¥200を超えるとちょっと戸惑う)
 でもまぁ、まるまま生のイチゴが入ってますしね、半分だけど。 スポンジのほうにもイチゴ果肉が入っています。 まぁまぁですかね〜。
 「生クリームが甘すぎないところがいい」という妹の弁。
 うむ、好みは変わるようでなかなか変わらないようです。
 これ一個だけ買うのもどうだろ・・・と、ぶらついて見つけたのがこれ。

  ストロベリーラテマキシム.JPG マキシムストロベリーラテ
 これも結構いいお値段で・・・実はイチゴ牛乳なんじゃないの?、と裏の成分表を見たら“紅茶”と書いてある。 ティーラテでイチゴは珍しいのでは・・・とこれも買ってみた。
 むむむ・・・紅茶の感じが・・・わからない。
 北海道産クリームが強すぎで、次にイチゴ。 後味がほのかに、ほのか過ぎに紅茶かも? 知らないで飲んだらイチゴミルクだと思ってしまうわ。 
 このシーズン、王道のイチゴを使ったお菓子やら商品が多いですな〜。
 イチゴ好きとしてはうれしいけど、あたりはずれもあるから気をつけないと。
 でも見つけたらきっと買ってしまうんだわ。

posted by かしこん at 01:28| Comment(0) | TrackBack(0) | ごはん・お茶の時間 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月06日

やりきれないことばかり・・・

『ドキュメント気象遭難』/羽根田治
 ドキュメント○○遭難シリーズ、続いてはこちら。

  ドキュメント気象遭難.jpg こんな天気のときに外に出たくない・・・。
 7件の気象遭難(予想できない急激な天候の悪化)事故を取り上げ、実際の出来事を当事者から聞き込んだ事故までの流れと原因の究明と検証。
 どこかのんきだった『道迷い遭難』に比べて、この本の空気は重い。 気象遭難は大規模遭難を引き起こすことが多いからだ。 実際、これまで読んできたシリーズの中でも死者の数は多い気がする。 なんでこんなにやりきれない気分になるのに山岳遭難本を読んでしまうのだろう、やっぱり根本的に理解できない何かがそこにあるとしか思えない。
 2002年の7月に起きたトムラウシ山での遭難事故は、この前読んだ2009年7月の大量遭難事故のルポをまた読んでいるような気になるほど類似点が多い。
 筆者が『トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか』の中で何回も痛恨の極みを見せていた理由がわかった、7年前の教訓が何一つ活かされていないからだ。
 北東北もわりとそうなんですけど、北海道の山は標高に関係なく日本アルプス等の本州の真ん中あたりにある山とは空気が違いますから。 そういうことを知らない登山者・・・恐ろしいとしか言いようがない。
 最後の剱岳での遭難の話、どこかで読んだことがあるような・・・。
 やはり“遭難”というのは非常事態だからなのだろうか、それとも常にそういうことを念頭に置いて登山部やら山岳会に所属している人たちは行動しているからなのか、体験談をこうやって読むと「あ、もう駄目だな」と仲間の死をあっさり受け入れていることが多いんですよね・・・その感覚が、わからない。 あたし自身が生命のやりとりをするような仕事でもないし趣味もないから、と言ってしまってはそれでおしまいですが、この本に登場する人々は別に登山は仕事ではないわけで、「なんでわざわざ?」という気持ちを消し去ることができないのです。
 「山をなめるな」とか「山は恐ろしい」とか言われますが、ほんとに恐ろしいのは“天候の急変”なわけで、山はその急変する兆候が平地よりはるかに読みにくいし何か起こったとき逃げ込む場所がないという意味で「なめてはいけない場所」なわけです。 天候に問題なければ全然普通の場所だったりするし。 だからこそ、天候の異変を感じ取る力をつけたものしか登ってはいけないし、引き返すという瞬時な判断ができる人じゃないと無理、ということになるんだと思う(それでも遭難することはあるのだから人間の力なんてちっぽけです)。
 そして後付けではあるのだが、遭難して亡くなってしまった人について「なんとなくいつもと違う感じがした」と直前に会った人や生存した同行者が証言していることが多い感じ。 違和感に自分で気づいたら強行しない勇気、もしかしたらこれがいちばん大事なことなのかも。


『腐った翼 JAL消滅への60年』/森功
 まずお断りしておくが、あたしは飛行機が好きだがJALには思い入れは一切ない。
 というかむしろ、「JASを返せ!」と思ってる分、憎しみを抱いているかもしれない(あたしは一時期JASのライトヘビーユーザーでした。 「JAL倒産はJASとの統合のせい」と思っている人が世の中には多いようですが、そんなことは全然ありません!)。 映画『沈まぬ太陽』を見たときも「こんな会社を存続させる理由がわからない(むしろ潰しちゃえばいいのに)」とも思いましたしね。 早く潰れてくれていればJASはまだあっただろうに・・・とか考えちゃうと悔しくて眠れない。
 そういう立ち位置です。

  腐った翼.jpg それでもJALに乗りますか?
 というわけで本書ですが・・・語られるのが時系列ばらばらなので「?」となってしまうことしばし。 『沈まぬ太陽』であんなにカッコよかった(そのわりには何もできなかった)国見会長のモデルになった人物が何もできないどころか結果的にJALの腐食に手を貸しちゃってたとか、彼が経営に参加するというニュースをすっぱ抜いたのが(とはいえJAL内の勢力争いの目論見でですが)当時NHK記者だった手嶋龍一氏だったとか、実はそんなに昔の話じゃないんだということに驚く。
 筆者は123便の墜落事故後の対応がJAL再生のいちばん大きなチャンスだった、JASとの統合が最後のチャンスだった、というようなことを書いているので、JAS派のあたしとしては溜飲が下がる思いですよ。
 しかしすべてのチャンスを潰して、JALは潰れた。
 歴代社長とそのしたこと、次の社長が決まるまでの社内抗争などが延々と描かれていて、取材大変だっただろうなぁと思う反面、「なんかいつも同じことの繰り返しなんだけど・・・」とげんなりしてしまうのは何故なのか。 社長が変わるたびに再建案は出されるのにそれが実行に移される気配がないのは何故なのか、あたしにはさっぱりわからない。 ありすぎる労働組合とか社内人事派閥の争いとか政治家の横やりとかいろいろ理由はあるんでしょうが、そこには“サービス業である”という視点がまったく見られません。
 これが親方日の丸体質ってやつですか、うんざりですな。
 先だって、JALを解雇されたのは不当であると集団で訴えた元職員の方々がいましたが・・・よくこんな会社でまた働きたいと思うなぁ、と不思議でならない。
 結局は既得権益か、と思われてしまっても仕方がない感じ・・・多額の税金が投入されていることへの後ろめたさとかないのだろうか? それとも経営陣の失敗はヒラ職員には関係ないとでも?(まぁ直接関係ないかもしれないけど、結果的にそういう経営陣を支えたのが普通の職員だったわけだし−いやなら反旗を翻すなり内部から変えていけよ−、またそういう人たちの下で働きたいのか?、と思うと堂々巡りなのでやめておくが)
 エピローグで、JAL出身のCAがJAS出身のCAに向かって「JALはJASを背負わされたせいで倒産したのよ」と非難しているエピソードが紹介されているのに至って、あたしは沸騰寸前になった。
 あのねぇ、正しく報道されてないけどJASはJALなんかよりはるかに黒字企業だったんですよ! 利益率のよくない国内線をJALは背負わされたせいで赤字が膨らみ・・・みたいな論調でJALを擁護してる人もいるけど、ほんとの地方空港路線を支えていたのはJASなのです(「9割が不採算路線」という人もいますが、そういう路線は他の航空会社は飛ばないから割引戦争に参入する必要がないのだ。 JASの黒字路線がJALにとってもドル箱路線だから明らかなおいしさがないだけ。 JAS単体であれば十分やっていけたのだ、ただその先不採算路線でも利益率の高いところに新幹線が配備されていけばどうなるかわからないというのはあっただろう)。 バースデイ割引だって最初に始めたのはJASだし。
 JALが好きだと言っていた飛行機仲間のAくんのように「じゃあとにかく一度、JASに乗ってみたまえよ」と乗せてみたら「JASめちゃめちゃいいですね!」とそのサービス精神にイチコロになり、JASファンになった人もいる。 毎回必ずある機長挨拶もそれぞれ個性が出ていて機長の名前も覚えるようになったし、CAさんもみんなフレンドリーでサービス精神にあふれていた。 あたしはJASに乗り続けたおかげで飛行機が好きになったんだ。 ボーイング、エアバス、MDといろいろ乗って、MD機がいちばん好みだとわかったし。
 JASがJALと合併すると聞いたとき、ほんとにイヤだった。 でも、JASのサービスの素晴らしさがJALに引き継がれてくれるならそれでいいとなんとか納得した(ここまでJALが腐ってるとは思っていなかったからだ)。
 しかしその後続発する問題に(そして世間にはJALよりもJASのほうが弱いと思われていることについても)頭を抱え、実際新生JALに自分でも乗ってみてJASらしさがひとつも生き残っていないことに愕然とし、失望して、いつしかもう飛行機に乗らなくなった。 MD機をJALが順次処分すると聞き(正確にはMD90の塗装をつまらないものに塗りかえられてから)、飛行機そのものにも興味をなくしかけてる。
 JALなんかいらない。 だからもうほんとうに、JASを返してほしい!


 直接ここで取り上げた本とは関係ないですが、元連合赤軍の永田洋子死刑囚が病死したそうですね・・・だいぶ前から脳腫瘍だと聞いてはいたのでそのうちこうなるだろうなぁということはわかっていましたが、それでも同時に「まだ生きていたんだなぁ」という感じもして・・・あたしが生まれる前の事件なので、関係者がまだ生きているという感覚がどうも鈍いようです。
 この人のしたことは許されることではないけれど、そのことにいったい自分でどう向き合ったのかなぁ・・・国外逃亡したかつての仲間は獄中にいる彼らのことをどう思っているのだろうか(そのせいでこれまで死刑が執行できなかったという背景もあるわけだし)・・・ということを考えるとやりきれない。
 同志とか、仲間とか、いったいなんなんですかね。

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2011年02月05日

エクスペリメント/THE EXPERIMENT

 エイドリアン・ブロディとフォレスト・ウィテカー共演!、ということでの期待。
 内容はドイツ映画『es [エス]』のハリウッドリメイクだということなので・・・中身にはそんなに期待していない(もうネタ知ってるから)。 そして1971年の『スタンフォード大学心理実験』としてすでに大筋は有名だから。
 なので、期待するポイントはいかにディテールを掘り下げるかと、俳優陣の演技力合戦なのであります。
 いきなりリストラにあったトラヴィス(エイドリアン・ブロディ)は平和デモで出会った女性と仲良くなり、彼女がインドに旅立つ予定と知ってなにもかも捨てて自分も行きたくなる。 しかし費用が足りない・・・新聞に出ていた「報酬一日1,000ドルで14日間」という高額報酬のアルバイトに応募することに。
 心理テストと面接を経て、採用になったトラヴィスは面接の時に知り合ったバリス(フォレスト・ウィテカー)も採用になったことを知り、再会をよろこぶ。

  エクスペリメント2.jpg 最初の印象はよかったのにね・・・。
 しかし始まった“アルバイト”は、24人の被験者が囚人役と看守役にわかれて刑務所の環境下でそれぞれの役割を演じるというものだった。
 トラヴィスは囚人役に、バリスは看守役に。 それから、驚愕と恐怖の日々が始まる。
 メイン二人だけでなく、結構演技派が揃ってます。 あのクリフトン・コリンズJrが囚人役側のカギを握る人物としておいしいところをもっていく(個人的にはもう少し出番が多くてもよかったのにと思う)。 美形っぽいのに嗜虐的なナチ将校に自分をなぞらえているような男、どこかで見たことがあると思ったら・・・『バーレスク』のバーテンか! あのときの人のよさ丸出し感はまったく見られず、頭を椅子で殴りたいぐらいのいやな奴だった。
 ルールというものに縛られ過ぎると人はここまでおかしくなる、という簡単な見本ではあるけど、看守側には「それをやったら赤ランプ」というある意味の監視と同時に免罪符があったことが暴走に駆り立てられたいちばんの要因であったように思われる(勿論、サディスティックな思考の持ち主とか抑圧されている人物を看守役に配した実験主催者側の意図が裏目に出過ぎたということもあり)。

  エクスペリメント4.jpg 元は普通の人たちなのに、なんでこんな展開になるんですかね。
 しかし結論から言うと、「『es [エス]』のほうがヤバかったな〜」。
 多分『es [エス]』からインスパイアされたとも思われる『セッション9』のほうがむしろ怖かったですよ。 なんですか、この手ぬるさは(『es [エス]』と『セッション9』を見ていない方なら十分怖いとも思われますが・・・)。 もっと白熱した演技合戦、期待したのに・・・。
 しかし実際の刑務所で噂に聞く(ドラマや映画に出てくる)リンチとか、やけに下ネタ関係が多いのは(トイレとかそういうの)刑務所には必要最小限のものしかないからなんだなー、と納得できました。 ある意味小学生のいじめに通じるものがあるかもしれん。

  エクスペリメント3.jpg 「暴力」よりも、人を支配するのに必要なのは「屈辱感」? でもあたしは逆に反骨精神に火がつくと思う。
 いや、きっとそれに挫けてしまう人もいるだろうが、そうじゃない人も必ずいる。
 そもそも誰かを「支配」しようという考え方自体が間違いなのだ・・・ということでしょう、この実験から得られた教訓は。 40年前に実際に行われて大失敗に終わった実験なのに、現在でもそれが全然活かされてない・・・ということに哀しくなる。
 ほんとに、ヒトはサル以上の存在なのでしょうか?
 終盤はさすがに盛り上がりますが、「あ、このアングル『es [エス]』にもあったなぁ」とか思っちゃいました、すみません!
 実験の背景や被験者たちの事情の説明を最小限もしくは一切説明せず、としたのはいい方向に働いている部分もあるし、そうじゃない部分もあったかなぁ。 フォレスト・ウィテカーには『ラスト・キング・オブ・スコットランド』とかでどこか“狂気”のイメージがついているのだから、前半にバリスのいい人っぽいところをもっと描写していればより落差が生きたと思うんだけど。
 まぁでも退屈はしなかったので、よしとするかな〜。

ラベル:映画館 外国映画
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2011年02月04日

エリックを探して/LOOKING FOR ERIC

 ケン・ローチ監督といえばあたしにとっては『麦の穂をゆらす風』
 泣くことも許されないほど重くて痛々しい作品でそのイメージが強いが、なんかこれはコメディっぽいじゃないか、希望に満ちてそうじゃないか、ということで見ようと思った。
 郵便局員エリック(スティーヴ・エヴェッツ)は何をやってもうまくいかない日々に絶望していた。 若いころはあんなに輝いていたのに。 別れた最初の妻を今も愛し続けているのに何もできず、再婚したけどまた失敗し、息子たちにはバカにされ、なのに盗み見たかつての妻は今も変わらず美しい。
 自棄になって事故を起こしたエリックを元気づけようとサッカー仲間でもある職場の友人たちは努力するが効果はない。 が、ある日突然、マンチェスター・ユナイテッドの伝説の選手エリック・カントナがエリックの前に現れてアドバイスをくれるのだった。

  エリックを探して2.jpg 多分事故の後遺症とマリファナのせい。
 エリックのダメダメ加減、半端じゃないです。 リアル悲惨というよりも、笑ってしまうほどの情けなさというか。 背中に「悲哀」という文字が書いてあるかのようで、でもなんだかにくめない。
 本来、サッカーではなくフットボールなのかもしれないですが・・・字幕監修にサッカー解説者の方の名前があったので「そんなに専門的?」と思ったけどそうでもなかった。 マンチェスター人の生活の中にはサッカーが息づいているということでした、日本でもある年代以上の人々が人生を野球用語で語るのと同じように。
 で、相変わらずサッカーにも疎いあたし、“マンチェスター・ユナイテッド”を“マンU”と略すのか、ということに驚く始末。 エリック・カントナ選手も多分すごい人なんでしょうが知りませんでした。 だからご本人出演なのは本国ではものすごいことなのでしょう。 ぼそぼそ話すフランス語がお洒落〜、と思っていたらフランス人だったんですね・・・しかし、イギリスサッカー界で外国人選手なのにそこまでファンに愛されてるってことは、やはりすごい人なんだろう。

  エリックを探して5.jpg 技とともに、キャラクターもね。
 カントナ選手も独特の雰囲気でいい味出し過ぎなのだが、実はエリックの職場の仲間たちが、楽しすぎる。 落ち込んでいるエリックをとにかく笑わせようと、みんなでいれかわりたちかわり自分のとっておきの小話を披露してみたり。 エリックがパニック障害になったと知るや、常に本から実践を心がけるリーダー格の人物の呼びかけでみんなでセラピーしたり(別に他の人たちはする必要ないのに!、しかも素人同士でやってどうする!)。
 おいおい、こんな楽しい仲間たちがいるなら落ち込んでる場合じゃないだろ!、と当人だったら余計なお世話とわかってはいるものの、そう思ってしまいたくなるような仲間たちの「援護射撃」に、微笑ましさを禁じえないのだ。 話してることは実のないバカ話だったりしますが、それが大事なのよね(そんな彼らのやりとり、かなり笑える)。
 で、ちょっとずつ上向いてきたかに見えたある日、とんでもない出来事が起こってエリックはまたもどん底に。 そこでカントナはささやく。
 「大事なのはシュートよりもパス」・「仲間を信じろ」と。
 こんなにベタでストレートでいいんですか!?、な助言(そして映画のテーマ的にも)ですが、ここからエリックの再生が始まることに。 息子たちの反抗の理由はわかったし、仲間たちの協力を仰ぎ、オペレーション・カントナ、実行!

  エリックを探して6.jpg そんな秘密の話をパブでするなよ・・・と思いつつ、きっとそれもマンチェスターのルール。
 あっさり実行されますが、これが大変ばかばかしくて、でも妙に爽快だったり。
 ダメ押しの「どこへ逃げても無駄だぜ! 何故なら、おれたちは郵便局員だから!」のリーダー格さんの台詞には大爆笑とともにちょっと涙もにじんだ。
 無茶苦茶なのだが、とてもハッピー。

  エリックを探して4.jpg 希望よりももっと強いものが。
 「こんなことはあり得ない、おとぎ話だ」、とまたも言われそうな話ですが、見た側がしあわせな気分になるんだからそれでいいじゃないのさ、という気になるのです。
 ケン・ローチの映画でこんなに笑えてハッピーになれるなんて・・・うれしい驚き。

ラベル:映画館 外国映画
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2011年02月03日

ある意味、無人島への“一冊”

 昨年末に刊行以来、ずっと「どうしようかなぁ・・・」と悩んでいたこの本。
 ほしいんですよ、ほしいのです。 創元推理文庫(SFもだ)のファンだから。
 でも金額がなぁ・・・とへたりこみ、しかしこの機を逃すともう出ないかもしれないと考え直し、結局のところついに買ってしまいました!

  東京創元社文庫総目録.jpg 東京創元社文庫解説総目録
 勿論文庫サイズ、函入り!
 ときどき本屋さんの隅に置かれて「ご自由にお持ちください」になっている目録、あるじゃないですか。 作者の簡単すぎる略歴と、本のタイトルとあらすじとかだけ載ってるやつ。 あれの、東京創元社版50年間のコンプリート目録。
 子供の頃、お小遣いが乏しかったので(しかし読むのは今よりも数段早かったので)、あたしは読むものがなくなれば目録に手を伸ばし、そのあらすじからどんな内容か想像して楽しむ、ということをしていた(勿論創元だけじゃなくて、他の出版社のものも手に入る目録は読んでいた。 で、創元とハヤカワが好きだった)。
 だからミステリの古典のタイトルはよく知っていても、肝心の中身は読んだことがないのが多いのです(しかし評判は知っている、みたいな)。
 が、読んでないからこそ目録が楽しめる!、ということはあるかも。
 なんかよく質問にある「無人島に一冊本をもっていけるとしたら?」、あたしはいつも答えを見つけられなかったんだけど、なんか、これかも!
 しかも付属の『資料編』(薄い方)が・・・ぱらぱらめくってみただけですが、初期に発行された本のカバー写真とか(最初の一冊は『黄色い部屋の謎』だと知ってはいたけれど¥120と書いてあるわ!)、すごいメンバーの座談会とかすごい人からの寄稿とか、もはや御存命ではない方のお名前が続々と・・・。
 わ、すげぇ!!!
 まさに、“資料”じゃん、日本におけるミステリの流れを見る上で。
 うむ、これで¥5,250−は、十分モトが取れる!、かも。
 しかし2月はチョコレートにかなりお金を使ってしまう時期なのに・・・早速、散財。
 が、後悔はない!

ラベル:新刊
posted by かしこん at 01:01| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月02日

空中戦目撃談

 今朝はやけに騒然としていた。
 なんと、カラスたちによる空中戦の真っ最中!
 いや、普段こんなにカラスはいません。 彼らのテリトリーはもう少し先の川べりのほうだと思っていたのだけれど、戦いの最中は関係ないみたいですな。
 あわてている姿など見せたこともないいつものハトたちまでがあおりを食らって逃げ惑い、ネコなんて気配もない。
 通り過ぎる人がみな「なんだろう?」という顔で上を見る。
 一瞬だけ、ヒッチコック『鳥』のような光景。
 思わず垣根越しに張り付いて様子をうかがうあたし(こんなことをしているからいつも遅刻ぎりぎりなのである)。
 どうやら空中戦はいつしか何かの包囲網の様相を呈してきていた。
 その中心にいるのは・・・一羽のカラス。
 片足をがっしりと、フランスパンのようなもの(長いバケット三分の一ぐらいの大きさ)の上にのせて押さえ込んでいる。
 ・・・え? このパンの、獲り合い?????
 飛び回る幾多のカラスを尻目に、そのカラスはちょくちょくくちばしをパンらしきものの内側(つまり白いやわらかいところね)につっこんでいる。 余裕あるなぁ。
 この先どうなるのか見ていたかったが、残念ながらタイムアウト。
 ちょっと距離があったので携帯のカメラでは撮影できなかった。
 そうか、雪はないけど今は一応“冬”・・・彼らにはサバイバルな日々が続いているのだろうか。 街路樹には実が残っていたりもするのだけれど・・・。
 後ろ髪をひかれながら仕事に向かう。 あー、会社行きたくなかったわ〜。

posted by かしこん at 02:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 季節のこと/街の中の自然 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月01日

ろくでなし啄木@シアターBRAVA!

 ほんとは啄木の啄の字は違うんですけど・・・表記できないのでこれで。
 三谷幸喜生誕50周年記念スペシャル第一弾、『新選組!』の三人の顔合わせで送る三谷脚本初のエロティック・サスペンス!・・・だということを帰宅後にパンフレットを読んで知りました。

  ろくでなし啄木.jpg そうですね、ポスターからも無駄に色気が。

 啄木の記念碑の前で、20年振りに出会うトミ(吹石一恵)とテツ(中村勘太郎)。
 すっかり有名人になってしまった啄木(藤原竜也)だが、二人にとっては「はじめさん」であり「ピンちゃん」だった。 が、ある日を境に彼は二人の前から姿を消し、三人の微妙な関係と友情は終わりを告げた。 一体、あの日に何があったのか、トミはテツに問う。
 “一夜の出来事を、その場にいた三人それぞれの視点から振り返る”という『羅生門』形式なれど、同じことが繰り返されつつも解釈次第でずれが生じるあたり、あたしは『ノイズ・オフ』を連想してしまいました(そのあたりで笑いが起きるから余計に、ですかね)。
 石川啄木といえば『ローマ字日記』のせいで「実はいやなヤツ」というイメージが定着していたあたしですが、世間的にはあまりそうではないのか??? 『ローマ字日記』については終盤少し触れていたが、観客の受けはいまいちだった(ってことは知らないってことよね。 でも今品切れ重版未定だそうで・・・それはあたしがもうトシってことか?!)。
 冒頭のシーン、ちょっと年を食ったテツさん、喋り方や声が「中村勘九郎?!」って感じでびっくり(勿論、現・勘三郎ですが今より若い時の感じなので)。 またキャラクターが「深く考えてなさそうだが人のよさはとびきり、ふらふらしてそうだけど地に足が付いている」という感じなのでますます勘九郎さんにだぶります。  なんか勘太郎くんはまっすぐ生真面目くんというイメージなので・・・(いや、それが『新選組!』の平助から来てるってことは自分でもわかってますよ)、なんだか父親に露骨に比べられちゃう役でかわいそうな感じがしてしまった(って、比べてるのは誰なんだって話ですが)。
 そう、『新選組!』とは全く違う役柄を今回三人には与えられたのだと理解しますが・・・すみません、正直、期待したほどでは・・・。
 いや、三人はそれぞれがんばっていたと思うのですよ。 わざわざオープニングのために土砂降りの雨を降らせるのもすごいですし。 あえて伝統的な演劇的手法のセットも三谷脚本としては珍しい。 しかし、脚本が・・・どうも・・・あたしには「フツー」だったんですよ。 なんというか、心の響くものがなかったというか。
 あ、『ソーシャル・ネットワーク』観たあとだったからかな。 天才かもしれないけど人として未熟なヤツのそばにいるのは大変、ということでもあるから(けれど時がたてば「それもまた得がたき体験」と思えるようになるということなのか)。
 まぁ、“エロティック・サスペンス”だというのだから別に心に残らなくていいのかもしれません。
 吹石一恵嬢はなんかこのままいくと今の鈴木京香のようなポジションに進みそう・・・コメディエンヌの才能のある人を「お色気おねえさん」のイメージに押し込むの、やめてもらえませんかね!

 そして平日に18:30開演はつらい・・・。
 どんだけ長いのかと思えば、15分の休憩をはさんで終演予定時刻は21:15。
 19:00スタートでも22時前に終わるじゃん!
 これだけ納得がいかなかった。 なんで18:30スタートなの?

posted by かしこん at 01:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする