2011年02月28日

英国王のスピーチ/THE KING'S SPEECH

 なんでももともとジョージ6世役のオファーを最初に受けたのはヒュー・グラントだったらしい(そしてヒューさまはこれを断り、今大変後悔しているとか)。 でも、もしヒューさまだったらどうだっただろう? それがちょっと想像ができないくらい、コリン・ファースがはまり役です!
 そもそも吃音って生まれつきのものじゃないし、原因は幼少時のトラウマとかであることが多いのだから、克服しようと思って正しい手段を踏めばできるもの。 けれどそれは現代の認識で、当時はどう思われていたんだろうか・・・うつ病と同じで「お前にやる気がないからだ」で済まされてしまっていたんだろうか。
 そんな屈折感が、コリン・ファースから滲み出ています。

  英国王のスピーチ6.jpg とりあえず“内面の苦悩”が似合う人。
 幼少時から吃音に悩むヨーク公(コリン・ファース)はとにかく人前で話すことが嫌いだった。 しかし父親の国王ジョージ5世も兄である皇太子(プリンス・オブ・ウェールズ)も演説はお手の物。 ラジオ放送が当たり前になった時代でもあり、王族たるもの国民に説得力をもって語りかけて一人前。 それ故、ヨーク公の悩みは深い。 それを誰よりも知る妻エリザベス(ヘレナ・ボナム=カーター)は様々な治療法を求めて、ついに場末の言語治療士ライオネル(ジェフリー・ラッシュ)の存在を知る。

  英国王のスピーチ1.jpg ジョージ5世の命令で、いろいろな機会に王の名代として出されるが失敗続き・・・でもそれを痛い感じに見せないのは実在の人物への配慮なのか、見てるほうがつらくなるのを回避するためなのか。
 ほぼこの三人の舞台劇に置き換えられそうな、人間関係が中心の物語でした。
 というかコリン・ファースとジェフリー・ラッシュはダブル主演だろ・・・と思う(賞獲りのために主演と助演にわけたとしか思えない)。
 英国王室は日本の皇室と比較されることが多いですが、本質的に違うものだということがこの映画だけでもよくわかった。 王族であることの自負は国に対する責任感でもあるが「ただの市民・下賤の者とは違うのだ」という強烈な選民意識がそこにはあって、<基本的にヨーロッパの王室は外国系の支配階級>ということを思い出させてくれます。 王族であることを負担に感じているヨーク公ですらその感覚は徹底しているので、ならば他の王族はかくや。

  英国王のスピーチ4.jpg ポリシーを曲げぬ反骨の人。
 それに対してライオネルはオーストラリアからの移民なのか、オーストラリア訛りであることをことあるごとに揶揄される。 ヨーク公への協力も、最初は仕事だし英国に対する皮肉も交じっていたはずである。 しかしそんな二人が歩み寄る過程、苦難にともに立ち向かうが故に生じる友情が、この映画の見どころなのかな〜(似た題材としてはドイツ映画の『わが教え子、ヒトラー』がありますが・・・違いは憎しみが消えてない、というところかも)。 途中の、ライオネルが謝罪しようとするのにそれをぶった切るヨーク公の冷たさに、ライオネルの何とも言えない悲しさあふれる表情が胸に迫りました。
 それにしても相変わらず世界史不案内のあたし、ヨーク公の兄が“王位を捨てた恋”のエドワード8世とは・・・。 純愛伝説だと思ってたこの話、実は“百戦錬磨の人妻と、手玉に取られた愚かな男の話”だったとは・・・エドワード8世役のガイ・ピアースのおバカっぷりが光ります(間抜けすぎてひどい)。 

  英国王のスピーチ7.jpg 来日して靖国神社を参拝したり、いい評判もある人なのだが・・・この映画ではただのダメ男だったよ〜。
 お相手のシンプソン夫人はアメリカ人だそうですが、さすが王室を持たない国の人間らしく敬意を払うことを知らない傍若無人さで、こりゃ実情を知ったイギリス人は怒るわ、と思いましたよ(こういうところで、「日本人でよかった」と感じたあたし)。
 のちの首相であるチャーチルはまだ閣僚の一人にすぎず、世界の1/4が英国領だった時代・・・それがそれほど過去ではない(ヨーク公の娘が今のエリザベス女王)ということに驚きを禁じえず、そして当時英国の植民地であった国々はヨーク公(のちのジョージ6世)と英国礼賛映画であるこの作品に対して文句なんて言わないんだろうなぁ・・・と思うと、なんか日本って不公平な地位にいるんじゃないかい?、とつい余計なことも考えてしまうのです。

  英国王のスピーチ2.jpg そして戴冠へ。
 で、エドワード8世は弟に王位を譲り好き放題に生きる道を選び、ジョージ6世となったヨーク公は国を背負うことに加えて吃音の克服を否応なく迫られる。 元が実話なのでそのあたりには切迫感があり、ナチス・ドイツの台頭や戦争が近い中のスピーチ、というラストへの感動へとつながるわけですが・・・でも歴史ドラマとしては少々物足りない感あり。 ヨーク公が王位を継ぐことの苦悩はこれでもかというほど描かれるけど、妻のエリザベスが皇后になることに対しての自分の気持ちとかあまり出てこなかった気がする(王族になるのが嫌でプロポーズを二度断った女性が決意して結婚したとはいえ王弟の妻と皇后では立場がまったく違うでしょうに)。

  英国王のスピーチ9.jpg ヘレナ・ボナム=カーターは特殊メイクがなければチャーミングな役も似合うのにな・・・。
 やはりここは“バディ物”としての面白さを買いたいですな。 うますぎて腹が立ってくるほどのジェフリー・ラッシュとコリン・ファースの丁々発止を楽しむ、そういう役者重視の小品という感じが。 結構笑えるところもありますし、とてもイギリスらしいシニカルなハートウォーミング・コメディというか。 明らかなアカデミー賞的大作ではないことは確かです(まぁ、最近大作はアカデミー賞獲れませんがね)。
 ところでイギリスの映画監督はテレビドラマ出身の方が多いですが、そういうシステムなんですかね?(トム・フーパー監督も後期の『第一容疑者』とか撮ってます)。 それともドラマ自体が映画指向なのか。 そこも日本と違うな・・・。

ラベル:外国映画 映画館
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2011年02月27日

初日レイトショーの誤算+α

 土曜日だが仕事である。 だがそれを逆手にとり、『英国王のスピーチ』初日のレイトショーに行くことにする。 アカデミー賞効果を狙ってのことかシネ・リーブル神戸は21:10スタートという粋なことをしてくれていて、助かります。 なので初日なのに¥1200で見られましたよ♪
 しかしここは座席自由、入場はチケットの番号順のため、明らかに込む映画は早めにチケットを買わねばならない。 19:45に購入で、整理番号28をゲット。
 「本日朝から満席・立ち見の状態が続いておりまして・・・夜は大丈夫かと思いますが、10分前までに必ずお戻りください」とカウンターのおねーさんに珍しく念を押される。 おお、出足の遅い神戸の客であるが、さすがに“アカデミー賞最有力!”の呼び声は強かったか。
 近所のデパート閉店直前のため地下食料品コーナーにて割引品を買おうかと思えば、やはり土曜日は平日とは違いいつもあるはずのものがすでにない・・・。
 映画館が込むのであれば席に座ってからの飲食は難しかろう、とロビーで手軽に食べられるおにぎりを買う。 残業でおなかがすいていたのです。
 そしてセンター街のジュンク堂に向かい、目的の本を買うのですよ。

  888−6.jpg 『888』 6巻/桑田乃梨子
 なんと、いつまでもだらだら続くかと思われたこのシリーズ、最終巻です!
 しかも作者あとがきによると、この連載は10年続いていたらしい・・・家帰って1巻の奥付見たら「1993年発行」になっていたよ。 10年で6冊か・・・そりゃ、なかなか単行本が出ないわけです。
 しかし3月11日には『ねこしつじ』の2巻が出るという予告が! こっちはえらくハイペースじゃないか!
 そして、本屋に行って本を一冊で帰ってこれないのがあたしの悪い癖。

  13時間前の未来・1.jpg13時間前の未来・2.jpg 『13時間前の未来』/リチャード・ドイッチ
 なんかタイトルがいいなぁ、と思って。 知らない作家なのでかなり冒険ですが、新潮文庫は海外ミステリにも力入れてるしな、と思って。 まぁ面白くなかったら図書館に寄贈しちゃえ!、ですよ。

  死を騙る男.jpg 『死を騙る男』/インガー・アッシュ・ウルフ
 これも知らない人ですが、装丁にグッときました! これは創元推理文庫なのである程度大丈夫だろう、との期待もこもってます。

  五番目のコード.jpg 『五番目のコード』/D・M・ディヴァイン
 これはもともと買うつもりだったんだけどタイミングはずして買いそびれていたやつ。
 ディヴァイン最高傑作!、とか聞いちゃったら読みたいでしょ、当然。

  とうに夜半を過ぎて.jpg 『とうに夜半を過ぎて』/レイ・ブラッドベリ
 これは説明不要のブラッドベリ文庫新刊。 河出書房、ありがとう!
 なんだかんだと他のも含め、8000円ぐらい買ってしまった・・・これだから、あたしはすぐお金がなくなってしまうのだ。

 で、シネ・リーブルに戻りロビーの一角の座るところを見つけて『888』を読みつつおむすびを食べていると・・・ロビーに続々増える客層が、明らかに異質。 どうも『英国王のスピーチ』を見に来た客とは思えないのだが・・・とふと気付き、あたしのチケットを見る。
 え、スクリーン3?
 なんと、いちばん大きいスクリーン1は『マクロス・フロンティア』だったのであった・・・スクリーン3なら、100人入るか入らないかだから満席・立ち見でも不思議じゃないよ・・・。
 アニメのほうが稼ぎ頭なのね・・・(グッズを買う人もものすごく、初日なのにもう売り切れているモノがあった模様)。 いえ、アニメを否定はしません。 ただ、エヴァンゲリヲンのときもそうだけど、どうせ来たのならば他の映画にも興味を示してくれないかなぁ、と思いはします。 とはいえあたしも『マクロス・フロンティア』を見ないのでお互いさまなのか(かつての『超時空要塞マクロス』との関係をどなたか教えてください)。
 『英国王のスピーチ』の感想は明日にでもアップします。
 パイプ椅子も用意されていたので昼間は超満員だったんだろうなぁ・・・レイトショーはそれでも入りは9割弱、といったところでした。
 十分ヒットと言えるのではないでしょうか。
 あたし個人的には、アカデミー賞の結果がわかる前に見れてよかったです。

ラベル:マンガ 新刊
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2011年02月26日

白いリボン/DAS WEISSE BAND - EINE DEUTSCHE KINDERGESCHICHTE

 あたしの鬼門、ミヒャエル・ハネケ。 だがもう逃げないと決めたので、トラウマに対峙するかのように足を運んだ。 この作品が昨年のカンヌ映画祭パルムドールとかあまり関係ない、もはやハネケに勝つか負けるかの真剣勝負なのだ。
 『ファニーゲームUSA』では勝ったと思う。
 でも、なんか今回は負けた気がする・・・。
 サブタイトル切れました、“EINE DEUTSCHE KINDERGESCHICHTE”です。

  白いリボンチラシ.JPG 美しい村、静かな暮らし、聞こえてくる魔物の足音。

 1913年。 ドイツ北部のある村で、奇妙な事件が次々と起こる。 はじまりは、医師の帰宅途中の道にピアノ線が張られていて、足を引っ掛けた馬から落ちて彼が重傷を負うことから。 また別の日、体調のすぐれなかった小作人の妻は農作業を免除され、納屋での仕事をすることになったが突然床の底が抜けて階下の機械に激突して死亡する。 目覚めない者の姿に、幼き子供は初めて死というものを意識し、恐れる。
 村を覆う“死”の空気、親が子供に振るう権力と暴力はそのまま男爵である地主と小作人の関係にも通じ、一触即発にも似た緊張感が常に。 モノクロ映像ですが、場面によってグレーが強いときとセピアが強いときがある。 セピアだから優しい雰囲気になるといったことはまったくない。

  白いリボン1.jpg 純真であることと“絶対服従”は違う、はずだ。
 白いリボンは子供たちの左腕に巻かれる“自己規律”、つまりは強制される純真無垢さ。 だが、大人には子供にそれを要求する資格があるのか? そしてそれを求められる子供たちは純粋無垢だと言えるだろうか?
 ある意味、『恐るべき子供たち』ですか?
 はっきりそう言ってはいないものの、“子供は無垢である”を真っ向から否定してくる恐ろしさ。 一応、よそから来た学校の教師という視点から物語は語られるのだが、「お前の目は節穴か!」とつっこみたいこと多々でした。
 何故気づかない! 何故あの件をそのままにする! 何故一歩踏み込まない!

  白いリボン3.jpg むしろ大事なのは自分の恋だし。
 が、それが所詮余所者の限界なのかもしれず。
 しかも“権力を振るう側”の大人の代表としてのキーパーソンである地主と家令と牧師がわかりにくい・・・(一瞬、「あれ、この人どっちだっけ? この子たちはどっちの家族だっけ?、と考えてしまった)。 が、被害者として登場した医者も実は・・・だし、この村にはろくな大人がいないのか!
 家令か牧師かどちらかの役をウルリッヒ・ミューエにやってもらいたかったなぁ、と思ったのはあたしだけだろうか。 彼の急逝は本当に残念です。
 確かに、『ファニーゲーム』や『隠された記憶』のように無神経さというか不愉快さは露骨ではない。 洗練された手法、と言われれば確かにそうです。 だが、しかし。

  白いリボン2.jpg 小作人の息子の怒りはキャベツに向かう。
 たとえば、精神病院に閉じこめられたユトリロがかつて自分で描いた絵を見ながら描いた別の絵のように、繰り返されているようで微妙に違うカット。 段階を踏んで建物から遠ざかっていくカットの積み重ね、など、相変わらず人の神経を逆撫でするというか、ガラスを釘でひっかくようなことを平気でしてきます。
 そしてラストはやっぱりというか、観客を置いてけぼりの放置プレイ。 わざわざナレーションを使ってわかりやすさを演出してきたのかと思えば、何の助けにもなりゃしない。 問題はプロテスタント的厳格さということでいいのですか?

  白いリボン4.jpg 教会・・・美しく、虚無的。
 事件は起こるが犯人が名指しされることはない。 けれど何が起こったのか、誰がやったのかはだいたいわかるようになってます。 でもはっきりしないってすっきりしない! このへんが、「負けた」と思う根拠です。
 サブタイトルは映画上では筆記体で描かれる・・・まるで誰かが羽根ペンで書き込んだように。 しかしなんて書いてあるのか全然読めない(調べてみたら、今のドイツ人でもほとんど読めない種類の字体だそうである)。
 『あるドイツの子供たちの物語』、それが読めない文字の意味。
 子供はいつか大人になる、大人もかつては子供だった、なのに、確かな断絶がそこにはある。
 あぁ、考えれば考えるほど、むなしくておそろしい。

 余談ではあるが・・・この『白いリボン』、ハネケブランドでもありなおかつカンヌ映画祭パルムドールというおまけつきでありながら、日本の配給会社が交渉した額はぎりぎり底値だったという。
 もしドイツ側が受け入れてくれなかったら、日本公開は見送られたのだ。 まぁヨーロッパ映画に興味のない人にはミヒャエル・ハネケなんてどうでもいいでしょうが、これって日本のミニシアター業界がものすごく悲惨な状況であることのあらわれ。 前から衰退は言われてましたけど(東京ですらばたばたミニシアター潰れてるし)、まさかここまでとは・・・。
 しかし、東京はミニシアターとシネコンとはっきり区別され過ぎてる感がある。
 地方のシネコンはスクリーン数に余裕があれば、小さい部屋でミニシアター系の映画を公開したりしてる(公開時期が遅れたり、期間が短かったりはするけど)。 神戸でも『キック・アス』をやってくれたのはシネコンでしたしね。 市町村の映画館がネットワーク化して公開したい映画を割り振るなりすれば、「どこの映画館でもやってる映画が同じ」なんて現象は起きなくなるのに(いや、多分やってるところはもうやってるんだろうけど。 多分神戸市はもうやってるみたいだし)。
 ただ、映画ファンはリタイアした人とか子育て終えた主婦とか日中時間の取れる人ばかりじゃないので、もうちょっと遅い時間にもやってください・・・最終回が18時台前半って、働いてる人には厳しいのですよ(だからレイトショーやってるシネコンに客が流れるというのもあるかも〜)。
 でもレイトショー枠、結構空いてるんだよなー。
 あぁ、日本の映画業界はどうすればもっと盛り上がるのか。 たかが一観客がそんなことを思うのは、日本で公開される作品選びの基準が不可解だからですよ。

ラベル:外国映画 映画館
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2011年02月25日

これが同じ世界とは・・・

『湖は餓えて煙る』/ブライアン・グルーリー
 子供の頃からの習慣だと思うんだけど、ハヤカワポケットミステリは読みにくい(ポケミスは値段が高かったから、あまり読んでこなかったんです。 昔のごわごわしたゴムっぽいカバーの手触りも好きじゃなかったし)。 今はとてつもない厚さのハードカバーよりはましなんだけど、やっぱりあたしは文庫が好きなのさ。
 でもこれはポケミスでしか出てないので・・・『ラスト・チャイルド』みたいに文庫と両方で出してほしいなぁ(あたしとは逆にポケミスオンリーファンもいるだろうし)。

   装丁デザイン変更後、やっぱ雰囲気変わりますね。
 ミシガン州パイン郡の田舎町スタヴェイション・レイク。 主人公で語り手のガスはかつて町の期待を一身に受けた花形アイスホッケーチームのキーパーであったが、州の優勝がかかった試合でミスをしたことで自分を許せず、町の人々の目もイヤになり、大都市デトロイトで一旗あげてやると当時の恋人も捨て町を出て記者稼業に意気込むも、ピュリッツァー賞目前で半分は自分の責任のトラブルに巻き込まれて職も記者としての名誉も失う。 結局、田舎に戻って地元紙<パイロット>で編集長代理をして糊口をしのいでいるしがない男である。
 ダメダメ男の語り手、流行りですね。
 一人称“おれ”は読みやすいはずなんだけど、序盤からたくさんの登場人物が次々出てくるので誰が誰やら把握するのがまず大変(まぁ、進むうちにわかってきましたが)。 そしてお約束通り、町はダメな人間と素敵さを失わない人間にわかれていたりして、なかなか魅力的なキャラも出現。
 そんなある冬の夜、湖に打ちあげられたスノーモビルが発見される。 それは十年前に別の湖で事故死したはずのアイスホッケーのコーチのものだった。
 一体コーチの身に起こったことはなんだったのか? ガスは調べ始めるが、自分が不在だった十年の間に町に何が起こっていたのか、自分以外のみなはそれぞれ何かを知っているような気がして、でも自分は何も知らない、そして気づけないといういらだちが自分自身の状況にも跳ね返り、かなり苦悩しております。 しかし根がスポーツマンなので、とことん落ち込むわけでもなく、読んでるこっちが「おいおい、今の重要な手掛かりなんじゃないのか! 追求しなくてどうする!」とつっこむ始末。
 しかし合間に出てくるアイスホッケー、そして“運命の試合”の回想など手に汗握る試合展開をしてくれて、重要なことをあえて語り合わない男同士の友情が歯がゆい青春モノとしても楽しませてくれる内容です。 が、事件の真相はとても「楽しい」なんてものじゃないけど・・・。
 田舎町の人間関係ほど厄介なものはない。
 ジャーナリスト魂は微妙だけれど、男同士の友情と仕事をめぐる年代も性別も違う人間とのやりとりはよかったです(ただ若い記者ジョージーは社会人としてそれはどうだ、という態度ではあるが)。
 続編が予定されているそうです。 ダメダメガス君は過去と決別し、その町でこれから新しい一歩が踏み出せるのか? ちょっと気になるかな〜。


『生きながら火に焼かれて』/スアド
 こちらはシスヨルダン、FGMではなく“名誉の殺人”の被害者の話。
 出版当初から表紙が目に焼き付いて離れず、FGMの流れでやっと手にとった。
   ※名誉の殺人:一族の名誉を汚したとみなされた者はその一族の判断により処刑される。 それが犯罪として処罰されることはない。
 筆者が育った村は、信じられないほどの男尊女卑がまかり通っている。
 男であるというだけで女を奴隷のようにこき使い、気に入らなければ暴力をふるい、「女など何の役にも立たない、羊以下だ」と事あるごとに言う。
 ほう、自分の家族がみな男だけになったら、誰が家畜の世話をするのか、誰が料理をつくるのか、誰が家事をするのか。 そんなこと、一瞬でも考えたことないんだろう男たちに殺意がわく(女が全員出て行ったらこの村ではどんなことが起こるのか見てみたい)。 が、悲しいかな女たちは絶対服従を強いられており、反抗する気力というかそういう意識がそもそもないし、生まれる子どもは女の子のほうが多い・・・悪循環は止まらない、のです。
 そんな中、スアドは「結婚さえすれば女も自由に市場に買い物に行ける」という憧れを胸に「早く結婚したい」と願うようになる(といっても若い独身女性が一人で男性と会話しているところを見られただけでも・噂になっただけでもひどい目に遭う土地柄、自由恋愛などできるはずもないのですが)。 が、折しも斜め向かいの家の息子が「スアドに結婚を申し込んだ」という話を聞き及び(スアドの姉がまだ結婚していないので父親はその申し出を断ったらしい)、「私と結婚したがっている人がいる!」と知って盛り上がる彼女、すっかり“恋に恋する乙女”状態に。
 そして結果的に彼女はその男に騙されて、妊娠させられて、棄てられた。
 なのに男が責任を問われることはまったくない・・・ひとえに悪いのは彼女のほうで、「結婚していない娘が身ごもったことで著しく家名が傷ついた」ということで家族会議によりスアドの殺害が決まる。 義理の兄がやってきて、彼女の全身にガソリンをかけ、火をつけた。
 足の速かった彼女は全身を焼かれながらそれでも走って逃げて・・・どうにか病院に収容してもらうことができた。 しかし病院側も“名誉の殺人”については及び腰で満足な治療もできない(下手に手を出せばとばっちりを食らうから)。 そんな、“死んでくれるのを待たれている娘たち”の部屋があるのである。
 外国人の人道援助家のジャクリーヌがスアドの存在を知り、彼女を助けようと動きださなければ彼女はそこで死んでいただろう。

   この表紙のインパクト・・・忘れられないよね〜。
 そこでインターミッション。 昏睡状態のスアドに変わり、ジャクリーヌが彼女との出会いといかに彼女を出国させたかの手記を寄せる。 スアドの家族や村を糾弾するのは簡単だがそれでは事をこじらせるだけ。 いかに現地の習慣や状況にあわせて目的を遂げるかの難しさとどれほど忍耐が必要であるかが語られる。
 あたしには無理そうです。
 そして再びスアドの手記に戻るが、前半と後半の印象がずいぶん違う気がした。
 プライバシーにかかわる部分が省略されているためか、前半では「そのあたりの記憶がまったくない」と明らかに表現されているので描かれていない部分にも納得なのだが、後半ははしょり過ぎと思われる部分も。 新しい世界・女性にも人権のある自由な世界で生きられるよろこびと、それでも幼少時から刻み込まれた家の思想とがうまくかみ合わずに混乱しているからなのか、どうも後半は違和感が。
 「日本の読者の皆さんへ」や実際に著者と会った訳者のあとがきで描かれる彼女の姿があまりにも魅力的なので余計に後半の不完全さというか不自然さが悔やまれる。
 ただ、本を出したことで世界各国へキャンペーンに出かけることになった経験が彼女を強くしたのだろうし、そういう部分が後半に盛り込まれていれば違和感は少なくなっただろうと思われる(ただし前半はあまりにもつらいことが多すぎたので記憶が防御機能を働かせていると考えると、書かれているのは「つなぎ合わされ、作り直された記憶」で、後半はリアルな記憶と考えれば前半はフィクション色が強いということも言えたりするんだが・・・歴史の検証書ではないし、『名誉の殺人』で多くの被害者が出ていることは間違いないのだからそこを責めるのは酷な気がする)。
 公の場に出るとき、彼女は仮面をつける。 スアドという名も当然偽名である。
 彼女がまだ生きていることを知った親類縁者がまた殺しに来るかもしれないからだ(実際、逃げたあとに見つかって殺された女性もいるそうだ)。
 ともかく、あとがきから感じる彼女はしあわせそうである。 それが長く続くことを祈ると同時に、明らかに犯罪な男尊女卑をなんとかしてもらいたい、と強く願う。
 先日の『CSI:マイアミ』で、親の決めた結婚相手とは違う人を好きになったから婚約は解消する、といった娘を「家名を傷つけた」として父親が娘にガソリンをかけて殺しに行く、というエピソードがありました(そして父親は何者かによって焼死体にされるのであるが)。
 詳しい部族などはわかりませんが、ペルシャ語を話す亡命イラン人? ドラマでは“アラブ人”でくくられてましたけど・・・アラブ人の定義がわからないなー。
 ともかくも、アメリカに住んでいながら、父親の意識はそのまま。 けれど娘は“名誉の殺人”なんてありえないと思ってるし、自分の気持ちを伝えれば父親にも許してもらえると思ってた。 結局のところ、“名誉の殺人”は女性に力を持たせないための男側の戦略なんだ、ということです(しかしアメリカの高視聴率ドラマで取り上げられるということは名誉殺人の認知度は結構高いということなのだろうか)。
 しかしラテンアメリカの“血の掟”もあるし・・・(映画『ビハインド・ザ・サン』参照。 これは1910年のブラジルが舞台ですが、一族の誰かが殺されて、その血のついたシャツを一日干したあとの色が黄色ならば、殺した相手を殺し返さねばならない、という掟)。
 こっちは女性蔑視とは違う問題だけど、“家”(つまり名誉)が大きな意味を持ち続けるために個人の意志が尊重されるどころか犠牲になりっぱなしというひどい話で。
 人権というものを伝えなきゃいけない場所は、まだまだたくさんあるようです。

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2011年02月24日

モンガに散る/MONGA

 「『モンガに散る』ってタイトルも、まず、モンガってなんやねん!って感じですよね〜」と、上映してくれた三宮シネフェニックスの支配人Mr.T氏からこれをどう宣伝していいかわからないご苦労をうかがう。 たまたまロビーで会い、少しお喋りをさせていただいたのでした(『完全なる報復』を見に行った日ですね)。
 実は少し前に沢木耕太郎の映画評コラムで『モンガに散る』が取り上げられていたのを読んでいたのであたしは知っていたのですが(しかし沢木氏のコラムも毎回結構ネタばれなので、ちょっと考えてほしいなぁと思う)、確かにそうですよねぇ。
 しかも『戦火の中へ』と『男たちの挽歌』のポスターと並んでいたのでこれも韓国映画だと思い込んでいる韓流おばさまもいたし。

  モンガに散るポスター.JPG これは台湾映画です。
 間違えないでください! そして台湾映画は中国映画でもありません! これは映画文化上のはっきりした区別であります。
 ちなみにモンガとは、台北一の繁華街でありながら多くの極道組織が縄張りを持つために日々抗争の絶えない地域で、もともとは“小舟が集まった場所”という意味であったらしい。 日本でいえば歌舞伎町?
 予告とタイトルの感じから、“闇社会でしか生きられない若者たちの悲劇”という印象だったんですが・・・冒頭から「?」マークが飛ぶポップな展開。 まるでクドカンが脚本を書いたかのようなテンポ・省略・巻き戻しで、「え、実はポップなヤンキー話?」と目が点になりました。 しかも時代がわからん・・・と思ったら、1986年と。
 過去にいろいろあったのだろう、目立たず地味に高校生活を送りたいと思っているモスキートは転校初日からいじめっ子(?)に弁当に入っている好物の鶏のモモ焼きを横取りされ、それを取り返してしまったことで集団で襲われる。
 そのうまい逃げまどいっぷりを気に入ったドラゴンとその仲間は、モスキートを自分たちの仲間に加えることにして、ここに“桃園の誓い”的5人の義兄弟が誕生。
 実はドラゴンの父親はモンガで最大勢力の極道“廟口”のゲタ親分の息子で、学校内で彼に逆らえるやつはいないのだ。

  モンガに散る2.jpg 前半は、「バカ五人衆」。
 そうして仲間たちとともに青春を楽しむモスキートは学校に行かなくなり、ごく自然な成り行きで極道の道に入っていくことに。
 しかし驚いたのは、モスキートが父の遺品と思って大事にしているのが富士と桜の絵ハガキであること、酒飲みながら彼らが遊ぶのはスーパーマリオブラザーズ、「桜の花、見たことあるか?」という問いかけ・・・こんな映画にも、台湾の人の“日本への憧れ”が描かれている! そして大陸者たち(中国から来た者)がでかい顔をしていることへの不満がもともと台湾にいる人々の間に生まれている。
 時代的なものもあるだろうけれど・・・こんなにも日本を愛してくれる国に対して日本はなんてひどいことをしたんだろう、と本筋とは関係ないところで泣きたくなってきた。
 ディスコでエア・サプライの『渚の誓い』がかかっていたり、台湾は西洋の文化も自由に取り入れることができていたんだなぁとわかる。 現地の歌手の方がそのまま英語でカバーしてるバージョンも流れるし(それもなかなかよい出来です。 同じ時期の中国ではそんなことは許されなかっただろうし、今でもどうなのか?)。
 そして1987年になり、映画は第二章に入るかのようにぐっとトーンが変わる。
 ポップなところが影を潜め、「いかにも暗黒街に生きる」という感じに。
 ゲタ親分、どこかで見たことがあると思ったら『海角七号』の議長さんではないか!
 最初は人のよさ丸出しで登場したが、さすが親分なだけあって残酷かつ冷酷な顔をすぐに見せるのでひょえーっとなる。 いい人っぽい人が実は怖い、っていうのがいちばん怖いよなぁ。
 とはいえ、“壮絶な青春映画”という主旨は変わらず・・・ボスの息子ながら実は人の上に立つ器なのか疑問なドラゴン、誰よりもリーダー気質で頭も切れるのにドラゴンを子供の頃から慕っているためにサポート役に徹することに疑問を持たないモンク、という二人の関係がモスキートというあとから入ってきた者の目から描かれることでそのあやうさが浮き彫りになる。 結局、そのあやうさが悲劇を生んでしまうわけだけど・・・。

  モンガに散る1.jpg 結局、「血は水よりも濃い」のか・・・本意ではないはずなのに、親や親戚同士の確執に巻き込まれていく。
 で、モンク役の方が大変かっこいいので(演技もなんかうまいし)、彼が主役なのかと錯覚する場面もあり。 いや、むしろ彼を主役にドラゴンとの関係を掘り下げて映画にしても、それはそれで面白かったんじゃないかと思うなぁ(義兄弟的モチーフからはちょっとはずれてしまうけど。 そしてモスキートの苦悩も薄らいでしまうのだけれど)。

  モンガに散る4.jpg ドラゴンとモンク。
    同性愛的空気がそれほど強く感じなかったのもよかった。 でもそれも彼らの若さというか幼さ故であるという気もするし・・・せつない。
 ちょっと予定調和というか、おさまることろにおさまってしまった感のあるラストだけれど、それもまた“極道”という道を選んでしまった彼らの人生そのものを覆う閉塞感だったようにも思えるし。
 義兄弟ってなんなんだろう・・・と考え込んでしまうモスキートの最後の選択。

  モンガに散る3.jpg 友情でもなく、仲間でもなく、そんな表現では追いつかない関係とは?
 結局、家族ということなのだろうか・・・それとも家族以上のものなのだろうか。
 が、彼らにはほかによりどころになるものがなかったのだから、他の選択肢はなかった。 だからモスキートは幻覚の中で、一瞬のためらいを見せながらもやはり5人で壁を越えることを選んだのだろう。 なのでひどい話ではあれど、奇妙な爽快感はある・・・そこがまさに“青春映画”。
 この映画からほのかにたちのぼる“日本への思い”がなければここまで心えぐられたか?、といわれると即答できないんだけれど、けれどそのモチーフなしではこの映画は成り立たないわけだし、なのであたしは「台湾映画を応援しよう」の立場をこれからも取るつもりです。

ラベル:映画館 外国映画
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2011年02月23日

新・抹茶黒糖ラテ@ドトールコーヒー

 まだ火曜日だというのに、なんだかもう疲れております。
 レディースデイなのに映画の時間にも間に合わず、図書館からの呼び出しにも間に合わず(別に悪いことをしたわけではなく、予約してた本があたしの順になったというだけですが)、今日も帰りは真っ暗です。
 しかしそういうときこそ、甘いものでほっこりしたいところ。

  黒糖抹茶ラテ.JPG 「よりおいしくなった」という、
 抹茶黒糖ラテをいただきます。 ドトールではホットココアを飲むことが多いですが、このところ毎日のように会社で飲んでるからな〜、というわけで。 季節限定商品にも弱いですし。
 しかし、何故“黒糖”なのか、という謎。 黒蜜という呼び名ではダメなのでしょうか?
 のっているのは普通に黒蜜の感じなんですが。
 で、スプーンでぐりぐりとかき混ぜていただきます。
 む、思ったより黒糖の味が強くない、かな? それだけ抹茶の味がちゃんとしているということかもしれないですが。 でもいいんじゃないか、と気づけばぐびぐびと(猫舌の許す範囲で)飲んでいるあたし。
 多分、かなり甘いのだと思われますがそのときのあたしにはちょうどよく・・・どんだけ疲れてたんでしょうか。 何故ならば飲み終わる頃にはかなりおなかが重くなっており、だから次の機会に飲んだら「あれ?、こんなに甘かったっけ?」とか思うことになりそう。

 さて、2月22日は「竹島の日」でございます。
 なのに、竹島が不法占拠されているということを政府として明言するのは国益に反する、などと発言する官房長官とはいったいどこの国の国益を考えているというのか。 北方領土視察も所詮国内向けパフォーマンスに過ぎず、それこそ仕分け対象になる無駄遣いだったのでは? そういうことばかりやってるから「民主党は日本人じゃない」と言われるというのに・・・。
 「あ、なんでもエダノって人、革マル派らしいですよ」
 げっ、まじすか。 ・・・そんなやつらばっかりだな、民主党。
 とりあえず偏った思想の持ち主にはいろいろ任せたくありません。
 おかげで歴史観のおかしい韓国側から「日本に竹島の正しい歴史を教えてやる」と上から目線で言われる始末、たいへんむかつきます。 だったら国際司法裁判所に出ようって言ってるんだから陰でこそこそ内政干渉するんじゃねぇ!
 民主党のおかげで、どんどん韓国と中国が(そして北朝鮮に加えてロシアも)キライになっていくわ・・・そういう固定観念を抱いてしまう自分にも、自己嫌悪。
 とりあえず自分には近代教育の成果(偏見や人種差別はいけないことだ、ということ)は身についているらしいです。

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2011年02月22日

システムダウンのため

 昨夜、翌日のレイトショーの座席をネットで予約した。
 で、今日いつものように自動発券機にカードを通せば・・・「ただいまご使用できません。 カウンターにお越しください」と表示が。 あれ、磁気帯びちゃったかしら、とチケットカウンターに行ったら・・・カードも渡して予約番号も自分の名前も電話番号も告げたにも関わらず、チケットが出てきません!
 なんでも今朝から予約システムがダウンしてたそうで・・・多分、ダウン前に受け付けたデータがどこかに隠れて見つけられないらしい。
 結局、チケットなしで入場ということに。
 座席番号もメモっておいてよかった。 あたしって用意周到なのか心配性なのか、ともかくも、普段は無駄に終わることが多いことも役立つときは来るんですなぁ!
 しかし、前日からネット予約する人は少ないのかしら・・・全然カウンターの人の対応が決まってなかったよ。 普通トラブればその日のみでもどうするかの決まりができるものだろうに・・・平日だから? さらにミント神戸が今日めったにない定休日だから?(ビル内は映画館しかやっていないのだった。 タワレコ寄ろうと思ったのに!)
 たまたま客の少ない日のシステムダウンでよかったですね。
 あ、でもあたし映画の半券一応ためてるんだけどな・・・幻の半券になりました(ポイントは後日加算してくれるそうですが)。
 そして月曜のレイトショー、『太平洋の奇跡』のチケットを買うおじさま方が目立っております。 ヒットしてるんだね〜。 戦争中の日本側のいいことをやっと堂々と映画にできる時期になったということなんでしょうか、あたしはまだ見てませんけどね。
 さらに、『ブラック・スワン』の予告編を初めて見る。
 うわっ、これ、ホラーじゃん!

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2011年02月21日

出遅れシアター → 見忘れ日本映画

火天の城
 やっと大河ドラマ『江』の第一話を見て・・・お市の方の御輿入れから朝倉・浅井家滅亡までを駆け足で描いちゃったことにびっくり(まぁ、先は長いし、あくまで前段だからなんですが)。
 それで、「あ、『火天の城』観てないわ」ということを思い出して、見てみることに。
 織田信長(椎名桔平)から「この山を丸ごと城にせい」と安土城の建設を命じられた熱田の宮番匠・岡部又右衛門(西田敏行)。 しかも三年で建てろという。  無茶を承知の注文だが又右衛門は引き受け、彼を棟梁として慕う男たち、村の者総出で建築に携わることに。

  火天の城.jpg 模型で比較
 なんといいましょうか、日本の木造建築の繊細さを描いた映画、というかそこが見どころだと思います。 逆に言うと、それ以外ない・・・。
 棟梁の娘(福田沙紀)が映った瞬間、「うわっ、この役は原作にないな! 男たちばかりで華が足りないと思った脚本家や製作者が強引にねじ込んだ役に違いない!」と確信できてしまう。 こういう地味な時代劇をつくり続ける東映には敬意を表しますよ、だからって中途半端な改編はいらんのじゃ!、ということに早く気づいていただきたい。 が、性懲りなく「信長暗殺計画」やら「村人の恋愛」なんかをストーリーに絡めてしまい、邪魔この上ない・・・。 なんでプロの職人たちによる安土城建立の偉業と、それが三年で焼失してしまう憂き目にあう、という“諸行無常”的物語に絞り込めなかったのか。 あぁ、もったいない・・・。


ICHI
 こうなったらなんか意地になり、ダメっぽい邦画を続けて見ることに。
 え、これ、『はなれ瞽女おりん』じゃん!、と思ったのはあたしだけ? あえて座頭市の名前を引っ張ってきた意味、ある?
 別に“女座頭市”を使わなくても、“剣術の達者なはなれ瞽女”で十分オリジナル設定でいけたでしょうに。

  ICHI.jpg 笑顔、封印
 綾瀬はるかはすごく立ち回りやら三味線やら頑張ったんだろうな、というのがわかって大変好感のもてる仕上がりではありますが、いかんせん大沢たかおが演じる浪人者がうざすぎる・・・過去のトラウマのため刀を鞘から抜けないという人物なのだが、明らかに「その刀、鞘から抜けないように接着剤でくっつけてるでしょ」という抜けない感(バカにしてんのか!)。 しかも木刀ならば誰にも負けない剣の腕だそうなのである・・・だったら目の前で人が斬られているのに隠れてどうする! 鞘ごと向き合えばいいではないか! なんでこんなうざいやつを「子供のようにけがれていない者」と認識するとは、お市さんはどんだけひどい人とばかりかかわってきたのだ!
 なので、最終的に彼女のために剣を鞘から抜く、という本来感動的な場面ですらも「おせーよ!」と観客(あたし)に罵倒される始末。
 曽利文彦監督には珍しく日本的なものにあえて特化したつくりはよいのですが・・・なんなんですかねぇ、脚本が安かったのでしょうか。


感染列島
 新型インフルエンザによるパンデミックを描いた映画、という宣伝文句だったと記憶してましたが・・・ベテラン救急医・佐藤浩市の一言に「え、目や穴からの大量出血も新型の症状として予測されてるわけ?」と目が点になる。 普通に考えたらそれ、エボラとかマールブルグから変異したものでしょうよ。
 いくらもう一人の救命医(妻夫木聡)が経験浅くて若いからって、その段階で考えられる“患者ゼロ”を放置するとはありえないだろ! 血清をとっておけ!、とツッコミどころ満載でした。 結構すぐマスクはずすし、いろんなものを素手で触るし、あやしい建物に入るときは一応マスクをつけ直すけど同じ素手でやってたら意味あるか!
 どんだけ妻夫木くんは抵抗力というか免疫力が高いのか・・・。

  感染列島.jpg 都市機能崩壊?、のわりに?
 が、更に恐ろしいことに、描かれるのは「日本人としての美徳ゼロ」。
 誰もマナー守らない、誰もみな自分のことばっかり、誰も助け合わない。
 こんなんだったら日本滅びても結構だ、な終末感に満ちております。
 その割にはパニック度は低いというか、いつの間にか患者数が増え、どんどん人が死んでるのにいつの間にか終息してる、みたいな。
 もぐりのウィルス学者(カンニング竹山)、鳥インフルエンザの専門家(藤竜也)などかなりいい味出してるキャラもいるのに描かれ方が中途半端なんですけど! とくに竹山くんのその後はぜひ知りたいところ。 妻夫木と壇れいの恋愛話のディテールなんていりません、そっちを描いてほしかった。
 そして近所の養鶏場で発生した鳥インフルエンザがこの病気とは直接関係がなかったとわかったときのマスコミの反応とかも描いてほしかったですけどね(むしろ彼らの中から死者が出てほしいよ、と思ったのはあたしだけか?)。
 強毒性の新型インフルエンザやそれに類する突然のウイルス感染がきたらこうなりますよ、というシミュレーション映画ということなのかもしれませんが・・・医療関係者の良心に頼ってるだけに見えてしまってこれが国民の心構えを促す物たりえるのか、ちょっと疑問です。
 瀬々監督はこれで大作に嫌気がさしてインディペンデントに戻っちゃったのかなぁ(しかし来月神戸でも『ヘヴンズストーリー』公開になるのですが、期間は6日間で一日一回のみ上映、しかも昼間って。 日曜しかチャンスないじゃん!)。

 さすが、見逃してただけのことはある。
 大作の邦画ってこんなもんよね〜、ってなっちゃうのがかなしいなぁ。

ラベル:日本映画
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2011年02月20日

授賞式ふたつ

 やっと週末、グラミー賞と日本アカデミー賞、両方の授賞式を見る。
 すっかり「3月末までは土曜日も出勤令」が出てしまったので、しばらくあたしは週休一日制。 あとたかが一か月半ではあるものの、その間にHDDを圧迫されるのは目に見えている・・・ブログ書く時間足りるのか。 気になるのはむしろそっちだったりするのだが(映画はほとんど普通の時間に間に合わないので、ちょっと遠いが遅くまでやってるシネコンに行くようになってしまった。 ちょっとなんか自分に歯止めがきかずに恐ろしい)。

 さて、まずグラミー賞・・・まぁ当日夜の放送をちょっと見たので特別新鮮なことはありませんでしたが・・・プレゼンターでリッキー・マーティンが出ていたことにびっくりし、調べたら新作出てた!(日本盤は来月です)
 キース・アーバンの横ですごくリラックスな笑顔を見せていた二コール・キッドマンにも驚き。 こんなはしゃいでる彼女、めったに見ないかも。 アカデミー賞授賞式のときと全然違うのは、自分にかかわりがある・なしの違いなのか、それとも横にいる男性が違うからなのか。 ともかく彼女が幸せそうなのは、なんかうれしかったです。
 それにしてもグラミーまで、受賞スピーチに感謝したい人の名前を連呼するようになっちゃったんだな・・・つまんない。 服装がノットフォーマルでも全然OKなのが音楽業界の面白いところだが。
 しかし自主的にアンコールをやったバンド初めて見たけど、さすがアーケード・ファイア!
 でもいちばんかっこよかったのはミック・ジャガーだった気がする。

 で、日本アカデミー賞。
 結果的には作品賞関連は『告白』、役者陣は『悪人』、技術系は『十三人の刺客』がそれぞれ賞を独占した感じですが・・・なんか微妙に納得がいかないものもあったりして。 思わず自分の過去ブログ見て昨年の日本映画について思い出してみたら、「あ、この人忘れられてるじゃん!」というのが結構あるし。
 助演男優賞を岡田将生にダブル受賞させるぐらいなら、『十三人の刺客』の市村さんにあけてもよかったんじゃないの?(多分、本来は吾郎ちゃんの席だったんだろうけどねぇ)
 個人的には『アウトレイジ』の中野英雄か椎名桔平がよかったよ。
 でもつい深津絵里にはもらい泣きしてしまうけどね。
 しかし、助演女優賞はどうせなら満島ひかりでしょうよ(彼女のここ数年の日本映画への貢献度をもっと考慮に入れてほしい!)。 結局、樹木希林を選んでしまう保守性にはうんざりだ(それは彼女のせいではないが)。
 柄本明は来年も『雷桜』で助演ノミネートされそうなのに・・・。
 アニメーション部門だって『アリエッティ』よりも『カラフル』のほうがましでしょ。 そこに“バックが日テレ”が見えて醒めるし。
 日本映画の興行収入が過去最高で、作品数も増え続けているのだからアメリカのアカデミー賞のように作品賞の数を増やすとか、賞の数を増やすとかすればいいのに(現状ではインディペンデント系作品やドキュメンタリーは評価されないままになってしまう)。 『ヘブンズ・ストーリー』だって“無視”でしょ。
 まぁ、賞がすべてじゃないんですけど・・・「映画の規模やバックに関係なく作品のよしあしのみで評価します」という姿勢を賞を贈る側が見せない限り、映画ファンはその賞に権威を認めませんよ。

 で、ビデオ鑑賞のおともに・・・三宮に昨年秋にオープンしたデリカテッセンで購入したキッシュを。

  センター街のキッシュ.JPG いろいろ野菜のキッシュ
 夜中に食べるな・・・ではありますが。
 オーブンで軽く温めたので、キッシュ生地は表面パリッと、でも中はしっとり。
 フィリング部分の食感はまるでプリンのよう。 おいしいけど、お値段を考えたらまぁ普通・・・か。
 店内でも食べられるようなので、今度はそこでラザニアを食べてみたいかなぁ(でも高い・・・)。 お給料が出たら!

posted by かしこん at 17:10| Comment(0) | TrackBack(0) | WOWOW・CATV | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月19日

白夜行

 一言でいうならば、とても地味な映画です。
 でも、退屈ではない。 2時間30分、特にこれといった山場もないのに見せられてしまった。 たかだか20年という時代のフィルターをつければこんなにも地味で暗くなるものかね、とびっくりする、勿論よい意味で。 登場人物たちはみな生活に疲れていて、顔や手のしわやシミを惜しげもなくさらけ出す。 そしてキャスティングも負けず劣らず地味である。
 原作は言わずと知れた東野圭吾のベストセラー。 ドラマ版にも熱心なファンがいることは知っていますが、多分ドラマにはまった人・ドラマ版が大好きな人たちはきっとこの映画のことを否定すると思う。
 しかし“雪穂と亮司の純愛”をうるさいほどに謳いあげたドラマ版にあたしはどうも違和感が拭えず、子役の熱演にもかかわらず前半しか見ていないというていたらく(面白くない、ということではないのだが、原作から受けたイメージとあまりにも違いすぎたというか。 後半の録画は残してあるんですけどね)。
 が、この映画版はあたしは「あり」だと思った!

  白夜行1.jpg 殺したのは、心。

 そういえば舞台は大阪から始まった気がしたけど、映画ではどこの土地でもあるようでないようなつくりをしていたと思う。 当時の貧困やら差別を土地柄のせいにしたくないという配慮? それとも、どこででも起こりえる話として描きたかったのか。
 勿論、時間が足りないので(それでも2時間半あるけど)、大胆な改編はなされています。 けれど原作が伝えたかったことはむしろこっちのほうに引き継がれているのでは? むしろ何も言わないからこそ原作にも書かれてはいない“純愛”を感じさせられてしまうんですけど! ほとんど出てこない主役二人(出てきても表情がアップになったりは少なく、声や後姿だけ)の“影”が、重低音のように物語に響いていく。
 というか、この話は主役があまり出てこないほうがいいんですけどね。
 そして「大丈夫なのか?」と思った船越栄一郎、“二時間ドラマの帝王オーラ”を封印してます!(最後ちょっと暴走してしまうのが惜しいが) 時間が経過し、かつてコンビを組んだ相手が上司になっていてもそれを少しも気にしていない感じとか、実直で無骨な“事件を追うしか頭にない”刑事でした。 全体的に役者も揃ってこの地味な世界をすすんで守っている感じ、好感が持てる。

  白夜行2.jpg よい意味で、裏切られました。 

 久し振りに田中哲司のあやしい役が見れたり、姜くん全然かっこよくないけど大丈夫なの?とか、戸田恵子さんのそのシミだらけの手は特殊メイクですよね!、とか登場人物のあまりの地味具合にハラハラしてしまうくらいなんだけど、その地味な画面の合間にかなり挑戦的なアングルを入れてきたりするので最後までだれずに見られたのではないかと。 結構なテクニックなのではないでしょうか。
 ある人が青酸カリを飲んで死ぬシーンも、他の映画などに比べてかなりリアルに感じて「全然楽に死ねる薬じゃないんだな」と思ったりして(これ見たら青酸カリで自殺しようとする人は減るに違いない)。
 雪穂の結婚相手が違うだろ!、というツッコミもありますが、あえてああしたおかげで“雪穂が恋をする”という原作読んでの違和感が払拭されたのでそこらへんも映画ならではのまとめ方で、あたしは好きです。
 雪穂はただの悪女ではなく、もう心が動かない人なのです。 だから利用できるものは利用する。 自分と同じ立場になった夫の妹に心を許したように見せかけて、今後の処世術を説いているにすぎないのは、温かさとか冷たさとか超越してるからなんだろうなぁ。
 登場シーンは少ないのですが、亮司の少年時代を演じる今井悠貴くんと成長したのちの高良健吾くんにはそのけなげな覚悟に泣かされてしまいました。
 原作読んでも感じなかったのに、この映画の亮司の“ひたむきさ”に思わず涙腺が。
 だから、笹垣刑事の“父性”にあたしはすごく納得したのだと思う。 それは、雪穂と亮司に与えられなかったもの。 だから亮司はしあわせを感じたんじゃないだろうか(そう考えるとうるっとするのです)。
 しかし雪穂は気にかけない。 心は殺してしまったから。 太陽に代わるものが存在しなくなっても、自分自身が太陽になればいいと思ったから、たとえそれが偽りでも。 ・・・あぁ、重い。
 高良健吾くんはARATAに続き“犯罪者の似合う役者”の称号が与えられてしまいそうです・・・。

ラベル:映画館 日本映画
posted by かしこん at 01:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月18日

大人は、かく戦えり@シアター・ドラマシティ

 期待の4人芝居です。 戯作者のヤスミナ・レザってなんか聞いたことあるんだよな・・・と思っていたら『偶然の男』の作者でした! あれも二人芝居で、緊迫感ありつつも笑えて最後はしんみりですごく面白かった。 期待度高まる!
 で、当日・・・梅田で19時開演だからと油断してぎりぎり到着になったものの、タイムテーブル見て一瞬絶句。

  大人はかく戦えり時間.JPG え、短くない?

 でも、一幕で4人フル登場で喋りっぱなし・・・となったら結構きびしいのかもだし、その分テンポよくまとめてるのかもだし、でもこの時間ではしんみりまとめるのは難しいだろうなー、と待ってる間いろんな感情が渦巻いた。
 そう、せっかくの生の舞台、好きな役者さんたちをちょっとでも長く見たいという勝手な我儘なのであります(長すぎるのもどうかと思ったりもしますがね)。
 物語はウリエ家の居間で。 ウリエ夫妻(ミシェル:段田安則・ヴェロニク:大竹しのぶ)とレイユ夫妻(アラン:高橋克実・アネット:秋山菜津子)の間で互いの息子たちの間で起こった事件(レイユ家の息子がウリエ家の息子に棒を持って殴りかかり、前歯を折られたこと)について穏やかに話し合いが行われている。
 一応、お互いブルジョア階級っぽく「子どもの問題に大人が首を突っ込みすぎてはいけない」と理解ある牽制球を投げ合いつつも、殴った原因が逆にいじめられていたらしいからだとかがあるようでアネットは心から謝罪できないし、事情はともかく“顔が変形するくらい”乱暴されたことに怒りがおさまらないヴェロニクはどこか慇懃無礼。 妻に押されっぱなしに見えるミシェル、仕事人間のアランとそれぞれの心情が絡み合い、冷静なはずの話し合いの場はいつしかお互いの言いたいことを言い合う修羅場になっていくのだった。

  大人は、かく戦えり.jpg 濃い四人ですよね・・・好きだけど。
 あたしは段田安則さんのファンなのですが・・・生で舞台を見るのはすごく久し振り(最近のはいくつかWOWOWやBSで見ましたが)。 『おかしな二人』あたりの時期は毎年一回は見れたのに・・・としみじみ思ってしまったのは、「なんか段田さん、老けた?!」と感じたからである。 そ、それ、ふ、老けメイクですよね、と思いたいほど顔にしわが・・・それとも公演ツアーも終盤だからおつかれなのか? そう信じたいくらい、ショックでした。
 それに対して高橋克実は額が光っているせいなのかそこまでは感じなかったけど・・・それにしても女性お二人はお美しい。 メイク効果もあるかもだけど、あえて“普通の母親”という役だからナチュラルメイク程度なのですが、肌のハリが違うよ。
 菜津子さんも憧れのねえさんなのですが、その容貌からファム・ファタル的なのとか逆にきっぷのいい姉御のような役柄が多くて・・・このような「どちらかといえばわりと普通っぽい女性の役」って珍しいんじゃないのかなぁ、と見ていてウキウキしてきた。 えらいぞ、マギー! よくこの4人をキャスティングした!
 最初は静かに始まったけれど、あるときを境に客席は笑いの渦に。 フランス人の話だけれど夫婦や子供の問題についての悩みはある程度共通なのか、比較的高めの年齢層の方ほどウケている感じが・・・みなさん、鬱憤たまっているのかしら、発散したいのかしら。 舞台もその笑いにこたえるように菜津子さんは水芸を披露してその後の一連のドタバタはマギーらしいスラップスティック要素も入って(ティッシュを箱から出しまくるミシェルの動作、おかしすぎる!)、大盛り上がり。 下手なお笑いよりも数倍面白いコメディです。
 子供を挟んだ夫婦同士の対決が、いつしか男の身勝手が露呈したことにより女同士が共闘したり、女の感情論にはついていけないと男同士で意気投合したり、敵味方が入り乱れるというかもはや誰が敵で誰が味方だとかどうでもよくなり、ひとりひとりがそれぞれ違う考えを披露しまくり収拾がつかなくなりそうなのに、うまいこと電話がかかってきて話が中断してまた空気が変わったり。
 よくできた戯曲だなぁ、としみじみ。 別のキャスティングでも見てみたい気もするけど、この4人を超えるのは難しいかもな・・・。
 アランの携帯電話のくだりは「あぁなるんだろうなぁ」と予想できたけど、それでもやっぱり面白かったですよ(というかアランのリアクションとミシェルのフォローが小技で好き)。
 で、心配した時間の短さですが・・・みなさんよく喋る喋る。
 ちょうど『ソーシャル・ネットワーク』が普通にやったら3時間になるところを2時間以内に収めたように、この芝居もテンポを上げることが面白さの要因になると考えられた上での80分だったのでしょう。
 でも、予想どおりしんみりとはまとまらなかったが・・・それは、夫婦ゲンカや家族の問題には終わりがないから、ということなのかもしれない。
 いい戯曲にいい役者が揃えば、そしてそれを殺さぬ演出であれば、基本的に満足ですよ、やはり。 あー、面白かった!
 よし、次は4月。 大人数だけど、『国民の映画』だ!
 段田さん&小日向さんが見られる〜!

posted by かしこん at 03:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 舞台・演劇・芸術・イベント | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月17日

手をつけていいものかどうなのか

 いろいろ読みかけの本はまだまだあるというのに、恐ろしいものに手をつけてしまいました。

  逆光・上.jpg 『逆光』/トマス・ピンチョン
 ま、まだほんとに手をつけただけなんであれなんですが・・・するっと読めてしまう感じがするのだけれど、内容が全然頭に入ってこないというか、うわーっときらびやかな世界に見とれているうちに騙されて身ぐるみはがされる、という感じ。
 なにしろ『重力の虹』の作者ですから一筋縄ではいかないことは十分承知の上ですが、「えっ、フロンティア消滅って何?!」と冒頭から騙されまくっています。
 舞台は19世紀末のアメリカのようですが、それがこの世界のアメリカと同じものだと思ったら負けな気がする。 水素飛行船“不都号”で繰り広げられる不穏な空気と冒険と陰謀の香り。
 見た目より本自体は軽いのですが、なにせ厚いので持ち歩くわけにもいかず、家でちまちまと読んでいますが・・・ほんとは一気に読んだほうが面白さ倍増という気がする。 勢い、大事です。

 そしてお給料日までまだまだだというのに、高級ショコラを買いすぎてお金がありません! あの本もこの本も出てるのに・・・すみません、もうちょっと待ってください。
 しかしこれは、素通りできなかった。

  グイン外伝22.jpg 『ヒプノスの回廊』グイン・サーガ外伝22
 グインの新刊が2012年になってから出るとは!
 しかし内容は未発表作品とかではもちろんなくて、様々な媒体に書いていたけれどハヤカワ文庫の『グイン・サーガ』として書籍になっていなかった短編を集めたもの。 読んだことがあるのもあるし、読んでないものもある。
 外伝は作者あとがきではなく解説がつく。 誰が書くのかと思っていたらやはり今岡清氏で・・・なんというか、夫婦であったけれどその前にこの二人は作家と編集者だったのかなぁ、という気がしてなんとも言えない気持ちになるのよね。 夫婦の関係のほうが上だと思っているわけではないんだけど・・・。
 そしてびっくりしたのは、今年の5月から『グイン・サーガ・ワールド』として様々な書き手が“グイン・サーガ”の世界を書いていくという企画が進行中であるということ。 え、いつの間にそんなことになってたんですか・・・全然知らなかった。
 誰が書くのか、どの時間軸で描くのかで印象が変わりそうであるが・・・とりあえず様子を見てしまうんだろうなぁ、あたしは、と思う。
 本伝130巻で終わったとはとても思えないんだけれど、だからといってあの続きがもうあるとは思えなくなってしまったので・・・うん、あたしはもう“グイン・サーガ”をあきらめたのだ。
 なのに外伝22巻を買ってしまう・・・結局、あきらめが悪いらしい。 でも積極的にはもう追いかけないぞ! 手をつけていい世界なのかどうか、あたしはあたしの中の“グイン・サーガの世界”を守らねばならない責任もあるのだ、そう、自分自身に対して。 だって20年以上、自分の生きてきた年の優に半分以上を一緒に進んできた物語なんだもの。
 だから、これを読むのもちょっとためらいがあるかも・・・。

posted by かしこん at 02:54| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月16日

デュー・デート 〜出産まであと5日!史上最悪のアメリカ横断〜/DUE DATE

 『ハングオーバー! 消えた花ムコと史上最悪の二日酔い』のスタッフ再集結、おまけに主演はロバート・ダウニー・Jr、ついでにザック・ガリフィナキスも登場!、となったら期待しちゃうでしょ、なんか。

  デューデートポスター.JPG 旅は道づれ、アンタだれ?
 ↑← 見るからに、おバカな感じだし。
 ファーストカットから「予算すごく増えたんだなー」と感じさせられて、ヒットする作品を持つってすごいことなのね、と実感。
 建築家のピーター(ロバート・ダウニー・Jr)は、身重の妻のもとに向かうため、アトランタから自宅のあるロサンゼルスへと向かう飛行機に乗ろうとしていた。 待望の赤ん坊誕生を5日後に控えているためである(なんで5日後って確実に言えるんだよ、と思ったが、帝王切開を予定しているらしい)。
 はっきりいってピーターさん、自分のモラルで生きているちょっとやなやつです(たとえば妻と連絡を取るのを優先して飛行機の中でも携帯電話の電源を切らないとか)。
 しかし、たまたま出会ってしまったイーサン(ザック・ガリフィナキス)が茶々を入れたおかげで(その前からひどい目にあわされてるんだけど)テロリストと勘違いされ、飛行機搭乗拒否者リストに名前が載ることに! 荷物は飛行機のトランクの中、着の身着のままで放りだされたピーターには財布も身分証明書もなく、途方に暮れているところに同じく飛行機をおろされたイーサンがレンタカー(何故かスバル車)に乗って登場。 いやいやながら、車でアメリカを横断することに・・・こうして悪夢のような二人旅が始まる。

  デューデート3.jpg さんざん食い散らかしてから、ワッフルアレルギーを告白するイーサン。 そんな都合のいいアレルギーがあるか!
 ピーターが公共のマナーより自分のモラル優先で生きているとすれば、イーサンは自分の欲望に忠実? そんなことをしたらとんでもないことを引き起こすのはわかるはずなのに目先の面白さをとってしまうタイプ。 正直、かなり、うざいです。
 イーサンを見ているとだんだんピーターが常識人に思えてきてしまうくらい。
 で、お笑いドタバタ方面ですが、明らかに『ハング・オーバー』よりお下品な方向に・・・。 あぁ、『ハング・オーバー』ってよくできていたんだなぁと再認識する仕上がりです。 ロバート・ダウニー・Jrじゃなければ付き合いきれなかったかもしれん。

  デューデート1.jpg おとなげない・・・でもそういう話だから。
 結局のところ、“いい年をした男たちに芽生える友情”という『ハング・オーバー』と同じテーマなのでありますが、「花婿はどこへ消えた?」的な謎があるわけでもなくただのロードムービーになってしまったので途中で大騒動を引き起こすしかなく・・・という脚本の無茶が見られます。 友情出演?のジェイミー・フォックスも謎だ。 彼とピーターの友情関係ももうちょっと事情を知りたいところであるが、ピーター自身もその友情に疑問を持つぐらいなので“男の友情”は不思議だ。 別な友情の形を描いているというのにね。
 二匹目のドジョウはそう簡単に見つかるものではないということでしょうか。
 ピーターがイーサンを理解する一瞬とか感動的なシーンもあるのですが、そしていい感じに終わりますが、『ハング・オーバー』と比べちゃうとな・・・な感じ(そして『ハング・オーバー』だって100点満点なわけではないですので)。
 まるっきりダメ映画ってことでもないんだけど、期待しすぎたかな〜。
 「マリファナなんて、とんでもない!」と叫ぶロバート・ダウニー・Jrが個人的にはすごくツボで笑っちゃいましたけどね。 あなたかつてヤク中だったでしょうが、と。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 01:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月15日

「神戸でこんなに降ったの初めて」だそうです

 ヴァレンタインデー、と言いつつ自分にはすでに2月初めからおいしいショコラを購入し、ちまちまと食べている。 本命さん向けよりも自分用のほうが多いと確実に断言できます。
 そして会社では高級ではないが“ケーキ屋さんがつくったチョコレートをメインにしたお菓子”で「食べで」を重視したものを配る。 高級ショコラは宝石と一緒!、という概念を理解しない人にあげてもあまりうれしくないので“わかりやすいおいしさ”が今年の義理チョコ(感謝チョコと呼べという流れになっているらしいが)のテーマです。
 しかしあたしが会社でおやつに食べるのはコンビニ菓子だったりするのですが。

  チロル苺畑.JPG チロルいちご畑

 そして今日はグラミー賞の授賞式。 あたしは夜のWOWOWでのリピート放送を録画セットしてきたのですが・・・B’zの松本さんが受賞したせいでFMは大いに盛り上がり、B’zの曲がかかりまくりです(別に受賞したのはB’zじゃないんだが・・・受賞したアルバムはインストだからFM的にかけづらいのですかねぇ)。
 そうこうしているうちに、雪が降ってきました。
 神戸では珍しい、ぼた雪。 でも路面に落ちたらすぐ染み込んでしまうので写真にうまく撮れない。 ま、いいや、と思って仕事をしていましたら・・・だいたい降っても30分以内にやむことが多いのになんかずっと降っている。
 ちょっと外に出てみたら、車の上とか芝生の上にうっすらと積もっているじゃないか。

  比較1.JPG ま、あたし基準では積もったうちに入りませんが。
 でもなんとなく、雪が降っていると思うとテンションが上がるね!
 さくさくと仕事も片付きます。
 そして、グラミー主要三部門のうちの2つ、Record of the YearとSong of the Yearをレディ・アンテベラムの“NEED YOU NOW”が受賞とわかり・・・ま、納得の結果です。

  LADY A.jpg とにかく「歌の力」があるもの。
 まぁ、グラミー好みの正統派だからって強みもあったけど、地道にやって来た彼らがこうやって評価されるのは素晴らしい(ご本人たちもものすごく感激していた)。
 レディ・ガガですらも授賞のよろこびが炸裂していたからなぁ。 もっとクールに受け止めるのかと思ったけど・・・やはりグラミーは特別なんでしょうかねぇ。
 ただ、「今頃ミューズやアーケード・ファイアを評価するって、遅くない?」と思う一面もあり・・・マルーン5もデビュー3年目ぐらいに新人賞ノミネートされたりとかしてたし、ロック・ポップス部門に厳しいというかそっち方面をきちんと評価できる人が少ないんじゃないのか、と思うのよねぇ。
 まぁ、完璧な賞レースなんてないわけですが。
 授賞式の模様はまた週末にでもゆっくり見るとして・・・。
 ちなみに昼ぐらいから降り始めた雪は夕方ぐらいまで降り続いた。

  比較2.JPG 上と同じ場所、一時間後ぐらい。
 もっと降ったら面白いけどなぁ、と思ったけど、これくらいが限界でしたわ。

posted by かしこん at 01:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記のようなもの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年02月14日

キック・アス/KICK-ASS

 これは東京の単館公開からスタートし、じわじわ口コミで評判が広がったおかげでじわじわ拡大公開を続けています。 先に公開になった梅田でもかなり込んでいたらしい。 神戸はどうなんだ・・・とドキドキしながらのレイトショー。
 なんだよ、意外にすいてるじゃん! 公開一週目なのに!
 まぁ基本的に平日の夜はお客さんが少ないそうなんですが(神戸市だけ?)、それにしてももうちょっといてもいいんじゃないかと思ったよ。 それでも、他のマイナー映画のレイトショーよりは幾分観客の数は多かった気がする(しかしそういうときに限って、同じ列にマナーのないやつが座る・・・)。
 “イケてない高校生活”を送るデイヴ(アーロン・ジョンソン)はふと、「なんで人は自分の夢をかなえるためにいろいろな職業に就くのに、スーパーヒーローになりたいという気持ちを実現する人はいないんだろう」と考える。 彼はずっとアメコミおたくで、スーパーマンやスパイダーマン、バッドマンになりたいと子供の頃から思っていたからだ。 そこで一念発起、ネット通販でコスプレ用ヒーロースーツ?を注文し、スーパーヒーローになるための練習を開始する。

  キックアス2.jpg まずは形から?
 あたしはアメコミさっぱりわからないのですが、この話はオリジナルなのかこれもアメコミなのか?(パンフを買おうとしたら販売所が棚卸のため閉まっていて確認できず) オリジナルストーリーだったら評価はさらに上がるけど・・・。
 勿論スーツを着ただけじゃヒーローになれないとちゃんとわかってるデイヴ、トレーニングに励みますが・・・それがまたいい具合にへたれ気味(ほぼイメトレ)。 まずは小さなことから、と迷い猫探しに奔走するさなか、一人対複数のケンカ現場に遭遇してしまい、思わず加勢に入ってしまう。 勿論ボコボコにやられますが・・・「大勢の人が今もこうやってあんたたちのふるう暴力を見ている! でも僕はもう見ているだけの側にいるのは沢山だ!」と叫んだところを野次馬が you tube に投稿(こいつも「警察呼んで」と頼まれたのに見物に群がるし・・・病んでるぜ、アメリカ)。 彼は“キック・アス”として大評判のヒーローに。
 と、あたしはてっきりこの流れのまま“素人ヒーロー”が身の丈に合った活躍をして、そして自分自身のいけてない人生にもある程度納得できるようになるような、そんな“再生物語”だと思っていたのでした。
 それが、こんなシビアでダークな展開になるとは・・・予想外。
 好きな女の子の関心をかいたいがために再びキック・アスとしてヤク中の人物のところに話をつけに行けば、実はそこはヤク売買の中継所。 あやうく殺されそうになるところを、ヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)とビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)に助けてもらう。

  キックアス5.jpg そう、この二人は、“本物”だった。
 キュートなヒット・ガール、どこかで見たことあると思ったら『(500)日のサマー』で主人公にいちばんまともなアドバイスをしていたティーンエイジャーじゃないか!
 あのときもラクロスかなんかやってた役だったけど、運動神経いいんだな・・・キレのあるアクションに「ブラボー!」です。 ニコラス・ケイジも無駄に過剰なところがなくいい演技!

  キックアス6.jpg よく引き受けたねぇ、と褒めたい感じ。
 この二人がヒーローとして(というか仕置き人として)何故立ち上がったのかを説明するアメコミ部分のクオリティは“メガネのいらない3D”で、なんかこれで十分だよ!、と思う迫力。 その分一気にストーリーはダークな方向に転換していくのですが・・・ヒット・ガールがいかしてるのでOK!にはなるんだけど・・・でもなんか微妙に割り切れない感じも・・・。

  キックアス7.jpg とりあえず悪役、悪すぎ。
 こんな悪者を放置してる社会全体に対する怒り、ですかねぇ。
 ヒーローになるのは生半可な覚悟ではつとまらない、と納得するデイヴ。 しかし、ヒット・ガールは助けたい。 主なアクション部分を担うのはヒット・ガールですが(彼女が敵のビルに乗りこみ銃を乱射し始めるあたりからの音楽の使い方、サイコー!)、デイヴはデイヴなりに成長していくところがこの映画がただのキワモノにならなかった要因だと思います(が、なによりヒット・ガールが魅力的だからなんだけど)。

  キックアス3.jpg こんな若い子にこんなことさせるなんて
    気が引けるけど・・・でも悪いやつらが次々やっつけられるのには爽快感が。
 ただ、親の命令で友達がつくれなかったボンボンが、できかけの友情よりも結局親と同じ道を選んでしまうあたり・・・復讐の連鎖が止まらないかなしさが。
 こういう映画を「面白い!」と感じてしまう自分に良心が痛みつつ、でも面白いんだから仕方がないのである。
 そして意外にも豪華キャストでした。

  キックアス4.jpg 終盤、デイヴが『ノーウェアボーイ』のジョン・レノン役の人だと気づく(だってわからないよ〜)。
 クロエ・グレース・モレッツ嬢は『ぼくのエリ』のハリウッドリメイク版のエリの役だそうで・・・オリジナルの年齢不詳で中性的なエリをどこまで出せるのか、それともまったく違う解釈にするのか、でも彼女がそれをどう演じるのか見たくなってしまった・・・リメイク反対だったのになぁ。

ラベル:映画館 外国映画
posted by かしこん at 01:15| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする