2010年12月17日

例によって「考え方の違い」を知る本たち

 国内ミステリ、読んでないなぁ・・・と思っていたけれど、ふと今手元で読んでいた本はどれもミステリではなかった。 まぁ、そういうときもある。

  ラテに感謝!.jpg ラテに感謝! 転落エリートの私を救った世界最高の仕事/マイケル・ゲイツ・ギル

 基本的にあたしは「感謝」という言葉を信用していない。 それが特にビジネスマン、それも経営者側から発せられる場合は。 あたしはネコに写真を撮らせてもらっても「ありがとう」と言い、机にぶつかっても「ごめんなさい」を言うタイプである、感謝の念そのものは否定しないですよ。 経営者(特に某経営塾を出た人間)の口から発せられるのがうさんくさいのです。 これは一時期そういう経営者の企業で働いた経験からなので一部の偏見かもしれないけど、とりあえずあの世界は異様だった。
 なのでこの本も読んでてちょっとどうなのかな〜、な気分になった。
 最初はこれが、ビジネス書的なものとは思わずにスタバで働く初老の体験記だと思ってたから。
 マイケルは白人で有名人の息子で、イェール大学卒業後大手広告代理店に勤務、エリート街道と仕事中毒を驀進してきたがリストラにあい、解雇される。 独立して広告会社を起こしたはいいものの、仕事も家庭もうまくいかなくなり、ホームレスになる寸前という状況で、スターバックスブロードウェイ店で働くことになった。
 今までとは全く違う仕事!、新しい再出発!、そういう前向きな話を期待すると肩すかしにあう。 何故ならばマイケルはもう64歳、新しいことに取り組む意欲よりも過去のよかった記憶に埋没してしまう方が多いお年頃。 だからスタバ勤務の話は遅々として進まず、回想シーンばかり続くのには正直いらいらさせられた。 いわば、ジジイの繰り言を聞かせられている気分になるからだ。 で、これがいわゆるアメリカアッパーミドルの方々の正体なのかと思うと、唖然とする。
 せいぜい数年前の話だろうに、人種差別が存在する・自分と同じクラスの人々とともに集まることが当然と考える人々が数多い、ということに。 スカルズ&ボーンとかまだあんのか?(あんだけ映画などで揶揄されたのに) 
 いや、マイケルの年齢ではその当時まだあったということか? いや、今もあってもおかしくないか・・・。
 そんなわけで、いちいちこれまでの自分の価値観が崩れ、過去に自分がしでかした当時は普通のことと思っていた失敗に頭を抱えるマイケルだが、でも結局ナルシストな語り口が消えないのがなんだかな。
 が、マイケルとともに働くスターバックスのパートナーたちはマイケルがどう考えていようとも、そしてそれぞれの事情を抱えていようとも、働くもの同士敬意を持ち、その気持ちを勿論お客様にも向ける。 日本人にとっては当たり前の感覚だが、白人上流社会出身のマイケルには意外で新鮮で驚きに満ちたものであるようだ(が、とはいえ日本的経営やサービスといったものは微妙に姿を消しつつあるが・・・)。
 だからですかね、マイケルを困ったやつだと思いながらも最終章ではちょっとじーんとしちゃったりして。
 時は移る、人との交わりは一瞬でもありまた続くこともある。 それでも人は前に進むのだ、という。
 でも、うさんくさい経営陣はこれを読んで「いい話だ」と部下なんかに奨めたりもするけど、自分の経営手法や部下たちをいかに把握してないか、ということには気づかないんだろうなぁ。 日経とか読んでてもわかるが、日本のビジネス界は政治の世界と同じように先を見ていない人が多すぎるよなぁ。
 上に立てば立つほど、見えなくなるのかなぁ。


 “絵と文”という今では普通にあるジャンル、あたしにとってはこの人が先駆けです。

  日々是反省.jpg 日々是反省/大田垣晴子

 とはいえ、1ページに入る情報量がどんどん少なくなってる気がする・・・いや、これはこれで味なんですけど、かつての充実ぶりを知ってる身としては物足りないんじゃ〜。
 というか、「結婚しました」ってのがあって仰天。
 い、いつ!? だ、誰と!?
 えーっ、大田垣晴子はフェミ的主義主張とかにとらわれず、そして結婚できないわけではないのにあえてずっと独身一人暮らしをのほほんと謳歌していく人だと思ってたのに〜。 ショック・・・。


 こういうのを読んでるのもどうなんだろ、と自分で思ってしまった一冊。

  離婚で壊れる子どもたち.jpg 離婚で壊れる子どもたち/棚瀬一代

 直接関係ないですが、あたしは「子ども」という表記に違和感ばりばりです。
 「子供」もしくは「こども」、どっちかじゃ!
 「子」+「ども」は「悪党ども」と同じ使われ方になりますので意識したことのない方はご注意ください。
 さて、内容ですが・・・メインは子供たちではなくて「子供をもっている夫婦が離婚する際、いかに子供に負担のかからない形をとるか」のある種の注意書きといった趣。 それがうまくいかなかったが故にひどい目に遭った子供の実例も出てきますが(それが全部関西なのにはひいたが、著者は神戸のある大学の教授だったので実例が集めやすかったのであろう。 そのわりに新聞記事以上のことはないのだが)、「こうならないために気をつけてください」であって、そういう目に追い込まれる子供目線の内容ではなかったので残念。
 多分というか、あたしはその「壊れた子供」のなれの果てなのだが、あらためてこういう形で向き合ってみたことなかったかもな・・・と気づいた(いや、あったけど、結論を出すほどに考え抜いたことはなかったという意味で)。
 人間として何かが欠落しているのは当たり前で、それを親のせいにするのは簡単だけどそれで解決になるわけじゃないこともわかってるし、そこは自分で折り合いをつけるものだと思ってきたし、今でもそう思ってるし、それなりの折り合いをつけているはずだ。 それを病理として今更掘り起こす気はないが・・・「そうではない人たち」と考え方が決定的に違う部分があるのだということは、知っておいた方がいいかもしれないなぁ、と思った。
 勿論、そういう生い立ちに関係なく考え方の相違はあるのですけどね。

posted by かしこん at 02:52| Comment(0) | TrackBack(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする