2019年02月17日

キャッスルロック スティーヴン・キング×J・J・エイブラムス

 この2月から、WOWOWは新しい海外ドラマを大量投入!
 その中で最も宣伝に力を入れているのが、スティーヴン・キングとJ・J・エイブラムスが製作総指揮を務めるという『キャッスルロック』だ!

  キャッスルロックP.jpg 見よ、この不吉なルック。

 まだ第2話なんですが(字幕版は2月初めに一挙放送したけど、あたしはドラマは吹替で観たい派)、スティーヴン・キングの過去作品からの引用がとても多くてついニヤニヤする・・・。
 キャッスルロックはキングが作り出したメイン州にある架空の小さな町。 『ニードフル・シングス』で町はとんでもないことになったし、小さな町で不吉なことが起こりすぎるにも限界があるのか、デリーやヘイヴンなど他にもよく出てくる町はあるのだが、“キャッスルロック”という名前自体が有名になっている(キングに許可をもらって使っている映画会社もあり)ので代名詞的なところがあるのかと。 ショーシャンク刑務所もこの町にありますし、ドラマにもばっちり出てきます。
 事前の予告番組でビル・スカルスガルド(スカルスゲールド?)やシシー・スペイセクが出てることはわかっていましたが、まさかスコット・グレンまで出ているなんて! さすがの豪華キャスト! 今度字幕版の再放送も録画しようかな・・・。
 キャッスルロックはキングの比較的初期の作品によく登場するため、ドラマのテイストもそれに近いおどろおどろしさあり。 でも現代設定なのですよ! だんだん洗練されてきたキング手法へこのドラマも転換していくのかしら。
 全10話、セカンドシーズンも制作決定とのこと。 じゃあすっきり終わらないんじゃん・・・。
 でもこのドロドロ加減、楽しみます!

ラベル:海外ドラマ
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2019年02月15日

ナチス第三の男/THE MAN WITH THE IRON HEART

 『HHhHープラハ、1942年』が映画になることは知っていたけど・・・「えっ、これなの?!」とびっくりする。
 なんか普通に歴史映画・・・だよね? 原作に込められていたメタ視点とか「そもそも小説とはなんだ」といった仕掛けとか、一切ないよね? まぁそれを映像化しようと思ったらかなりアクロバティックなことをしなければならないのだが。
 チラシ裏に、「原作とは全く違うが」という原作者本人のコメントがあった。 やっぱり。 歴史ドラマとして、見届けましょう。

  ナチス第三の男P.jpg なぜヒトラーでもヒムラーでもなく、彼だったのか?
   史上唯一成功した、ナチス高官の暗殺計画。誰も知らない真実の物語。

 1942年5月27日、メルセデスに乗ったラインハルト・ハイドリヒ(ジェイソン・クラーク)が市の中心地を通りかかる。 それを綿密な計画で待ち構える暗殺団がいた。
 それに先立つこと12年前、通信将校であったハイドリヒは社交場で貴族階級のリナ・フォン・オステン(ロザムンド・パイク)と運命的な出会いを果たす。 が、彼の女癖の悪さ故に不名誉除隊に。 しかしナチ党の絶対的支持者であるリナにはげまされ、チャンスをもらい、SSリーダーのハインリヒ・ヒムラーとの知己を得る。 ヒムラーはハイドリヒの試験結果に満足し、情報部新規立ち上げに対してハイドリヒを重用することに。 ナチ党に加わったハイドリヒは諜報活動で裏のつながりを強め、ヒトラー政権樹立後はゲシュタポ・警察機構・SS保安部などを統合した国家保安本部を立ち上げ初代長官となる。 ハイドリヒはナチスでは<鉄の心臓を持つ男>として知られ、保護領(チェコのこと)の副総監・“ユダヤ人の最終解決法”の首謀者としてヒムラーに次ぐ巨大な権力を手中に収める。
 一方、ハイドリヒの弾圧に強い危機感を抱いたチェコスロバキア亡命政府はイギリス政府の力を借り、ハイドリヒ暗殺計画を立てる。 実行するのは亡命チェコ軍のパラシュート部隊からヤン・クビシュ(ジャック・オコンネル)、ヨゼフ・ガブチーク(ジャック・レイナー)ら数名の若者たち。 チェコ国内に潜伏するレジスタンスの力を借りて、ハイドリヒの行動を調査し、暗殺に最適なときを狙う・・・という話。
 冒頭の路面電車ごしにメルセデスがやってくるところ、銃を構えて車の前に立ちふさがる男が撃とうとしているのに弾詰まりなのか発射されない一瞬、などはすごく観たことがあって、あ、『ハイドリヒを撃て!』だね、と思い出す。 あれはレジスタンス側視点の映画ですが、これは前半がほぼハイドリヒ側視点で進む。

  ナチス第三の男4.jpg ロザムンド・パイク、マジ怖かった・・・。
 ナチスの考え方に疑いを持たない、むしろ正しいと思っている人の純粋さがおそろしい。 良き妻・良き母・良き国民であるという自信、勿論そうなるように努力しています!、という強さ。 現代人として「ナチス思想は間違っている」と思えるけれど、もしこの時代にいてリナに会っても、あたしは絶対彼女を説得できないだろうという無力感を覚えつつ、そんな彼女の強さを美しいと感じてしまう自分もいるので困る。
 リナはマクベス夫人のよう、ということもできるけど、上流の生まれで「そうすることが当たり前」として育ってしまった人に考え方を変えさせることはひどく難しい・・・。
 そんな<かたくなな美しさ>を全身にまとうロザムンド・パイクは『ゴーン・ガール』のイメージが定着しかねないにもかかわらず、こういう役をためらわないところに、役者魂を感じてドキドキする。

  ナチス第三の男2.jpg やっぱりどこかあやしいジェイソン・クラーク。
 ハイドリヒの“金髪の野獣”の異名通り、髪の毛をブロンドにしたジェイソン・クラークはいつも以上に何かありそうなたたずまい。 挙動不審?、神経質?、とも見えた弱い部分も、リナのバックアップや組織内の地盤ができていくにつれ自信家になっていくことで生まれ変わったように見える。
 原題の<THE MAN WITH THE IRON HEART:鉄の心臓を持つ男>は、ナチ側から見たハイドリヒへの評価(命名したのはヒトラー)であって、「人間としての感情が通じない、心臓が鉄でできている男」という意味ではない。
 本来、組織における自己実現は、個人的には居場所の確保と安定と挑戦への飛躍として望ましい。
 しかしその組織がナチであったのが世界において悲劇だった。

  ナチス第三の男3.jpg パラシュート部隊の二人。
 あ、『シングストリート』のお兄ちゃんだ!、着実にがんばってるね!、と思えたのはとてもうれしかったです。
 しかも暗殺部隊の一人だよ・・・せつない側の立場ですよ・・・。
 レジスタンスの方々の暮らしは静かだが壮絶なる覚悟に満ちている。 なにかあったら、用意してある毒物でどんな小さな情報も漏らさないように死なねばならないと決めているから。 いつどうなるのかわからない、この先いつまで生きられるのかわからない、そんな生活をしていたら、レジスタンスからの協力者アンナ・ノヴァーク(ミア・ワシコウスカ)とヤンが恋に落ちてしまうのも必然だと感じてしまう。 でもその想いが盛り上がれば盛り上がるほど、自国の平和のためにはこの恋は終わるのだという揺るがしがたい事実があって。 こういう役にミア・ワシコウスカはほんと似合うよね! まさに時代に引き裂かれる悲恋。
 でも、子供と一緒に毒を飲み、一緒のベッドに横たわる親子とか、母親が先に追い込まれたために毒を飲み、苦しみ倒れる姿を見てしまった娘がわけわからず悲鳴を上げるとか、そっちのほうに胸を引き裂かれてしまいました。
 ハイドリヒ襲撃後、ナチスは報復のために特に証拠もなく近隣の村をいくつも全滅させる。 その容赦のないやり口に居場所を密告される。

  ナチス第三の男5.jpg 隠れ家は聖キュリロス・聖メトディオス正教会の地下納骨堂。
 教会での銃撃戦は・・・ただただかなしい。
 時代の古さがライフル銃の性能によって否応なく強調されて、「あぁ、こんな武器でやり合っているのか」とせつなくなって。
 勿論、高性能の機関銃があればいいとかそういうことでもないんだけれど。 有効な道具がないからハイドリヒ暗殺も接近戦になったわけだし・・・無人機を使って戦場から離れたところで引き金を引く、というのもどうなんだ、というのもありますが、自分の力と意志で目の前の敵を殺しています! そして自分も同じように狙われ、命を落とす覚悟です!、というのは・・・それもまた残酷ですね、と思うしかなくて。
 エンディングで、ヤンとヨゼフが初めて出会うシーンが挿入されていて・・・泣きそうになりました。
 ドイツ・チェコスロヴァキアを主に舞台にしながら台詞がほぼ英語というのは違和感ありましたが・・・英語圏の役者さんを多く使っているから仕方ないよね〜(制作はフランス・イギリス・ベルギー)。 というかオープニングにワインスタインカンパニーのマークが出たのには驚いた・・・2017年の映画でした。 こういうときに時差を感じます。

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2019年02月14日

フロントランナー/THE FRONT RUNNER

 <ヒュー・ジャックマン最新作!>、ということだけで観に行ってしまった。 勿論予告は観ていたんだけど、話のざっくりとした内容と、実在の人物の役というくらいで誰が共演かとか監督は誰なのかなどまったくのノーマークで。 ポスターのコメントが大体の説明をしてくれているけれども。

  フロントランナーP.jpg 1988年、アメリカ合衆国大統領選挙。ジョン・F・ケネディの再来と言われたゲイリー・ハート。最有力候補(フロントランナー)だった彼は抹消された。たった一つの報道で。
   裏切ったのは――マスコミか、国民か、それとも彼自身か。

 1987年、アメリカ大統領選挙予備選。 4月13日に大統領選への出馬を表明したコロラド州選出のゲイリー・ハート(ヒュー・ジャックマン)は、「JFKの再来」と呼ばれ、民主党の最有力候補<フロントランナー>に一気に躍り出る。 ワシントン・ポスト紙のハート番記者であるパーカー(マムドゥ・アチー)もハートの主義主張・未来志向に心打たれた一人だ。 多くの人がゲイリー・ハートに魅せられていく、彼が次期大統領になることは確実に思えていた。
 が、ある日、マイアミ・ヘラルド紙にある情報提供があり、裏取りのために動いた同紙はある疑いを記事にする。
 それは個人的なことで公約等と関係ない、と説明を拒むハート、「公人には責任が伴うのではないか」とするマスコミ。
 あくまで政策だけで戦う、と息巻くハートだが、家族や自らの選挙スタッフにも何も説明しようとしないため、次第に周囲からの信頼を失っていく・・・という話。
 冒頭からの長回しが予備選にまつわるあれこれ・・・かかわる人々の多さなどを現していき、主人公に辿り着くのは最後。 おぉ、誰かわからないがこの監督はやる気だな!、と感じて。

  フロントランナー2.jpg おぉ、J・K・シモンズ!
 ハート陣営の選挙参謀がJ・K・シモンズ、ワシントン・ポストにはアルフレッド・モリーナがいて、特に説明なく団体さんのカットが入り混じるので「この人たちはどれ?」となりますが、リーダー?を押さえておけば区別は可能。 マイアミ・ヘラルドのほうも違いがわかってくるし。 ゲイリー・ハートを主役としても、やはり群像劇なのだな〜、と個人的にわくわく。 その中でもワシントン・ポストのパーカー記者と、ハート陣営の選挙スタッフであるアイリーン・ケリー(モリー・イフラム)がキーパーソン。 あ、ハートの別居中の妻ヴェラ・ファーミガもね!

  フロントランナー1.jpg ハートとパーカーは意気投合。
 確かにハートはいいことを言う。 先を見据えた戦略も、未来から見ればなかなかいい線をいっている。
 だが、表に出た“疑惑”(それは女性スキャンダルー今でいうところの不倫なのだが)に対して一切コメントを出さないのは2019年の目から見ると非常に不自然なのだけど、どうもこの時代では「それとこれとは話が別、政策や公約がよければそれでいいだろう」という価値観もあったようでして・・・JFKも女癖悪かったけど許されてたでしょ、的な。
 とはいえ映画では直接的に回答は描かない。 ハートが浮気したかどうかはわからず、観客もまた記者たちや関係者と同じ立場に。
 でも「ブッシュは元CIAだ」という台詞もあることで、この件が何かの仕込みという可能性もゼロではないとも感じさせる(最終的にハートはブッシュと戦うことになるはずだったから)。 タレコミした人は誰だったのか、どういう意図だったのかも説明されないし。

  フロントランナー4.jpg しかしそういう時代ではなくなってきてた。
 マイアミ・ヘラルド紙へのタレコミにより「ハートがある女性とデート、しかも選挙スタッフということにして家に連れ込む」を追及。
 ワシントン・ポスト側は「政治記者が低俗なゴシップを報じるのはいかがなものか(報じること自体意味がない)」という姿勢なのだけれど、編集部の女性記者の言葉「権力者には説明責任がある」で風向きが変わったり。
 女性の言葉には印象的なものがある。 選挙事務所で男性スタッフが立っていた女性スタッフにコーヒーを入れてくれと頼む場面、それを見たアイリーンが「彼女はコーヒーをいれるためにいるんじゃないのよ」ととがめる。 とりあえず若い子ならお茶くみだろう、というのに異を唱えだした時代なのね! 女性の社会進出というか、権利や自由の問題が表立って論議されるようになったからこそ、<まず人としてどうなのか>も見られるようになったのかしら?

  フロントランナー3.jpg 「自分の大事な一人を幸せにできなくて、国民を守れるのか」論議。
 政治のワイドショー化、の瞬間を描いた、ということなのか・・・。
 台詞ではなく目だけで、不意を突かれ、失望し、失意に満ちた気持ちを数秒の間で表すヒュー・ジャックマンはやはりうまい! 『グレイテスト・ショーマン』でも目だけで台詞以上のことを表現してしまう部分に胸を突かれたのだけれど(歌と踊りが素晴らしいのでそのあたりが他の人となかなか共有できなかった)、ミュージカルスターでなおかつストレートプレイでも成功できる人はほんとにお芝居うまいんだ!、と実感です。
 また好感度の高いヒュー・ジャックマンにこういう役をやらせるのが意図的というか・・・なんとなくゲイリー・ハートに肩入れしそうになっちゃうから。 でも「あれ?」、「あれ?」と違和感が積み重なっていく感じの困惑は、アイリーンやパーカーの気持ちに重なるのかも(マスコミの報道として知る多くの人は無関係の他人ですが、近くにいる人にも何も言わないってのは信頼関係が崩れるのでは)。
 あたしは大変面白かったですが・・・この明確に答えを出さない感じ、今の世の中的には好まれないかも。 「こういうことがありますが、どうですか?」と材料と質問は提示されるけど、答えは自分で出さなければいけないタイプ。 しかも大統領選挙予備選だから日本人にはわかりにくいよね!
 と思ったら監督はジェイソン・ライトマンですよ! あ、ちょっと『サンキュー・スモーキング』を思い出した意味がわかった!
 なるほど、あの長回しにも納得。


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2019年02月13日

ジュリアン/JUSQU'A LA GARDE

 DV家庭で暮らす子供視点の話・・・という、なんというタイムリーな。 いや、本来タイムリーであってはならないのだが、世界中で様々な形でこの問題が描かれるということは、ほんとに困ってて解決策がなかなか見つからない・有効な対策が取られていないということなんだろう。
 観たら絶対暗い気分になるのはわかっていたが、ポスターの少年の、おびえつつ泣くのをこらえている表情にやられてしまいました。 ジュリアン役の子、精神的ケアは十分にやってるよね、と確認したくなるほどこの体験はトラウマ級だったのでは。

  ジュリアンP.jpg ジュリアンは母親を守るため、必死で嘘をつく
   家族は、衝撃の結末を迎えた

 裁判所の調停室で、アントワーヌ(ドゥニ・メノーシェ)とミリアム(レア・ドリュッケール)との間で11歳の息子ジュリアン(トマ・ジオリア)の親権について話し合っている。 二人にはそれぞれ弁護人がつき、判事が話を聞いているが、ジュリアンの「父親が怖い」という意見は母親の味方をするためと思ったのか、判事は共同親権と父アントワーヌに2週間に一度の面会権を与えることにする。 ジュリアンの姉のジョセフィーヌ(マチルド・オヌヴー)は18歳で成人扱いのため、元夫婦の論争の対象はジュリアン一人に。
 ミリアム、ジョセフィーヌ、ジュリアンはアントワーヌに内緒で新しい家を探し、アントワーヌにかかわりを持たないようにしたいと願うが、面会日は定期的にやってきて・・・という話。

  ジュリアン1.jpg アントワーヌ役は結構見覚えのある人である。
 映画は早々に「父と母、どちらがヤバいのか」を明かさない。 先入観を排して双方に均等の落としどころを判事は探しているように見えるし、けれど同時にお役所感というか「これも数ある離婚訴訟関連の調停の一つ」と思っているのかな?、とも感じるし。 姉が父の暴力によりケガをしたと診断書を提出すれば、父は「それは学校の体育の時間にケガをしただけだ」と憮然と答え、弁護士は「その診断書はケガした日の三年後に発行されています」と付け加える。
 だが、数多くそういうケースを見ていれば気づくはず、もっともらしい言い訳がスラスラ出てくる人はヤバいことを。 そこであたしは「この父親、ヤバい」という目で見ていくことになりました。
 ミリアムはアントワーヌに合うこと自体避けている。 調停の場では仕方なくだろうけど絶対目を合わせようとしない。 そこもっと突っ込んだらいいのに、という局面でも言葉を飲み込む。 完全にあとの逆襲を恐れてる。 DV被害者の典型じゃないか。
 なのに11歳のジュリアンを父と二人きりにするのである・・・やばいでしょ。
 法律はあてにならない、ジュリアンは自らが盾となり母を守ろうとするのだよ・・・自分の携帯電話から母の番号を消去したり(父に奪われて中を見られるから)、引っ越し先も教えないようにがんばっているのに、アントワーヌ側の親戚(?)が「どこどこで見かけた」とチクる意図なく情報をアントワーヌに与えてしまうから、ジュリアンは必死で嘘をつくのだ。 でも子供の嘘だから場当たり的で、整合性がない。 
 だが、どうやらアントワーヌはジュリアンの言うことをほぼ疑っていないのだ。 ミリアムがジュリアンに嘘をつかせていると思ってる?
 という、大変ドキュメンタリータッチというか、<映画的盛り上がり>を一切つけない演出なので賛否がわかれそう。
 それでいて、いつ何が起こるかわからないリアルタイムサスペンスでもあるんだけど。

  ジュリアン2.jpg おかあさん、逃げるならちゃんと逃げよう。
 離婚したのに付きまとうとか、フランスには接近禁止命令みたいなものはないのだろうか。 そこまでミリアムが申告してないのか。 またアントワーヌの行動は相手の身体に証拠を残すようなところまではこのあたりではやっていないので、警察などに行っても・・・というあきらめがあるのだろうか。 また姉のジョセフィーヌは自分自身が結構な問題を抱えてしまっており(これもまたこういう家庭環境と無縁なことではないのでなんとも言えない気持ちになる)、よりジュリアンに負担がかかる方向に。
 ついにアントワーヌがぶちぎれるときがやってくる。 それは突然で、度合いも急に。
 ここまでにならないとミリアムは警察に電話できない、ということ自体が、彼女の抑圧の強さを物語っている(ご近所の人が通報するほうが早かった)。 DV被害者に「早く逃げればよかったのに」と他人が言うのは簡単だけど、当事者はいろんな方向から追い詰められて容易には助けを求められなくなっていることのモデルケースとして見ていいんじゃないか。
 だとしても・・・斧でぶつ切りされたように「そこで終わる?!」には息をのむ。
 呆然としたまま無音のエンディングへ。
 まるでダルデンヌ兄弟やハネケ映画のようだ。 余計空気が重たくなるけど、これが監督の思いのツボなんだろうな・・・。
 せめて、その後どうなったかぐらい・・・と期待してしまうのだけれど、多分アントワーヌが生きている限り、ジュリアンたちに心休まる時はないという暗示? 判事が一歩強く踏み込んで何かしてくれるか保証はない?
 日本でも子供の虐待事件が起こるたびに学校や児童相談所、行政や司法に対する抗議が起こる。 でも一度話題になると取り上げられる数が多すぎて正直報道を見ているだけのこちら側もどれがどれの件かわからなくなることもある。 もう、抜本的な改革をしなければ実態に対応できなくなっているのだ。
 多分それはどこの国でも同じことで、短編映画でもこの問題を描いたグザビエ・ルグラン監督の静かな怒りがここにはあるのだろう。 あたしも怒りと悲しみに、打ちのめされました。

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2019年02月12日

今日は3冊。

 引き続き、2月前半の文庫新刊。

  世界推理短編傑作集4【新版】.jpg 世界推理短編傑作選【新版】4/江戸川乱歩・編
 例のシリーズ、4巻目。 古い作品なんだけど、あたし自身が昔から時間をさかのぼった作品を多く読んでいたから(なにしろコナン・ドイルのシャーロック・ホームズ自体かなり古いわけで)、それはそれとして違和感がないのですよ。 「古き良き時代」的な?
 ただ短編なのでアイディア勝負、次の時代に似たようなタネで使われている場合の残念感は半端ないですが、リアルタイムじゃないからそれは仕方ないですよね・・・「この時代にしてはすごい!」と脳内補完することにしてますが、時には補完が必要ないものもあり、「ミステリってすごい」と改めて感じるわけで。 こういうアンソロジーを揃えてしまいたくなるのはきっとそのせいでしょう。

  黒衣の花嫁 コーネル・ウーリッチ.jpg 黒衣の花嫁/コーネル・ウーリッチ
 丸善ジュンク堂企画・絶版(品切れ重版未定)から復刻します、ということで最近ドカッと出ました。
 その中から2冊をチョイス。 もっとほしかったがチョコレートを買いすぎてお金がなかったのと新版が出るかもしれない可能性もあるし・・・と2冊でおさえた自分、がんばった!
 『黒衣の花嫁』は読んだことがないのですが、<女性版『喪服のランデブー』>だという噂は聞いており・・・復讐モノ好きとしてははずせないでしょう!(『喪服のランデブー』もよいしね!)

  賢者の石 コリン・ウィルソン.jpg 賢者の石/コリン・ウィルソン
 御多聞に漏れず学生の頃から、コリン・ウィルソンは読み漁ったが・・・ほぼノンフィクション・ルポルタージュ系だった。 当時『賢者の石』の存在を知っていたけれど、「小説だから」とスルーしていたのです(のちのち、『スペース・バンパイア』の原作もコリン・ウィルソンだと知っておののいた)。 そうこうしているうちに本屋で見かけなくなり、地元の図書館にはあったけどあたしが遠ざかってしまい・・・今回の復刊リストで再会した。 というか、復刻予定リストで。 そこから一人一票で上位作品が復刊(正確には重版)されるということで・・・あたしはこれに一票入れました!
 無事に重版されてよかった!

ラベル:新刊
posted by かしこん at 04:21| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月10日

今日は5冊。

 2月に入り、例によって新刊が出てまいりましたよ。

  おかあさんの扉08.jpg おかあさんの扉 8/伊藤理佐
 だいたい一年に一冊出る感じですが・・・もう8巻とな? 娘さん8歳なわけ?
 「他人の子供の成長は早い」ということわざ(?)をまた思い出す・・・。
 「なんで子供がいないのに子育てエッセイマンガ読むの?」と聞かれることがあるのですが、そりゃ子供がいないから未知の世界を知りたいじゃないですか。 それに、どのジャンルでもエッセイマンガは作者の技量が出るので面白い。
 というか、子育てエッセイマンガの読者は子育てしている人だと見られているのか・・・。

  ミステリと言う勿れ4.jpg ミステリと云う勿れ 4/田村由美
 さくさくと4冊目。 だんだん、超自然現象よりの話になってきているような・・・。
 とはいえ、運の悪い、喋りが止まらない久能整くんの今後に興味はあるのです。

  蜻蛉せいれい05.jpg 蜻蛉 5/河惣益巳
 『蜻蛉(せいれい)』も5巻目。 おぉ、更にスケールが大きくなってくる気配濃厚。 こりゃなかなか終わらないよ・・・イスラム圏の女性解放も視野に入れているのではないか、というほど。

  連続殺人犯.jpg 連続殺人犯/小野一光
 『新版 家族喰い』を一気に読んでしまったのでその勢いのまま。 ルポルタージュ。
 連続殺人犯と言っても黄金時代の探偵・推理小説とは違い、美学を持った犯人など存在しないことはわかっている。 どんどん残酷さを増しているこういうルポをそれでも読んでしまうのは、あたしが<事件>というものにひきつけられてしまうからだ。 多分、あたしは法を破る気持ちがさらさらないタイプで(勿論、何かあったらその時はわからないけど)、でもいったいどういうときに箍がはずれたり理性が切れたりするんだろう、と知りたいからかもしれない。

  死者の輪舞 通常表紙文庫版.jpg 死者の輪舞/泡坂妻夫
 泡坂妻夫、伝説の作品復刻! 中井英夫の『虚無への供物』へのオマージュなんだよね!、確か。 だから名前だけは知っていた作品が、こうやって巡り巡ってやってくるのだ・・・長生きはするものです。

  死者の輪舞 エンケン表紙文庫版.jpg 実は表紙とほぼ同じサイズの帯が。
 何故、エンケンさん?!
 一瞬、ドラマになるのかと思ったけど・・・そういうわけではないらしい。 イメージフォトってやつ?

ラベル:新刊 マンガ
posted by かしこん at 05:14| Comment(0) | ☆ 買っちゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年02月09日

こんなことがあってはならない

 パソコンを開け、ついでにネットニュースを見る。
 ・・・これは、なに? どういうこと?
 クリックすると・・・見たくない、信じられない一文が。

> 声優の有本欽隆さん 食道がんで死去。

 えっ、そうだったの?! あなたも食道がんだったの?
 全然知らなかった・・・アニメのほうでは休業中で代役の方と交代してたようだが、最近あたしの観てた海外ドラマではレギュラーがなく、単発のゲスト出演ばかりだったので、全然知らなかった・・・。
 ただただ、あぜんとしている。 こんなことはあってはならない。
 『クリミナルマインド』のジェイソン・ギデオン役が外画系では代表作ってことになるのだろうか・・・マンディ・パティンキン(ギデオン役の人)が字幕でドラマや映画に出てると、「欽隆さんの声ならどうなるかな」と考えてしまっていたし。
 最近アニメをあまり見ないあたしだが、『宇宙兄弟』の兄・ジェイは欽隆さんですごくよかった。
 はた、と気づく。 渋いおじさま系というか、一言のセリフでその人の背景などを表現できてしまう人がどんどん少なくなってる! 欽隆さんなしで外画吹替は成り立たないよ。 もう小川真司も運昇さんもいないのに!
 ジェレミー・アイアンズやクリストファー・ウォーケンの吹替はどうなるの!?
 日々楽しんでいる海外ドラマの吹替版、かなりすれすれのところに来ているのでは・・・中堅〜若手の方々が頑張っているのはわかるんだけど、声の質の違いはいかんともしがたい。 菅生さんのお仕事がどんどん増えるのでは・・・。

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2019年02月08日

天才作家の妻 ー40年目の真実ー/THE WIFE

 グレン・クローズがこれで、今回アカデミー賞主演女優賞に有力!だそうである。 中規模公開作品にしては事前の宣伝も早めにやっていたし(映画館で予告やチラシがあった、というレベルだが)、公開近くなってからは新聞や雑誌で取り上げられた映画評の切り抜きを掲示したりとシネ・リーブルではいつもやってることだが神戸国際松竹では比較的珍しい。 つまりそれだけ、「多くの人に観てほしい!」作品なのではないか、という熱意を感じるわけです。 まぁ、いまの映画館に足を運ぶ客層(50歳以上の方々)にアピールしそうな題材ということもあるかもしれないが。

  天才作家の妻P.jpg ノーベル賞の栄光に隠された【愛と嘘】

 1992年、アメリカ在住の現代文学界の重鎮とみられているジョセフ・キャッスルマン(ジョナサン・プライス)はノーベル文学賞の知らせがくるのかどうか気をもんでいた。 妻のジョーン(グレン・クローズ)は「そういう電話は来るときは来るんだから、気にしないで普通にしていればいいのに」とゆったり構えているが、ジョセフは遠足前の子供のように落ち着きがない。
 不意に、待っていたその電話がくる。 飛び跳ねてよろこぶ二人、だがジョーンのほうが現実に戻るのは早かった。 お祝いのパーティーが開かれ、ジョセフの浮かれ気分は更に上昇する。 息子のデビッド(マックス・アイアンズ)とともにストックホルムで行われる授賞式に向かうジョセフとジョーンに、飛行機の中で記者・ジャーナリストのナサニエル(クリスチャン・スレーター)が声をかける。 是非インタビューを、という申し出に、ジョセフは「伝記作家はいらない」と冷たくあしらう。 しかしナサニエルの目的はジョーンのインタビューをとることだった・・・という話。

  天才作家の妻1.jpg ノーベル賞受賞をお知らせする電話、きました。
 なんで90年代設定にしたのか不思議だったが(年代まではっきりさせたら、その年にノーベル文学賞をとった人に失礼ではないのだろうか)、40年前の50年代ではまだまだ女性が社会的に活躍できない時代だったからか。 「夫を支える妻」という形でしか認められなかった時代・・・つらいです。 「糟糠の妻と思われるのはまっぴら」というジョーンの一言に、時代の抑圧のせいでしたかったことをあきらめた、という失意が漂う。
 それにしてもジョセフのダメなこと! 長女は妊娠中だというのに自分のお祝いなんだからちょっとぐらいいいだろ、とシャンパンの入ったグラスを強引に渡す・・・ひどいな! しかしそんな父に娘は慣れっこなのか、しぶしぶグラスを受け取るが持ち上げる気配ゼロ。 きちんと反論してもこの父親には通じない、と娘は学習しているのだな。

  天才作家の妻4.jpg ナサニエルと、デビッド。
 ある意味あきらめのいい(期待していない)姉に対し、弟のデビッドは自分でも作家の道を歩んでしまっているがために父親からのいい評価をもらいたくて仕方ない。 母であるジョーンがいくら「読んだわ。 素晴らしかった」と言ってもすんなり受け入れないし、いろいろこじらせている(だったら父親と同じ仕事するなよ)。 すぐすねる態度とか、全然大人になっていない雰囲気とか、「おまえ、父親にそっくりだな!」と言いたくなるぜ・・・ジョーン、子育て失敗しましたね。
 そんな機能不全家族に嵐を連れてくるナサニエル・・・なんか既視感があると思ったら、クリスチャン・スレーター、『インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア』でもレポーターの役だった! 老けましたね・・・(おたがいさまですが)。
 メインキャスト少なめ、室内での場面が多いしとても舞台的なところがあたしの好みです。

  天才作家の妻5.jpg 若かりし日の二人、ジョーンとジョセフ。
 結婚前の二人は、大学で文学・創作を教える講師とその学生。 しかもジョセフには妻と子供がいた・・・って、ほんとにクズ男だ! しかしそんな男に恋してしまったのだから、それはジョーンのせいでしょう。 ジョセフの元妻がジョーンに、「夫を引き取ってくれてありがとう」と言っちゃうような相手ですよ! 私だったら大丈夫、と思ってしまったのでしょうか。 その責任感(?)から結婚生活を40年続けてきたのでしょうか。 ある意味、この二人は似た者同士ということなのか・・・。
 恋愛には当事者以外には理解できないことが多々あり、逆に言えばその二人が満足していれば傍からどう見えようともしあわせだったりするから。

  天才作家の妻2.jpg ノーベル賞授賞式と、その後の晩餐会。
 授賞式のトリビアは面白かった。 アメリカ人は基本、お辞儀をする習慣がないのね。 ホテル側がサプライズを用意するとか(断ってもいいらしいが、ジョセフが話を聞いていなかったのでそのまま決行)。 そう、旅先でジョセフがよりグダグダになっている・・・ノーベル財団の招待だから旅費・滞在費用その他は全部財団持ちだからか、ジョセフはとにかくやたらめったら食べている・・・普段はジョーンにもっと節制しろと注意されているのだろうか。 あげく担当のカメラマン(若い女性)に色目を使う・・・ほんとに現代文学において文学の枠を広げた画期的な作品を書いた人なんですか、この人?
 ジョーンの鬱屈やイライラ加減がなくても、ジョセフは信用できないってなっちゃうんだよ。
 ただ、部屋で大喧嘩しても、娘から「無事に孫が生まれましたよ」と電話が来れば手を取り合っておおよろこび、さっきまでの喧嘩がどこかに吹っ飛んでいる・・・それが夫婦としての40年の歴史なのかもしれず、片方はそれで終わったと思っていてももう片方には別の話になっただけで終わっていないということかもしれず・・・。
 この、男性にありがちな単細胞的思考と、女性にありがちな解決していない問題はどんどん降り積もる性質も、お互いがそのことをわかっていればうまくいくのだろうが・・・ジョセフは「その話はもう終わった」と思ってとんでもないスピーチをしてしまうので、ジョーンの怒りは40年分爆発してしまう。 「あー、それ言ったら終わりだ!」ということをジョセフは自信を持って言っちゃうんだよ・・・むしろそう言えばジョーンはよろこんでくれると疑っていない愚かしさに背筋が寒くなる。

  天才作家の妻6.jpg 更なる大喧嘩。
 自分の何が悪いのかいまいちピンと来ていないジョセフ、最悪だ・・・。 しかしだからこそ、ジョーンはやっとこの関係に終止符を打つことを決意したのかも。 自分ばかりが耐えてきた、という思いは自分をどんどんすり減らすものだから(この点、日本人女性のほうが共感しやすいかもね)。 でも、そういう相手を選んだのもまた自分だというのが絶望的。
 ダメ息子のデビッドも、幼少の頃から両親の不安定さ(その言葉だけでは表現しきれないが)を見てきているから今のようになり、姉はもう少し大きかったからその理由をうっすらと感じ取っていて、早く結婚して両親から早く離れることを選んだのかも。 アダルトチルドレンにならないように(デビッドは気づくのが遅いからすっかりアダルトチルドレンだが、今気づいたことでこれから回復できるかも)。
 だがジョセフの逃げっぷりは見事というほかなく・・・ほんとに卑怯のまま、心を入れ替えないのはいっそ清々しいほどだ。
 芸達者なみなさんを舞台風に観られることの至福がここにある。
 デビッド役、顔というか目つきが気になるなぁ・・・と思っていたら、マックス・アイアンズって、ジェレミー・アイアンズの息子? 若かりし日のジョーンは、グレン・クローズの娘? ちょっと雰囲気似てると思ったら〜。

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2019年02月05日

サスペリア/SUSPIRIA

 ダリオ・アルジェントが好きである。 とはいえ実際に映画館で観たことはほぼない・・・子供の頃TVでよく観ていて、そのすごさが刻まれた感じでイメージは鮮烈なのだが、それ以後レンタルビデオやケーブルテレビやWOWOWばかり。 そんな折、あの『サスペリア』がリメイクとな! 『君の名前で僕を呼んで』のルカ・グァダニーノ監督は自ら「『サスペリア』を観て人生が変わった」と公言するほどの人物、いったいどんな感じなのか! 予告編を観て、音楽:トム・ヨークにおののき、前衛過ぎるダンスシーンにあっけにとられ、でも観てみたい!
 上映する神戸国際松竹では『天才作家の妻』のほうを推している気配、賛否両論らしい気配・・・レイトショーだったのですが、意外とお客さんの数が多くてびっくりする(上映館が少ないからか、神戸はバレエ・ダンス系の映画のお客が一定数いるから?)。
 20:55スタートで、上映終了が23:35なことにも驚いた・・・152分なの、マジか。

  サスペリアP.jpg その踊りは、死を招く。

 1977年、ベルリンにあるマルコス舞踊団を目指してアメリカからやってきたスージー・バニヨン(ダコタ・ジョンソン)は正式な経歴も紹介もなかったが、情熱だけでなんとか単独オーディションの機会を勝ち取ったのだ。 舞踊団を代表する振付師であるマダム・ブラン(ティルダ・スウィントン)はスージーを認め、その日からスージーは団員たちと寮に住むようになる。
 だが、このダンスカンパニーではダンサーである女性たちが次々と失踪していた。 その中の一人パトリシア(クロエ・グレース・モレッツ)のセラピーを担当していたクレンペラー博士(ルッツ・エバースドルフ:実は特殊メイクのティルダ・スウィントン)は、パトリシアが残していった言葉から、そのカギがマルコス舞踊団そのものにあるのではないかと考えるが・・・という話。
 6幕+エピローグという構成だったので、思いのほか長さは感じなかった。

  サスペリア2.jpg クロエ、よく見ないとわからない。
 「この歌がずっと頭を回って離れない!」と言ってましたが、もしかしてその歌はゾンビーズですか?(終盤、呆然としてしまったのでエンドロールでチェックし損ねた)
 よくこの仕事を受けましたね、というほど出番が少なかった・・・パトリシアの名前はいっぱい出てくるけど。
 クレンペラー博士の老けっぷりがあまりに不自然で、「あぁ、特殊メイクか! そういえばティルダ・スウィントンが三役やってるとかいってたなぁ」と思い出すものの、同じ役者がやっていることに意味があるのかと考えすぎ、クレンペラー博士の言動のウラをいちいち読んでしまう・・・この情報、知らないほうがよかった。 博士のことを好意的に見られない。

  サスペリア4.jpg そのおかげでマダム・ブランの年齢不詳な美しさが引き立つのだけれど。
 前半は、オリジナルの『サスペリア』を思い起こさせる描写が多いのですが・・・ホラー的演出を一切していないのでまったく怖くない。 ただあまりに唐突だったり、意味がわからなかったり、不可解で不気味だったり、痛さすら共感を分断されているようで、「あえて怖くないようにしているのか?」と思ってしまうほど。 そして過去の記憶や妄想も含めたような深層心理的カットの積み重ねが繰り返されるのに及んで、「これはストーリーを追いかけようとしたら訳がわからないで終わってしまう、理屈は考えるな、もうありのままを感情で受け止めよう!」と気づく。
 Don’t Think, Feel. ですよ。
 トム・ヨークの音楽もまた全編美しくてびっくりする。 ドロドロした感じがあるかと思ったのに(もしかしたらあったのかもしれないが、全く気づかなかった)。

  サスペリア1.jpg 途中から主役が交代するし。
 パトリシア → スージーの流れかと思いきや、スージーの寮と同室のサラ(ミア・ゴス)視点に(スージーが来る前はパトリシアと同室だったから)。 1977年当時の社会不安(バーダー/マインホフやハイジャック事件、ドイツ赤軍など)もがんがんからんできて・・・オリジナルとは別物感が強くなるのですが、設定的にはアルジェントの<魔女三部作>全体を持ってきているっぽいので・・・あぁ、考えたらわからなくなる〜。
 閉ざされた環境に限られた人数でいる場合、たとえ集まるきっかけはそれぞれ違っても、追い込まれた結果は似たようなものになるということなのか。 行き過ぎた何かは粛清がないと終われない(変われない)のか・・・カルト扱いされちゃう魔女・・・別の意味でせつないんですけど。

  サスペリア3.jpg 最後は博士にバトンタッチ。
 気がついたら出てくる人たちはほぼ女性、クレンペラー博士には世の男性の愚かしさを一身に背負ってもらった感があるのかも。 妻アンケ(ジェシカ・ハーパー)とのことがナチスの存在までつなげる意味はあれど、一気に社会派になるのも映画のバランスとしてどうなのか。 愚かさをそれで許せ、とはなれない・・・いや、むしろ許さないのか。
 あぁ、そうか、世界を支配するのは女性である、ということですか。 いや、そんな単純な話じゃないんだけど・・・“女性であること”に負い目を感じる必要もない、持っているものを活用して生きていってまったく問題はない、というか、「女性が被害者の側に押し込まれている枠から逃れていい」とか?
 もしかしてすごいフェミニズムな話だった?
 血まみれシーンも全然怖くない・・・ある人たちの死が癒しとして描かれるのは抑圧や虐待(歴史的にはホロコースト等)などへの反発かな、と深読みをしようと思えばいくらでもできるのだが、怖くないどころか失笑しそうになるのはどう受け止めたらいいのやら。 夢オチ展開ならまだ納得いくのだが、と思ったら全部事実か! そこでいきなり時間の経過を描かれても! 愚かな人間にも一部いいところはあると魔女も認めた的な?
 いかんいかん、つい意味のある物語を見い出そうと思いがちになるのだけれど、いささか呆然自失のままエンドロールに突入。
 途中で忘却の魔法をかけられた!
 あたしが思っていることは全部後づけか?! 記憶と知識と思い込みの区別がつかない!
 とりあえず、なんかすごいものを観てしまった感。 観ていたときよりもあとからいろいろ来る・・・こういうのがカルト映画と呼ばれるものなら、なるほどオリジナルの『サスペリア』とゴールは近い、のか。

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2019年02月04日

レコーダーのリモコンを買う。

 しばらく前から、今の録画機のリモコンの調子が悪くなっていた。
 <クイックメニュー>というボタンが反応悪く・・・回数的にいちばん使うやつなので経年劣化は仕方ないのだけれど、このボタンを押さないとその作業ができないという・・・長押ししたりなどで対応していたのだが、ついに早送りや停止ボタンなども反応があやしくなってきた。
 リモコンだけ買い直せないかな?
 もっと早く気づけよ、なのだが、やっと気づいたのだから仕方がない。
 だが使っているレコーダー、ブルーレイも観れるがそんなに新しい機種ではないので、リモコン自体あるかどうか!
 焦ってネットで調べると・・・いくつかの機種共通で使える代替リモコンがあるらしい! まだ新品がある! 今のうちに買っておこう!

  レコーダー新旧リモコン.JPG 右がオリジナル、左が代替機。
 ボタンの場所が全然違うけど・・・それぞれ対応するものはちゃんとある。 ボタンがちっちゃいけど、リモコンとしては小型化。 あぁ、新しい配置を覚えるのは大変だけど、一安心! これでまだしばらくレコーダーが使えます!
 しかしこれまた大変よくあることに・・・新しいリモコンがきた途端に前のリモコンの調子がちょっと戻るという・・・。
 完全にダメになるまで使い倒してやりますよ! ということで二つを並行使用中。

ラベル:趣味・小物
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2019年02月03日

みかづき/森絵都

 NHKのドラマが始まる前には読もうと思っていたのだが・・・始まってしまった(とはいえ、そのドラマは録画しているだけでまだ観ていないのだが)。 まぁ、読み始めればどうせサクッと読めてしまうはずなのでのんきに構えてしまっていた。 実際、読み始めたらほぼ一気読みだったのだが。

  みかづき.jpg 表紙、なんか勝手に地面は雪だと思っていたら、違ったよ!

 千葉県、用務員として小学校に勤務している大島吾郎は、勉強で困っている子供たちに放課後教えるようになる。 それを知ったある児童の母・赤坂千明に強引に誘われ、学習塾の立ち上げにかかわることに。 その後の大島家三代と教育とのかかわりを描く大河小説。

 物語は昭和36年から始まり、ゆとり教育その後まで続く。 そこそこページ数はあるのだが、なにしろ三代にわたる物語であるが故に章と章の間が結構時間が飛んでしまい、「その間のことは?!」といまいち物足りなさがある・・・吾郎・千明についてはそれなりにページが割かれているが、その次は孫の一郎に行ってしまい、吾郎の子供たち(3人いるのに)はいまひとつ脇役扱いなのがちょっと。
 それぞれを均等に書いたら朝ドラ一年やっても足りないくらいの量になってしまうからかもしれないけど、塾業界の変遷を主題に据えるなら主人公が次々変わってもいいわけで、一族の話でもあるのだからもっと読みたかった。
 たとえば、聡明なよい子として育った蕗子が母に絶縁状をたたきつけ、その後いかにしてその母と同居することになるのか、蕗子視点で読みたかった。 視点人物以外のことが気になる。
 ということはそれだけ、入り込んでしまったということでしょう。 家庭の貧困さのための教育格差のあたりはちょっと泣いてしまう。 あたしは軽い登校拒否から読書によりのめり込み、本を読んでた貯金があったので義務教育はあまり苦労しなくてすんだから、結果オーライだったのだなぁ。 今の子たちは大変だ、2020年は入試改革だそうだし。
 あたし自身は塾にお世話になったことがなく、むしろ学生の時から働く場所のひとつだったので、塾の歴史は興味深かったです。 塾の理想的な形を模索すれば理想的な学校になっちゃうところとかね。

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2019年02月02日

#神戸ウェンブリー

 『ボヘミアン・ラプソディ』のラスト21分スタンディングOKの応援上映。
 神戸では24日がラストだというから24日に行ったのに、31日まで延長となり、更に2月3日まで延長! しかし2月3日が本当に最後、だという。 うっ、どうしよう。 ファーストデイで1100円だ、土日は通常料金になってしまうから行くならこの日しかない。 しかも日本オリジナルステッカープレゼントだと?
 やっぱり行くしかないか!
 2月1日、OSシネマズハーバーランド20:30の回、参戦!

  ボヘミアン・ラプソディ ステッカー.jpg THANK YOU DARLING!は裏の台紙。
 チケットは前日夜中にネット予約しましたが、その段階で参加者は45人くらい。 ファーストデイだから結構混むかも、とは思っていましたが・・・いざ映画館に来てみれば△(残席わずか)。 マジか! 入場開始のアナウンスに合わせて動き出す人々の波! 無事にステッカーはもらえるも、ポップコーンやビールなどを持っている人たちの多さにも驚く。 この映画においてはあたしはポップコーンを食べている余裕はないよ・・・。
 金曜の夜ということもあって小学生のお子様もいらっしゃり、年齢層の広さがうれしい。
 実際、ほぼ満席ではないですか、という状態。 これでスタンディングはキツイんですけど。
 お客さんいっぱいいるから、ということなのか前説の方も非常に真面目で注意事項の伝達が中心に・・・えっ、もう少しあおってくださいよ。 なんかあたしの席のまわりおとなしそうでヤバいんですけど。
 ドキドキしながらの最後の応援上映です。
 あぁ、もう“Somebady To Love”のイントロから泣きそうになるよ!(まぁそれを言うなら冒頭のファンファーレとフレディの掛け声からね)
 デクスター・フレッチャーの名前が製作総指揮にある!(方向性の違いから降板したが、ブライアン・シンガー解雇後メガホンをとった人)、とか、フレディの初ステージ衣装はお母さんが着てた服だよね!、メアリーを見る前のフレディにウインクをしてる人がジョン・ディーコン本人の息子ってこの人か!、などなど、細かいところを確認できてよかった。
 ポールがフレディに告白しようとするシーンは何回観ても緊張感がすごい。 ポールの覚悟というか・・・それが描かれているから悪役になっちゃっているけど彼の哀しみも感じ取れるのだろう。
 だけどやっぱりあたしのまわり、ノリが悪いよ! 中央列あたりがすごく盛り上がっているので助けられましたが、なんで手拍子もしない人たちが応援上映に来るのかと。 ドラマ内容に入り込んでしまってしそびれるのはわかりますが、明らかにライヴ流れのときも微動だにしないってどういうこと! この時間しかなかったのかもしれないけど・・・せめてちょっと空気読んで。

  ボヘミアン・ラプソディ1.jpg <ライヴ・エイド>は何度観ても素晴らしい。
 特にこれで最後だと思うからかしら、涙が止まらない。 あぁ、何度もこれを観に来てしまい、どうやらフレディはまだ生きていて、クイーンも普通に活動しているような気持ちになっていたらしい。 もしくは自分がクイーン活動期にタイムスリップしてきたような。 これで最後だと思うことは、あらためてフレディに別れを告げるということで。
 だったらこの映画観ないで当時のライヴ映像を観ろ、とリアルタイムのコアな一部のクイーンファンの方は怒っているのはわかるのですが、勿論本物の映像も観るし音楽も聴きますけど、古い映像だとタイムラグをやはり感じてしまうわけですよ。 この映画だと映像が新しくてきれいだし、メンバー全員をそれぞれ観られるし(YouTubeにあるライヴ・エイドはどうしてもフレディ中心)、だから今でも活動しているような錯覚に陥ってしまうのかも。 熱いファンの存在もまたこちらの胸を熱くする。
 それ故に、ノリの悪い人たちが気になって気を遣う・・・。 “Show Must Go On”でうしろから「座れよ」と声が聞こえてきたのにびっくりした。 えっ、見えないならそっちが立ちなさいよ! それがイヤならスタンディングOKの回に来るな〜。
 いやいや、この時間にしか来られないのかもしれない、ファーストデイなんだからこれが一回目ですという人がいても仕方がない、と思うけど、なんか割り切れないんですけど。
 でも帰りがけに20代女性4人組が、「やっぱりジョン・ディーコン、いい!」と言っているのが聞こえ、思わず「わかる」と呟いてしまう自分。 同好の士の存在はうれしいものだよ。

  ボヘミアン・ラプソディP.jpg 公開からそろそろ3か月か。
 熱がそれだけ続いている、というのはすごい。
 あらためてこの映画の編集のうまさを感じつつ、この詰め込み具合を4時間半あるという噂のオリジナル版で確認したい気もする。 「映画として」は批判されがちだからな〜。 でも仕方ない、これは映画というより<体験>だから。
 これであたしの『ボヘミアン・ラプソディ』体験は終わったのだろうか。
 なんだかずっと続きそうな気もする。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする