2019年10月15日

Rのつく月には生牡蠣を!@ガンボ&オイスターバー

 カキが好きな仲間内で、「10月に牡蠣を食べよう!」が習慣化しつつある。
 それはあたしのところに「赤か白のワイン・デキャンタ一本分プレゼント」のご案内が来るからだ・・・アルコールを受け付けないあたしにとっては無用の長物だが、飲める人がいるならば話は別。 呑める者二人・呑めない者二人で牡蠣を食べまくる!
 場所は、間をとってNU茶屋町だ! ミント神戸店より働く人の感じがいいし〜(ミントの店長さんが頑張っているのはわかっているが)。

  20191010ガンボ&オイスターバー1.JPG 生牡蠣3種&オイスターカクテル
 あっという間にぺろりといただきます!
 生で出てくるやつはでっかい! それでもすぐ食べちゃう! 殻の器に残るスープ(?)も飲んじゃう!
 この後サラダが来たのですが(それもカキ入り)、写真撮るの忘れました・・・。

  20191010ガンボ&オイスターバー2.JPG 焼きガキ3種
 素焼き・バター焼き・香草焼き。 このあとカキフライも来たが写真を撮るのを忘れた・・・。
 生牡蠣とはまた違うおいしさよね〜。

  20191010ガンボ&オイスターバー3.JPG カキの昆布はさみ蒸し
 これで二人分。
 おろし醤油、ポン酢、青唐辛子のなにかなどつけて食べるものが出てきましたが、そのまま食べても十分おいしかったです。 途中で味を変える必要はなかったけど・・・残るのもあれなので、おろしをちょっともらいました。
 このあとにカキごはんとカキの出汁スープが出て、満腹満腹。

  20191010ガンボ&オイスターバー4.JPG 誕生日じゃなかったのですが、バースデープレートが出て来た!
 お酒呑む人に予約をお願いしたら、そういう手配をしてくれたらしい。 ありがとうございます。
 「よかったらお写真撮りましょうか?」と明るく店員さんに言われたが・・・あまりそういうノリの4人じゃなかった・・・すみません。

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2019年10月14日

殺人鬼ゾディアック 犯罪史上最悪の猟奇事件、その隠された真実/ゲーリー・L・スチュワート スーザン・ムスタファ

 「あぁ、そういえば邦訳が出たから読みたいと思っていたのにすっかり忘れてたなぁ」とその本の実物を見て思い出す。 確か、発売時期になんかの書評で取り上げられていたのです。 奥付の発行は2015年9月ですよ・・・4年以上も忘れていたとは。 でも、逆に言えばその後、話題に出なかった(新事実が判明していない)ということでは。
 犯罪ノンフィクションを結構好んで読んでしまうほうですが、ゾディアック事件に関しては未解決なのと専門の邦訳書が少ないこともあり、あたしの知識は映画『ゾディアック』(デヴィッド・フィンチャー監督)に上書きされてしまいました。 映画の原作であるロバート・グレイスミスの『ゾディアック』邦訳を読んでも「映画と固有名詞のカタカナのふり方が違う(トースキーがタースキーになっている、など)、なにより最有力容疑者の名前が全然違う」とパニくるほど。 本書でもかなり違うので(トースキーはトスチに、ヴァレーホがヴァエホーに、など)、どれがどれなのか納得するのに時間がかかって。
 でもある程度わかってきたら、本書の主張は映画ともグレイスミスの主張とも符合すると感じられて「おぉ!」となる。
 しかし本書の読みどころはゾディアック事件の真実というよりも、親に捨てられた子が過去を振り切ることのほうだった。

  殺人鬼ゾディアック単行本.jpg 表紙は著者の父親の写真。
 2002年5月、39歳であった“私”(筆者)は初めて実の母親の名を知る。 素晴らしい養父母に育てられ愛情を感じてはいたが、実の親には見捨てられたという感覚からずっと逃れられない著者は、母親に実の父親のことを尋ねるが、母はあまり覚えていないという。 それならば、と自力で調べ始めたら・・・父親はゾディアックだったのではないかと考えに至った。

 何故、そんなにも自分の生物学上の両親のことを知りたがるのか不思議でたまらなかった。
 養父母がいて関係が円満なのだからそれでいいではないか。 知ったからっていいことばかりじゃないのに、とあたしは思ってしまったが、筆者は信心深い養父母から愛と赦しの大切さを学んでしまったので、生物学上の両親のことも愛して赦したくてたまらないらしい。
 遺伝上の父親と別の母親との間に生まれた子供(筆者にとっては義妹弟になる)に、自分が見つけ出した手掛かり(父親はゾディアックらしい)を突きつけて「兄妹だから(一緒に受け止めよう)」みたいに迫るのは・・・すげー迷惑だと思うんですけど、筆者はなかなか気づかないし(自分の妹だというだけで通じ合えると思っていた、と書いている)、「実の親に捨てられた悲しみは一生付きまとって離れない」と自分のことだけでなく妹弟のことも含めて断言している。 彼とは違う形で対処している可能性を考えに入れてない・・・「すべてを赦し、受け入れる」という筆者の想いは素晴らしいと思うが、それをすべての人に強要しないでほしいな、と感じてしまった。 彼はそうしなければならなかったのだろうけど、誰もがそうではないのに。
 とはいえ、父親の親族との交流が描かれると、「なるほど、そうやって縁が続く・親戚の輪が増えていくのは面白いかも」と思わされるけれど・・・もし自分だったらそこまでしたいだろうか、したくないとしたらそれは何故なのか、と考える。
 筆者は「愛されたい」という渇望に忠実に行動している。 愛されたいから自分も愛していく、という感じ? それでやっと自由になった。
 あたしは、自分が愛していない人に愛されることを求めない。 その気持ちに至ってようやく自由になった。
 多分、到達した気分は似ているけど、その過程は千差万別なのだ。 筆者の心の平穏に祝福あれ。

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2019年10月13日

ホテル・ムンバイ/HOTEL MUMBAI

 これもまた以前、『ハリウッド・エクスプレス』で紹介されて知ったのだが、「あれ、この映画の予告、前に見たことがあるような・・・でもキャストが違うなぁ」と思っていた。 で、それはシネマ神戸のレイトショーでやってた『ジェノサイド・ホテル』だったのである(期間が短かったので観に行くことはできず)。
 これはそのハリウッドリメイクなのか、たまたま同じ事件を題材に描いたものなのか不明だが、デヴ・パテルくんが出るなら観たいよね、となんとか駆けつける。

  ホテル・ムンバイP.jpg 彼らは<信念>だけで、銃に立ち向かった。
  2008年、五つ星ホテルで起きたテロからの、奇跡の救出劇

 インドのムンバイにある五つ星ホテルのタージマハル・ホテルで、敬虔なシーク教徒のアルジュン(デヴ・パテル)は給仕として働いている。 オベロイ料理長(アヌパム・カー)はとても厳しい人だが、公正なのでみな尊敬している。 「お客様は神様です」の心情のもと、タージマハル・ホテルの従業員たちはハイレベルのサービスを行うことが誇りだった。
 しかし2008年11月26日、ムンバイで起こった同時多発テロの舞台のひとつとしてこのホテルが選ばれた。 その日、ホテルには富豪の娘ザーラ(ナザニン・ボニアディ)が夫であるアメリカ人の建築家デヴィッド(アーミー・ハマー)、ベビーシッターのサリー(ティルダ・コバン=ハーヴィー)と乳児の娘、盛大なパーティーを主催するロシア人の実業家のワシリー(ジェイソン・アイザックス)など世界各地からの宿泊客が多くいて・・・という話。

  ホテル・ムンバイ1.jpg デヴ・パテルくん大人になったなぁ。
 と思ってしまうのは、やはり『スラムドッグ・ミリオネア』の印象が強くその後も定期的に観ているからでしょうか。 今回もイメージそのままの役(実直で、誠実で頑張り屋)なので安心して観ていられる・・・のだけれど、テロ実行犯たちが動き出してからは誰がどうなるかわからない緊迫感に満ち、最後までずっと続くのだった。

  ホテル・ムンバイ3.jpg アメリカ人が安易にヒーローにならないところもリアル。
 アーミー・ハマーの役柄が、見ているこっちの顔色が変わりそうなほど無神経なアメリカ人で・・・妻と子供は愛しているけど妻の生まれた国の文化に敬意を払っていないというか。 妻のザーラ側にも先進的な考えがあって不合理な因習を批判しているんだろうけど、外国人である夫がそのへんに無関心なのはどうなの?、と。 そのあたりにもインドが抱えている問題が見える。

  ホテル・ムンバイ4.jpg 実行犯たちは「あんな子供が」と言われてましたが、あたしには年齢がよくわからず。
 子供っぽい一面も描かれてますが、ためらいもなくその場にいる人を撃ち殺せる冷酷さというか異教徒は人と思ってない感じがビシビシ伝わり、その場に居合わせたら誰もが殺されておかしくない恐怖が。 相手が少人数でもカラシニコフ撃ちまくってこられたら誰も対応できない無力感がただごとでない。 しかし実行犯たちも何者かの指示で動いているだけに過ぎず、神の名のもとに利用されているだけ。
 教育って大事だなぁ、何か一面だけではなく幅広い視野を持つための、ということしか思えない・・・。

  ホテル・ムンバイ2.jpg 料理長、かっこいい。
 そんな中、誰も責めない、オベロイ料理長がこの映画の良心だった。
 同時多発テロが大ニュースなのはわかるが、実況生中継をすることでテロリスト側に情報を提供してしまうことをマスコミはどう考えるのか。 大きな事件が起こるたびに問題になるが、その答えは出されてないように思う(そもそもどう考えているのかがまったく見えない)。
 実行犯テロリスト側を理解不能な化け物として描かない、被害者側も一方的に描かない、とかなりバランスがとられているというか配慮が感じられるけど(だからホテルマン視点なのかも)、R15+なだけあって流血すさまじい。
 ムンバイ同時多発テロってこんなに大規模だったのか!、とまたしてもちゃんと知らない自分が情けない。
 日本でこういうことが起きないのは銃規制がなされているからだけなのでは、と考えてしまう。 広く公開されてないけど、もっと多くの人が観るべき、知るべき内容じゃないだろうか。

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2019年10月12日

プライベート・ウォー/A PRIVATE WAR

 <秋のパイクまつり>ということで、ロザムンド・パイク主演映画が日本続けて公開となる。 その一本目が『プライベート・ウォー』。
 ロザムンド・パイク大好き! 『ゴーン・ガール』以降、多分役を選べるようになってから“強い女”を意図的に演じている気がするのが彼女の主義主張であるように感じられる。 というか、あたしがそういう役をやってほしいと思ってたのかな、『アウトロー』の彼女はなんか居心地よくなかった。

  プライベート・ウォーP.jpg 挑む女は美しい

 メリー・コルヴィン(ロザムンド・パイク)はUPI通信を経てサンデー・タイムスの特派員として世界中の戦地に赴いて自ら取材しているジャーナリスト。 2001年のスリランカで銃撃戦に巻き込まれ被弾、左目の視力を失う。 その後も黒い眼帯をトレードマークとして戦地へ出る。 それは戦争や紛争がいかに民間人を苦しめているかを世界中に知らせるため。 しかしメリーは重度のPTSDに苦しんでいて、悪夢と幻覚に襲われていた。 そして2012年のシリアへ・・・という話。
 『バハールの涙』に出て来た戦場ジャーナリストってこの人だったのか! でも微妙に名前とか設定が違うような・・・(メリー・コルヴィンをモデルにしたということなのだろう)。 それだけ、伝説の存在なのね。
 「ロザムンド・パイク、キャリア最高の演技」との声も上がってますが、頷ける。 勿論現時点で、このあと、彼女はもっとすごいの演じると思う。

  プライベート・ウォー2.jpg 報道賞の授賞式。
 必要ならばドレスも着こなし、紛争地に入ってもピアスをつけフランスの高級下着を身につける。 それは女としてのお洒落心ではなく、死体になったとき自分だとわかるための手がかりなのだ。 その覚悟を持っていても現実の悲惨さは、彼女の精神をこれでもかと蝕む。 日常生活の延長が悪夢や幻覚につながっていく描写が、メリーの抱えているものをダイレクトに現わしていてこちらもドキッとする。 戦場から戻ってきてもこんな感じなら、戦場にいたほうがましではないかと思えるほど。 でもPTSDを自覚しないまままた戦場に向かってしまうのはあまりに危険で、メリーの言動にハラハラし通し。 それもまた彼女のまわりにいた人の気持ちだったのかもしれない。
 マシュー・ハイネマン監督はずっとドキュメンタリーを撮っていた人だそうで・・・わかりやすい物語性に落とし込まないところがよかった。

  プライベート・ウォー1.jpg この表情、すごくきれい。
 酒とたばこで焼けたようにひずんだ声と喋り方は多分ご本人に似せたんだろう。
 ロザムンド・パイクほぼ出ずっぱりですが、サンデー・タイムスの編集長がトム・ホランダー(『ボヘミアン・ラプソディ』のジム・ビーチ!)、その後相棒のようになるカメラマンのポール・コンロイがジェイミー・ドーナン、メリーを癒すのちの結婚相手がスタンリー・トゥッチ、他にもどこかで見たことのある人たちぞろぞろと、なかなかに豪華キャストなのが意外でした。 特にスタンリー・トゥッチ、『プラダを着た悪魔』の頃とあまり変わっていないような気がして(もっと老け込んだ役を他で見たこともあったので)・・・実年齢いくつだ!

  プライベート・ウォー4.jpg メリーを支えようとするポール、すごくいいやつ。
 ポールにとってメリーは出会ったときからすでに伝説の存在で、でも憧れに臆することなく一緒に仕事をして信頼を勝ち取り自分も成長した。 だからメリーに「ちょっと休め、ちゃんと治療しろ」と言えるのだ。 メリーの記者人生の中で最も過酷な2012年のシリア・ホムス地区への潜入にも同行している。 虐げられている女性や子供たちの現状を、個人の物語を伝えたい、という情熱に突っ走りすぎるメリーに対するポールの存在は観客にとっても心のよりどころ。
 なのに「2012年のシリアにこんなことあったんだっけ?」と記憶を掘り起こさなきゃいけない情けない自分・・・(ホムス包囲戦は2011年から2017年にわたったし、シリア内戦はまだ続いているのでその一年だけで考えても意味がないのであるが)、すみません、もっとちゃんと世界のことを知ります。
 エンディングの歌がこれまた心をえぐる声で。 元ユーリズミックスのアリー・レノックスで・・・ずっと耳に残る。

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2019年10月11日

台風前夜の今日は6冊。

 台風19号が近づいている、ヤバい、という話。 金曜の夜だしレイトショーを観に行きたかったのだが、終わりの時間を考えると家に帰る頃には12時を回ってしまう。 雨が降るとヤダしなぁ、今日は映画をあきらめてまっすぐ帰ろうか、と思った。
 しかしそういうときに限って仕事場でトラブル発生。 あたしのせいではないが、横からフォローしたりなんだりで・・・気づけばレイトショーに間に合わない時間になっていた。 まぁ、どうせいけないよな、と思っているとこういうことになる。
 本屋に立ち寄り、自宅からの最寄り駅に降り立ったのは20時半過ぎぐらいだったろうか。 すでに風が強く、かなりやばい感じなのが伝わってきた。 また猛烈に蒸し暑い。 暴風圏に入るか入らないかすれすれぐらいかと思っていたけど、前評判通りのすさまじい台風なのは間違いなさそうだ。

  ゴーリー 狂瀾怒濤あるいは、ブラックドール騒動.jpg 狂瀾怒濤 あるいは、ブラックドール騒動/エドワード・ゴーリー
 いつものサイズよりちょっと大きめ(定価も100円あがってます)。 そして内容が・・・これまでのゴーリーにない構造!
 これはなんか・・・読むごとに味わいが違うんじゃないか。 またいつも以上にメタファーでいっぱい、みたいな絵を見ていくの大変。
 ちなみに<ブラックドール>が出ているのは表紙だけです。

  枕元の本棚 文庫.jpg 枕元の本棚/津村記久子
 出版社が違うのに、同じイラストレーターだよ・・・とちょっと笑ってしまった。 それとも『二度寝』のインパクトが強すぎるのか。 筆者が偏愛する書物のご紹介、という体裁のエッセイかな。

  グイン146雲雀とイリス.jpg 雲雀とイリス<グイン・サーガ146>/五代ゆう
 グイン146巻目。 五代ゆうさん、お一人でがんばる状態はしばらく続くらしい。 代替わり(?)してからもう16巻にもなるのか・・・買ってはいるがあたしはまだ全然読めていない・・・ということに気づかされる、毎回。

  女の子は本当にピンクが好きなのか.jpg 女の子は本当にピンクが好きなのか/堀越英美
 タイトル見て、「そうだよねぇ!」としみじみ。 子供の頃はピンクとか赤とかいかにも「おんなのこ」みたいな色が苦手だった。 でも自分の肌の色などにより「実は赤系が似合う」と知ってから苦手意識が弱まったけど、それも20代半ば以降のことである。 しかし幼い時からピンクが好きで、その気持ちがずっと揺らがない人もいるわけで・・・その謎のヒントが、ここには書かれているのかもと思った。

  わずか一しずくの血 連城三紀彦.jpg わずか一しずくの血/連城三紀彦
 連城三紀彦の復刊の波、まだまだ続いております。

  東京タラレバ娘シーズン2 1.jpg 東京タラレバ娘 シーズン2 1/東村アキコ
 えっ、タラレバ娘の続き?!、と思ったら登場人物総取替え。 令和の時代になっての結婚・家族観見直し!、的な感じっぽいかな、とあたしも年を取ったことを実感。 著者あとがきの「ドーナツって一気に2・3個食べるものじゃないの?!」に賛同します(今どきの若者はドーナツも8個ぐらいに切って食べるそうです)。

ラベル:新刊 マンガ
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2019年10月10日

本と鍵の季節/米澤穂信

 米澤穂信新作、ようやく図書館から順番待ちのご連絡あり。 次の予約も詰まっていることなので、とっとと読んでしまいましょう。
 メイン登場人物は高校生だがこれまでのシリーズものとは別、ということでどんな感じかなと思ったのですが(あたしは『さよなら妖精』は好きだが、『氷菓』はしっくりこなかっらので他の<古典部シリーズ>は読んでいない)、これは都内の公立高校に通う男子二人がたまたま図書委員になったことで知り合って・・・と青春小説スタイルでありながら、ガツンとハードボイルド!、だった。

  本と鍵の季節 米澤穂信.jpg 帯:「これは図書委員の僕らの推理と友情の物語」
 “僕”こと堀川次郎は高校二年の図書委員。 利用者がほとんどいない放課後の図書室で、同じく図書委員の松倉詩門とよくコンビで当番を務めることが多い。 ある日、図書委員を引退した先輩女子が訪ねてきて、僕らに祖父が遺した開かずの金庫の鍵の番号を探り当ててほしいとい頼んでくるのだが・・・(『913』)など、ちょっとした出来事に巻き込まれたりした二人の約一年間を描く連作短編。

 これは・・・シリーズ化するの、難しい!
 それぞれが傷を負ってしまったから・・・お互いがそのことを知ってしまったから。
 体育会系のタイプじゃない、ガリ勉秀才タイプでもない(でも二人ともそこそこ成績はいいらしい)。 偏った知識はあるが意外な王道がわかっていないなど<今どきの若者>感全開で、何度「男の子だなぁ」と思わされたり。
 その中で、ひそかに忍び寄ってきたものが、最終章『友よ知るなかれ』で爆発!
 勿論、謎解き要素はしっかりフェアだし、男子二人の下品過ぎない減らず口のやりとりは「男の子だなぁ」とニヤリだし、女同士とは違う(しかも体育会系じゃない)男の友情は大変いい感じです。 ちょっと読み足りない気もするんだけど、この先は描かないほうがいい気がするし・・・このはかなさのようなものもまた、ある種の青春だなぁ、と思うのです。

ラベル:国内ミステリ
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2019年10月09日

栗カボチャのプディングタルト@MOTHERMOONCAFE

 気持ちはまだ全然秋ではないが、世の中は秋の雰囲気で動いている。
 納得できない!、のであるが、今の期間しか食べられないものを食べようじゃないか。 和梨もとても好きなのだが、まだ暑いのに買う気になれない・・・と思っているとスーパーなどで取り扱いが減り、ここ何年か買いそびれている気がする(豊水が好きだから、というせいもあるのだろう、違う種類は売っているから)。
 というわけで、ミント神戸のポイントカードで10%OFFにつられてMotherMoonCafeに行く。
 ケーキセットだ!

  20191004マザームーンカボチャプディングパイ2.JPG バニラアイスとホイップクリーム付き
 <季節のケーキ>から栗カボチャ(マロンかぼちゃと言っていたか?、どこかとのコラボでした)のプディングタルトをセレクト。 お供はホットにしようと思ってたけど、やっぱり暑いのでアイスティーにしちゃったよ・・・身体を冷やす方向に行ってどうする。

  20191004マザームーンカボチャプディングパイ1.JPG 角度を変えてみた。
 ナッツがとてもきいています。 プディング的なところと、カボチャ味のタルトの台の真ん中部分が半分半分ぐらい。 若干シナモンっぽさを感じて「むっ?」となったけど、バニラアイスと一緒に食べることでその感じをごまかす。 メニューにはシナモンのことは書いていなかったけど・・・あたしの勘違いだろうか。 タルト、と言っているのにいちばん外側がパイ生地なのが微妙に納得いかない。
 あっという間に食べてしまいそうだったが、あえてゆっくり食べてみる。 栗カボチャのほくほく感にまろやかさは確かに感じるものの、あたしが思うところのカボチャとはちょっと違っていたかな。 カボチャはどうやら昔ながらのほうがあたしは好きらしい。

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2019年10月08日

生まれながらの犠牲者/ヒラリー・ウォー

 正直、まだ暑い。 夜でも窓を開けるだけではやはり無理で、冷房をつけて扇風機も回してしまう。 湿度を感じてしまうからだ! お風呂あがりにすっきりしないし、本もなんだか湿る気がする。 だからまだもう少しエアコンはつけることでしょう。
 そして読みたい本も読むタイミングを待っている本もたくさんあるのだが、ふいっと来たものをすぐ読んでしまいことも。
 なにしろヒラリー・ウォーだから! またページ数も330ページというほどよい薄さ。

  生まれながらの犠牲者 ヒラリー・ウォー.jpg 原題は“BORN VICTIM”。
 <創元推理文庫創刊60周年記念>・<名作ミステリ新訳プロジェクト第9弾>、と力が入っておりますが、それだけ期待できる実績ありです。
 コネチカット州のストックフォードという小さな町で、成績優秀で品行方正おまけに眉目秀麗という13歳の美少女バーバラ・マークルが帰宅してこないと母親から警察に連絡が。 ダンスパーティーの翌日のことだったので遊びに行ってまだ帰ってきていないだけではと考えた警察署長のフェローズだが、事態はそんな単純なものではなかった。 事件であると判断し、一斉捜査が行われるが、小さな町故の人出の足りなさもあってバーバラの行方は杳としてつかめない。 いったい、バーバラは何故姿を消したのか? ひたすらに地道な捜査を続けるが・・・という話。

 同じプロットである『失踪当時の服装は』では行方不明になったのは18歳の大学生だった。 しかし今回は13歳なので・・・それだけで事件の性質が変わるのです。 そして名探偵的な人物は登場せず、コツコツと手掛かりを集めて可能性を一つ一つつぶしていく、という捜査の基本が。 アメリカの小説なのになんとなくイギリスっぽい感じがしてしまうのは、この地味さ加減であろうか。 それとも時代的なものか(本作が書かれたのは1962年)。
 そして、ほんとに最後まで犯人がわからない。 途中で「もしかしてそうかな?」と感じはするんだけど、確証が得られるのは最後の章の7ページ分。 冒頭から積もりに積もったものが爆発するかのような、滑り落ちて崩れるかのような慟哭。
 そこでタイトルの『生まれながらの犠牲者−BORN VICTIM』の意味がずしんと突き刺さり。
 ・・・あぁ、これまた立ち直れない。

ラベル:海外ミステリ
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2019年10月06日

サラブレッド/THOROUGHBREDS

 「あ、これは!」とポスターを見ておののく。
 「これって、アントン・イェルチンの遺作になったやつでは?!」
 本国で完成したという話は聞いていたのだが、日本公開の見通しが立ってなくて・・・やっと公開になったのか、しかもこんなひっそりと。

  サラブレッドP2.png 凶暴な友情
  三つの秘密、二つの裏切り、一つの事件が絡み合うスタイリッシュ・サスペンス

 何らかの問題を抱えているらしいアマンダ(オリヴィア・クック)は、母親から言われてリリー(アニャ・テイラー=ジョイ)の家を訪れる。 彼女とともに勉強するーリリーに家庭教師役を依頼したということらしい。 見た目から優等生なリリーに対し、アマンダは個性的すぎて誰ともうまくやれないらしい。 しかし、アマンダはリリーが押し殺しながら抱えている義父への憎しみに気づき、二人は次第に心を許し合っていく・・・という話。
 わかりやすい説明ゼロ、音楽も心理的効果音っぽい現代音楽系、限られた場所中心とかなり演劇的で・・・これが映画長編デビューとなるコリー・フィンリー監督はもともと舞台の演出で活躍している人らしいと聞いてとても納得。

  サラブレッド3.jpg リリーの家は大邸宅。
 アメリカにおける上流社会の富豪ってこんな感じなのかな・・・とどこかで見たことあるビジュアル強し。 何故か日本刀が飾ってあるのが微妙なところだが・・・アメリカはスタートが一緒だから同じように見えるのであろうか。
 まぁそういうことよりも、見どころは若手実力派女優二人のガチのやり取りである。

  サラブレッド2.jpg 片方がブルネットならもう片方はブロンド、とかわけないところが今っぽい。
 特に大きな動きがあるわけではないので、ほぼ二人の会話劇。 一歩間違えれば退屈になってしまいそうなところをきちんと最後まで引っ張るところがよい。 いささか強引なまでの省略法も好みだ。 ギリギリ悪趣味な不愉快さのようなものはあるけれど、『ゴーストランドの惨劇』に比べると全然許容範囲だし。

  サラブレッド4.jpg 少女の不安定さ加減も美しい。
 独善的な潔癖さとか、大人を受け入れないところとか、その時期独特のものが映ってる。
 ミア・ワシコウスカの『イノセント・ガーデン』に通じるところもあるけど、ザック・スナイダー監督の『エンジェル・ウォーズ』なんかも思い出すし・・・でもミヒャエル・ハネケ的な居心地の悪さもあるのだ。
 オリヴィア・クックとアニャ・テイラー=ジョイ、二人の若き才能ある女優をこんなにも堪能できるうれしさ!

  サラブレッド1.jpg そしてアントン・イェルチン!
 子供相手のドラッグの売人というやさぐれた役、しかも出番も多くはないが、彼がいることで物語がきっちり締まるんだよなぁ。
 あぁ、なんでこんなにいい役者がもういないんだろう。 悲しいより先に、唖然となる。
 この映画も彼が出ていなかったら観ていなかったかもしれないし・・・そういう出会いもありますよね。

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2019年10月04日

ブックカバー、当選しちゃった!

 家に帰ってきて郵便受けを探ったら・・・なんかかさばるものが入っている。
 なんだろう?、と出してみたら、何故か東京創元社から。

  20191003東京創元社文庫60周年プレゼント1.JPG 「えっ?!」と驚いてから思い出す。
 「そういえば、文庫60周年記念のプレゼントに応募してたんだった! 当たったんだ!」
 びっくりでした。
 懸賞系のもの、たとえ事実上全員プレゼントのものであっても結構忘れがちなあたし・・・今まで何度も出し忘れています(いちばん後悔しているのは新潮文庫版『ダークタワー』のときの『コロラド・キッド』日本語版プレゼントのやつ)。 当選者の数が少ないものは、「基本、あたしにはくじ運がない」とそもそも出さないせいもあり、そういう習慣がない。
 でも今回のは『摩利と新吾』の全プレと締切日が同じ(7月末日消印有効)だったので、一緒に出そうとハガキを5枚買ったのですよ。 ブックカバーは200名様ということで結構太っ腹ですと<Webミステリーズ!>の営業担当の人が書いていたのもあって、ハガキ4通を出してみたのです。 対象の文庫本の帯についている応募券2枚で一口、なので8冊分の帯を切りましたよ。 応募券はもっとあったけど、当たるとしてもひとつだけなのだから4通も出せば十分じゃない?(それで外れるならもっと出しても外れるよ、と確率論的に判断したつもりなれど)。
 もうダメだったのかと思って、忘れていましたよ。

  20191003東京創元社文庫60周年プレゼント2.JPG ラウンドファスナーブックカバー
 しかもちょっとクッション性のある素材、これならばカバンの中で何が起ころうとも文庫本は無事に守られる! 創元推理文庫最厚のもの(いまのところ笠井潔『哲学者の密室』らしい)も収納可能!、と聞いています。 しかしカバンに入れているときはいいが、実際読むときは読みにくいかも・・・。

  20191003東京創元社文庫60周年プレゼント3.JPG お知らせ文
 「ネットオークション等で販売する事はご遠慮ください」って書いてあり・・・そういうことも心配しないといけないのだなぁ、となんだか悲しくもなる。
 しかし気を取り直し、どれくらいの厚さまで入るのかを確かめてみた。
 ハヤカワのトールサイズ、600ページ越えも無事普通に収まりました。
 じゃあもっと厚いヤツで・・・と思い、いちばん手近な分厚いやつを収めてみたら。

  20191003東京創元社文庫60周年プレゼント4.JPG カバーはできるがジッパーが閉まらない。
 ちなみにこちら、京極夏彦『魍魎の匣』(講談社文庫)でございます・・・『姑獲鳥の夏』は入ります。
 『哲学者の密室』もページ数は同じくらいなんだけどなー、紙の厚さがちょっと違うのかな?

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2019年10月03日

沈黙する教室 1956年東ドイツ − 自由のために国境を越えた高校生たちの真実の物語/ディートリッヒ・ガルスカ

 先日観た映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』の印象が深く残っており、原作を読むことに(というか、映画の前から図書館に予約を入れていたのだが、やっと来てくれたのである)。
 クラスメイトの中の一人であったディートリッヒ・ガルスカが、その当時のこと・その後のことを閲覧可能になった資料を掘り起こしてまとめたもの。 ジャンルとしてはノンフィクションながら、著者はプロではないためか翻訳の問題なのか中途半端感がいなめない。
 逆に、これからあんなドラマティックな映画を作ったのがすごいな、と思った。

  沈黙する教室.jpg 1956年の秋、東ドイツの小さな町シュトルコーの高校で起きたある出来事。 「西側のラジオがハンガリー動乱の犠牲者にむけた黙祷を呼びかけてるぞ!!」という級友の言葉に応えた形でクラス全員が授業中に5分間沈黙を守った、それも2回。 その当時ソ連支配下の社会主義国家であった東ドイツにおいて、それはいつしか<国家への叛逆>と見なされるようになった・・・。

 映画の舞台となった町とは違った(もっと小さい町だった)。 黙祷も2分ではなく5分だった。 やってることの意味を彼らはちょっとわかっていた。 ここには映画には描かれていない現実がある。
 そして映画には書かれていない、西側に行った人たち・いかなかった人たちのその後、40年後の同窓会についてのほうが多くページを割かれている。 それがまたせつなく・・・だからベルリンの壁は築かれることになってしまったのか、それを撤廃するまでにどれだけの人が犠牲になったのかと考えずにはいられない。 東から西に行ったとしても西は<地上の楽園>ではないし、そもそも人間のいるところに楽園などありえないのに、何故そのような宣伝をしてしまうことができるのか(それにだまされてしまう人を作り出す状況が生まれるのか)。
 これは当時の東西ドイツだけではなく、のちの北朝鮮や中国にも言えること。 言論の規制と独裁にいいところなど何もない。

 筆者は自分を「私」と書いたり、「私たち」と書いたり、「ディートリッヒ」と書く。
 どこまで意図したものかはわからないが、それがときにものすごく効果的で、ときに違和感を抱かせた。 映画を観て状況を把握できていなかったら、読み通せたかどうか自信がない。 決して長い本ではないのだが・・・意向を確かめていないクラスメイトをかばうためか個人情報をできるだけ出さないためか、かなりぼやかされたり省略されているところがあるので。 きっかけになった出来事自体は同じだが、全面的にオリジナルキャラクターで物語を紡ぎあげた映画版のディテールにノンフィクションのほうが及ばないのだ。
 とはいえ、「もしこの時代に自分が生きていたら」と考えさせられることは必定で、つまり「もうそんな世の中にしてはならない」ということなのだ。

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2019年10月02日

ゴーストランドの惨劇/INCIDENT IN A GHOSTLAND

 かなりトリッキーなホラーということでいやがうえにも期待大のこちら、シネ・リーブル神戸で上映してくれてありがたい。 梅田に比べて神戸はサスペンス・ホラー系が少なめ・・・その傾向の中で公開されるわけだから、作品としての質もよいのでは!、と感じてしまうわけですよ。

  ゴーストランドの惨劇P.jpg 観はじめた瞬間から、あなたは“悪夢の家”の罠にはまる――。

 シングルマザーのポリーン(ミレーヌ・ファルメール)は片田舎にある古い叔母の家を相続することになり、ティーンの娘二人、双子の姉ヴェラ(テイラー・ヒックソン)と妹ベス(エミリア・ジョーンズ)とともに車で移動していた。 ベスはラヴクラフトを信奉し、ホラー小説を書きたいと願う内気な少女で、ヴェラはそんな妹にあきれながらも母が妹ばかりをかまうことにイライラしていた。 古い人形や仕掛けでいっぱいの引っ越し先に到着し、文句を言いながら荷物を片付けていたら、謎の二人組が侵入してきて三人を襲う。
 それから16年後、妹のベス(クリスタル・リード)はホラー小説家として成功、夫と子供にも恵まれた。 しかし姉のヴェラ(アナスタシア・リップス)は心を病んでしまい、母は姉の世話でずっとあの家で暮らしている。 ある日、ベスはヴェラからかかってきた電話で、あの家に戻らなくてはと感じ・・・という話。
 しかし予告ナレーションでは、「姉妹がその家で再会した時、あの惨劇が再び幕を開ける――などという、ありきたりのホラーでは終わらない――」とすでに言われていた。

  ゴーストランドの惨劇2.jpg はじめ双子だとは気づかなかった。
 姉と妹のキャラが逆ではないかと最初は混乱した。 内気で争いごとを避けたがるのは姉、ズバズバと言いたいことをいうのは妹のほうでは?、と。 でも「おねえちゃんなんだから」と放置されたり責任を押し付けられたりするが故の理不尽さからくる怒りがヴェラを突き動かしているのがわかると納得。 年齢もこちらが思っていたより若かったのだ、思春期ですよ。
 そうなるとあたしも姉側の人間なので、ヴェラの気持ちにだんだん寄っていってしまう。 それ故に、この映画の<仕掛け>に気づくことができたような気がする。 はじめのほうから伏線をいろいろ張ってくれているので、仕掛けの存在に気づいていても、更に驚かされる構成力の素晴らしさ。

  ゴーストランドの惨劇3.jpg 大人になったベス、家では奇怪な出来事が。
 過去のホラー映画のオマージュがそこここに。 それが最近のホラーの傾向なのか、それともジャンルとして歴史を刻んできたからなのか。 パスカル・ロジェ監督の<ホラーへの愛情>をひしひしと感じるものの・・・「見るものを不愉快に感じさせる、耐えがたい不快感にも平気でさらす」度合いには途中から「やめてくれー!」と叫んで頭を抱えたくなるほど。

  ゴーストランドの惨劇4.jpg 恐ろしげなビジュアルの中にも時折美しさがあり、それがまた絶望感を強める。
 確かに「ありきたりのホラー」ではなかった。
 犯人の描き方があまりに類型的だが、犯人側の事情など汲む必要はないということなのかも。 どんな奴であろうが関係ない、何故彼女たちが襲われたのかの原因も彼女たちにはない。 ただ<災厄>が襲ってきただけ、奴らは人間じゃないということなら、あの不快さにも意味があったのかも。

  ゴーストランドの惨劇1.jpg 怯えと強さが同時に宿る目。
 あぁ、これはサヴァイヴァーの物語なのだ。
 とてつもない困難からなんとか逃れた、けれどその傷と一生付き合わねばならない、生き残り。
 終盤、涙が抑えられなかった。
 ホラーという枠組みで語るからこそこのテーマを、文芸ジャンル以上に深く抉り取れる。
 でも本当に不愉快だった、もう一度観られるかどうか自信はない。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする