2019年04月20日

やっと手元に!

 週末、ようやくゆうパケットが届けられた。
 「ハンコはいりませんから〜」と手渡して去っていった郵便局員さん。 このサイズなら郵便受けに入ったんじゃないのか!(前にも押し込まれていたことあり)。 パッケージには「無理な投函は禁止」と書いてあるけどさぁ・・・。 配達する人の良心によって変わるらしい。 気持ちはありがたいのだが、また届けてもらう手間を考えるとね、もう入れてもらっていいんですけどね・・・。
 というわけで、『ボヘミアン・ラプソディ』のBlu-ray&DVDを手にしたのであった。

  ボヘミアンラプソディ ブルーレイ&DVD.jpg ポストカード3枚と、タワレコ限定しおり2種つき。

 パッケージ見て・・・「あ、日本語吹替版あるんだ!」と驚く。 いや、当然と言えば当然なんですけど、この映画に関しては日本語吹替が想像できないというか、不思議な感じというか、むしろ興味本位でちょっと見てみたいような。
 でもまずは<ライヴ・エイド完全版>から。
 あぁ、“Radio GA GA”短いと思ってはいたけど、一回目のサビのところカットされていたのか! ジム・ビーチがPAの人と手拍子するところでぶつかっちゃってお互い「あ・・・」となるシーンがあって、ここはスクリーンでも観たかったなぁ。
 観客に呼びかけるところもちゃんとあって、ほんとにライヴ・エイドを完コピしていたキャスト・スタッフのみなさんに頭が下がる。 きちんと4人がステージから去るところまで撮ってあったのがうれしかった。
 映画本編で全部使ってもよかったとも思うんだけど・・・怒涛の勢いというか、流れを止めさせないような編集であることも確か。
 そして日本語吹替版ですが・・・外画のキャリアを積んでいる声優さんばかりのキャスティングだったので違和感がないのが素晴らしい(いや、それで普通なんだけど、最近はそれが普通じゃないからね・・・)。 ただ本人の声を聴いてしまっているので、声質が似ていないことには「あれ?」となる(え、今、誰が喋った?、とわからなくなる)。
 映画のキャスティングと同様、クイーンの4人とルーシーの声優は比較的若手で決めたのかな? 脇を固める人たちのほうが声も名前も知っている人たちだった。 レイ・フォスターが咲野俊介、ジム・ハットンが花輪英司だったのが個人的にツボでした。

ラベル:洋楽
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2019年04月19日

ハロウィン/HALLOWEEN

 ジェイミー・リー・カーティスを初めて知ったのは、金曜ロードショウで観た『大逆転』だろう。 「なんてかっこいいんだ!」と思いましたね・・・美人だけどむしろハンサムと呼びたい顔立ち、背が高くて動きがきれい。 おかげでその後、レンタルビデオで『ブルースチール』とか追いかけ、オリジナルの『ハロウィン』も観たのだった。 しかもジョン・カーペンターだったんだよね。
 しかしそれ以来観ていないので(『13日の金曜日』シリーズはテレビで繰り返し放送してたけど、『ハロウィン』の記憶がない)、あまり覚えていないんだけど・・・ま、いいか、と思ってレイトショーに行ってしまう。 映画館がすごく混んでる!、とビビるが、その客の目当ては『名探偵コナン』だった・・・。

  ハロウィンP.jpg 恐怖が、忍び寄る。

 あの恐怖の夜から40年たつイリノイ州ハドンフィールド。 唯一の生存者であるローリー・ストロード(ジェイミー・リー・カーティス)はまた大量殺人鬼“ブギーマン”が戻ってくるのではないかと家を改造し武器を揃え、訓練を怠らなかった。 強すぎるPTSDのせいだろうが、町の人々はローリーを変わり者として扱い、娘のカレン(ジュディ・グリア)は母親とはほぼ絶縁状態。 孫娘のアリソン(アンディ・マティチャック)は母と祖母の関係を修復したいと思っているが・・・。
 “ブギーマン”こと殺人鬼マイケル・マイヤーズは精神科病棟に収容されているが、別の施設に送られることが決まった。 移送されるのはハロウィン前日、当然のようにマイケル・マイヤーズは逃走し・・・という話。
 2018年設定なのだが、70〜80年代の空気が濃厚。 スマホは出てくるけれど、それ以外は80年代といっても通用しそうな雰囲気。

  ハロウィン3.jpg 「あ、こいつ、死ぬな」と感じるキャラは大体死ぬ。
 カット割りが多くてスピーディーな最近のホラーに比べたら、この映画は長回しが多めでちょっとゆったりした流れなので昔の映画の雰囲気っぽいのかな? オープニングクレジットの文字の形とか、音楽なんかもレトロっぽくて(一作目と同様ジョン・カーペンターらが担当)、全体的にノスタルジック。 でも女子高生がタピオカドリンクを飲んでいたり、警官たちの話題でバインミーが出てきたりと食べ物で現代性をアピール。
 そして殺され方はより残酷で、今っぽく(直接描写は少ないのだが、感じさせるものがおそろしい)。

  ハロウィン2.jpg 年をとってもやはりかっこよくて美しいローリー。
 『ハロウィン』にはいろいろ続編があるが、それまでのことはすべてなかったことにして、今作が1作目の純粋な続き、という設定に。 それ故に苦しみ続けているローリーの気持ちがぐさぐさと突き刺さる(誰にも理解してもらえないから余計に)。 やつがまた襲ってきたら次は仕留められるように、という思いがこじれにこじれて、「むしろやつがまた襲ってくれば、この手で殺してやれるのに」となっていっているのがやたらリアルだ。 そうなれば、誰か別の被害者が出ることになるのに、その意味にローリーは気づいていないのか気づかない振りをしているのか。
 が、ブギーマンVS.ローリーは宿命づけられたもの。

  ハロウィン4.jpg ピントブレ気味なところがよりイヤな感じを引き立てる。
 マイケル・マイヤーズの顔は全編を通じてはっきり映らない。 マスクをかぶり、“ブギーマン”となった顔は映る。 そこには個人としてのマイケル・マイヤーズは存在せず、“ブギーマン”の憑代としてのみ生きているかのように。
 何故そうなのか理解したい、とのめり込みすぎる精神科医や、正義感(?)振りかざしてやりすぎるジャーナリストなど類型的な人物も多いのだけれど、まぁそういうことを追求する映画ではないから。 「ともに戦うことで家族のきずなを」というこれまた昔ながらの題材を、女性に体現させたのが21世紀って感じですかね。
 多くを語ることなくラストシーンを締めくくったのが、「それからどうなったの!」という気持ちを起こさせるものの静謐で美しいエンディング。
 まぁ、これで続編を作ろうと思えば作れる・・・ということなのかなぁ。

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2019年04月18日

マックイーン モードの反逆児/MCQUEEN

 モードファッションは好きだが、自分で身につけるものだとは思っていない。 ハイファッションはアートと同じ、だからあたしは見るだけの人間である。 なのでアレクサンダー・マックイーン死去のニュースにファッション界が騒然としていたことは記憶にあっても、悲しみや悼む感情がそこまで湧いてこなかった。 個人としての彼をほとんど知らなかったから。
 それが、ドキュメンタリー映画という形で出てきた。 ならば観ることで、改めて彼を知ることができれば。

  マックイーンP.jpg 恋をするように服を作り
   命まで捧げた、ドラマより劇的な人生

 アレクサンダー・マックイーンは若くしてファッションデザイナーとして頭角を現す。 その大胆で実験的な手法から<モードの反逆児>と呼ばれながら、“The Fashion Awards”で“Designer of the Year”を何度も受賞するようになる。 自身のブランドがまだ上り調子の時期にジバンシィは彼をクリエイティブ・ディレクターに抜擢、世界中のファッション業界に名をとどろかせる。 傍からは順風満帆に見えた彼のキャリアだが、2010年に彼は自ら命を絶つ。 アレクサンダー・マックイーンとはいったいどのような人間だったのか、周囲の人々のインタビュー・過去の映像・彼のコレクションを紐解きながら追いかける。

 イギリスの労働階級の出身でファッションの教育を受けていなく、完全に独学だ、ということは聞いたことがあった。
 でもそもそものはじまりが<サヴィル・ロウ>で職を得たことだったとは・・・スタートは紳士服だったんですね。
 インタビューの積み重ねで輪郭を浮き上がらせようとするのはドキュメンタリーによくある形ながら、この映画はあまり時期というものを(あえて)重視していないようで、それがいつの話なのかはあまり追及されない。 主なコレクションの名前とランウェイ映像はしっかり流れるが、それが何年のものなのかは注釈が出ない。 知ってる人はわかるんだろうけど・・・そのへんがファッション知識薄い者にはちょっと不親切。 でも彼の目指したファッションや美学には時代は関係ない、というメッセージなのかも。 もしくは興味があるなら自分で調べろということか・・・。
 はっきり表示されたのはジバンシィに呼ばれたのが1996年(27歳)、死んだのが2010年(40歳)だということ。
 初めて自分のコレクションを発表したのが23歳、しかも元手が失業保険だったからテレビのインタビューが来ても顔を出せなかったとか、劇映画になりそうなエピソードが沢山。 しかも4年後にはジバンシィに呼ばれるんだから、彼の勢いはすさまじかったんだな、と改めて感じる。
 しかし個人のリー(彼のフルネームはリー・アレキサンダー・マックイーン)は、神経症的なところもあり、芸術家らしく嫉妬深かったり感情をコントロールできない。 母親への強い愛情や執着は、彼がゲイだからというだけではなさそう。 ビジネスの世界で成功できる性格ではない、事務的なことを全部やってくれるパートナーがいたら違ったかもしれないけれど・・・。
 トラウマになっていたであろう過去のある出来事に関しては、関係者がご存命であるがためにか詳細には語られず、いくつかの事実だけが残酷に放り出される。 それが彼に巣くった闇のもとであるならば・・・負の感情が伝染する強さと悲しさを前に、なんと個人は無力なのかと思う。
 彼の死は、近い人たちにとっては寝耳に水ではなかった、「いつかその日が来るかも」とほとんどみんな思っていた・・・というのがせつない。 みんなわかっていたのに、彼は差し伸べられた助けの手をたやすく取るような人間ではなかった。 だからこそ<天上の美>を地上にあらわすことができた、と取れるまとめには、「天才とはそういうもの」というあきらめにも似た空気が漂っている。
 だから悲しい。 芸術とはそういうものなのだろうが・・・彼が一時期でも本心からしあわせを実感できた時があったと思いたい。
 いや、彼が芸術家だったからこうやっていろんなことが残っている。 それぞれの関係に意味があったと納得できている。 そういう職業でなければ、ただ彼のような人にいろんな人が傷つけられて、それだけが残る可能性だってあるのだ。

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2019年04月17日

今日はクイーンの日、そして最後の神戸ウェンブリー

 今日、4月17日は<クイーンの日>だそうである。
 クイーンが初来日したのが4月17日なので、というのが由来らしい。
 そしてその<クイーンの日>に『ボヘミアン・ラプソディ』のBlu-ray&DVDを発売しますよ、と今月に入ってから知らされたあたし、あわててタワレコに予約するじゃないですか。 そしたらアマゾンがオリジナルTシャツ付きでちょっと安かったりしてむっとしたり。
 まぁ、タワレコオンラインに予約した段階で、「発売日以降の到着になります」と但し書きがついていたので、「あぁ、予約する人が多いのね・・・」と思っていたのですが、なんと前日の16日の昼間に届けられたらしく、不在票が入っていた!
 ほんとはポストインされるタイプのはずなのだが、郵便受けには入りきらなかったようだ。 でも平日なんだよ、何時に帰れるかわからないよ!、ということで受取希望は土曜日さ・・・早く届いてくれても意味がないのさ・・・。
 そして、仕事場への途中の小さな店にすらもこんなものが置いてあるのだ。

  ボヘミアンラプソディDVD看板.JPG いったい、日本中にいくつのこれが置かれているのだろうか・・・。
 毎日、残り日数がカウントダウンしていってたのもなんか涙ぐましいのだ。

 そしてOSシネマズハーバーランドがまたもや前言を翻し、<クイーンの日>記念の応援上演を復活!
 しかも今回は「ラスト21分」ではなく、「ライブシーンオールスタンディングOK」という最後にして初めての形態である。
 どうする・・・行きますか? でももうこの時期に来るような人たちはきっとガチの人たちだよね、盛り上がるよねきっと、ということで2週間くらい前からネットで予約しました(気合入りすぎ?)。 20時スタート、レイトショー枠だったからさ。
 すると、もぎりのお嬢さん方が「ライブシーンオールスタンディングOKの応援上映回です」がすんなり言えなくで絶対噛む、と言っていた。 チケット切るたびに言ってたら、そりゃ舌ももつれますよね。

  ボヘミアンラプソディ 最後の神戸ウェンブリー20190417.JPG 「皆様の記憶に残る応援上映になりますように。」とお祈りされているよ。
 そんなわけで、平日しかも週の半ばの水曜日ということで満席ではなかったですが、それでも8割近くは埋まったのではないかしら。 結構ガチの人たち、多かったです(クイーン+アダム・ランバートの日本公演行こう、チケットの取れるところは全部、と話している人たちも)。
 だから、大変盛り上がったのです。
 前説の映画館の方も、言いたいことが多すぎたのか感極まったのか結局話の途中で会場が暗くなってしまったり、それに拍手する客たちは勢いで『NoMore映画泥棒』の音楽に合わせて手拍子が起こっちゃうぐらいで。
 結構な割合で英語でツッコミ?、掛け声がかかって、「アメリカの映画館ってこんな感じなのかな?」と思わされて楽しかったし。
 何回観ても、あたしがいちばん好きなシーンは、“ボヘミアン・ラプソディ”のレコーディング中にフレディが「失うものは?」と訊き、それにブライアンが「なにもないよ」と答えるところだなぁ、としみじみ。 彼らは音楽を前にしてすべてを捧げる決意をした人たちなのだと感じるから。 そんな<クイーンの本質・神髄>が描かれているんだから、事実と違うところがあったって別にいくない?
 今日は立ったり座ったり、腕を頭上にまっすぐ伸ばしたり、息を吸うのを忘れるくらい歌ったり。
 やっぱり泣いちゃったんだけど、なんかすごく気分はすっきり。
 今月に入ってずっと仕事がバタバタで、「なんか疲れが取れないままそのまま出勤だぁ」という日が続いていたのだが・・・ちょっとさっぱりしているのですよ。 もしかして、肩、こってたとか?(あたしは肩こりがわからないタイプで、たまに「肩がちょっと重いかも」と思っても腕をぐるぐると何回かまわせばそれでおさまる)。 曲によって腕の動きが違うから、しかも隣に人がいなくてあたしはすごくいい姿勢で手足を動かすことができた・・・ちょっとしたヨガをやったぐらいの効果があったのかも?
 実はちょっとくたびれ気味だったのですが・・・ものすごくリフレッシュした感じ。 帰り道、暑くて(自分が発汗しているので)、上着を羽織らないで手にもって家まで戻った。
 ありがとう、応援上映。 すごく楽しかった!

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2019年04月15日

ささやく真実/ヘレン・マクロイ

 というわけで、引き続きヘレン・マクロイを読んでしまう。
 まぁ、実は読んでいるほうが少ないので、もうちょっと楽しめるぞ、というのがわかったのもあり。
 すぐに出てきたヘレン・マクロイの未読本から(つまりすぐに出てこないところにあるのもあるということです・・・)、発表年が早めのやつから。 1941年、ベイジル・ウィリング博士もの3作目。

  ささやく真実.jpg “The Deadly Truth”

 クローディア・ベスーンは美貌の女性でかつ財産家。 だが彼女は慈善事業をするわけでもなく、周囲の人間を振り回す犯罪すれすれの悪趣味ないたずらを仕掛けては楽しんでいる。 生化学者のロジャー・スレーターが開発した、スコポラミンから有害な物質を取り除いたノボポラミン・仮称“真実の血清”(一種の鎮静剤だが自白剤の効果もある)をクローディアはこっそり盗み出すが、しらを切りとおしロジャーにも確かな証拠はないのでそれ以上詰め寄れなかった。
 ある日、ハイ・ハンプトンにあるベスーン邸でパーティーが開かれる。 招待客は“真実の血清”入りのカクテルを飲み、様々な感情がぶちまけられる。 しかしパーティーのあと、クローディアは殺害され、第一発見者はベイジル・ウィリング博士だった。 いったいパーティーで何が起こったのか・・・という話。

 毒々しいまでのクローディアのキャラクターが濃すぎて・・・被害者なのに同情がわかない(何故彼女がそんな風に変わったのか、ということも表現されているにもかかわらず)、それ故に<犯人捜し>に没頭できるという本格推理小説。
 登場人物たちとウィリング博士が均等に会話し、手掛かりはすべて明示され、読者もまた同様に謎解きに参加できる。
 心理学用語などには少し時代を感じるものの、内容自体は古くはなっておらず、「これ、約80年前なのか!」と考えるとなんだか焦る。
 最後は関係者全員を集めて謎解きを披露、という<古き良き探偵小説>の展開が懐かしいと同時に、スリラー・サスペンス寄りの最近のミステリばかり読んでいるとすごく新鮮! やはり本格(トリック重視ではなくロジック重視なほう)は面白いなぁ!、とドキドキだ。
 あたしの中ではウィリング博士のビジュアルが定まっていないので、読むたびに「あ、ウィリング博士ってこんなかっこよい感じだったっけ」とびっくりしがち・・・恋人、のちに夫人となるギゼラのイメージはあるんだけど。

ラベル:海外ミステリ
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2019年04月14日

今日は7冊。

 4月から買う本を少し減らそう!、と思っているのですが・・・シリーズものとか、珍しいものが出られるとどうしようもない。
 そして4月ってなんか意図しないお金が出ていくのは何故? それが“新生活”ってやつ?

  蜜蜂と遠雷1文庫.jpg蜜蜂と遠雷2文庫.jpg 蜜蜂と遠雷/恩田陸
 「恩田陸、音楽小説を書く」ということで気になっていましたが、単行本だったから文庫になってから・・・と思っていて、でもその間に直木賞や本屋大賞をとり・・・そこで読んだらブームに乗っかっているようでなんかはずかしく(?、図書館の予約数もすごかったからということもあり)、今回の文庫化でめでたく手に取ることになりました。

  探検家の事情.jpg 探検家の事情/角幡唯介
 単行本時、『探検家、40歳の事情』だったもの。 年齢が合わなくなったので改題した、というところでしょう。

  月読 山岸涼子自選作品集.jpg 月読 自選作品集【新装版】/山岸涼子
 『天人唐草』に引き続き、山岸涼子トラウマ短編集。

  毒薬の輪舞.jpg毒薬の輪舞帯付き.jpg 毒薬の輪舞/泡坂妻夫
 今回もエンケンさんのイメージキャラ巨大帯つき。 前作よりちょっとソフトイメージになってますが(「ドラマ化するのか?」という問い合わせでも殺到したのだろうか・・・)、ドラマ化か映画化を期待したくなっちゃうよな〜。 内容的に難しいのはわかってますが。

  偶像の黄昏.jpg 偶像の黄昏/フリードリヒ・ニーチェ
 おお、これが文庫で、しかも新訳でさらっと出るとは! ニーチェわりと好きですが、あたしの世代では『偶然の黄昏』は全集の一部とかでしか読めなかった。 これもニーチェブームのおかげでしょうか?

  たーたん3.jpg たーたん 3/西炯子
 西炯子さんも複数作品を同時連載しているのでしょうか・・・すごいなぁ、と思いつつ、その分刊行ペースもゆっくりになってしまうのは否めない。 読者層が比較的高いからできること、なのかもなぁ。 若者はなかなか待てまい。

ラベル:新刊 マンガ
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2019年04月13日

悪意の夜/ヘレン・マクロイ

 厚めの本が「あ、そろそろ読み終わるかも」というくらいになったときのために、あたしはいつも薄めの本にブックカバーをかけて何冊か積んで準備してある。 出かけるときにそこから一冊、さっとカバンに入れるためである(引き続き分厚い本では、荷物が重くなるから)。 先日、『許されざる者』が行き帰り途中で読み終わるかもと思ってつかんだのがこれだった。

  悪意の夜 ヘレン・マクロイ.jpg あ、ヘレン・マクロイ、久し振り!

 アリスはつい先日、夫を崖からの転落事故で突然失った。 呆然とした日々を送るアリスだが、生来の気質か夫の職業柄か、感情的にはなり切れないでいた。 遺品の整理をしていたら、夫の筆跡で「ミス・ラッシュ関連文書」と書かれた空っぽの封筒を見つける。 ミス・ラッシュとはいったい誰のこと? そこへ息子のマルコムが初めて見る美女とともに帰ってきた。 彼女の名はミス・ラッシュ・・・彼女と封筒に書かれた名は同一人物なのか? いったい夫は何を残したのか?

 <ウィリング博士もの最後の未訳長編>としての初邦訳ですが・・・シリーズを普通に読んじゃうレベルには特に不足はないのですが、「ラストが弱い」と言われれば確かに。 ウィリング博士ものとして最初に読むとしたら物足りないかも。
 しかし、ヒロインとして決して自分を見失わないアリスが、極まったストレスにより夢中歩行をしてしまう・・・というくだりには『暗い鏡の中に』を思い出してしまい、盛り上がる!
 しかも、封筒に書かれた“ミス・ラッシュの謎”について自分でこっそり調べるのかと思いきや、夫の同僚家族や息子、挙句はミス・ラッシュ本人にも話しちゃうのがびっくり!
 と、こちらの予想をぐっと越えるスピーディー展開、ウィリング博士の登場シーンも衝撃的かつスタイリッシュで、ニヤニヤしちゃう。
 でも270ページそこそこなのであっさり読み終わっちゃうのが物足りない・・・もっと読みたいなぁ、と。
 久し振りに読んだけど、「やはり、ヘレン・マクロイは面白い!」と思えた・・・作品数が少ないので一気読みがはばかられ、未読本はこそこそと隠してたけど・・・設定?、文体?、すごくドキドキして引き込まれる。
 もはや「好きだから」としか言いようがない状態かも。 あぁ、読んでない残りの作品を数えねば。

ラベル:海外ミステリ
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2019年04月11日

記者たち ‐ 衝撃と畏怖の真実/SHOCK AND AWE

 最近、ロブ・ライナー社会派だよなぁ、と感じていた。
 でも惹かれたのは予告でウディ・ハレルソンがメインの新聞記者として出ていたから(でもロブ・ライナー本人も重要そうな役で出ている)。
 <字幕監修:池上彰>を大きく宣伝してますが、2017年制作の映画がこの段階で日本公開されるのは、『バイス』の前座的な意味合いではないのか・・・という気がするのはあたしだけ?
 原題“SHOCK AND AWE”はイラク侵攻の作戦名で、“衝撃と畏怖”の意味である。

  記者たちP.jpg 真実は、誰のためにあるのか。
   仕組まれたイラク戦争、その真相を追い続けた記者たちの揺るぎない信念の物語。

 911の衝撃冷めやらぬアメリカ、<テロとの戦い>の舞台はアフガニスタンからイラクに移ろうとしていた。
 2002年、大統領ジョージ・W・ブッシュは「イラクは大量破壊兵器を保持している」として、イラク侵攻に舵を切る寸前。 
 全米で31の地方紙を傘下に持ち、記事を供給する新聞社ナイト・リッダーの記者ジョナサン・ランデー(ウディ・ハレルソン)とウォーレン・ストロベル(ジェームズ・マースデン)はその前に、ホワイトハウスがイラクに戦争を仕掛ける気だと情報を入手する。 イラクにイスラム原理主義テロリストをバックアップする気などないと考えていたワシントン支局長ジョン・ウォルコット(ロブ・ライナー)は二人に更なる取材を命じ、元従軍記者で高名なジャーナリストのジョー・ギャロウェイ(トミー・リー・ジョーンズ)をこの件で雇うことにする。
 取材の結果、イラクに大量破壊兵器がある証拠はなく、むしろ政府主導による捏造と情報操作であると確信したナイト・リッダーは連日報道するが、ワシントン・ポストやNYタイムズなど大手紙は政府見解をほぼそのまま流し、国中に愛国の嵐が吹き荒れる。 次第に孤立するナイト・リッダーだが、記者たちは自分たちが調べた事実を信じ、戦争回避の道を模索する・・・という話。
 悲しいことに、イラク戦争が始まってしまったことも、イラクに大量破壊兵器がなかったことも今のあたしたちは知っている。 すべて政府の嘘だとわかった後も戦争が終わっていないことも。 だからひたすらにせつないのであった。

  記者たち1.jpg ナイト・リッダーの編集部。
 2002年前後ってインターネットは今ほど普及・浸透してなかったのだな、とか、リアルに自分が体験した時代でもあるので「あぁ、こういうニュース映像、見た!」といろいろ思い出す・・・。
 そう、日本にいても(いたから?)、「何故、急にイラク?」と感じたことは覚えている。 そのとまどいをもっと強く感じていたのがナイト・リッダーの記者たちだったのだと考えると、彼らの焦りがすごくよくわかる(大手メディアのほうはほとんど描かれないのでそっちが御用記者と化してしまったのは謎である)。
 そうそう、パウエル国務長官が最後の砦ってみんな思ってたよなぁ、とか。
 ブッシュはもちろん、ラムズフェルドもチェイニーもマジむかつくぜ!、な感じ。 まさに、『バイス』の予習にはもってこいだぜ・・・。

  記者たち3.jpg 政府関係者も良心あるものは、匿名が条件だがナイト・リッダーに実情を語る。
 役名もない数シーンの登場でも、見たことある役者さんがゴロゴロ出てくる。 これってロブ・ライナーの人徳なのだろうか。 多分低予算なのであろうこの作品に出るのは、ギャラとかよりも「こういう映画の手助けをしたい」というみなさんの心意気をとても感じた。 ロブ・ライナーが結果的に大変おいしい役で出演しているのも、経費削減策なのかもしれない(どうやら別の役者がキャスティングされていたようだがスケジュールが合わず、自分がやることにしたという)。
 経費削減でがんばらないとこういう映画はつくれない、というのは日本と一緒ですね・・・。

  記者たち5.jpg WTCビルが崩壊したのを見て、軍を志願した若者たちも多かった。
 新聞記者の姿だけでなく、そういう若者たちやその家族を描くことで広がりが出る。 彼らと記者たちが交差するシーンは、紙の上のことと現実の出来事がクロスする意味合いも持つわけで。
 でも全体的なテイストはほろ苦い。 同じく新聞記者たちを主人公にした『大統領の陰謀』、『スポットライト 世紀のスクープ』や『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』などと違ってカタルシスがないから(彼らの報道が世の中を変えられなかったことを観客は知っているから)。
 それでも、真実を信じて語り続けることをやめてはいけない、という誓い。 そういう人たちを一般人は見抜いて支えないといけない、という想い。

  記者たち4.jpg トミー・リー・ジョーンズ、絵にかいたようないぶし銀。
 <宇宙人ジョーンズ>感が一切ない、ベトナム帰りの従軍記者の言葉と存在の重み!
 政府報道官の誰の言葉より真実味があるのに、やはりテロへの恐怖が全土を支配していたあの空気感では届かないのか。 あとからならばいくらでも言えるけど、その時代特有の空気感は実際に同時代を生きていない者にはわからない・・・あたしがいくら資料をあたっても題材にした映画やドラマを観ても大学紛争や全共闘世代を理解できないのはそのせいなんだろうな、と納得。
 ウディ・ハレルソンはこちらの期待以上にキュートだったし(奥さんがミラ・ジョボヴィッチとか美人過ぎ!)、ジェームズ・マースデンも『X−men』のサイクロプスの頃と比べたらいい役者になりました。 地味テイストの映画って役者がより味わえるから好きさ。

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2019年04月10日

ブラック・クランズマン/BLACKKKLANSMAN

 スパイク・リー、渾身の作品!、なのだろうとアカデミー賞授賞式を見てつくづく感じた。 予告でもいい感じだったし、これは絶対観ないとだよ!
 『マルコムX』は高校生のとき(もしかして中学生)?、レンタルビデオで観ましたよ・・・そのとき主演だったデンゼル・ワシントンの息子が成長して主役をやる年齢になったという・・・時間の流れをしみじみ感じてしまう今日此頃。

  ブラック・クランズマンP.jpg 俺たちが、すべてを暴く。
   前代未聞の実話!黒人刑事がKKKに潜入捜査 痛快リアル・クライム・エンターテイメント!

 1970年代半ば以降のこと、ロン・ストールワース(ジョン・デヴィッド・ワシントン)はコロラド州のコロラドスプリングス警察署で初めての黒人の刑事として採用になる。 刑事という職業への情熱冷めやらないロンは、署内一部の白人からの冷笑・冷遇にさらされながらも耐えていた。 ある日、情報部に転属になったロンはメンバー募集の新聞広告を見てKKK(クー・クラックス・クラン:白人至上主義団体)に電話をかける。 電話では肌の色がわからないので、ロンは相手の気に入るように言葉巧みに取り入り、入会面接の約束を取り付ける。 しかし本人が行くわけにはいかないので、同僚の刑事(白人)のフリップ・ジマーマン(アダム・ドライバー)がロンの振りをして内部に潜入することに。 前代未聞の二人一役の潜入捜査の結果はどうなる?!、という話。
 もう、冒頭のアレック・ボールドウィンのいかれた演説(?)と『風と共に去りぬ』のコラージュで「すごいものが始まる!」感が全開。 シュールなコメディ路線一直線なのだ。

  ブラック・クランズマン1.jpg 「声が違うからバレる」・「喋り方の真似をしろ」
 電話だと声は違って聴こえるものだと思っちゃうんですかね。 「あれ?、なんか声が記憶と違う?」と感じても会うのが初めてだと「気のせいだ」で納得できてしまうのだと。 コロラドスプリングスのKKKのリーダーがライアン・エッゴート(『ブラックリスト』の人)なのが余計におかしくて、他にも「どこかで見たことのある」役者さんたちがたくさん登場。
 特にロンとフリップの関係が大変いい空気感で・・・いたずらに反目し合うこともなく、途中で急速に関係が深まる何かが起こるわけでもなく、一緒に仕事をしていく過程で相手を認める部分が地道に積み重なって信頼感につながっていくという<確実な当たり前感>がすごくいい!
 結局、いわゆる人種問題とは偏見を教え込まれて、“個人”というものを見ないせいで生まれて続いちゃうってことだよね!(・・・でもそれは『グリーンブック』でも描かれてたことではあるんだけど)。

  ブラック・クランズマン3.jpg KKKってダサいよな、と思わせるつくりにニヤリだ。
 しかし当時は、若干活動は沈静化していたとはいえ「白人こそが正義だ!」みたいな論調があったことは確かで、本人たちは大真面目なところが問題。 誰かに対して優越感を抱くことで自尊心を保つ、という理由だけでは説明ができない、暗すぎる衝動が根っこにあるようでどうしても理解ができないな、と改めて感じることとなった。
 しかし結構ヤバいことを描いているのに、全体的に漂うコメディテイストが素晴らしいんですけど・・・。

  ブラック・クランズマン2.jpg 飲んでる人、KKKの大立者デヴィッド・デューク(トファー・グレイス)。
 彼は一応穏健を語っている。 支部の末端には過激な行動に出る者はいるが、いまはKKKは危険な団体ではない、と言い張る。 その存在のうさんくささがものすごく、自然とロンとフリップを応援したくなってしまう。 また二人が着実に成果を上げるので、警察署内でもどんどん仲間(?)が増えていく感じも笑いとともにつながっていて観ていてうれしくなる。
 まさか、Fワード(というか、使うのはあまりよろしくない言葉たち)の羅列による罵倒で、観る側がこんなに清々しいまでの爽快感を得られるなんて!
 ゲラゲラと笑いながら、何故かふと涙がこぼれた。
 因果応報の予定調和でこれもまた「いい話?」と思っていたら・・・スパイク・リーがそんなことで終わるわけがなかったのだ。
 その後に続く展開は・・・まさにスパイク・リーが怒っていることそのままで、「当時の話じゃないぞこれは! 今もまだ続いているんだ!」という表明。 いや、この映画の原作自体がロンの回顧録なので全部ベースは実話なんだけど、その後の展開でこの映画は一気にドキュメンタリーの顔になり、あたしはそのまま違う涙を流すことになる。
 ・・・あぁ、これはすごい。 いつまでも引きずる。
 なるほど、これじゃスパイク・リーは『グリーンブック』に怒るはずだよ、と納得。
 『グリーンブック』自体はいい映画なんで、こういう問題に理解が追いつかない日本人としては、二本をセットで観るのがいいんではないか、と感じた。 どちらもアメリカの、人種対立が存在する国の現在だから。

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2019年04月09日

『きのう何食べた?』のドラマ、第一話を観た。

 ほぼタイトル通りでございますが・・・関西圏・テレビ大阪では月曜日の深夜に放送なので、観る前から評判がネットを駆け巡るのは致し方なく・・・(確かテレ東での本放送は金曜日の深夜なんですよね)。
 まぁ、原作を読んでいるとはいえ、あたしはキャラ萌えしてないので・・・シロさんは普通にハンサムでスーツとエプロンが似合う人なら大体はまるだろうと感じていて、むしろ難しいのはケンジのほうだと考えていた。

  きのう何食べた?ドラマ.jpg 最初に発表になったポスタービジュアル。
 ケンジが内野さんだと聞いて・・・「いやーん、ステキ〜」といったケンジの口癖は自然に脳内再生されたんだけど、「ケンジは身長あるけどひょろひょろだから、筋肉質すぎないか?」というのが唯一の心配点だった。 ま、シロさんの西島さんも結構筋肉な方ですし。
 で、観てみましたが・・・「おぉ、ちゃんとケンジだ!」ということに驚く。
 むしろ、こちらが想像していたものより違う角度ではるか上を越えてきた。 さすが、プロ!
 どちらかといえば、シロさんがぐっといい人になっていることにびっくり(原作1・2巻あたりのシロさんはもっとぞんざいで口も悪いし、もっとクールだった)。 第一話はきつい言葉の応酬があったけど、それを跳ね返さんばかりのケンジの強さに二人の関係性の深さを垣間見て・・・あ、このふたりはマンガのふたりとはまた違う時間を積み重ねてきたんだろうな、と思ってしまう感じで。

  きのう何食べた?ドラマ2.jpg 食卓、二人の手が大きいのか、茶碗が小さく見えたよ。
 二人が座るソファ(確か、マンガにそういうシーンはなかったような)、もう少しゆとりのあるやつがよかったのでは・・・二人が座ってぎゅうぎゅうに感じて、そこまでの距離間ではない感じ・・・あと10センチくらい広いだけでいいんだけど。
 ここのシロさん、ケンジといると表情が豊かで。
 ごはんもおいしそうなんだけど(ごぼうの炊き込みご飯、食べたくなったぞ・・・)、二人でいるハッピー感がすごくよいなぁ、特にこのへんアドリブなのでは?、と感じさせるところがとてもいいです。
 次回は佳代子さん登場だ!

ラベル:ドラマ
posted by かしこん at 03:17| Comment(0) | テレビ・テレビドラマ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月07日

許されざる者/レイフ・GW・ペーション

 <スウェーデンミステリの重鎮>と紹介されてからもう一年以上・・・「重鎮とか巨人とか何人いるんだろう」と思いながら、別作品の翻訳が出ないのかと待っていたのだが、出る気配がさっぱりないので読んでしまうことにした(そう、ずっと読みたかったのだが、読み終わるのがもったいないかも・・・と手を付けられずだったのである)。
 そしたらもう、566ページというそこそこの大作なのにもかかわらず読むのをやめられず。 読みかけの別の本に手を伸ばすこともなく、一気に走り抜けてしまった。

  許されざる者創元推理文庫.jpg 表紙の美しさも読後、より迫るね。

 かつての国家犯罪捜査局長官のラーシュ・マッティン・ヨハンソンは定年で引退後の生活を送っていた・・・が、ある日突然脳梗塞で倒れ病院に運ばれる。 右半身に麻痺は残ったものの、命は助かった。 ヨハンソンの経歴を知った主治医のウルリカから、牧師をしていた父親が聞いた告解が過去の未解決事件に関係しているのでは、と相談される。 25年前、9歳の少女ヤスミンが殺された事件だが、残念ながら時効が成立していた。 警察では捜査できないため、ヨハンソンはかつての同僚(彼も定年している)、介護士、かつての部下(今はスウェーデン警察や公安部などの上層部にいる)らの手を借りながら、アームチェア・ディテクティヴばりに調査を進める・・・という話。

 いやー、幼児・子供を対象とする性犯罪者ってこんなにも全世界的に憎まれているというか、死刑のない国でも「無残な死を迎えて当然」と多くの人に思われているんだな・・・ということを改めて感じさせる。 勿論ヨハンソンは法律を重んじているので、私刑を決して肯定しない。
 『コールドケース』的な物語を重厚で長大にしているのは、ヨハンソンの闘病・リハビリの描写もあるから。 もともとヨハンソンを主役にしたシリーズがあるようで、シリーズ最後の作品を先に読まされてしまったような微妙な気持ちもある。 脳に負荷のかかった患者が、これまでの性格とはまったく違うような言葉や言い方をする、というのはよく聞くけど、事前にヨハンソンのキャラを知っていればもっと驚くことになったのかもしれないな、と思ったり。
 犯人は後半の早い段階でわかるのだが・・・犯人当てがこの物語の趣旨ではない。 法で裁けない犯罪者に対してどうするべきか、について多く割かれるのが非常に今日的で、日本だったらここまでいくかな?、と考えさせられる。
 なるほど、ヘニング・マンケルでもなく、アンデシュ・ルースルンドとも違う、<スウェーデンミステリの重鎮>という呼び名にふさわしい。 “事件”にかかわってしまった基本的に善良な人々は、その後の人生にずっとその影を引きずり、もう元の世界には戻れないということがこんなにも伝わるとは!
 そして<つながり>は人知を超えたことろにある、とでもいうような運命的なもの(場合によっては紙の采配ともとれるような)。
 やはり北欧ミステリは面白い。 やばい、またはまりそう。

posted by かしこん at 16:18| Comment(0) | ☆ 読んじゃいました | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

半世界

 もともとの公開日は2月ぐらい? 神戸市での上映予定にはなかったので仕方がない、と思っていたら、OSシネマズミント神戸が急遽約2週間限定公開として3月30日から上映決定。 レイトショー枠があるし、タイミングが合えば行ってみようか、と考えていたところ、タイミングが合いました。 

  半世界P.jpg 描いた人生になってる?
   愛と驚きがぎゅっと詰まった映画です。

 父親から引き継いだ炭焼き窯で、白炭と呼ばれる備長炭を作っている紘(稲垣吾郎)はいわゆる炭焼き職人である。 妻の初乃(池脇千鶴)と息子の明の三人暮らしだが、初乃の父(小野武彦)や小学校からの同級生・光彦(渋川清彦)とその父(石橋蓮司)らも同じ町に住んでいる。 ある日、同級生仲間である瑛介(長谷川博己)がふらりと町に帰ってくる。 40歳を目前にした同級生たちの再会は、自分の人生を振り返り、見直す役割を果たして・・・という話。
 冒頭、山道を歩く二人の男の姿に、つい沖田修一監督『キツツキと雨』を連想する。 でも沖田監督とのテイストの違いが、省略手法などもよく使われるためより明確に。 どちらがいい悪いではなく、好みの問題ですが、あたしは沖田監督テイストのほうが好きかな・・・阪本監督テイストは皮肉っぽいというか・・・ユーモアがドライすぎる感じがした。

  半世界3.jpg 同級生、揃う。
 さすが男性、という感じの微妙な会話がリアルだった。 思い出話に終始するわけでもなく、瑛介が帰ってきた理由を追求するわけでもなく(自衛官だったが海外派遣の後、辞めて戻ってきたということはわかるのでなんとなく想像はつきますが)、だらだらと酔っぱらう感じ。 かなり久し振りに会ってもつい数日前にも会ってたみたいな空気感はまさに昔からの付き合いそのものですごくよいが、女性とはやっぱり違うな、と思わせる面白さあり(男性なら「ふむふむ」と頷くのであろうか)。
 だから、同じく同級生らしいけど、「男同士、楽しくやって」と混ざってこない初乃さんの賢明さが輝く。

  半世界1.jpg 稲垣吾郎、普通のおじさんである・・・。
 <ごく普通の、当たり前の日常>を中心に据えたこの映画に“スター”は不要である。 だからそこにいるのは紘であって稲垣吾郎ではない、というのが徹底されている。 「そのひげはどうよ」と最初思ったけれど、山男的にはひげがあるほうがいいのかな?
 むしろ突然帰ってきた瑛介のほうが“異世界”を背負っており、影があってむしろかっこいい。 長谷川博己、以前は特に可もなく不可もなくだったのですが『MOZU』のイカレ気味殺し屋で「おや?」と思い、『シンゴジラ』で「いいかも」となり、『まんぷく』で「いいじゃないか!」となってしまったあたし、この映画は『まんぷく』のずっと前に撮られているので萬平さんっぽさは欠片もないんだけど、不用意にぞんざいで剣呑な感じ、よかったです。
 タイトルの『半世界』は、瑛介と紘の会話、
 「おまえは世間を知っている。 でも世界は知らない」
 「ここも世界だ」
 から来ていると思われる。

  半世界2.jpg 瑛介、確実にPTSDなんですが。
 誰も指摘しないし(紘は「疲れてるんだよ」と言うが)、それなりの対策が取られているのかはまったくわからない。 治療を経ても自分で乗り越えなければならないということなのか・・・。 だから学校でいじめられている明の手助けをすることが瑛介のリハビリの一環なのかも。 明くん、佐藤浩市の息子役で殺人者だった子だなぁ、と思い当たったけど、物騒な目つきは役作りではなくて地だったのか、と気づく(今回は殺人犯ではない)。
 人生はままならない、でも自分のできる範囲で変えることはできる。 たとえそれが昔思っていたものとは違っても。
 という、ある種<人生の負け組>と勝手に区分されてしまった者たち(人数的にも人口のボリュームゾーンの一部)が、世間の評価ではなく自分の判断で生きようとする話・・・なので、30代後半〜40代ぐらいの人狙いの映画で、ここ最近の日本映画としても珍しい存在では。 明らかにミニシアター系映画館でかかるタイプで、時期外れとはいえ一応シネコンでやる、ということに驚きを禁じ得ない。
 それが稲垣吾郎と長谷川博己のおかげだとしたら、いろいろとありがたいですね。

posted by かしこん at 23:59| Comment(0) | 映画 movie | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする